第25話 山仲美世は追いかける

『聖母子学園のみんな、こんサカナー』


『誰彼モカと芳呉サカナです』


『学園祭も二日目! 最終日の明日には、僕とモカさんのライブも開催されるよ』


『みんな、ぜひ見に来てくださいね』


『それじゃあみんな、二日目も張り切っていってみよう!』


 跳ねるような声色の号令を合図に、学園中に明るいBGMが流れ始める。


 とある出し物の受付前で開始待ちをしていた私――山仲美世は、鼻息荒く気合いを入れた。


「謎解きゲーム、がんばるぞっ!」


「アンタは難易度『やさしい』にしときなさいよー?」


 聖母子学園の謎解きゲーム。ヒントに従い、いくつかのチェックポイントを回っていくことによって謎を解いていく、学園祭人気No.1の出し物だ。


 そのスタート地点である特設テントにて、私と奈月は手続きを始めていた。


「今日は、佐夜は誰彼モカの追っかけだっけ」


「そうそう。誰彼モカも大変よね。この三日間、心安まる時間もないんじゃないかしら」


「うん、そうかも……」


 その中の人が誰であるかを知っている身としては、和菓子先生のことが心配になってしまう。


「折角の学園祭だもん。せめて、楽しめる時間がちょっとでもあればいいんだけど……」


「そうねえ。まあ、私たちが考えることでもないわよ。ほら、準備ができたみたいよ?」


 奈月に促されて前を見ると、私たちの眼鏡に謎解きゲームがインストールされたところだった。それを受け取り、私たちはテントを出る。


「眼鏡さえかければ勝手にゲームが始まるんだっけ?」


「そうそう。チェックポイントを順番に回るだけとはいえ、手が込んでるわよねー」


 そんな会話をしながら、私たちは眼鏡を装着する。しかし、そこに表示された文字列に、私は目を見開いた。




『吸血鬼のホワイダニットを解明せよ』




「……えっ?」


 思わず間抜けな声を上げてしまった私を、奈月は怪訝な目でのぞき込んでくる。


「どうしたの? 不具合でもあった?」


「え、いやうーん……吸血鬼なんて手がかりあったかなーって思って!」


「はあ? 吸血鬼?」


 奈月は不審そうなそぶりで尋ねてきた。


「吸血鬼って何のこと? 問題文のどこにも吸血鬼なんてないじゃない」


「え?」


 私は自分の問題文と奈月の顔を何度も見比べる。その時、ふと視界の端に映った人物の顔に、私は釘付けになった。


 寄坂櫛奈。聖母子学園の吸血鬼。不可思議な事件の当事者であるその人物が、すぐそこを歩いている。――どう見ても、生身の肉体を持った状態で。


「ごめん奈月! ちょっと別行動で!」


「え? いいけど……急に何?」


 私は人混みをかきわけて、彼を追いかけ始める。通路を歩く人は多いが、昨日の出店付近ほどではない。なんなく彼に追いつくと、私は彼の肩を掴んだ。


「捕まえましたよ、寄坂さん!」


「え?」


 しかし振り向いたその人物の顔は、見知らぬ生徒のものだった。寄坂櫛奈とは似ても似つかない。


「す、すみません! 人違いでしたー!」


 慌てて謝罪しながら、私はその場を離れる。


 おかしい。昨日の一度だけなら何かの見間違いということもあるだろう。だが、二回も続けばさすがに何かあることぐらい私にも分かる。


 何か、私の見落としているがこの学園で発動している……?


 首をひねりながら周囲を見る。すると、遠くに寄坂櫛奈の姿が見えた。


 まるで、追いかけておいで、と私を挑発しているかのように。


「……なるほど。やってやろうじゃないですか」


 どうやら私は、寄坂櫛奈に勝負を仕掛けられているらしい。だったら、それに応えない理由はない。


 そう判断した私は、今度は静かに寄坂を追いかけ始めた。


 気付かれることがないぐらいの、だけど見失わない距離感を保ちながら私は彼を追いかけていく。


 彼はどうやら一人で学園祭を回っているようだ。身に纏っているのは学園の制服なので、学生であることは間違いない。だが遠目なので確信は持てないが、視聴覚室Cで出会った時と比べて、なんだか――体型が違う気がする。


 内心首をかしげながら、角を曲がった彼を追いかける。しかし、遅れて曲がり角にさしかかった私の視界に入ったのは、寄坂櫛奈ではなく、壁際に浮かぶ一つの矢印だった。


 周囲を見回しても、見知らぬ生徒は何人かいたが、寄坂の姿はどこにもない。


 仕方なく矢印に近づき、私はそれを観察しはじめる。その矢印は以前見たものよりも小さく、とあるものをその先端で指し示していた。


「……音楽室A?」


 正確には矢印が指し示しているのは、音楽室Aのドアについた端末だ。耳を澄ませたが、ここは学園祭の出し物には使用されていない教室のようで、教室の中に人の気配はない。


 ドアの端末を指し示す矢印。何をするように言われているのかはさすがに分かった。


 例のキーホルダーを取り出すと、ドアの端末にタッチさせる。ピーという音とともに、ドアの鍵が開く音がカチャンと響いた。


 私は深呼吸を一度してからドアノブを握った。


 こういうときは何って言うんだっけ。そうだ、佐夜がなんか言ってた気がする。えーと……。


「ヘビが出るかジャが出るか! ナムサン!」


 うろ覚えの文句を言いながら、教室のドアを開け放つ。そこに広がっていたのは――ありふれた日常の光景だった。


 生徒が何組かに固まって談笑をしている。だが教室にいるのは男子ばかりで、女子は一人もいない。


「モカってやっぱ歌上手いよなー」


「バーカ。プロなんだから当たり前だろ」


「あはは、ありがとう」


 会話の中心にいるのは、長い金髪が特徴的な一人の生徒だ。そして、その顔に私は見覚えがあった。


「和菓子先生……?」


 実際の彼よりもずっと若い見た目だが、間違いなくその少年は和菓子先生だった。だがそれにしては――なんだか雰囲気が今とは違いすぎる。


 誰にでも優しく、穏やかで、イタズラなんて一切しなさそうな。それが、彼から受けた印象だ。


 どういうことかと一歩踏み込むと、日は差し込んでいるというのに彼らの下に影がないことに気がついた。


 影がない。その特徴に、一つの可能性が頭をよぎる。


『吸血鬼の特徴はたくさんあるんだけど、有名なところだと日光や銀に弱くて、流水を渡れなくて、鏡に映らなくて、影がなくて――』


 ――いや、違う。私はすぐにその可能性を否定する。


 これは寄坂櫛奈からの挑戦状だ。己がファンタジーであることを否定するAIからの出題だ。


 これが挑戦状であるのなら、ここには必ず解き明かすべきが存在しているはずだ。


 仕組みの分からない科学技術はファンタジーだ。


 それゆえに、仕組みを解き明かしたファンタジーは、科学技術になる。


 私はさらに一歩踏み込む。すると、彼らの姿はふわりと宙にかき消えた。


「えっ」


 慌てて彼らがいたはずの場所に駆け寄るも、そこには彼らの痕跡は一切残されていない。まるで、最初からそこに存在していなかったかのように。


 いや、違う。これはおそらく――


 ピコンという音がして、私は後ろを振り返る。そこには、一つの矢印がふわふわと浮かんでいた。そして、その矢印には


「……彼らは、過去の光景を再現したホログラムだった?」


 でも、だとすれば一体誰が彼らというホログラムをモデリングしたというのか。ただカメラで撮影しただけでは、あんな風に複数の角度から立体に見えるホログラムを投影することは不可能だ。


 だけど、逆に言えば複数の角度から撮影したデータを元にすれば、あのホログラムを作成することはできるかもしれない。


 わざわざそんなことをする必要がある人物がいれば、の話だが。


「寄坂櫛奈……?」


 ぽつりと呟きながら、私は教室内を見回す。教室には複数のカメラが設置されており、もしその全てのデータにアクセスできるのであれば、私の仮説は成立する……と思う。


 そういえば、と私は思い返す。


 最初に会った時、寄坂は妙に私の事情を見通した振る舞いをしていなかっただろうか。もし彼が全ての監視カメラにアクセスできるとすれば、あの言動の不可思議さの仕組みは解き明かせる。


 では、何故そんなことをしたのか。


 吸血鬼、寄坂櫛奈のホワイダニット。


 推理とも呼べない私の仮説が正しければ、それはあの矢印をたどることによって核心に近づくはずだ。


 私は、よし、と自分に気合いを入れ直すと、矢印を追いかけて校舎の中を歩き始めた。


 矢印は校舎中の様々な端末に向けられていた。そして、そこをキーホルダーでタッチするたびに、私の眼鏡には過去の情景が再生される。




『吸血鬼って知ってる?』


『モカってホント良い子ちゃんだよなー。完璧すぎて近寄りづらいっていうかー』


『2年B組の存在しない生徒ってさー』


『すごいじゃないか、モカ! 今度は主役だって? 先生も鼻が高いぞ!』


『メンダコ、また来るんだって。大変だよなーアイドル枠も。環境合わなくてすぐに死んじゃうのに』




 流れるホログラムの内容は、ほとんどが誰彼モカについてだった。


 曖昧だった仮説が徐々に形を持ち、確信へと近づいていく。


 暮吉最中。誰彼モカ。寄坂櫛奈。


 それぞれ異なった印象を受ける人物たち。


 彼らの望みは何なのか。そして、その望みを誰が叶えるべきなのか。


 己の中での結論に悩みながら私は歩き続け、最後にたどり着いたのは――生徒指導室だった。


 もう何度も気軽に開けてきたはずのドアを前に、私は躊躇する。


 ここにあるのは、和菓子先生の過去だ。それもきっと、一番他人に見られたくないたぐいの、とても大切な記憶だ。そんな場所に土足で踏み込むような真似をして本当にいいのか。


 数秒のためらいの後、私はドアノブを掴む。


「責任を取るべきだと思うんです。置き去りにしたのは、和菓子先生なんですから」


 ここにはいない人物に言い訳を一つ述べ、私はドアを引き開ける。傾きかけた日が差し込むそこにいたのは――偏屈そうな男性教師と、金髪の少年だった。


 二人は並んでソファに腰掛けている。正確には、金髪の少年はソファの上で膝を抱えて、そこに顔を埋めていた。うつむく彼の髪は整えられている。


『……ぐすっ、俺さあ……』


 不意に切り出した彼の声は涙混じりのものだった。隣の教師はそちらをちらりと見たが、何も返事をしなかった。


 それでも、そんなことは承知の上なのか、少年は独り言のように続ける。


『……生まれ変わるなら、メンダコがいいな』


 消え失せそうなほど小さく呟かれた願望。その言葉の意味は正確にはわからない。きっと、私がたどってきた情景より遙かに多くの記録を有している彼にも、わからないのだろう。


 少年は顔を上げると、泣きはらした目を無理矢理、笑みの形にした。


『それでさ、誰もいない深い海で、ちっぽけに生きて死んじゃいたい』


 見せかけの明るさとともに告げられたその言葉に、教師は少し沈黙して答える。


「……あっそ。いいんじゃない?」


 投影されたホログラムはそこで終わる。残されたのは、やけに広く感じる誰もいない生徒指導室だけだ。


 私は大きく息を吐くと、生徒指導室のドアをゆっくりと閉めた。


 これから何をすべきかはもう分かっていた。


 第二校舎の四階。存在しない視聴覚室C。


 手がかりを元にそこにたどり着いた私は、ドアを開けて、中にいるに宣言した。


「寄坂櫛奈さん。あなたのホワイダニットを、解き明かしに来ました」

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