第29話 裳末杏太郎はエピローグを待っている

 あの時、何を間違えたのかと考えないわけではない。


 2023年の学園祭前夜。メンダコになりたいと言った彼にもっとかけるべき言葉はあったのだろう。少なくとも、もし僕が人徳のある人間なら、あそこまでの騒動は起こらなかったことは間違いない。


 まあ、そういうアンニュイな悩みは若者の特権であるからして、僕――裳末杏太郎がわざわざ頭を悩ませることはないのだが。


 そして、2033年。


 学園祭最終日。


 特設ステージでのライブイベントも始まり、エネルギーを持て余した若人たちが体力の無駄遣いをしているのを遙か遠くに聞きながら、僕は「せぼすい」の大水槽をぼんやりと眺めていた。


 せぼすいはすでに営業時間も終わり、静寂に包まれている。展示用のライトも落とされているところが多く、周囲は薄暗い。僕はひとつため息をついた。


 いわゆる待ち合わせ、というやつだが、待ち人が現れる気配は一向にない。当然だ。彼は今、若さと時間を浪費する学生たちに持ち上げられて、もてはやされている真っ最中なのだから。


 腕時計を確認すると、18時の15分前だった。18時にステージは終わるので、待ち人が来るまであと少しだ。


 僕はつい癖でポケットのタバコを取り出そうとし、直前で手を止める。ここで擦って火災報知器が作動しようものなら、後々の処理が面倒だ。学生でもないのに反省文なんて御免被る。


 紫煙の代わりにため息を吐き出し、大水槽を見上げる。


 その時――背後から人の足音がゆっくりと近づいてくるのが聞こえ、僕は振り向かずに言った。


「僕さあ、人を待たせておいて急ぐそぶりもない奴、嫌いなんだよね」


「奇遇だね、僕もだよ。和菓子先生」


 返ってきた声色に聞き覚えはない。人払いは済ませたのになぜ、とは思いつつ振り向く。そこにいたのは――かつて監視カメラで見た外見そのままの、寄坂櫛奈だった。


 僕は数秒目を見開いた後、すぐに普段通りの表情を取り繕った。驚きを悟らせるだなんて、まんまと策に嵌まったことを証明しているようで嫌だったので。


「で、何? ホログラムのAIがわざわざ現れるなんてご苦労なことだね。僕忙しいから何の用かさっさと言ってくれる?」


「ただのホログラムじゃないよ。はい、どうぞ」


 そう言うと、寄坂は手に持っていた紙コップを手渡してきた。


 まるで、自分がホログラムではなく実体のある存在であると証明するように。


「ベーカリーの出店のコーヒーだよ。手土産もなしなのはどうかと思って」


「……それはどうも」


 まるで戦いが始まる直前のような緊張感が僕たちの間に流れる。寄坂は僕の目の前の――ギリギリ手が届かない位置に立った。


「和菓子先生、僕、質問があるんだけど」


「何? 業務外でそういうことしたくないんだけど」


「業務内だよ。だって僕は卒業しなかったんだから。今でもまだ僕は、聖母子学園の生徒だよ」


 寄坂はそこまで言うと、挑戦的な眼差しになった。


「先生なんだから、当然生徒の質問には答えてくれるよね?」


 そこを突かれてしまうと弱いのがこの稼業だ。僕はこれ見よがしに一度ため息をついた。


「わかったよ。で? あの天才的なクソガキが作り出した、高性能AIの君が、平凡な僕に何を聞きたいっていうの?」


「先生、なんで僕を殺したの?」


 状況が状況ならホラーにも取れる台詞に、思わず顔をしかめる。だが、それがただの言葉遊びであることぐらい、当事者の僕から考えればすぐにわかった。


「殺した、ねえ。逆に聞くけど、どうして君は殺されただなんて思ってるの? 君は今、ここにいるじゃないか」


「暮吉最中が言ったんだよ。和菓子先生は吸血鬼の不在証明に成功し、見事、吸血鬼を殺してみせたって。僕に与えられてる情報はそれだけだ」


「それで、死んだ吸血鬼の名前を与えられた君は僕に殺されたって認識してるってわけ? AIのくせに感傷的な解釈すぎない?」


「その解釈を入力したのは暮吉最中だよ。文句ならそっちに言ってよね」


 ああ言えばこう言うという応酬だ。だんだん不毛に思えてきた僕は、人間様の余裕として一歩引いてやることにした。


「わかったよ。答えてあげる」


 ぶっきらぼうに放たれた僕の言葉に、寄坂は子供のように目を輝かせる。それが無性にむかついたので、僕は付け加えた。


「ただし僕は、はい、いいえ、で質問に答えるだけだ。解き明かすのは君がやってよね」


 挑戦状を叩きつけるように言う。彼はこの勝負に乗ってくるという確信があった。なぜなら彼を作り出したのは暮吉最中。まわりくどいゲームと言葉遊びが大好きなクソガキなのだから。


「フーン……うみがめのスープってこと?」


「そうだよ。それとも君は、自分の力じゃあの事件の仕組みを解き明かせないと思ってるの?」


「まさか! 楽勝だよ、それぐらい」


 軽く挑発してやると、笑ってしまうほどあっさりと寄坂は勝負に乗ってきた。僕はひそかにため息をつく。


「暮吉最中もこれぐらい単純ならいいんだけどね……」


「は? 何のこと?」


「こっちの話だよ。ほら、さっさと質問を考えて。三回までね」


 寄坂は見るからに不満そうな顔になった。


「あるんだ、回数制限」


「そりゃあね。こっちは時間潰しのつもりなんだから。……で? 君は何を尋ねるの?」


 突き放すように聞いてやると、寄坂はやけに人間くさい表情で悩み始めた。だが、顔面はそうやって百面相をしているというのに、体は微動だにしていない。


「……なるほどね」


 彼が実体を持ってここにいる大体の仕組みを把握し、小さくごちる。寄坂はそれに気付かず、改めて口を開いた。


「その前に、僕の見解を聞いてもらってもいい?」


「……いいよ。聞くだけ聞いてあげる」


 僕の了承を確認し、寄坂は気注意に満ちた若々しい視線で僕を見た。


「かつて、僕というAIは『寄坂櫛奈』という死んだ吸血鬼の名前を与えられて、視聴覚室Cに置き去りにされた。『ホワイダニットの解明』だなんて、解ける見込みのない課題を与えられて」


「そうだね。そこは悪いと思ってるよ。僕たちは、君にはその課題を解き明かせないってことはわかっていたから」


 情報の片鱗をちらつかせると、寄坂は苦しそうな表情を一瞬作った後、続けた。


「学園に一人残された僕は考え続けた。考えて考えて、その末に『さみしさ』というものを感じた。『どうして二人は僕を置き去りにしたんだろう』って」


「……それは君が自我を獲得したという意味?」


「好きに取ってもらって構わないよ。実際のところ、今の僕もそれの実在を信じ切れてはいないし。だけど――そんな扱いに不満を抱いて、こうして教室を飛び出してきたことだけは事実だ」


 ここにいること自体が証拠なのだ、と寄坂は言っているらしい。僕は「馬鹿馬鹿悪しい」という感情は抱いたまま、一旦はそれを受け入れることにした。


「なるほどね。その理屈なら、君には自我があるかもしれない。で? 君は何がしたいの? 僕に復讐でもしに来た?」


 AIの反乱だなんてファンタジーにもほどがある。だがその問いかけを寄坂は否定した。


「復讐なんてしないよ。恨み言の一つや二つは言いたいけれど、それは僕の本題じゃない。僕が解き明かしたいのは二つ。『暮吉最中のホワイダニット』と『なぜ二人は僕を迎えに来てくれなかったのか』だよ」


「フーン……。で、それに対する君の見解は?」


 話を促してやると、寄坂は一度唇にぐっと力を込めてから言った。


「ついさっきまでは、二つの疑問に明確な答えなんてないんじゃないかって思ってた。暮吉最中がゲームを持ちかけたのはただ遊びたかったからで、僕を置き去りにしたのはなんとなくやっただけなんじゃないかって。和菓子先生が僕を殺したのも、ただのゲームの勝敗なんじゃないかって。……でも、今は違う」


 強い眼差しでこちらを射貫きながら、寄坂は言う。


「最初の質問だよ、和菓子先生。二人が僕に解けない課題を与えたのは、課題を解かせず、あの部屋に縛り付けること自体が目的だった?」


 手段と目的の逆転というやつだ。


 僕はたしかに『解き明かせないことはわかっていた』と言った。AIの彼からすれば理解しがたい、非合理的も甚だしい話だろう。それゆえにそこに合理性を見いだすのなら、解き明かせないというそれ自体が目的であったと結論を出すのは、AIとして当然だ。


 もしくは、彼に自我があるとすれば、そうあってほしいという祈りなのかもしれないが。


 僕は冷めていくコーヒーの温度を指先で感じながら答える。


「はい。僕たちは君を閉じ込めるために、あの部屋で課題を試行させ続けた。だから君を迎えに行くこともしなかった。いわば技術的な密室であり、同時に心理的な密室でもあるってところかな」


 僕の答えに寄坂は緊張した面持ちになる。一歩間違えば、己の存在理由を否定しかねない綱渡りをしているのだ。無理もない。


 寄坂は思考のためのフリーズを何度か挟んだ後、口を動かした。


「それが正しいのなら、僕に吸血鬼の名前を与えた理由も自然とわかる。二つ目の質問だよ、和菓子先生。AIに吸血鬼の名前を与えたのは、吸血鬼という存在を学園に存在させ続けるためである?」


「はい。なんだ、もうほとんどわかってるじゃないか」


 あっさりと肯定した僕に、なぜか解き明かしている側の寄坂が不満を堪えているような表情になる。


 寄坂櫛奈はAIである。AIとは与えられた課題を解決する機械である。その課題が解き明かせないものだというのは、AIの存在を根底から揺るがすものだ。


 少なくとも強いストレスはあっただろう。そこで自我が芽生えたとするのなら、恨まれて当然だ。多少の仕返しなら甘んじて受けてやってもいいと思うぐらいには。


 僕は嘆息した。


「で、残されたのは君に与えられた解けない課題なわけだけど……君は、それに対する答えは持ってるの?」


 もしたどり着けていないのなら、限りなく正答に近い答えを僕は与えてやれる。だけどそれは本当の正答ではないし、暮吉最中が寄坂櫛奈に課題を与えた『もう一つの理由』は達成できない。


 僕たちは、寄坂櫛奈が課題を解けないことはわかっていた。だけど、いつか課題を解いてくれることも祈っていたのだ。


 だが、もしAI本人がもう考えたくないというのであれば、ある程度の落とし所を与えてやってもいい。


 そう思いながら問いかけると、寄坂櫛奈はじっと僕を見て、ゆっくりと口を開いた。




「暮吉最中が吸血鬼の証明を持ちかけた理由は――」




 ――その後に続いた言葉に、僕はある種の非合理的な思考をこのAIが理解するに至ったのだと悟った。


 それは、自己を利する正答を求めるAI的思考からは逸脱した逆転的な論理。彼は10年の孤独の末に、そこにたどり着いたのだと。


 僕はすっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲んで、話を始めた。


「……僕さあ、ホワイダニットが嫌いなんだよね」

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