第3話 河神の生贄〈下〉
隣村から行方不明者が出た話が知れ渡ると、レントの村もいつもよりピリピリとした空気が漂った。
毎日のように顔を出していたアーヴィンもとんと立ち寄らなくなり、レントはいつものように案山子として村の畑に立つ日々だ。
「また川の水が増水したんだろ。次に雨が降ったら今度こそ氾濫するんじゃねぇか」
「土嚢は詰んでるだろう。氾濫してもすぐには村に来ねぇさ。まぁ、村を捨てる心づもりはしていても良いかもな」
「縁起でもない」
畑仕事をする大人たちが、そんなことを話していた。
あの川の水が増えるとどうして村を捨てることになるのか、レントにはよく分からない。聞いてみたいけれど、たまたまそれを話している大人がレントを嫌っている大人だったので近づこうとは思わなかった。
「また村を捨てることにならないと良いがな」
「八年前は大変だったなぁ。明け方母ちゃんに叩き起こされて、荷物持って歩かされて……あの時の氾濫の被害はどうだったんで?」
「お前まだ子供だったもんな。あんときは村が三つ水没した。うちのと、東のと、北の。で、うちと東はここで村を作り直したわけだ」
畑仕事をする大人たちの興味は川のことばかり。
もっと話すことは他にないのだろうか。たとえば軍士が、アーヴィンが、次にいつ来るのか、とか。
レントは言いつけられた畑の草抜きをこなしながら、左の手首に巻きつけた水草のようなそれを目線の高さにまで持ってくる。
ひょろりと長い、蒼銀の水草。とっても頑丈でやわらかくて、とてもきれいだから、腕に巻いてみた。
この草がなんなのか、名前を知りたかったのだけれど。
「レント、草むしりは終わったか?」
「パズーのおっさん」
「お? その腕のはなんだ?」
レントのいる畑の前を通りがかったパズーが、レントの手首の草に気がついた。レントはその草を慌てて袖に隠す。
なんとなく、村の人に見せてはいけない気がしたから。
「なんでもない!」
「なんでもないって……なんだ、あの軍士様からもらったのか? いっちょ前に色気づいてなぁ」
レントはぷいっと顔をそっぽ向ける。違うとも言えなくて、黙ることを選んだ。怪しまれるだろうかとドキドキしていたけれど、パズーは詮索することはなかった。今の草むしりが終わったら自分のほうもやってくれと言い、去って行く。
ふぅ、とレントはため息をついた。草むしりに戻ろうとする。
林のほうからざわつく気配が近づいてきた。
「大変、大変よっ!」
「セーナが! セーナが川に……!」
川へ洗濯に行っていた女たちが、息を切らしながら帰ってきた。セーナという少女が川に落ちたそうで、血相を変えて戻ってきたそう。
村人の間に緊張が走る。
「足を滑らせたのか!?」
「違うわ! 青くて銀色の毛のようなものが、セーナの腕に絡みついたの! 私見たのよ! あの川には何か化け物がいるのだわ!」
「よしなさい」
錯乱するように叫ぶ女性を村長がたしなめた。この騒動に誰かが呼んだのだろう。
村長が女たちを落ち着かせるように話し始めた。レントは村長の長い話よりも、さっきの女性が言っていたことのほうが気になって、自分の腕を見た。
「青くて銀色の……」
レントは草だと思っていたけれど、よくよく見れば獣の毛にも見える。レントが拾ったのは、川に住む化け物の毛なのだろうか。
レントが首をひねっていると、誰かがそばにやって来る気配がした。誰だろうと顔を上げるより早く、その誰かに小脇へと抱えられる。
「うわっ! なにするんだっ!」
「騒ぐな。ちょっと雲行きが怪しい。お前、少し隠れていろ」
騒ぐレントの口をふさいで小脇に抱えたのはパズーだった。反骨心増し増しでパズーをにらみつけているレントに、パズーはこっそり教えてくれる。
「河神の怒りだと村長が言い出した。お前も死にたくはないだろ」
「河神の、いかり?」
「そうだ。セーナを引きずりこんだのは河神の怒りだ。お前、河神の話は知っているか?」
レントはふるふると首を振る。そんな話、誰も教えてはくれなかった。畑の案山子に聞かせる話ではないとでも言うように。
パズーは早足でその場から離れようとしながらも、そんなレントに河神の話をしてくれた。
「河神は馬の上半身に、魚の下半身を持っているそうだ。青く銀に光る鬣を持っていて、普段は極河の底に眠っている」
青くて銀色、という言葉に、レントは思わず自分の手首を見た。パズーはレントをどこに隠そうかと考えているようで、レントの手首の飾りには気づいていない。
「河神が起きるのは、川を汚された時だ」
「川を汚す?」
「最近、増水で川が濁ってたんだよ。増水がなければ、あの川は青くてきれいなんだ」
レントの見た川は畑の泥水のように茶色だった。あれが青と言われても、あまり想像ができない。
ふぅん、と生返事をしていれば、パズーはいっそう声を潜めて教えてくれた。
「河神の怒りを抑えるには、どうしたら良いと思う」
「どうしたらって? そんなの怒ってる理由聞けばいいじゃん」
「じゃあレント、お前は川ん中にいる神様にどうやって聞くんだ」
そう言われると、レントも困ってしまう。
口をへの字に結んだレントに、パズーがその答えを言おうとして。
「待て、パズー。レントをどこに連れて行く?」
ぎくり、とパズーの足が止まった。
後ろから声をかけてきたのは、レントのことを嫌っている大人。忌々しそうにレントのことを見ている。
「どこって……ちょいと野暮用でな」
「お前なんかの野暮用なんかよりも重要な仕事ができた。レントをこっちに寄こせ」
「重要ってなぁ。こっちもレントに言いつけたい仕事があるんだよ」
「それは村長の命よりも大切なものか?」
そう言われるとパズーも弱いようで、ぐっと言葉を飲みこんだ。
レントはそんな二人のやり取りをパズーの脇で見上げていたけれど、このままじゃよく分からない。
「村長の命令って、何?」
「っ、馬鹿、レント!」
パズーがレントの口を抑えようとするけれど、遅かった。レントの疑問に答えるように、レントを連れ戻しに来た大人がしたり顔で教えてくれる。
「河神様へのお伺いだよ。川ん中へ入って、川神様に怒りを沈めてもらうようにお願いするだけの仕事だ」
パズーがその言葉に青褪めた。
「おい待て! それじゃあ生贄じゃないか!」
「孤児一人で村が救われるんだから、たいしたことねぇだろ。案山子なんて言って日がな一日ぼんやりと立ってるだけのガキだ。誰も反対はしなかった」
レントは大人たちが言い争うのを見上げた。段々と村人たちも集まってきている。レントはパズーの顔を見上げて、まぁ、いいや、と思った。
「パズーのおっさん、降ろして」
「レント!」
「いけにえとか、よく分かんないけど、別にいい。おれがやれって言われてるんだろ? ならやるよ」
「だが……っ」
「パズーのおっさんに、めーわくかけたくねぇし?」
レントがもぞもぞと動けば、パズーの腕に力がこもる。ちょっと眉間にシワを寄せながらも、レントはもぞもぞ動いてパズーの小脇から脱出した。
「おれ、いけにえになってやるよ。それで、河神ってやつにいい加減にしろって怒ってきてやる!」
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