第30話 裳末杏太郎はホワイダニットが嫌いである

 それの始まりを知った時、僕はそもそも学園祭に参加していなかった。


 2023年の学園祭最終日、夕方。文字通りお祭り騒ぎをする学生たちの歓声を遠くに聞きながら、僕は生徒指導室でありがたくも学園祭以外の業務を賜っていた。


 すなわち、学園祭終わりの浮かれた学生どもに叩きつける冬期課題の作成である。


 可愛げのない生徒たちの絶望に満ちた悲鳴が聞けると思うと、なけなしのモチベーションも高まるというものだ。


 そういうわけで、らしくもなく上機嫌で問題を作っていると、バツンという音とともに不意に辺りが暗くなった。


「……はあ?」


 天井を見上げて、相手もいないのに威圧の声を上げてしまう。電灯は完全に消えており、壁のスイッチを押してみたが、うんともすんとも言わない。


「やめてよね。停電とか……」


 ぶつぶつと文句を言いながら、タブレットのライト機能を起動する。その時、ポンという軽い音とともに、眼鏡越しの視界にとある文字列が二つ出現した。


『吸血鬼はここにいる』


『ウェアダニット?』


 特大のため息が出た。


 どうやらこれはあのクソ生意気な生徒からの次の挑戦状らしい。ここまで思い切ったことをするとは思わなかったが。


 頭が痛くなる思いがしながら、とりあえず状況を確認しようと監視カメラのモニターを起動しようとする。――停電なので、普通に動かなかった。


「ハァー……」


 何がウェアダニットだ。監視カメラを封じられたら、自分の足で現場を探しに行かなきゃいけないじゃないか。


 内心文句たらたらのまま、とりあえず外に出ようとする。ふと、見慣れないものがソファに置いてあることに気付いて、それを拾い上げた。


「……メンダコのキーホルダー?」


 白色のメンダコを模したキーホルダーに、僕は眉をひそめる。暮吉最中がたしかこれの色違いを持っていたはずだ。十中八九、彼が置いていったものだろう。


 キーホルダーの表面をずらしてみると、その中に鏡があった。女児向けの土産物にはよくある仕掛けだ。


 何か意図があるかもしれないし、ないかもしれない。とにかく外に出ないことには話が始まらない。


 仕方なく部屋の外に出ると、混乱の悲鳴がそこら中から響いてきているのがわかった。


 たかが停電ごときでここまで騒がしくなるものだろうか。小学生じゃあるまいし。


 そう思いながら歩みを進めると、二人の生徒が困惑した様子で話しているのに行きあった。


「ねえ、そこの」


「うわっ、カスきょーだ」


「カスきょー、ちーっす」


「誰がカスきょーだ。反省文書かせるよ?」


 彼らは振り向いて、悪口のようなあだ名でこちらを呼んでくる。しかし奇妙なことに、その二人の顔は――全く同じだった。


「はあ? 君たち双子だっけ?」


 思わず内心が言葉になって漏れる。すると、学生たちは口々に主張しはじめた。


「あ、やっぱ顔変わってるよな?」


「鏡だと普通に見えるから、自分じゃ確認できなくてさー」


 鏡に映らない幻影。おそらくは眼鏡の位置情報を頼りにした顔面を覆うホログラムだ。


 どうやら僕の顔は変わっていないようなので、何かのプログラムを仕込まれた眼鏡だけに発動している、とかだろうか。


 そう、たとえば――吸血鬼のイタズラに引っかかった人間だけだとか。


「ねえ、君たち――」


 そうやって声をかけようとして、ふと嫌な予感が脳裏をよぎる。


 こんな大規模で、下手をすればイタズラ相手を怪我させる可能性があるかもしれないイタズラを、あの注意深く臆病で、慎重な生徒がするだろうか。


 これまで積み上げてきたの総決算のような真似を、卒業目前でもない2年生の12月というこのタイミングでするだろうか。


 いや、彼が犯人であることは間違いない。だからここはこう考えるべきだ。


 彼は今、正常な精神状態ではない、と。


「……チッ」


 舌打ちとともにタブレットを起動し、手がかりはないか探し始める。学生二人が怪訝な顔をしているが今は無視だ。


 電気系統を管理するシステムにアクセスすると、アクセスこそできたが教員IDでログインできないようになっていた。どうやらあの生徒がシステム権限を書き換えたらしい。


 セボちゃん等の学内サーバーにもアクセスしようとしたが、そちらはそもそも落ちているようだった。


「はぁ……仕方ないか」


 大きくため息をつくと、事情を理解していない学生二人を置いて、目的の場所を目指して歩き出す。


 学内サーバーは落ちているのに、電気系統についてはシステム自体が落ちているわけではない。つまり、暮吉最中には電気を通しておきたい場所が存在するというわけだ。


 そこに彼がいるかどうかはともかく、手がかりになることは間違いないだろう。


 階段を上って、本校舎の屋上に向かう。たしか、花火を打ち上げるだとかいって利用許可申請が出ていたはずなので、ドアは開け放たれているはずだ。


 運動不足の体を引きずってたっぷり5分はかけて屋上のドアまでたどり着く。


 外に出た途端、ぶわりと寒々しい風が吹き抜け、一瞬だけ目を閉じる。再び目を開いた時、僕の目はこの学園で唯一電気が通っている場所を捉えていた。


 聖母子水族館。営業時間も終わっているはずのそこには、こうこうと明かりが灯っていたのだ。






 水族館にたどり着いた頃には、太陽はすでに沈み、夜闇が辺りを満たしていた。


 吹き付ける風に身を震わせながら入口に近づく。すると、施設の前には水族館の職員たちが集まり、途方に暮れていた。


「……何? 何かあったの」


「うわっ、裳末さんどうしてここに」


 まるで招かれざる者が現れたかのようなリアクションを取られ、ただでさえよくない僕の機嫌が露骨に下がる。


「はあ? 僕がここにいちゃダメだっていうの? こう見えて、一応ここの研究に協力してる身なんだけどご存じないみたいだね。そもそも君たちは」


「す、すみませんすみませんって。僕たち、火災報知器が鳴ったので外に避難したんですが、火事が起きた様子はないし、なぜか自分たちのIDで中に入れなくなってしまって……」


 困り果てた様子の職員を一瞥し、僕は自分のIDを取り出して入場口に向かう。


「あっ、だから入れないと……」


 追いすがってくる彼を無視して、ゲートに自分のIDをかざす。ピッという電子音とともに、ゲートはあっさりと開いた。


 ……どうやら、ウェアダニットとやらはここで正解のようだ。


「あのー……裳末さん?」


 職員がおずおずと話しかけてくるのを無視し、さっさと中に入る。そのまま目的地に向かおうとも思ったが、邪魔をされるのも嫌だったので一応振り向いた。


「君たちは入ってこないで。ちょっと生徒を叱ってくるだけだから」


 言うだけ言うと、返事も聞かずにさっさと歩き出す。


 自分で言うのもなんだが、自分は共感性というやつが薄い人間だという自覚はある。だが、ここまで来ればあの生徒がどこにいるかぐらい、情に薄い自分でも察しがつくというものだ。


 スタッフ以外立ち入り禁止の看板を通り過ぎ、バックヤードを歩いて行く。職員が全員避難しているので、聞こえてくるのは水が泡立つ音と空調の音、それから水温等を調整するための機械音ぐらいだ。


 静かな空間に、僕の革靴の足音だけがカツカツと響く。人の気配がないバックヤードはやけに肌寒い。ややあって、それが自分が汗をかいているからだと気づき、僕は舌打ちをした。


 入口付近の展示エリアを過ぎ、階段を延々と上った先のドア。IDをかざすと、ドアの鍵はあっさりと開いた。


 僕は胸の中にある苛立ちを一旦吐き出すように息を吐き、ゆっくりとドアノブをひねる。


 ぎぃ、ときしむ音を立ててドアは開き、その奥で待ち構えていた人物が顔を上げる。その顔は――先ほど会った二人の生徒の顔と一致していた。


「……僕は、寄坂櫛奈」

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