第14話 山仲美世は迷い込む
「えっ」
思わず漏れた驚きの声に、私は慌てて自分の口を押さえる。そんな私を気にもとめず、見知らぬ生徒が何人も目の前を通り過ぎていった。
どうやら彼らにはあの矢印が見えていないようだ。
そう察した私は、できるだけさりげなく矢印に近づいて、それを観察しはじめた。
色は水色、雰囲気はポップな感じ、大きさはちょっとしたタブレットぐらい。ふよふよと浮かぶそれに触れてみたが、思った通りホログラムであったので当然その手はすり抜けた。
ふむ、と私は考える。
今日のテストは午前で終わり。午後はフリーだ。
学園側の意図としては、さっさと寮に帰って明日のテスト最終日に備えろということだろうが、残念ながら私は日が暮れてからではないとやる気のエンジンがかからないタイプである。
矢印が示す方向を目で追うと、廊下の先にもう一つ矢印が浮かんでいるのが見えた。追いかけてみろと言わんばかりのそれに、私の中の好奇心が抑えきれなくなる。
大丈夫大丈夫。明日は暗記科目ばっかりだし、追い詰められればきっとなんとかなる!
この場にいない奈月が「このバカ! 考え無し!」と声を荒げている気がしたが無視だ。こんな面白そうなイベント、放っておけない。
私はよし、と覚悟を決めると、矢印に従って廊下を歩き始めた。
いそいそと足を進めて次の矢印にたどり着くと、さらに次の矢印が見つかる。それを何度か繰り返しているうちに、食堂棟と本校舎をつなぐ渡り廊下へとたどりついた。
だが矢印はまだまだ続いている。どうやら目的地は校舎のほうにあるらしい。
わくわくとした思いで口元が緩んでしまいそうになりながら、私は早歩きで矢印を追いかける。この矢印はきっとカメラには写っていないので、もし監視カメラの映像を見ている人がいるとしたら私は相当奇妙な行動をしているように見えるだろう。
本校舎に入った私は矢印に導かれるまま、一年生の教室が並ぶ廊下を通り抜け、一番奥の階段を昇る。矢印は四階まで続いていたのでさらにそれを追いかけ、四階の準備室ゾーンを通り抜けて階段を下りる。たどり着いた三階をさらに進むと、矢印は第二校舎の渡り廊下へと続いていた。
期待に胸を膨らませながら私は第二校舎へと向かう。普段の放課後であれば部活動中の生徒がちらほらいるが、テスト期間中だけあって、第二校舎には人の気配は一切無い。
三階の渡り廊下を渡りきると、矢印は四階に続いていた。
第二校舎の四階といえば、空き教室ばかりで普段人が立ち入らないエリアだ。私自身、四階に行くのは初めてで、何の部屋がそこにあるのか分かっていない。
高鳴る胸の鼓動のまま私は四階に昇り、矢印が指し示す教室の前で立ち止まった。
ドアにかけられたプレートを私は小声で読み上げる。
「視聴覚室C……」
第二校舎の二階に視聴覚室のAとBがあるはずなので、三番目の視聴覚室ということだろう。視聴覚室が三つなんて多すぎるような気もするが。
この学園のほぼ全ての教室のドアには電子ロックが設置されている。この視聴覚室Cも同様に鍵がかかっているようで、ドアノブの下にロック解除のための端末が張り付いていた。
私はごくりと唾を飲み込み、キーホルダーを端末にタッチさせる。ピーという音とともに視聴覚室Cの鍵はあっさりと開いた。
「開いちゃった……」
期待と後悔が混ざり合って、ぽつりと言葉が漏れる。しんと静まり返った廊下にその声はやけに大きく響いた。
やってしまったという思いはあるが、ここまで来て開けないという選択肢もないだろう。私はごくりと唾を飲み込むと、ドアノブを握って、視聴覚室Cのドアを引き開けた。
果たしてそこに広がっていたのは――水族館だった。
「え?」
ドアを開けたままの姿勢で私はぴたりと固まる。
薄暗い室内は四方が水槽に囲まれており、水の揺らぎを通した淡い光が床に揺れている。
水槽の中には大小様々な魚たちが銀色の鱗をきらめかせながら泳いでいるし、まるで海底に立っていると錯覚するようなこぽこぽとあぶくが水中を上っていく音も聞こえる。
普通に考えればホログラムの投影だ。私は念のために眼鏡を取って確認しようと手を持ち上げる。その瞬間、部屋の奥から投げかけられた声に私は思わず手を止めた。
「――ちょっと。眩しいからドア閉めてくれない?」
「へっ!?」
変な声を上げて固まった私に、声の主は苛立たしげに繰り返す。
「ほら閉めて。ドア閉めてくれたら姿見せてあげるから」
声変わりの済んだ少年の声だ。少しイントネーションに癖はあるが、聞き覚えはない。
部屋の中を見回してみたが声の主の姿は見当たらない。何者かはわからないが言う通りにするしかないようだ。
私は慎重に一歩ずつ視聴覚室に入ると、入り口のドアを閉める。光源がなくなり、室内は水族館の深海コーナーのような薄暗さに満たされる。私は部屋の中央まで足を進めると、宙に声を投げかけた。
「し、閉めましたよ! 姿を見せてください!」
数秒の沈黙。
返答は真後ろから聞こえてきた。
「ありがとう。僕、日光が嫌いだから助かったよ」
勢いよく振り向くと、薄闇の中立っていたのは聖母子学園の制服に身を包んだ少年だった。
背はあまり高くなく、全体的に地味な印象を受ける。顔には一切見覚えがない。特徴らしい特徴のない平凡な顔立ちだ。
身に纏っている制服は上下ともにサイズが合っていないようで袖と裾が少し余っている。
突然出現した彼に私が固まっていると、少年はクスッと小さく笑って自ら名乗った。
「僕は
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