第3話 ルビーとサファイア
「怪我?」
杏菜の怪我のことは、今日の昼休みに美術部の顧問である荒井に聞いていて知っている。そのため「知っているよ」と言っても良かった。教師なのだから知っていても変ではないだろう。
しかし何となく、怪我のことは「杏菜から聞いたのが初めて」とした方がいいように思ったので、深山は素知らぬふりをした。
「私、椎間板ヘルニアになったんです。それで新体操部を辞めたんです」
「……そうでしたか」
演技臭くならないように、深山は初めて聞いたように残念そうに頷く。
「でも、私、納得できなくて。玲菜とは顔もよく似ているし、身長も体重もほぼ一緒。生活リズムだって、練習時間だってほとんど同じなんですよ? 一卵性双生児だから同じようなものが沢山あるのに、私だけ椎間板ヘルニアになって……何で……私だけ……」
話を静かに聞いていた深山は、ゆっくりと頷く。
「その気持ちは分かります。杏菜さんと玲菜さんは、同じ時間をお母さんのお腹のなかで過ごして、共にこの世界に生まれてきたのですから」
「……」
「ですが、だからといって双子が常に同じ人生を歩むかと言えばそうではありません。一卵性双生児は遺伝子がほとんど同じですけど――、杏菜さんは遺伝子という言葉は分かりますか?」
杏菜はこくりと頷く。
「漫画で読んだことがあるので分かります。えっと、人の体を作る……設計図みたいなもの、だったと思います……。合ってますか?」
深山は頷き「合っていますよ」と言って笑った。
「また習っていないはずなのに、そこまで説明ができるなんてすごいです。遺伝子のことは中学三年生の授業で取り上げるのに、よく分かりましたね」
「いえ……」
「遺伝子の詳しい話はこれから先の授業で話すとして、要は杏菜さんと玲菜さんは一卵性双生児なので遺伝子がほぼ同じということです。それはまるでルビーとサファイアみたいじゃないですか」
「え?」
杏菜が小首を傾げる一方で、深山は黒板の前に立ち、赤いチョークと青いチョークを使って、それぞれ横から見た鉱物をブリリアンカットした図を描く。
「これはきれいに磨かれたルビーとサファイアです。美術部じゃないので上手く描けているのか分からないのですが、どうでしょう。ルビーとサファイアに見えますか?」
深山の問いに杏菜はちょっと笑って、大きく頷いた。
「見えます。ゲームに出て来る『ジェム』によく似ていますね」
「gem(ジェム)」は「宝石」のことである。
「それは良かった」
深山もくすっと笑うと、赤いチョークで描いた宝石の下に「ルビー」と書き、青には「サファイア」と書いた。そしてそれぞれの宝石の上から白い線を引っ張って、「コランダム」と書く。
「実はこの二つの宝石は、『コランダム』と言われる鉱物でどちらも『Al₂O₃』という化学式を書きます」
杏菜は黒板を眺めながら小首を傾げる。
「え? ってことは、ルビーとサファイアって同じ種類の石ってことですか?」
「そうです。ルビーとサファイアは同じ鉱物ですが、赤い色はルビー、青い色をサファイアと人々は分けて呼んでいます」
「何でですか?」
「昔は、鉱物がどういう元素で出来ているかまで分かりませんでしたから、見た目の違うものには別の名前を付けていたんですよ」
「そっか……。で、でも、化学式が同じってことは同じ石ってことですよね? それなのに赤と青なんて……全く違う色になるんですか?」
「それはコランダムのなかに入っている、微量な元素が原因です」
杏菜は眉を寄せる。
「微量な元素……?」
「コランダムを化学式で表すと『Al₂O₃』でしたね。去年理科で習ったことを思い出してください。AlとOは何でしたか?」
問いかけられ、彼女は「えっと……アルミニウムと酸素です」とするりと答えを出す。普段からよく勉強しているのだろう。
「正解です。つまりコランダムは、アルミニウムと酸素でできていることが分かります。そして、この二つの元素だけでできた純粋なコランダムは、無色透明なのです」
「え、色がないんですか?」
「はい、赤にも青にもなりません。ですが、先ほど言ったようにコランダムを構成するアルミニウムと酸素以外の微量な元素、ルビーはクロム、サファイアは鉄とチタンが含まれることで、色が反射するんです」
「色の反射……」
杏菜はそう呟き少し考える仕草をしたあと、深山に言った。
「えっとそれはつまり、ルビーに含まれているクロムは、光のなかにある色のうちの赤だけを、サファイアに含まれている鉄とチタンは青だけを反射しているってことですか?」
「そうです。よく分かりましたね」
すると杏菜はぱっと表情を明るくした。
「去年の授業で、深山先生が説明していたのを思い出したんです。太陽の光は白というか透明に見えるけれど、実は色んな色が混じっていて白になっているって。それでりんごが赤く見えるのは、光のなかに含まれる赤い光だけを反射しているから私たちにはそう見えるって言っていました」
「素晴らしい解答です。花丸をあげないといけませんね」
喜ぶと思って言ったつもりだったが、杏菜は不満そうに唇を尖らせた。
「小学生じゃないので、あまり嬉しくないですけど……」
「そうですか。では、百点満点で」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。