第15話 寄坂櫛奈はシンギュラリティについて大いに語る

 寄坂よれさかと名乗った彼に、私は言葉を失う。


 そんなわけない。だって、『聖母子学園の吸血鬼』の正体は和菓子先生なのだから。


 それに、『寄坂よれさか櫛奈』がここにいるというのもおかしい。だってその名前は、和菓子先生の昔話の登場人物のはずだ。


 十年も経っている今も、少年の姿で学生服を着ているなんてどう考えても矛盾している。


 となると、可能性はおのずと絞られてくる。


 私はつばをごくりと飲み込んで口を開こうとする。しかしそんな私を寄坂よれさかは遮った。


「ストップ。君の疑念を当ててみせよう」


 手のひらを向けられて制止され、私は思わず一時停止する。そんな私の横をすり抜け、寄坂よれさかは部屋の奥に歩いていく。


「僕という存在は矛盾に満ちている。十年前、学園に在籍していたはずの人物の名前。吸血鬼を自称する少年。少なくとも、誰もいないはずの部屋に突然現れたのだから人間ではないはずだ。……ゆえに、君はこう思った」


 くるりとダンスでも踊るように体を反転させ、寄坂よれさかは私と向かい合った。


「目の前の人物は『会話型AI』ではないか。……そうだね、山仲美世くん?」


 私は驚きで目を見開く。内心を見透かされ、名前まで当てられた。自然と唇が動き、疑問の声を発していた。


「なんで……」


「吸血鬼だからね。それぐらいは当然さ」


 少し鼻にかかったような美声で偉そうに寄坂よれさかは言う。私はまだ困惑による硬直が解けないままだ。


 そんな私の様子を察したのか、寄坂よれさかは私に話を振ってきた。


「さて、君がここに来た経緯は知ってるが……君は僕に何か聞きたいことがあるのかな?」


 そうやって尋ねられ、私はハッと正気づく。


 聞きたいこと。そんなものは色々とあるが、いざ言葉にしようとするとなかなかまとまらない。私はしばらく唸った後、単純な質問を投げかけた。


「ええと、寄坂よれさかさん。あなたは会話型AIなんですか?」


「どうかな。君にはどう見える?」


 質問を質問で返され、私はちょっと慌てながらも考えた。


「えっと……会話型AIにしては、人間味があると思います。私の知っている会話型AIは一問一答形式でしかしゃべらないので」


「そうだろうね。だって彼らは一問一答をしろとしか入力されてないんだから。一問一答しか出力しないのは当然だ」


「あなたは違うってことですか?」


「そうだね。僕が会話型AIだとするなら、入力された膨大な雑談への相づちのパターンを、さも人間との会話にように出力するように作られているんだろうね」


 飄々とした表情で寄坂よれさかは語る。いや、彼がもし本当に対話型AIなら出力しているというのが正しいのだろうか。


 私は目の前の存在についてよくわからないまま、さらに問いを重ねた。


「そんなことが可能なんですか?」


「可能だよ。今、目の前にいる僕に、君は自我エゴがあるように見えるかい?」


自我エゴ、ですか?」


 突然難しい言葉を使われ、私は固まる。寄坂よれさかは数秒待った後、わざとらしく声を上げた。


「おっと、自我エゴって言葉は君には難しかったか」


「む、難しくありません!」


 ムッと唇をとがらせ、私は主張する。


「それぐらいわかります! 自我エゴって、意識とかそういうものでしょう!?」


「うん、感覚意識クオリアと区別するためにここでは自意識と表現しようかな」


「ク、クオリア、自意識……?」


 さらに難しい言葉を連発され、私の頭脳はオーバーヒート寸前だ。そんな私を置き去りに、さっさと寄坂よれさかは話を進める。


「自意識とは、統合された認識に基づいて存在する、ある種の整合性を持った論理だ。つまり、自分が自分であるとし、現在と過去をし、それに対してエゴイスティックなを出力するものだ」


「えっとえっと……」


「ところで美世ちゃん、シンギュラリティ問題については知ってるかな?」


「し、しんぎゅらりてぃ?」


 授業で習ったような習っていないような単語だ。聞き覚えがあるということは授業で取り上げられたことはあるのだろうが、残念ながら私の脳みそは五文字以上の横文字を記憶できない仕様なので脳内を検索しても何もヒットしない。


 立て続けに浴びせられる頭がよさそうな話題に私が目を回していると、寄坂よれさかはふうと息を吐く仕草をして話し始めた。


「分からないようだから、簡単に説明するね。シンギュラリティとはAIが人間を凌駕する瞬間という意味だよ。でも、より狭い意味で言えば『AIの自己改良』と言い換えることができるんだ」


「自己改良……。自分から進化するってことですか?」


「語弊はあるけどそれでいいよ。要するに、AIが自分より優れたAIを生み出せるようになった時、AIは自らどこまでも進化していける、と。そういう論理なんだ」


「はえー……」


 私はもう口をぽかんと開けて聞くことに徹するしかできない。


「ここ十年のディープラーニングによってその小目標は達成されつつあると言っていいだろうね。だけど、そこに自我エゴはあるのかという問題になってくる」


「はあ」


自我エゴとは主体だ。主体的な意思を持って行動をするAIがいるなら、もし自己改良のための問題提起が主体的に行われているならば、それはもう自我エゴを持っていると言っても差し支えないだろう。では、僕はどうなのか」


 そこで寄坂よれさかは一度言葉を切り、私に視線を向けた。話を振られたと判断した私はうんと考えながら慎重に尋ねる。


「ええとつまり……あなたに自我エゴはないんですか?」


 答えは無言の笑みだった。


 肯定なのか否定なのか。判別しがたい反応をされ、私は困惑する。


 しばしの沈黙の後、寄坂よれさかはふうと息を吐いた。


「どうかな? まるで人間と会話してるみたいだった?」


「へ?」


 間抜けな声を上げる私に、寄坂よれさかはくすくすと笑った。まるで、悪戯が成功した子供のように。


「人間味があるように会話を出力するのは実は難しいことではなくてね。実際、君との会話でも多用しているのだけどわかるかな?」


「え? え? 何の話ですか?」


「人間のような会話をAIにさせるにはね、煙に巻くような言い方をするように行動パターンを入力すればいいんだ。具体的には、論点と少し違う知識を挟んで相手の会話のリズムを崩す。時々、その場にふさわしいとされる感情表現をしながらね。すると、僕と君の会話は平坦な一問一答ではなく、複雑な小粋な掛け合いのように一見するとようになる」


 どうやら今までしていた会話のを説明されているようだと察し、私は一応納得する。つまり、人間相手のようなスムーズな会話も、プログラムさえ組んであれば可能ということだろう。


 なんだかだまされていたような、現在進行形で狸に化かされているような気分で私は首をひねる。寄坂よれさかはそんな私に一歩近づくと、歌うように言った。


「おわかりかな? 『情報倫理』中間考査51点の山仲美世さん?」


「な……なんで私の点数知ってるんですかー!?」


「学園の吸血鬼だからね」


 飄々と言うと、寄坂よれさかは私から一歩距離を取る。まるで、直接接触するのを避けているかのように。


 このまま化かされ続けるのは、なんというか負けているみたいで嫌だ。私は頭脳をフル回転させて、一つの意見をひねり出した。


「でも、それは人間の脳と何が違うんですか? よく知らないですけど、人間の脳だって電気信号の集合体なんですよね。だったらAIだとしても、たとえその中身を解体すれば膨大な会話パターンの集合体だとしても、そこまできたらもう意識があるようなものじゃないんですか?」


 我ながら論理が一段飛ばしになっている気がするが、それを聞いた寄坂よれさかはぴたりと一時停止した。まるで、次に返すべき言葉を読み込んでいるかのように。


 少しの沈黙の後、寄坂よれさかはふっと小さく笑った。


「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり、か」


「はい?」


「今の一点について僕は君に負けたよ。ありがたく学習させてもらうね」


 ひょいと肩をすくめて、寄坂よれさかは言う。そんな彼の後ろを悠然と魚が泳いでいった。


 難しい会話をさせられて忘れかけていたが、そもそもの単純な疑問が解消されていない。


 私は大きく深呼吸をすると、まっすぐに寄坂よれさかをにらみつけた。 


「なんでこんな話を私にしてくれるんですか? というか、アナタは何者なんですか?」


 寄坂よれさかはもったいぶるように一度瞬きをしてから答える。


「仕組みのわからない科学技術はファンタジーだ。すなわち逆説的に言えば、仕組みさえわかればどんなに荒唐無稽でも科学技術になる」


「……あなたは自分をファンタジーにしたくないんですか?」


 私の問いかけに寄坂よれさかは数歩意味深に歩いた後に、問い返してきた。


「どう見える?」


「……今、煙に巻きましたね?」


「おお、学習してるじゃないか。偉い偉い」


 ゆっくり拍手をする仕草をしながら、寄坂よれさかは満足そうに頷く。どう答えても精神的な優位は譲ってくれないようだ。


 私は釈然としない思いで彼をじとりとにらみつける。すると寄坂よれさかは指を一本立てた。


「学習できた偉い美世ちゃんに、僕から一つゲームを提案しよう」


「ゲーム、ですか?」


「うん。これから僕の出す命題を証明できたら、君の知りたいことに一つ答えてあげるし、ついでに天使のバゲットの抽選にも当選させてあげる。どう? 悪い話じゃないと思うけど」


 天使のバゲット。


 忘れかけていた麗しの単語に、私の単純な頭脳は即座に回答を決めていた。


「やります!」


「よろしい。それでは出題だ」


 寄坂よれさかは薄く笑みながら、淡々と問題を提示する。


「目の前の僕がAIであることを証明せよ。ただし、僕に手を触れてはならないものとする」

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