第9話 裳末杏太郎は苛立っている

「僕さあ、本格ミステリって嫌いなんだよね」


 生徒指導室にて、もはや口癖じみたフレーズを言い出した裳末もすえを、ソファでタブレットをいじりながら最中さなかは見やった。


「へー。その心は?」


「現実では実現しないトリックをまるで可能みたいな顔で提示してくるからだよ。なまじ論理が通ってるように見えるから始末が悪い」


 そう言いながら裳末もすえは自分の机で赤ペンを動かしていた。その表情は暗く、死相すら浮かんでいる。最中さなかは最低限の気遣いとして、ミュートして遊んでいたパズルアプリをそっと閉じた。


「じゃあライトミステリーはどうなの? 特殊能力持ちの探偵と相棒とか」


「嫌いだね。そもそも僕はファンタジーってやつが嫌いなんだ。どこかの誰かが言った絵空事を、真に受けて信じ込む馬鹿が死に絶えない限りはね」


「フーン。それって、今採点してる生物の自由作文レポートと関係してる?」


 裳末もすえはペンを動かす手をピタリと止めると、最中さなかをにらみつけた。


「皆が皆、君のようなレポートならよかったのにね。君の書くレポートはいっつも薄っぺらい手抜きの内容だけど頓珍漢なことだけは書かないから、ファンタジー脳の学生どもよりはずっとマシなんだよ。A評価つけといたけどそういう理由だから思い上がらないでよね。まったく現実と幻想の区別が認識できない馬鹿どもがこれはレポートであってファンタジー小説じゃないんだぞ」


 ほとんど息継ぎせずにそんなことを宣う恩師に、最中さなかはちょっと考え込む仕草をしたあとに悪戯っ子の表情になった。


「せんせ、そんな評価基準だから俺との不純同性交遊疑われてんだよ?」


「はあ!?」


 裳末もすえの手の中で赤ペンがみしりと音を立てる。常日頃はダウナーなせいで滅多に浮かばない青筋が、こめかみにはっきりと浮かんだ。


「誰と誰が何だって!?」


「ほら、この前水族館デートしたときもさー」


「……まさかとは思うけど、「せぼすい」への『準』校外学習のことじゃないよね」


「ひっど。一緒に腕組んで歩いたじゃん」


「君さあ、隙あらば僕の懲戒免職を狙うのやめてくれない? 何? 君に恨まれるようなことしてないんだけど、僕」


「ちぇー」


 そんな毒にも薬にもならない会話をしているうちに集中が切れてしまったのか、裳末もすえは大きくため息をつくとソファのほうへとやってきた。


 自分の向かいのソファに裳末もすえが腰を下ろしたのを確認すると、最中さなかは軽やかに立ち上がって棚へと向かった。


「せんせ、コーヒー? 紅茶?」


「コーヒー。ミルクとか砂糖とか、余計なもの入れないでよね」


「はいはーい」


 慣れた手つきで、最中さなかはコーヒーメーカーに豆と水を入れて、スイッチを入れる。直後、豆が挽かれるゴリゴリという音が部屋の中に響き始めた。


 それを横目で見ながら、不服そうに裳末もすえは口を開く。


「僕さあ、気遣いのつもりで仕事を邪魔してくる身勝手なお節介人間、大嫌いなんだよね」


「フーン、それって誰のこと?」


 あくまですっとぼける最中さなかに、裳末もすえは口ごもる。ここでそれが最中さなかのことだと指摘するのは簡単だが、それはすなわち彼の気遣いに乗る形で自分が休憩をしていることを認めることになる。


 それゆえに何も言い返せなくなった裳末もすえは、憮然とした顔でソファに体を預けた。


「肩、お揉みしましょうかー?」


「結構だよ」


「じゃあ、入眠ASMRしたげよっか?」


「あいにくとこちらは業務時間中でね」


 次々と提案されるからかいなのか気遣いなのか判断しづらい言葉を、裳末もすえはかわし続ける。


 やがてネタもなくなったのか、ふと思いついたような顔をして最中さなかは言った。


「じゃあさ、そろそろ吸血鬼の不在証明ゲームの2回戦しようよ」


「ええ? あれまだ続いてたの? 前回ちゃんとトリック解いたじゃない」


「これからいくつもの事件を起こすって言ったでしょ。まさかせんせー、忘れちゃったのぉ?」


 小馬鹿にしたような声色で最中さなかが言うと、裳末もすえはいっそ面白いほど食いついてきた。


「はあ? 忘れたわけないでしょ。いいよ、正面から叩き潰してあげるからかかってきなよ」


 いつにも増して好戦的な発言をする裳末もすえに、これは相当鬱憤が溜まってるなあと最中さなかは思う。あえてそれを言葉にしなかったのは、それはもうめんどくさい性格をしている目の前の教師を刺激してゲームから降りられたら困るからだ。


 何しろ、こちらはこの日のために入念な準備を整えてきたのだ。ここまで来て対戦相手を失うなんてくだらない事態は御免被る。


「じゃあ、コーヒーができるまでに事件を出題しちゃおっかな」


 最中さなかはソファに腰掛ける裳末もすえの背後から負ぶさるような姿勢で、彼の目の前にタブレットを差し出す。そしてそのまま肩越しにすいすいっと画面を操作した。


「……暑いんだけど。離れてくれない?」


「またまたせんせったら。秋っていったら人肌恋しい季節でしょ? そういう相手がいないさみしーいせんせを俺があっためてあげるんだから感謝してほしいぐらいだよね」


 平然とその姿勢をとり続ける最中さなかに、裳末もすえは深く嘆息する。


「僕さあ、人間の体温ってやつがこの世で一、二を争うぐらい嫌いなんだよね」


「え? 冷血人間だから人の体温だと火傷しちゃうってやつ?」


「誰が魚類だ。というかそれ嘘知識だからね? やめてよ、リアリストなのが君の唯一の長所なんだから、そういうの信じないでくれる?」


「えー、俺、ロマンチストなんだけどなー」


「ロマンチストに憧れてるだけのリアリストでしょ君は。で、何? そろそろコーヒー淹れ終わるけど」


「もうちょっとだけ待ってねー」


 そんなぐだぐだとした言い合いをしながらも、最中さなかはタブレットを操作し、とあるページを開いた。


 学内サーバーに存在する匿名掲示板。名称はセボネットちゃんねる。略して「セボちゃん」だ。


 セボちゃんには生徒であれば誰でも掲示板スレッドを立てられる。今、最中さなかが開いたそのトップページには、やけに古くさいUIでスレッドタイトルが並んでいた。


 匿名であるが故に治安が終わっているそのスレタイ一覧を見て、裳末もすえは顔をしかめた。


「何? クズの掃きだめがどうかしたの?」


「せんせ、セボちゃんのことそんな呼び方してるんだ……。見るからにコテハン持ちの厄介古参ユーザーみたいな見た目してるのに」


 裳末もすえはぴたりと動きを止めると、聞いたことがないほど低い声で言った。


「……君さあ、どうしてそう的確に人を傷つけるような言葉が吐けるの?」


「えっ」


 尋常ならざるその声色に最中さなかは一時停止すると、すぐに事情を察して謝罪した。


「ごめんなさい、もう言いません」


「あっそ。まあ、全然気にしてないけど」


 明らかにかつてどこかで何かをやらかしたらしい教師は、憮然とした顔で言い放つ。最中さなかはそんな裳末もすえをできるだけ刺激しないように慎重に、とあるスレッドを開いて彼に見せた。




【助けて】俺の眼鏡がずっと水族館【直らない】




 そのスレタイを目にした裳末もすえは「はあ?」と威圧の声を出した。


「何これ。眼鏡の不具合なら教務に届ければいいでしょ。教務は何やってんの」


「それがねえ、こいつらの眼鏡って吸血鬼に呪われてるから、教務には言えないみたいなんだよねえ」


 最中さなかは形の良い指先でゆっくりと画面をスクロールする。




1:名無しのモブ生徒  2023/11/3 23:31:07

眼鏡のVRにずっとおさかなちゃんが泳いでるんだけど、

どうすればいいかわかる奴いる!?!?!?


2:名無しのモブ生徒  2023/11/3 23:50:48

>>2げと


3:名無しのモブ生徒  2023/11/5 08:05:14

>>1

教務に行け


4:名無しのモブ生徒  2023/11/5 08:07:26

>>3 で終わってた


5:名無しのモブ生徒  2023/11/5 08:08:14

吸血鬼案件なんだよ!!!分かれよ!!!!


6:名無しのモブ生徒  2023/11/5 09:30:09

>>1

こいつ最高にバカ

どう考えても変なおまじないに頼るのが悪いだろ


7:名無しのモブ生徒  2023/11/5 09:31:40

うっせー!!!!

他になってる奴いねーの!?


8:名無しのモブ生徒  2023/11/5 09:35:05

実は俺もなっててぇ……どうしようもなくってぇ……


9:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:05:10

>>8

おじーちゃん、ハライルに戻りましょうねー


10:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:08:19

ねえ、吸血鬼って何?

パンツの色言うから教えてよ


11:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:10:03

>>10

通報しました


12:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:10:53

>>10

半年ROMってろカス


13:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:15:45

俺の眼鏡にもおさかなちゃんが泳いでま~~~~~す!!!!!


14:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:18:58

>>14

バーカ!!

カスきょーに怒られろ!!!

俺のにも泳いでるから直し方教えてクレメンス

なんでもしますから


15:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:20:03

ん?今なんでもって


16:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:21:07

バカの見本市大開催中ってマジで!?


17:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:22:12

本日のバカ晒し上げ祭りはここですか


18:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:27:37

なんだよ俺以外にもいるんじゃん!!!!


19:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:30:07

ああ、あのおさかなちゃん?

人の周りにだけ出現してて可愛いよね


20:名無しのモブ生徒  2023/11/5 12:31:53

先生にだけおさかなちゃん寄り付いてなくてワロス



 その下には延々と被害報告と野次馬と罵倒が並んでいる。被害者の人数は、スレッドにいるだけで十人はいるだろうか。


 タブレットを受け取って画面をスクロールしていた裳末もすえの目の前に、いつの間にか彼から離れていた最中さなかがそっとコーヒーを置いた。


「ご注文のブラックコーヒーでーす」


「礼は言わないからね」


「コーヒー淹れてもらって一言目がそれって、せんせ、人としてどうかと思うよ」


 そんなことを言いながらも、最中さなかには別に気分を害した様子はない。


 最中さなか裳末もすえの向かいのソファに腰掛けると、紙パックのレモンティーを開けてにやりと笑った。


「吸血鬼は自分の使い魔を学生たちに取り憑かせた。さて、どうやってハウダニツト?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る