第21話 裳末杏太郎は回想する

 2年B組、出席番号7番、暮吉最中にとって、生徒指導室はある種の逃避場所である。


 少なくとも、僕――裳末杏太郎はそう認識している。


 そもそもあの超問題児と僕の出会いからして、その程度のことは察するに余りあるというものだろう。


 僕が聖母子学園高等部に赴任する流れとなったのには、極めて遺憾な経緯が存在する。それはもう、この学園に進路を定めた過去の自分を悔やみ続けるぐらいには。


 僕は元々、聖母子学園大学の卒業生だった。正確には大学院の卒業生だ。


 これは附属高校が存在する大学あるあるなのだが、高校からの内部進学者と大学からの新参者の間には、入学時点からすでに大きな差が存在している。


 それは単純な学力でもあるし、大学に所属するその筋の専門家から直接授業を受けたという経験でもあるし、高校から有名私立に通っていたという実家の裕福さとプライドでもあった。


 苦労して大学受験をしてやっとのことで合格した自分のような『メッキ組』は、最初の数週間でその格差を見せつけられる。そして、その中でどう生きていくかの選択を迫られるのだ。


 すなわち、郷に従い、元々ある内部進学者のグループにか、それとも外部入学者同士で固まってグループを作るか、はたまた僕のようにどこにも属さず、ひたすら学びに徹するか、だ。


 元々、協調性に乏しい人格をしている自覚はあったし、最後の選択肢を選んだこと自体は後悔していない。


 たまに人と会話をしたくなった時は、セボちゃんでコテハンとして大暴れすればよかったので寂しさとかもなかった。


 僕の誤算はただ一つ。


 一匹狼が許されるのは大学までであり、大学院およびその後の進路でうまく立ち回るためにはグループに所属する必要があったということだった。


「裳末くん、大学院出たらしばらく高等部で教えてくれないかな」


「はあ?」


 大学院も卒業が近づき、同期たちが次々と進路を決めていく中、担当教授に呼び出された僕にかけられた言葉はそれだった。


「僕はこのまま大学院か附属研究所での研究職を希望していたはずですが」


「だって君、高校の教員免許取ってたじゃない」


「あれは高等部のクソ生意気なクソガキどもに嫌がらせし放題だと聞いたから取っただけですよ」


「うーん、君、嫌がらせのためなら努力を惜しまないのどうにかしたほうがいいよ?」


 無駄とは悟りつつ威圧を込めた目で教授をにらみつけるも、数多の研究者の卵たちを叩きのめしてきた海千山千の教授は涼しい顔だ。


 教授は、にこやかに僕の肩に手を置いて宣告した。


「大学院出身の生物教師の枠が空いちゃって困ってるんだよね。教員免許を持ってるの君ぐらいだしちょうどいいでしょ? 大丈夫大丈夫。掛け持ちで研究続けられるように配慮と手配はするし、大学院にポストが空いたら戻してあげるから!」


 そういうわけで僕は、聖母子学園所属の研究者兼高等部の教員となったのだった。


 もし学生時代の僕がどこかのグループに所属していれば、そのコネでこんな結末にはならなかったのだろうが、今更後悔しても遅すぎる。


 もっとも、そんな気色悪い団体行動を自分が行えるはずもないので間違いといえばそもそもこの学園を選んでしまったことに尽きるというものだ。


 話を戻そう。今はあの問題児――暮吉最中のことだ。


 彼と出会ったのは、僕がによって得た研究活動のために、聖母子水族館を訪れたときのことだった。


 せぼすい目玉の大水槽。管理のために設けられた、上部の足場。


 当然ながら関係者以外立ち入り禁止のその場所に、あの日の暮吉最中は腰掛けていた。


「は?」


 場違いな人間がいることに思わず間抜けな声を出してしまったが、彼には聞こえなかったようだ。彼はただ、水槽の縁に腰掛けて、素足を水に遊ばせている。


 制服のブレザーを着ていたので、一目での生徒であることはわかった。だが、残念ながらその顔に見覚えはない。


 鮮やかな金髪だからわかりそうなものだが、うちの学園は少々わけありな人間が多いのですぐには特定できない。そもそも自分は問題児以外と積極的に関わることはないので、彼は模範的な生徒というやつなのだろう。


 だがそれにしては――彼の纏っている雰囲気は少々不穏なものであった。その目はぼんやりと水面を見つめ、表情はうつろだ。悲嘆しているような、絶望しているような、諦めているような、あとほんの少し、何かのきっかけさえあれば衝動的に水槽に身投げしてしまいそうなほどの不安定な存在。


 だから僕は――そのセンチメンタルな空気を踏み荒らすように歩み寄ると、無遠慮に声を張り上げた。


「そこの君。学年とクラスと出席番号は」


 びくっと肩を震わせ、彼は振り向く。そして、こちらが泣く子も黙る冷酷な生徒指導教員だと悟ると、目を泳がせて狼狽しはじめた。


「あのっ、これは違くて、そのっ……」


「言い訳なんて聞きたくないんだよ。僕は今、君がどこ所属の誰なのかって聞いてるの」


「……えっ」


 彼は小さく意外そうな声を上げると、こちらは名前を聞いているだけだというのに、目を丸くして僕をまじまじと見つめてきた。


「……何。不快だからその目やめてほしいんだけど」


「せんせ、俺のこと知らないの?」


 ぽつりと呟かれた言葉に僕はつい我慢できなくなって、つらつらと嫌みを並べ始めた。


「はあ、何? 君って全世界に自分の顔が知られてる偉人のつもりなの? 言っておくけどそんな人間は、指名手配の犯罪者ぐらいしかいないからね。君なんて小さなコミュニティでいきがるだけのただの井の中の蛙なんだよ。自意識過剰もいい加減にしなよね」


 淡々と言葉を流し込んでやるも、これは目を白黒させるばかりで傷ついた様子もない。


 めんどくさい。ここで僕を悪者と認定してくれれば、思春期特有の行き場のない怒りを向ける相手ができてそれで万事解決なのに。これだから思い通りにならないガキは嫌いなんだ。


 僕は一度大きく嘆息すると、不機嫌なのを隠しもせずに繰り返した。


「ほら、所属と名前。早く」


 彼はハッと我に返ると、なぜか泣きそうに顔を歪めながら大きく名乗った。


「に、2年B組、出席番号7番、暮吉最中!」


「あっそ。君、この後、生徒指導室に来るように。わかったね?」


 ――それ以来、暮吉最中は度々、生徒指導室を訪れるようになった。


 彼は人懐っこいようでいて、越えるべきではないラインを常にうかがっている慎重な野良猫のような人間だ。


 それゆえに、彼は僕の本当に触れられたくない領域は決して侵さなかったし、僕としてもそういう青臭いティーン特有の孤独と生きづらさには覚えがあったので、無理に追い出すことはしなかった。


 何より、彼を取り巻く状況が見た目より繊細な作りをしている彼を蝕んでいることぐらい、さすがに人でなしと生徒どもに名高い僕でも察しがついたので。


 暮吉最中を暮吉最中と呼ぶ人間は、僕以外、この学園に存在しない。


 同級生も、後輩も、先輩も、教師ですら――彼を、『誰彼モカ』として扱う。


 『誰彼モカ』は優等生だ。若き人気声優。アイドルじみた事務所の売り込み方。信者とも言えるファンからの好意。それに応えるための品行方正な日々。問題を一切起こさず、大人の言うことをよく聞く良い子。


 それが、暮吉最中のホワイダニットの原点。


 最後の最後まで暴くことを先延ばしにした、暮吉最中の致命的にすらなり得る心の急所なのだ。




 ――とまあ、どうしてこんな回想を長々としてきたかというと、ひとえに目の前のバカ生徒をどういなすか考えていたからだ。




「赤毛先生!」


 さて帰宅しようと腰を上げたところで鬱陶しいほどの笑顔で駆け寄ってきたのは、2年B組40番、山仲美世。暮吉最中とはまた違う意味で問題児である高等部の生徒だ。


 バカ、アホ、間抜けの三拍子そろったこの生徒は、あらゆる教員の悩みの種だ。最近、何かとつるんでいるようなのでこれ幸いと彼に補習を押しつけたのだが、どうやら因果がめぐりめぐったらしい。


「くそ、そう上手くはいかないか……」


 補習を押しつけた彼もなかなかに良い性格をしているので、どうせろくでもない手土産があるのだろう。まるでフリスビーを取ってきた犬のような目でこちらを見上げてくる山仲に、僕は仕方なく尋ねた。


「何。用があるなら手短にね」


「はい! 半泣きにさせてすみませんでした!」


「は?」


 身に覚えのないことを大声で叫ばれ、僕はさすがに固まる。山仲はそんな僕の様子に気づきもせず、言葉を続けた。


「和菓子先生に言われたんです。私の回答がひどすぎて、赤毛先生が半泣きで和菓子先生に頼み込んだって」


「……あのガキ…………」


 ぽつりと呪詛を呟くも、山仲には聞こえていない。元気いっぱいに胸を張って、彼女は堂々と言い放った。


「でも安心してください! 無事に和菓子先生の課題には満点合格しましたから!」


「……へえ、どんな難問だったの? 教えてよ」


 苛立ちを押し隠して皮肉をこめて尋ねる。すると山仲は元気よく経緯を説明してきた。


「はい! かくかくしかじか!」


 その内容に、僕はやれやれと息を吐く。


「はあ、またアナグラム? あの子も好きだね……」


「はい? 何の話ですか?」


「こっちの話だよ。ほら、用が済んだならさっさと帰りなよ」


「あっ、本題はこっちじゃないんです! ちょっと待っててくださいね……」


 そう言いながら山仲は鞄を漁り、一つのキーホルダーを取り出した。白色のメンダコを模したキーホルダーだ。



 山仲の言葉に、僕は目を見張る。何しろ、それは彼と僕の間でそれなりに大事な言葉だったので。僕の胡乱な視線に気付いたのか気付いていないのか、山仲はきりっとした顔で続けた。


「――と、伝えるように言われました!」


「……あっそ」


 僕はそっけなく返事をするとキーホルダーを受け取る。相変わらず回りくどい真似が好きなようでめんどくさい。


 まったく。本当に優しいよね、僕。ちゃんと間に合ったことなんてないのにさ。


 フンと鼻を鳴らしてキーホルダーをしまい込むと、何故かまだ山仲はそこにいた。まるでご褒美を待つ犬のように。


「……何。何の用? 僕、もう帰るんだけど」


「はい! 和菓子先生に、赤毛先生がヒントをくれるって言われました! ヒントください!」


 思わず眉間を押さえて長く息を吐いてしまった。見事な丸投げだ。きっと今回の意趣返しだろう。


 とにかく、さっさとヒントとやらを出して話を終わらせよう。僕は早く帰りたいんだ。


「ヒントって何の? 僕、見当もつかないんだけど――」


「あっ、そうですよね! 実は私――」


 そこから長々と始まった事情説明に僕は遠い目になり――そして冒頭の回想に至るのだった。


「やめてよ、よりによってこのバカが拾うとか……」


「むっ、バカじゃありません! 後先考えていないだけです!」


「堂々と言わないでよ。これだからバカは」


「バカじゃありませんー!」


 ぷんすかと効果音が聞こえそうなほどアホっぽく怒る生徒に、うんざりと顔を背ける。山仲はしばらく怒っていたが、ふと何かに気付いたように一時停止した。


「あれ? ということは、赤毛先生もあのキーホルダーのことを知ってるんですか?」


「まあね。だってアレを2年B組に隠したのは僕とあの子だし」


「えっ」


 きょとんと目を丸くする山仲に、いよいよ帰ってしまいたい衝動にかられるが、ここで立ち去ったら今後絡まれ続けそうだという可能性を考えて、その場に留まる。


 一方、硬直から回復した山仲は飛びつくような勢いで尋ねてきた。


「な、なんでそんなことしたんですか?」


「……吸血鬼は卒業しなかったから」


 ぼそりと自分で言ってから、徐々にその言葉の響きが気恥ずかしくなってきて、僕は顔を覆ってごまかす。


「あー今の無し。僕たちは理由もなくキーホルダーを隠した。タイムカプセルのつもりとかだったんじゃない? 知らないけど」


「えーっ」


 不満の声を上げる山仲を振り払うように、僕は歩き出す。だが、山仲は運動部の底なしの体力でどこまでもついてきた。


「ヒントになってません! もう一個ください! もう一個だけですからー!」


「あーもう、うるさい。あと一個だけだよ?」


 僕は立ち止まると、山仲に振り向いて言い放った。


「吸血鬼の教室が見つからないって言ってたけどね。目だけに頼ってるからそんなことになるんだよ。まあ、現代っ子の君には分からないかもだけど」

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