第11話 常天の関〈上〉

 一番近い常天の関は馬車で移動しても二日かかる。

 間に宿場があるので、ヤーモンに連れられてレントとイシュカもそこに泊まることに。

 与えられた部屋はレントとイシュカで一人部屋。路銀はいつでもかつかつなので、贅沢は言えない。野宿の時もイシュカがレントを抱きかかえて寝ているので、いつもとそんなに変わらなかった。宿の主人やヤーモンにはなんだか生ぬるい視線を向けられていたけれど。

 あの反応は絶対子供扱いされてるなと思いつつ、レントは路銀のために口をつぐんだ。イシュカはいつも通り。今日は宿のおいしい夕食が食べられてご満悦だ。

 そんなイシュカに、レントは荷物の整理をしながら声をかけた。


「イシュカ、どうする?」

「えー? どうするって何を?」


 イシュカは寝台で大の字になっていた。声をかけられると、ごろんと寝返りをうってレントのほうを向く。

 レントはのんきなイシュカにちょっと呆れた。明日のこと、まったく考えていなさそうだ。


「このままだと常天に入っちゃうぞ。そうなったらまずいんじゃないのか?」

「あー、それね。うーんどうしようね?」


 今気づいた! と言わんばかりに目をぱちくりさせている。何も考えていなかったことを正直に伝えてくる蜂蜜色の瞳に、レントは脱力した。


「すっごい他人ごとみたいな言い方だな……。昼間の話じゃ、お前だいぶ警戒されてるぞ」

「それなんだけどさ、まずレントくん。ケルピーは海にはいません」

「は?」


 はっと気がついたようにイシュカが起き上がる。

 寝台の上で足を組んで指を一本立てると、神妙な顔つきでイシュカは主張した。


「海にいるのはナックラヴィーだと思うよ。同じ水棲馬だけど、全然違う。そこ、絶対間違わないで。僕、あんなやつみたいに醜くないし!」

「お、おう……」


 イシュカが何かを憤っているけど、レントにはよくわからない。

 名前を言われたって会ったこともないのだから、見た目についても何も言えない。同じ水棲馬ってことはイシュカと同じ馬の上半身に魚の尾がついているのを想像するけど、レントの思考を読んだのか、イシュカは違う! と猛抗議してきた。

 イシュカはそんなレントに対して唇を尖らせる。


「ケルピーだって僕一匹だけじゃないし。僕みたいに幻種の国ティル・ナヌグから来ている同胞がいてもおかしくないし」

「う、うん」

「なんだったらこの三年、レントと一緒に武陵の山に引きこもってた僕が天江にいるわけないじゃん」


 イシュカの主張はこれ以上ないほど正しい正解だった。

 この三年間、ずっと武陵に引きこもっていて、天江を初めて見たのもつい最近だ。レントが証人になれる。ずっと一緒にいたのに、イシュカが北から南へ自由に天江を泳ぎ回れるわけがない。


「それはたしかに。でも目撃談はあるし、イシュカもたまに川に水浴びしてたし……?」

「だから違うケルピーだって。何だったら人間はケルピーとナックラヴィーの違いも分かってないっぽいから、全然違うものを追いかけていたりしているかもよ?」

「なるほど……?」


 納得しかけたレントだけど、でもちょっと信じ切れなかった。

 毛茸竜ペルーダは何度か見たけれど、イシュカみたいな水棲馬ケルピーが他にもいるなんて想像ができない。イシュカにもこの半信半疑な気持ちが伝わっているみたいで、「疑ってるなあ」とちょっと拗ねた表情になっていた。

 レントは誤魔化すように話題を変えてみる。


「川の幻獣の件は分かったけどさ。そうじゃなくて、常天。結界が張ってあるんだろ?」

「あ、そうだった」

「おまえなあ……」


 そうだった、じゃなくて。

 レントはため息をついた。

 聞いておいてよかったかもしれない。直前で気がついたら大惨事になっていた可能性がある。

 とはいえ、レントがやきもきしているのに、当の本人は慌てることも焦ることもなく落ち着いていて。


「まあまあ、レントくん。こうなったら正面突破する覚悟をするしかないと思うわけだよね」

「思ってないけど」


 ほらやっぱり。

 正面突破を覚悟という羅列がもう何も考えていないイシュカの猪突猛進さを表わしている。これで正面突破して、大勢の人の前に本性を曝しちゃったりして、さらには軍士まで出てきちゃったりしたら、目も当てられない。


「そんな危ないことするくらいだったら、川の氾濫がおさまるまで武陵にいたほうがよくないか」

「いやだ~虎途行く~砂漠見たい~干からびてみたい~」

「干からびるな馬鹿」


 レントのまっとうな提案にイシュカがごねた。あと虎途に行きたい理由をはじめて聞いたけど、けっこうろくでもなかった。イシュカが干からびたら荷物が増えそうだ。


「本気で正面突破を考えても、結界があるなら無理なんじゃないか。イシュカが自分で言ってたんじゃん」

「これはね、もうね、レント君にがんばってもらうしかないと思うんだよ」

「はあ?」


 レントは思わず荷物を片づける手を止めた。

 振り返ればイシュカがにこにこしている。

 レントが疑問符を頭から飛ばしていると、イシュカは手を伸ばして小さな卓に載っている水差しを手に取った。中身はイシュカが一気に飲み干してしまう。


「けふー。レント、呪力の鍛錬はしてきたでしょう?」

「これだろ。言われた通りやってるけど……」


 武陵の森番の村にいた頃、何かあった時のために呪力を鍛えようという話になったことがあった。それからちょっとずつ呪力の感覚をレントは身に着けることができた。ただ、よく聞く火や風、土を操ることはさっぱりで、ほんの少しの水を作りだすことくらいしかできない。

 ためしにレントはイシュカが手に持った水差しに水を満たしてみた。じんわりと、水差しの中に水球が生まれる感覚。がんばって集中して、水差しを一杯分満たすのが精一杯だった。それでもイシュカは笑顔をくずさない。


「最初の頃は水滴ひとつも作れなかったけど、今は水差し一杯分の水が作れる。つまりレントの呪力は契約したての頃と比べて高くなっているわけです」


 イシュカがもっともらしく言うけれど、こんなの焼け石に水くらいのささいなことだ。


「そうだけど、こんなんじゃ結界なんて壊せないと思う」

「レント君、勘違いしてない?」

「勘違い?」

「別に結界を壊す必要はないんだよ。結界を通り抜ける瞬間だけ、僕の変化を強化してほしいんだ」


 レントの頭に疑問符がまた浮かぶ。正面突破と言っていたから、イシュカが結界をこじ開けて無理やり通り抜けるのかと思っていたけれど違うらしい。でも、イシュカが言っていることの想像もつかなくて。


「強化って言ってもどうやるんだよ」

「前に話さなかったっけ。僕がこの世界にいるためにはレントの呪力が必要だって。この姿になるにもレントの呪力を借りてるわけなんだけど、この姿の強度を高めればレントの呪力が結界みたいに僕の身体を覆うから、理論的には結界を通り抜けられるはずなんだ」

「難しい。簡単に言って」

「レントがちょっと我慢してくれれば、本性にならずに結界を通れるってこと!」


 レントの視線が疑わしそうに半眼になる。


「ほんとうにぃ?」

「ほんとほんと!」


 イシュカは自信満々だ。まったく、どこからその自信がわいてくるのか。

 レントはイシュカの持つ水差しを取り上げると、それを卓に避難させた。イシュカは水差しを置いたレントの脇をつかむと、よいしょと寝台に釣りあげる。レントは猫のようにされるまま。


「もし本性が出ちゃったらどうすんだよ」

「そこはもう全力で逃げる。バレちゃったらもう川に飛び込んじゃえ!」


 あっけらかんというイシュカに、レントは天を仰いだ。

 だめだこれは。もうその気になっているらしい。やる気に満ち溢れているイシュカの気持ちがなんとなく伝わってくる。

 レントは視線を引きもどすと、まっすぐにイシュカを見た。イシュカの金色の垂れ目にレントの呆れた表情が映ってる。


「はぁ~……そんなに行きたいのか」

「行きたい! 人の世は短いからね。レントだっておじいちゃんになるまでに、もっともっといっぱいいろんなところに行きたいでしょう?」

「気が長すぎる。イシュカらしいけどさ」


 イシュカの年齢を前に聞いたことがあるけれど、こちらの世界と幻種の国ティル・ナヌグでは時間の流れが違うとかで、年の数え方がよくわからないらしい。ただ、人間よりはずっと、ずうっと長いんだと言っていた。

 自分がおじいちゃんになる未来なんて、まだ十三歳のレントには想像もつかないことで。

 レントはとりあえず、自分ががんばればイシュカは常天に行けるんだと理解して、ようやく納得した。


「わかった。じゃあこのままヤーモンについて行って、常天に入るからな。あとからやっぱ無理って言うなよ」

「やった~。常天って何があるかな~。おいしいものあるかな~」


 げんきんなもので、橋がだめだった時は常天に行くのを渋っていたのに、今では常天の地に思いを馳せている。

 契約の繋がりのせいで、レントはイシュカの気持ちにつられやすい。荷物の片付けなんてもうあとまわし。寝台に再び寝ころんだイシュカのお腹の上に乗せられて、レントも明日の今頃は何を食べているんだろうと思いをはせた。

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