最終話 吸血鬼はまだ、ここにいる
かくして、僕――裳末杏太郎の昔語りは終わり、大水槽前は沈黙で満たされた。
ゆっくりと遊泳する魚たちを背景に、寄坂櫛奈は静かに立っている。
そこに何の感情があるのかは僕にはわからない。失望か。絶望か。少なくとも納得ではないだろう。
彼が言い当てた通り、暮吉最中の犯行動機の一つは『ゲームに負けるため』だった。
自分に与えられた吸血鬼という役目が、最初から殺されるために生み出されたものだと言われて、はいそうですか、と終われるわけもない。
彼が自我とやらに目覚めているのならば、それはなおさらだ。彼というホログラムを着ている何者かが、怒ってこちらにつかみかかってきてもおかしくはない。そして僕にはそれに弁明する手段はなく、言い訳をするつもりもなかった。
その代わりに――、物陰で話を途中から聞いていた元生徒に、僕は声をかけた。
「これで僕の話は終わりだけど――君からは何か言いたいことはないの、暮吉最中?」
寄坂からはちょうど死角となっていた方向に声をかけると、寄坂はきょとんとした後、慌てて振り向いた。
その拍子に、彼と重なっていた人物――山仲美世の姿がズレて、目の前に出現する。
「あっ」
間抜けな声を上げる山仲をよそに、暮吉最中と寄坂櫛奈は顔を合わせる。……気まずい沈黙が二人の間に流れた。
「あーもう! 急に動かないでくださいよ、寄坂さん! ズレちゃったじゃないですか!」
憤慨する山仲の言葉に、最中は目の前の人物をまじまじと見る。
寄坂櫛奈。己が10年前に置き去りにした、聖母子学園の吸血鬼。
自分で自分の人生を動かせるようになり、この学園に戻ってきてもなお、向き合うことを先延ばしにしてきた幼さの象徴である彼は、長い長い沈黙の末に――最中を鼻で笑った。
「はっ。遅いよ、ばーか。取っちゃうよ?」
「…………は?」
怪訝な声を上げた最中に見せつけるように、半透明の寄坂は僕にぎゅっと抱きつくようなポーズを取った。最中は口をぽかんと開けていたが、やがて顔色を真っ赤にしてわなわなと震え始めた。
「お前っ、AIのくせに、お前っ……!」
「ふふん、遅刻してくるのが悪いんだよ。なかなか迎えに来ないお前なんて捨てて和菓子先生んちの子になっちゃうからね。ねー、パパ?」
「はあ!?」
されるがままになっていたこちらにまで流れ弾が飛んできて、僕はかつてないほど大声ですごむ。だが、寄坂はニコニコと笑うばかりだし、そんな僕たちを指さして山仲は妙なことを言い出した。
「赤毛先生、パパ活ですかーっ!?」
「山仲。頼むから君は黙ってて」
バカにガキの悪ふざけが重なるとろくなことにならない。最中はといえば、自分が大人であるというプライドでギリギリ耐えているようだが、もし寄坂に実体があったならつかみかかっていきそうな顔をしている。
止めてよね、おじさんを挟んで修羅場とか絵面が最悪だよ。しかも教師と元生徒とか下手をすれば犯罪沙汰だって。
うんざりとした顔で成り行きを見守っていると、膠着していた状況を打破したのは意外にもバカ――山仲美世だった。
「でも、よかったですね! こうして三人が再会できて!」
「…………はあ?」
能天気極まりない発言をした山仲を威圧したが、そんなことでバカが止まるはずもない。山仲は僕たちの前に立って、不思議そうに首をかしげた。
「だって和菓子先生は、子供時代の自分の象徴である寄坂櫛奈さんを守るために、この学園に置いていったんですよね?」
「……え?」
寄坂は無防備なほど目を丸くする。最中にとっても意外な言葉だったのか、彼も山仲をきょとんと見ていた。
山仲はそんな寄坂に指を一本立てて、言った。
「和菓子先生にとって、寄坂櫛奈さんは大切な宝物だったんです。だから、それを大切にしまい込んで鍵をかけたんです。そりゃあ、最初はただ殺すためだけの存在だったかもしれないですが、ちゃーんとあなたは愛されていたんですよ」
「愛され……え……?」
何度も瞠目しながら、寄坂は最中と山仲を見比べる。最中は肯定も否定もせずに微妙な顔をしていた。
そんな雰囲気を意にも介さず、山仲は胸を張る。
「――というのが、私の視点からの推理です!」
「君の視点……?」
まるで暴走列車のように場の空気を支配した山仲は、つらつらと演説を続ける。
「はい! きっと寄坂さんの視点の推理は私と違いますし、和菓子先生自身が思っている解釈も違うんだと思います。でもそれぞれ全てが正解で、全てが真相なんです。動機は一つじゃないって、きっとそういうことですよね、赤毛先生?」
急に話を振られて、僕は面倒くさいという顔を隠さずに適当に答えた。
「ああ、うん。そうなんじゃない? 知らないけど」
「ほら! そうなんですよ! ね!」
にっこりと満面の笑みを山仲は二人に向ける。二人はそれに気圧された。どうやら同じ人物が元になっているせいか、同じようなタイプの女性が苦手らしい。
どう見てもドン引きされているというのに、それを全く気にせずに山仲は口を動かす。
「私、これまでの事件を見てきて思ったんです。動機だとか、謎だとかは、どう解き明かされたかより、誰が解き明かしたかのほうが大事だって。えーっと、ふー……フーダニットってやつです!」
最中と寄坂は微妙な顔になった。僕も苦々しい顔になっているに違いない。
本当にバカなんだな、この生徒。それじゃあ「犯人は誰か」って意味になるじゃないか。
困惑があきれに変わっていく空気の中、山仲美世は僕たちに宣言した。
「だからですね、この謎を解き明かすのは、三人でやるべきなんです。話し合って、思ってることを伝えて、それでもまだ曖昧にしたほうがいいってなったら解き明かさなくたっていいんです。それが、三人にとって納得のいく結末なら」
僕たちは互いに、ちらりと顔を見合わせる。
バカに提案されたという一点を除けば、たしかに一番建設的で納得できそうな解決方法だ。
どうするか、とお互いに無言でうかがう僕たちに、山仲はにこりと笑った。
「というわけで私は帰ります! 鹿に蹴られたくないですし!」
「は?」
「おやすみなさい、よい夜を!」
そうやって言うだけ言うと、山仲美世は眼鏡を置いて、嵐のように去っていった。残されたのは若々しいパワーに踏み散らされた二人の大人と子供だけだ。
「もしかして馬に蹴られるって言いたかったのか、アイツ……?」
「馬と鹿の区別もついてないんでしょ。馬鹿だから」
あんなに険悪だった最中と寄坂は、山仲への困惑のおかげで普通に会話をしている。経緯はどうあれ、悪くない状況であることは確かだった。
「まあ、何……。とりあえず座る?」
腰掛けていた位置を少しずらし、二人分のスペースを作る。最中と寄坂は、並んでちょこんと座った。
ガラスの向こうで悠然と、魚たちが泳いでいく。
青く、薄暗く、澄んだ水槽を見つめながら、かつて水槽に沈んだ吸血鬼は口を開いた。
「僕さあ……和菓子先生たちのこと、大好きなんだよね」
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