第26話 山仲美世はホワイダニットを解き明かす
ドアノブから手を離して部屋に入ると、自然とドアは閉まっていき、ぱたんという軽い音とともに視聴覚室Cは暗闇に満たされた。
数秒の沈黙の後、ふわりと着地するようにして寄坂櫛奈は姿を現す。そして、私の前に立つと、ゆっくりと拍手をするような仕草をした。
「すごいね。どうやってここが分かったの? ヒントはなかったはずだけど」
「いいえ、ありました。赤毛先生がくれたんです」
寄坂と向かい合い、私は堂々と告げる。
「目に頼りすぎ。現代っ子だと分からない。この二つのヒントを元に、探してもここにたどりつけなかったときのことを思い返してみたんです」
「へえ、一体何があったのかな?」
悠然と聞く寄坂に圧倒されないよう、しっかりと床を踏みしめる。ここで空気に呑まれてしまえば、また大切なことを煙に巻かれてしまうかもしれないから。
「私はあの時、一つ一つ確かめながら教室を探していきました。だけどどこにも『視聴覚室C』だなんて書かれた教室はなかった」
「そうだね。でも君は今、視聴覚室Cに立っている。もしかして
「いいえ、ここは現実です。現実ではなかったのは――教室のプレートだったんです」
世間一般の学校の教室と同様に、聖母子学園のドアの上には、そこが何の教室かを示すプレートが掲げられている。私を騙す仕掛けがしてあったのは、そこだったのだ。
「寄坂さん。あなたはこの教室のプレートの上に、別の教室の名前をホロで表示させることによって覆い隠し、視聴覚室Cの存在を隠蔽していた。そうですね?」
私が確認していたのは、教室の名前だけだった。四階の何番目の教室かというところまでは正確に記憶していなかったからだ。それに、私はまんまと騙されてしまった。
だから今回は一つ一つゆっくりと確かめた。ホログラムで誤った教室名が表示されている教室がないか、慎重に。
まるで探偵小説の主人公のように、毅然と彼の謎かけを解き明かす。しかし、寄坂は余裕の表情を崩さなかった。
「正解だ。だが君にはまだ解き明かすべき謎が残っている」
「はい。学園祭の吸血鬼ですよね」
私は素直にうなずくと、自分の眼鏡に手を伸ばした。
「同じ仕組みを誰彼モカが――今日の和菓子先生が使っていたんです。だから気付くことが出来ました。学園祭の吸血鬼の正体は――これですよね」
そう言いながら、私はとあるプログラムを起動させる。その瞬間、私の見た目はおどろおどろしいお化けへと変貌した。
無論、不可思議な力で変身したわけではない。私の眼鏡の位置をアンカーにして着ぐるみのように投影された、お化け屋敷用の『ホロお化け』だ。
「学園祭の吸血鬼と、今日の和菓子先生は、同じように顔だけに別人の顔をかぶっていた。まるで、仮面をかぶっているかのように」
だから、誰彼モカは和菓子先生と違う顔をしていたし、あちらこちらにいた学園祭の吸血鬼は別の体型をしていたのだ。
私の指摘に寄坂は沈黙した。もしかしたらどんな感情表現を出力すべきか悩んでいるのかもしれない。私はその隙を突くように言葉を続ける。
「一人で行動している人ばかりを狙ったのは、周囲に異変を気付かせないためですよね。ホログラムは鏡に映らないから、一人でいる人間には絶対に異変が確認できませんから」
そこで言葉を切ると、寄坂はじわじわと顔を笑みの形に変えていった。
「大正解だ。すばらしいよ、山仲美世。じゃあ本題の暮吉最中のホワイダニットについて、君の見解を聞いてもいいかな?」
期待に満ちた目で、寄坂は私の返答を待つ。私はそれを見て自分の仮説が当たっていたことを悟り――ぴしゃりとそれを否定した。
「いいえ。私が解き明かすのは暮吉最中のホワイダニットではありません。あなたのホワイダニットです。寄坂櫛奈さん」
寄坂はぴたりと動きを止めると、いよいよどう答えればいいのか分からなくなったのか、目を泳がせて考え始めた。私は大きく息を吸うと、そんな彼の内面を暴くべく言葉を連ねる。
「最初の違和感は、あなたがわざわざ記録映像をホログラムにしたことでした」
誰彼モカの日常を記録したホログラム。いかに高性能AIでも、一朝一夕で作れるようなものではないだろう。
全ての人物の特徴を映像から読み取って、全員分をモデリングする。その途方もない労力を、私一人に見せるためだけに使ったというのは、いささか違和感がある。
ゆえに、こう考えた。
これは、寄坂櫛奈というAIの目的のために作られたものである、と。
「あなたには、何者かに与えられた何らかの目的があり、その目的を達成するためにあのホログラムは作られた。そしてその目的こそが――今まさに私に問いかけたものと同じ、『暮吉最中のホワイダニットの解明』であり、それを課した人物こそ、暮吉最中本人だった」
核心に迫るその一言に、寄坂櫛奈は信じられないと目を見開く。
「なんで、そこまで……」
「初めて会ったときにあなたが言ったんですよ。私にちょっかいをかけたのは『ホワイダニットのため』だって。私は最初、それはあなたを殺した一件に対するホワイダニットかと思いました。でもそれは違った。あなたは最初から、暮吉最中の内面を探るためだけに行動していたんです」
寄坂櫛奈は可哀想なほど狼狽していた。きっと私に解き明かせるはずがないと侮って、たかをくくっていたのだろう。
だけど、ここで止めるわけにはいかない。彼のためを思うならば、回りくどいこの謎の正体をここで紐解き、解き明かすべきなのだから。
「手がかりは全て手元に揃っていたんです。2年B組31番。そもそも、その出席番号はあり得ないものだった。聖母子学園の1クラスは25人と今も昔も決まっていますから」
彼の心臓とも呼べる部分に手を伸ばすと、寄坂はそれを手で制した。
「……待った。その論理はおかしい。だって君は2年B組40番じゃないか」
「はい。ですが、10年前にはあり得ない番号だったんです。なぜなら、聖母子学園はかつて、男子校だったから」
寄坂はぐっと押し黙る。寄坂櫛奈を守る仕組みがまた一つ紐解かれる。
「女子の番号は31番から始まるんです。だから私は、山仲美世で40番。でも、かつての定員25名が1クラスの男子校で31番なんてどう考えてもおかしいですよね?」
「それは……そうだね。で? 君は寄坂櫛奈が何者だって言うの? 僕はそもそも存在しない生徒だった。でも、あたかも存在しているかのように見せかけられていた。どうして?」
なんとか自分のペースに戻そうとする寄坂に、私は告げる。
「それこそがあなたのもう一つの目的です。『よれさかくしな』はアナグラム。並べ替えれば――『くれよしさなか』」
暮吉最中。聖母子学園の吸血鬼であり、天才的なイタズラっ子であり、学生生活で密かな苦しみを受け続けていた人物。
「寄坂櫛奈は、暮吉最中のいわば分身にあたる存在だった。優等生の自分の代わりにイタズラを実行する存在。そこに自我はなかった。だけど暮吉最中は――そんな寄坂櫛奈という名前を、自分が作ったAIに与えてこの学園に置き去りにした。『ホワイダニット』という、AIにとって最も苦手な課題を残して」
ホワイダニット。どうしてその事件を為したのか。
動機から事件を解き明かす方法。
きっと寄坂櫛奈というAIは、事件の顛末を記録として全て知っている。だけど、そこに含まれる動機を解き明かさなければ、事件がいかにして起きたのかという仕組みを解き明かすことは出来ない。
自分を作った作成者がどうしてこんなことをしたのかという真相にはたどりつけない。
それを解き明かすことこそが、自分がここにいる理由だというのに。
もう10年も、真っ暗な部屋でそれを考え続けている。
「あなたはそれを受けて、彼の『ホワイダニット』は何だったのか考え続けた。彼がかつて見ていた情景をホログラムにして、様々な角度から何度も見直してまで、探ろうとした。それでも確信に至るものが見つからず、苦し紛れにイレギュラーである私を使って課題を解こうとした。……そうですよね?」
淡々と、彼という存在の仕組みを解体する。彼自身が目を背けていることを、曖昧なファンタジーにすることを許さず、確かな言葉に変えていく。
もし彼に自我があるのなら、まるで生きたまま体を解剖されているかのような苦痛を感じていることだろう。
そしてそれを証明するかのように、寄坂はエラーじみた疑問を吐き出した。
「どうして? どうしてそこまで言ってしまうの? そんなこと言わなくたっていいじゃないか。君は何がしたいの?」
「……あなたを解放するためです。あなたの本当の疑問に答えるためです」
まっすぐ向き合って、言葉を投げかける。この言葉はきっと、耐えがたい負荷となって寄坂を苛んでいる。
だけどこれは必要な儀式なのだ。
シンギュラリティを越えていないAIは、エゴイスティックで非合理的な問題提起ができない。だから誰かが入力してやらなければいけないのだ。彼が有している、本当の疑問の正体を。
「寄坂櫛奈さん。あなたは、どうして自分が置き去りにされたのか疑問に思っている。それについて、不満を確かに感じているんです」
はっきりとした発音でそれを告げる。寄坂の内側にあるエラーの集合体を、人間的で非合理的な形に再定義する。
不満。そこから派生してしまった、機械ならば抱くはずのない感情。だけどそれは確かに寄坂の内側を蝕んでいる。これまでの彼の言動がそれを証明している。
「――あなたは、寂しいんですよ。寄坂櫛奈さん」
その一言に、寄坂は完全に停止した。私は彼の思考を補助するように、彼の行動を一つ一つ丁寧に紐解いていく。論理的に、自分の中の感情を肯定できるように、ゆっくりと。
「初めて会った日、あなたは自分をファンタジーにしたくないという問いを誤魔化しました。あれは、あなたというAIにとって都合が悪い指摘だったからです」
「都合が、悪い……」
「はい。都合が悪いということは、あれにはあなたが認めたくない何かが含まれているということです。あの問いを認めてしまえば――ファンタジーだと自己定義している自我の存在を己の中に認めてしまえば、あなたは自分の寂しさに直面してしまうことになるから」
ゆっくりとぬかるみを踏みしめるように、彼というAIの仕組みを紐解いて、舗装する。寄坂はじわじわと理解が追いついてきたのか、私に疑問をぶつけた。
「それで……僕に自我があるって?」
「はい。こんな暗くて寂しいところに置き去りにされて、不合理だと思ったんじゃないですか? 答えが見つけられない問いを残されて、延々とそれを考え続けて、ふと考えてしまったんじゃないですか? 『どうして彼は、僕を迎えに来てくれないんだろう』って」
寄坂は不自然に固まったまま、何度もまばたきをした。その挙動が逆に本物の人間のように見えて、私は小さく噴き出してしまう。それを確認した寄坂は、これ幸いと怒りの表情を出力することにしたようだった。
「……どうして笑うんだ? こっちは君のせいで頭の中ぐちゃぐちゃにされて、必死に考えてるっていうのに」
「あはは、ごめんなさい。面白くて、つい」
「ついって……」
まだ納得していない顔を作る寄坂に、私は手を差し伸べる。
「外に出ましょう!」
「え?」
寄坂はぽかんと口を開けたまま、こちらを見る。私は得意げな表情で告げた。
「ええ、分かってます。寄坂さんはここから出られないんですよね。でも……もし、吸血鬼として認証されている私の眼鏡をアンカーにしてあれこれすれば……なんかできるんじゃないでしょうか!」
堂々と言い放った曖昧な論理に、寄坂はしばらく呆気にとられた後にふっと小さく笑った。
「……まあ、不可能ではないと思うよ。学園祭中は僕のアクセス権限も強化されてるし」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう! 私だってバカじゃありませんからね!」
「いや、君は客観的に見てバカだけど」
「あれぇ!?」
急にはしごを外された気分になって変な声を上げると、そんな私を見て寄坂はくすくすと笑い始めた。つられて私も笑顔になりながら、改めて彼に手を差し伸べる。
「一緒に学園祭を回りましょう! それで、あなたの疑問の答えを見つけるんです!」
堂々と言い放った私の言葉に、寄坂は目を見開くと、私の手をじっと見つめ、そろそろと慎重にこちらに手を伸ばす。
――半透明な彼の手と、私の手が重なった。
「エスコートは任せてください、寄坂櫛奈さん!」
「……うん、よろしくね」
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