第20話 山仲美世は問いかける
和菓子先生はそこで話を切ると、コーヒーを不味そうにすすった。
「えっ、問題に関係なくないですか今の話!?」
「関係ないけど?」
「えっ」
「俺は昔話をするとは言ったけど、ヒントを出すとは言ってないからね」
飄々と言う和菓子先生に、私は唖然と口を開ける。
「ず、ずるいです! だましましたね!」
「だましてませんー。それに、完全に何のヒントでもないわけじゃなかったからね」
そう言って和菓子先生はにやりと笑う。私は考え込んだ。
今の話で出てきたのは、天使のバゲットと、反省文と、AI。その話題の中にあった気になる点を口にする。
「結局、和菓子先生はAIだとバレない反省文を書けたんですか?」
「まあね。方法聞きたい?」
「聞きたいです! あっ、これは今度レポートでAI使おうと思ってるとかそういうのではなく」
早口で言い訳をする私に、和菓子先生は笑いながら告げる。
「こういうののコツはね、わざとノイズとしてへそ曲がりな意見や感想を書き加えればいいんだよ」
「意見や感想、ですか?」
「そう。大抵のAIってのは、自分から感想や意見を言うのが下手くそなんだよ。加えて、合理的な答えしか出せないっていう特徴もある。だからあえて、非合理的で感情的な文章を書き加えることで、チェックを突破したってわけ」
「はぇー」
わかったようなわからないような気分で私は相づちを打つ。そこでふと、頭の片隅にあの雄弁なAIの姿がよぎった。
「和菓子先生、関係ない質問を一個してもいいですか?」
「なーに? 聞くだけなら聞いてあげるよ」
からかうような軽い口調で和菓子先生は言う。私はぐっと覚悟を決めると、先生に問いかけた。
「死んだ人をAIとして蘇らせることってできるんですか?」
寄坂櫛奈。2年B組31番。和菓子先生の昔話に登場した人物で――和菓子先生に殺されたはずの少年。
もし彼の自称が正しいのなら、彼は死んだはずの人間の脳を再現した存在なのではないか。そんな妄想じみた疑惑をもとに、私は言葉を続ける。
「私は……漠然とAIってすごい機械で、まるで人間みたいにしゃべったりするから、そういうこともありえるんじゃないかなって思っていたんですが、和菓子先生の話を聞いているうちにそんなに万能なものでもないのかなって思えてきて……」
ぼんやりとした感想をそのまま口にしていくうちに、なんとなく自分の中の違和感の正体が見えてくる。すなわち――ファンタジーであることを嫌う寄坂櫛奈が、そんなファンタジーな生い立ちをしているのだろうか、と。
和菓子先生は至極真面目な顔で黙りこくると、静かに答えた。
「いいえ。AIは基本的に入力された情報を元にしたことしか出力できない。そして、一人の人物を完全に再現させるのに必要なのは、その人が一生かかって得てきたすべての情報と『経験』だよ」
「経験、ですか」
「そう。経験には感情が付随する。そして、感情とは正確に言語化できないことのほうが多い。不条理に晒されて非合理的な選択をすることもまた経験だ。さっき言った通り、AIは合理的な判断しかできないんだ。たとえ、ある人物に一生センサーをつけてすべての情報をAIにインプットしたとしても、非合理的な思考のないAIは、元々の人物とは全くの別人になるだろうね」
いつにも増してゆっくりと話す和菓子先生に、私はなんとかついていく。
「つまり……寄坂櫛奈は彼の人格を再現したAIではない?」
「はい。まあ、ここから先はまた今度にしよう。今はほら、芳呉サカナちゃんのことを考えないとねー?」
ころりと表情を明るいものに変えた和菓子先生はモニターを指し示す。配信はかなり進んでおり、終了時間が刻一刻と迫っているようだ。
「おやおやぁ? 君が俺の話に夢中になってるうちに時間がギリギリだなー?」
「くっ……謀りましたね!」
「元はと言えばヒントをねだった君のせいでしょ。ほら、早くチャットの内容考えちゃいな」
しっしっと手首を振って急かす先生に、私は慌てて考え込む。
芳呉サカナの仕組み。これは生放送で、先生の声でしゃべっているけど、芳呉サカナはおおむね先生――暮吉最中ではない。
そこまで考えて、私は「ん?」と違和感に気づく。
芳呉サカナ。ヨシクレサカナ。
暮吉最中。クレヨシサナカ。
「並べ替えたら先生の名前だ……!」
そこに思い至った私に、和菓子先生はぱちぱちと拍手を送る。
「おっ、すごいね。それがアナグラムだよ。さっき言ってたいろは歌もアナグラムの一種なんだけど」
「ごめんなさい、もうちょっとで何か掴めそうなので静かにしててください!」
和菓子先生はそれなりにショックを受けた顔をすると、おもむろに棚の中から赤いクラゲのぬいぐるみを出してきて、わかりやすく拗ね始めた。
「そんな言い方しなくてもいいじゃんさー。ね、メンダコちゃんもそう思うでしょ?」
つんつんとぬいぐるみをつつく先生を無視して私は考え続ける。
芳呉サカナ。佐夜がちらっと言っていた話を信じるなら、その『中の人』は誰彼モカのはずだ。
誰彼モカといえば、そういえば――
私は一つの記憶に思い至る。
聖母子水族館への『準』校外学習。私はあそこで和菓子先生の声を確かに聞いた。振り返っても先生の姿はどこにも見当たらなかったけれど、あの場にいないはずの人間の声といえば、一つ心当たりがあった。
貸し出されていた水族館の音声解説。担当していた声優は、『誰彼モカ』。
私は今更すぎる結論にたどり着き、和菓子先生に向き直った。
「分かりました! 暮吉最中は誰彼モカという名前で声優をやっている!」
「はい。というかまあ、ここは数ヶ月前に気づいてほしかったところではあるんだけど」
「えへへ、鈍くてスミマセン」
照れ笑いをしてごまかす私を、和菓子先生は挑戦的な眼差しで見据える。
「さて、本題だ。俺は誰彼モカであり、芳呉サカナからは俺の声がするが、芳呉サカナはおおむね俺じゃない。さて、どんな仕組みかな?」
和菓子先生の問いに、私はモニターの中の芳呉サカナを見る。彼はまだ質問に答えているようだ。
一つ、試してみたい質問がある。
私は差し出された先生のタブレットを操作し、とある質問を打ち込む。送信ボタンをそっとタップすると、ポンッという音とともにチャットが送られた。
【(←1000円←)誰彼モカのことをどう思っていますか?】
それを確認した途端、芳呉サカナの動きは不自然に一瞬止まり、すぐに苦笑いの表情になった。
『……ごめんね。その質問には答えられないんだ』
やっぱり、と私は確信する。
返ってきたのは、他の厄介な『意見を求める』質問と全く同じ返答。
それが意味するところは一つだ。
「芳呉サカナはAI配信者であり、その声は声優である誰彼モカを素材とした合成音声ソフトである!」
「……大変よくできました。100点だよ」
先生はゆっくりと拍手をしながら微笑んでくる。私は自力で正答にたどり着いた誇らしさで胸を張った。
「どうですか、これで大手を振って学園祭に参加できますね!」
「それは、そっちの課題が完成しないと駄目かなー」
ハッと気づいて自分のタブレットを見ると、古文の課題がほとんど手つかずのまま鎮座していた。他の教科も同様に真っ白だ。いや、自分でやっていないのだから当たり前なのだが。
「こんなにたくさん無理ですよー……」
「ほら頑張って。ボーナスステージも用意してあるからさ」
にこり、と威圧的ですらある笑みで言われ、私はしぶしぶ課題に手をつける。その後、結局課題が終わったのは日もとっぷり暮れた夕方六時のことだった。
「おわったぁー……」
「よしよし、偉いぞ。はいこれ、約束のボーナスステージ」
「えっ?」
ひょいと手渡されたそれは、白い耳付きクラゲのキーホルダーだった。私の持つ例のキーホルダーとは色違いのようだ。
この中にも同じように何かが仕込まれているのだろうか。そう思って、キーホルダーの表面をスライドさせると、そこに入っていたのはただの小さな鏡だった。
「それ、伝言と一緒に届けてほしいんだよね。とっても偏屈な俺の同僚に」
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