〈5〉

 車を運転しながら、母さんはすっかり昇り切った太陽の日射しに目を細めた。


「そっか。ピアノ、残すことにしたのね」


 他人事のようにあっけらかんと、その答えが分かっていたかのように。


「うん。プロに戻るとか、そういうのまでは考えていないけれど、指が動くうちは触り続けようと思ってる。……でないと、コレも使っちゃいけないような気がしたから」


 僕が指でお金のマークを作って見せると、母さんは「カッコつけちゃって。お父さんに似たのかしら」と肩を竦めた。

 僕が「母さんにもだね」と嘯けば、シフトレバーにかけていた手がグーになって飛んできた。


 今日はショッピング日和だ。

 朝起きてからはあっという間で。あかりは、やることがあると言って、早いうちに帰ってしまった。

 本当は、この買い物も一緒に行ければと思ったんだけど。クリスマスまで取っておくのもいいかもしれない。


 ぼうっと窓から外を眺める。休日ということで道は少し混んでいるものの、雪自体は一昨日からの天気で融けてきていた。天気予報では明日からまた雪が降ると言っていたから、無事にホワイトクリスマスは迎えられそうだ。

 踏み切りを跨いで、笹丘を抜けると、目的の店に到着する。


「はい、着いたわよ」

「母さんは来ないの?」

「何が悲しくて。それに、こういう店に親が同伴ってどうなのよ」

「歩いて行くって言った僕に『心配だから付いて行く』って言ったの誰だっけ」

「はいはい王子様」

「うわあ……」


 渋々運転席を降りてきた母さんと二人で店に入ると、若い女性店員がつかつかと歩み寄ってきた。


「いらっしゃいませ。本日は、お客様お二人用のものをお探しですか?」

「嫌ですわ、そんな。こっちは息子ですぅ!」


 見事なまでの営業スマイルにあっけなく陥落していた。母さんは、歳が行っていると言えば怒るくせに、褒められると弱い。家でも施設でも、ちやほやされることなんてないものだから、免疫がないんだ。

 何故母さんが褒められたと勘違いしているかというと、ここがジュエリーショップだからだ。店員さんからは、アラフォーの女性が若いツバメを連れてきたという構図に見えていたに違いない。


「ちょっと、訳ありで……というわけで、母さんはその辺見てて」


 上機嫌でくねくねしている母さんを、無理矢理隅の方へ追いやる。そのまま僕は、呆気にとられている店員さんをすり抜け、店内を物色し始めた。

 ネックレスからブレスレットから、様々な加工品が扱われている異世界のようなこの場所は、正直言って、かなり落ち着かない。


 その中で、目的の商品が並んでいる一角に辿りつく。すると、それみたことかと言わんばかりの表情で、またも店員さんが近づいてきた。


「あちらの方もご一緒に――」

「何度も言います、母です。いないものとして扱ってください」


 少し腹が立ったので、母、の部分を強調して告げる。店員は「はぁ……」と、怪訝な顔をしながらも引き下がった。やっぱり、はじめの母さんの申し出通り、車に残してきた方がよかっただろうか。


 それにしても、かなりの種類が並んでいて、目移りしてしまう。一口にダイヤモンドと言っても、カットの仕方や填め込み方次第で値段の増減が激しい。

 お手上げだった。


「すみません。赤い宝石があしらわれていて、かつ指の動きの邪魔にならない。この条件でおすすめとかってありますか?」

「そうですね……。お客様の予算は、おいくらくらいでしょうか」

「ええと、三十、三十くらいまでなら」

「しょ、少々お待ちくださいませ!」


 突然、店員さんが血相を変えてカウンターに駆けて行った。もう一人の店員と一緒にサンプルカタログを探しているようだけれど、それだけのためにあんな顔するかな。

 ううむ、と唸っていると、いつの間にか母さんが横に立っていた。呆れた顔で。


「まさか、貯めてたお金全部使う気じゃないでしょうね?」

「全部じゃないよ。半分だけ」

「はぁ。それでも、あんたくらいの年であの予算提示はないわ。今時大人でも十から十五くらいが相場じゃないかしら」

「えっ、そうなの?」


 驚いていると、はぁ、とため息を吐かれた。


「まぁ、目が見えなくなるなら、後々本指輪を作るわけにもいかないしね。いいんじゃない。好きにしなさい」


 言うだけ言うと、母さんはまた好きに歩き始めた。入れ違いに、店員さんが戻ってくる。


「お客様、こちらへどうぞ」


 促されて、カウンターの方へ行くと、何冊かのカタログが開かれていた。そのページの前にそれぞれ小箱が置いてある。


「ご予算に合うくらいですと、こちらがおすすめです。いくつかは現物もございますので、どうぞご確認ください」

「それじゃあ、失礼します」


 端の方から順に見ていく。と、一つ目で僕は母さんの言葉を理解した。僕の考えていた予算で見繕ってもらうと、その、大きすぎる。滅多に来ることはないだろう店とはいえ、下調べをしておかなかった自分に、軽い眩暈を感じた。

 気を取り直して、次のもの、次のもの……と見ていく。ふと、ある箱を開けたところで、直感的にこれだ、と思うものに出逢った。

 シンプルかつ精巧なデザインで、宝石もそこまで派手じゃない。惜しむらくは、用意されている現物の宝石が赤ではないことだろうか。


「これはダイヤモンドですか? ルビーに替えられれば、これにしたいんですが……」


 手元にある、薄透明の宝石が付いたそれを店員さんに向けて見せると、その顔が強張った。

 また何か、僕は変な選択をしたのだろうか。


「あの。どうかしましたか?」

「いえ、その。申し上げにくいのですが、こちらルビーでございますが……」


 心臓が、ドクンと跳ねた。


「えっ、ちょっと待ってください。ルビーっていうのは、こう、赤くて――」


 落ち着け。さっきまでは見えていたはずだろう。ほら、確か二つ前の。


「ほら、こっちがルビーですよね?」


 震えはじめた手で小箱を開けると、そこにはまた、店内の明かりを受けて煌めく、薄透明の宝石が施されていた。


 その瞬間、世界が歪んだ。


 回転する視界に映る宝石たちでは、冬の大三角は作られないまま。


「ちょっと、冬彦!?」


 僕の意識は、地に落ちてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る