第12話 常天の関〈下〉

 常天は見上げるほど高い石壁に囲まれている。

 使われている石は武陵の鉱山から切り出したものが大半だそうで、建築にも武陵の職人が多く携わったのだとか。

 その石壁の内と外を繋ぐ場所にはそれぞれ関所がある。ヤーモンは馬車を走らせると、陵西関と呼ばれる関所を目指した。馬車は順調に進み、もう少ししたら日が沈むという頃に関所についた。こんな時間なのに、まだ関所には常天に入る人たちが長蛇の列を成している。


「そろそろ水浴びがしたいよ~」

「わがまま言うな」

「ははは、常天は水の都。極河と天江の交わるところに建てられた水上都市だからな。あちこちに水路があって水には困らない。浴場施設も多いから、常天に入ったら行くといい」

「やったね!」


 通関を待つ間、イシュカがふいにぼやいた。昨日泊まった宿に風呂はなく、井戸の水で体をぬぐっただけ。イシュカは綺麗好きだし、水棲馬ケルピーだしで、水がたっぷりある場所を好む。それはお風呂もそう。ただ熱いお湯には慣れないのか、よくゆだって湯船で正体をなくすことがある。心臓に悪いから長湯をしてほしくない人筆頭だ。

 そうじゃなくとも今は遠慮してほしい事情がある。


「行くのはいいけど路銀」

「うっ」


 昨晩、宿で荷物を整理していた時に気がついた。予想外なところで宿をとったせいで、懐がちょっと淋しくなっている。イシュカがお風呂の夢をためらってしまう感じの淋しさだった。

 ほんの少し深刻そうなレントとイシュカの様子に、ヤーモンが体を半分こっちに向けた。


「なんだ、金がないのか」

「いつもは村で畑手伝いとかして、寝る場所とか食べ物とか、いろいろわけてもらってるから」

「普通の宿って高いんだよねえ」


 レントは子供らしからぬ渋い顔をしているし、イシュカもとほほと半笑いだ。西途についたら仕事を探そう、それまでは野宿だ! くらいの意気込みでいたので、町で宿をとるという選択肢は二人の懐に直撃だった。

 ヤーモンが苦笑する。


「それはすまなかったな。早く気づけばよかった」

「べつに、おれたちのことだし」

「いいや、こちらから誘ったんだ。そうだな……常天で少し俺の仕事を手伝ってくれないか」


 ヤーモンの謝罪をレントが首を振って断ると、予想外な提案がきた。

 ヤーモンの仕事の手伝い。


「手伝うってなにを?」

「せっかくだから常天でもいろいろ交易品を見漁ろうと思う。君たちが珍しいと思ったものを教えてほしい」


 ヤーモンがどうだ? と片眉を上げると、レントが微妙な顔になる。仕事はしたいけど、それはちょっと……。


「あっは、ヤーモン、それ無理だよ~。僕ら、見るもの全部が珍しいもん」


 イシュカの言葉そのままだ。

 レントもイシュカも、見るものすべてが珍しい。この武陵にこもっていた三年間、目新しいものに惹かれに惹かれて、東奔西走していたのだから。

 ヤーモンはイシュカの返しに闊達に笑った。せっかくの親切を無下にしたと思われないかと、レントは不安に思ったのに杞憂だったらしい。


「そうか、そうか。それだと確かに難しいなあ」


 納得したらしいヤーモンが顎に手をやる。


「じゃあ二人とも得意なのは?」


 それはもちろん。


「案山子になること」

「泳ぐのなら任せて!」

「案山子に泳ぎって……イシュカ殿はともかく、案山子ってなんだレント」


 呆れたような言い方だけれど、ヤーモンが心底不思議そうな顔になっている。そんなに分かりづらい特技だろうか。


「おれ、呪力があるらしくて。獣除けになれる」

「なんだそれは。そんな使い方は聞いたことないぞ。呪力っていうと術士のあれだろう? 火を出したり、風を出したり」

「水なら出せる」


 言ったレントは荷台からにゅっと手を伸ばすと、手のひらに水を出して見せた。

 水球がレントの両手のひらの上でふよんふよんと浮かぶ。レントの両手のひらより大きくなりそうなところで水球はぱしゃんと割れて、地面に落ちた。

 土の色がじわりと変わる。


「おお! ……これだけか?」

「これだけ」

「これじゃ術士にはなれんな」


 一瞬感動したらしいヤーモンが、レントの簡潔な返しに残念そうな顔になる。


「そうだなあ……泳ぎが得意なイシュカ殿には、水路関連の仕事を斡旋してもらおう。水路修理は万年人手不足だと聞くからな」

「いいね! よーし、がんばっちゃうぞ~」


 レントのことは一旦横に、ヤーモンはイシュカに仕事のあてを教えた。イシュカが力こぶを作ってレントに見せている間に、馬車が揺れた。


「列が動くぞ。そろそろ常天に入れそうだ。お前たち、身分証は」

「これ」


 レントが荷物の中から木簡を二つ取り出した。必要になるだろうと思って、昨日のうちに取りやすいところに入れておいた。

 御者台にいるヤーモンに渡すと、彼は木簡に書かれた文字を一読する。それから片眉を上げた。


「ん? 龍江の出身だと言ってなかったか? これは武陵の村で発行するやつじゃないか」

「あ。えーと、これはその」

「ヤーモンってば空気読んでよね」


 レントがしまったと冷や汗をかく横で、イシュカがのんきな言葉でヤーモンに抗議する。

 でもそのイシュカの言葉で、ヤーモンはいろいろと察したようで。


「……そうだったな。お前たちは訳アリだった」


 木簡を眺めながらうなずいた。それから首を巡らせて、レントとイシュカにしか聞こえないような小さな声で言う。


「ならもう少し嘘をつくことを覚えておけ。この身分証を使うなら、お前たちの出身は武陵になる。龍江じゃないからな、気をつけろ」

「わかった」

「はーい」


 ヤーモンの忠告を、二人は唯々諾々と従った。それにまたヤーモンは苦笑して。


「お前たちは本当に素直だな。だが素直すぎるのも不安だな。気をつけな」

「だってレント。なんでも信じちゃいけないからね」

「そういうイシュカもほいほい知らない人についていくなよ」

「どっちもどっちだ」


 レントとイシュカのお互い様な性格にヤーモンは呆れた。

 そうこうしているうちにも列は進み、レントたちも身分証を確認された。二年前、お世話になった武陵の森番の村で選別にと発行してくれた身分証。あまり使う機会がなくここまできてしまったけれど、問題なく使うことができてほっとした。

 列がさらに進む。石壁の門を通るという瞬間、レントはなんだか気分が悪くなる。

 全身の血が一斉に足もとに落ちて行ったような。ぐらりと目が回り、レントはイシュカにもたれかかった。


「レント、大丈夫?」

「うん……なんかくらってきた」


 イシュカがレントの顔を覗きこむ。レントは目を開けるのもしんどくて、ささやく程度の声量でイシュカに言葉を返す。

 荷台の様子に異変を感じたらしいヤーモンが馬車を走らせながら、背中越しに声をかけてくる。


「どうした、気分が悪くなったか」

「これは仕事どころじゃないね」

「馬車疲れでも起こしたか。少し早いがもう夕方だしな。宿を探すか」


 ヤーモンが馬車の足を少し早めた。

 レントはぐるぐると回りだしそうな視界を追い出すようにぎゅっと目をつむる。イシュカがレントの身体を横にして、自分の膝の上に頭を乗せてくれた。


「イシュカ、これって」

「ごめん、思ったよりも呪力を吸いすぎちゃったみたい。でも結界は無事越えられたよ。しっかり寝て、栄養あるご飯食べたらすぐに元気になる」

「そうかぁ……」


 イシュカの手がレントの額に添えられる。ひんやりとしたイシュカの手。気持ちよくて、少しだけ気持ち悪いのが引いた気がした。そのほんの少し晴れた思考で、レントはふと気がつかなくていいことに気がついてしまう。


「あのさ、イシュカ」

「なぁに~?」

「おれ、気づいたんだけどさ……これもしかして、常天出る時もなる?」

「……」


 うっすらと瞼を持ち上げてみた。イシュカがにこにこと笑っている。笑っているけど、内心「気づいちゃったかー、どうしよー」と焦っているのが伝わってきて。


「笑ってごまかすな、ばかイシュカ」

「ごめんてレント~!」


 レントはごろんとイシュカに背を向けて、ふて寝を決めた。

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