第8話 山仲美世はハウダニットに立ち向かう
学校に戻った私は、まっすぐにとある場所へと向かった。
本校舎の端っこ。滅多に人が寄りつかないような
「大変です、和菓子先生!」
部屋の奥では先生が悠然とコーヒーを飲んでいた。格好付けているが、机にはミルクとシュガーのゴミが散乱しているので、味わいは最悪のはずだ。
それはともかく、混乱と困惑とここまでノンストップで走ってきた疲れで興奮状態にある私を、和菓子先生はちらりと一瞥した。
「君さあ、廊下は走らないって小学校で習わなかったの?」
こちらを見下すような目で尋ねてくる先生に、私は一瞬きょとんとした後、元気よく答えた。
「はい、習いました!」
途端にキメ顔をしていた和菓子先生の体はがくんと傾いた。そして、珍獣でも見るかのような目を私に向けてくる。
「え、嘘でしょ。今の皮肉が通じない人間ってこの世にいるの?」
「皮肉だったんですか?」
尋ね返すと、先生はがっくりと肩を落として机に突っ伏した。唯一残った理性で、コーヒーだけはこぼさないように持ち上げている。
「勘弁してくれよ。こんな馬鹿が俺の後継者とか……」
「むっ、馬鹿って言うほうが馬鹿なんですよ!」
反射的に噛みつくと、先生は「はいはいそうだね」とうなだれながら答えた。
「……で、何が大変なんだって? 聞いてあげるから話してみなよ」
「あ、そうです大変なんです! 学園中が水族館になってるんですよー!」
体全体を使って私は力説する。すると、和菓子先生はぷっと小さく噴き出して口元を手で覆った。
「あ! その顔は信じてませんね! 本当なんですからね!」
「はいはい疑ってないから。ほら、どんな事件が起きてるか言ってごらん」
意地悪な笑みと共に尋ねてくる先生に、私は身を乗り出す。
「言葉通りです! なんだかわからないんですが、空に鯨が泳いでいるのを見てから、みんなの周りに魚が泳いでるのが見えるようになったんですよー!」
ここまで来る道中に見かけた光景を私は思い返す。
行き交う生徒たちほぼ全員の周囲に泳いでいた小魚。色とりどりのそれは思い思いに遊泳しており、まさに学園中が水族館状態になっていると言っても過言ではない状況だ。
「フーン。ふふ、そっか。……で? どうして美世ちゃんは俺のところに?」
「とぼけないでください! これって和菓子先生の仕業ですよね!?」
勢いよく言ってやると、和菓子先生は器用に片眉を上げてからソファを指し示した。
「まあ、座りなよ。君の推理を聞こうじゃないか」
そう言うと、先生は自分の席から立ち上がって、棚からティーカップを取り出した。
「コーヒー? 紅茶?」
「お茶菓子が和菓子なら、緑茶がいいです!」
「……君さあ、図々しいって言葉知ってる?」
「知りません! 図々しいって何ですか?」
素直に尋ね返すと、和菓子先生は臓腑ごと吐き出しそうなほど深く嘆息した。
「……君の学年の国語担当って誰だっけ」
「はい! 総名先生です!」
「あいつか……。今度文句言ってやる」
ブツブツ言いながらも、和菓子先生はティーカップにペットボトルの緑茶をドバッと注いでいる。そして、棚からお茶菓子らしきものを二つ手に取って戻ってきた。
「はい、お茶」
「ありがとうございます! 今日のお茶菓子は何ですか?」
「んー……この事件の謎が解けたらあげるよ。その方がやる気出るでしょ?」
挑戦的な表情の和菓子先生に、私はよし、と気合いを入れる。
「解いてみせます! この事件だけじゃなくて、先生のホワイダニットも!」
意気込む私に、和菓子先生は偉そうにふんぞり返った。
「あっそ。だったらまずは、今回のハウダニットから解かないとねー?」
まるで私には解けっこないと言っているかのようなその視線にムッとしながら、私は口を開いた。
「そもそもの始まりは、私が「せぼすい」の正門で空飛ぶ鯨を見たことでした。眼鏡もかけていたので普通に考えれば多分ホログラムだと思うんですが……それにしてはちょっとひっかかることがあるんです」
「フーン、ひっかかること?」
「はい。あの鯨……私の見間違えじゃなければ、「せぼすい」の大水槽の鯨と全く同じ見た目をしていたんです。だから私、最初は水槽から鯨が抜け出してきたんじゃないかって思ってびっくりしちゃって」
「ふむふむ、それで?」
先生は自分の分のお茶菓子を開けながら先を促す。今日のお茶菓子は甘くて硬いおせんべいのようだ。どうやら何かの土産物らしく、表面に焼き印らしきものがあるのがちらりと見えた。
「鯨の正体は一旦置いておくとして……。それを見てから、私の眼鏡にホログラムの空飛ぶ魚が見えるようになったんです! しかもほぼ全校生徒の周りに!」
ここに来る道中、ほとんど全員の生徒の周りに魚は出現していた。だけど、それが本物の魚ではないことは眼鏡を外せばすぐにわかったし、それにその魚たちにはある特徴があった。
「生徒の周りの魚はたまにブレていました。……あの吸血鬼の影みたいだと思いません?」
私は犯人を追い詰める探偵のような気分で先生をまっすぐに指さした。
「つまり……あの魚は前回の事件同様に『何か』をマーカーにして出現しているホログラムである! そして、私の眼鏡をいじってホログラムが見えるようにしたのは和菓子先生! これが私の推理です!」
ふふんと鼻を鳴らしながら言い放つと、和菓子先生は硬いおせんべいを手で小さく千切りながら答えた。
「30点」
「えっ!?」
「あ、100点満点ね」
「えええ!?」
平均点の値によっては赤点不可避の点数を告げられ、私は動揺する。
「な、なんでですか。筋は通った推理でしたよね!?」
「うん。筋は通ってる。だけど証拠はないし、後半は論理すらない。ついでに言うと、君の眼鏡に起きたその現象は、たしかに暮吉最中がかつて仕込んだ『何か』に起因することだけど、別に君の眼鏡を今の俺がハッキングしたわけじゃないよ」
「そ、そんなあ……」
自信満々だった推理を正面から突っぱねられ、私は肩を落とす。和菓子先生はおせんべいの欠片を口に放り込んだ。
「仕組みのわからない科学技術はファンタジーと同じだよ。せめてマーカーが何かまで説明できなきゃ、ハウダニットが満たされたとは言えないんじゃないかな?」
「う、うぐぐ……!」
もっともなことを言われ、私は悔しさで唸ることしかできない。そんな私に和菓子先生はにぃっと目を細めた。
「ま、そこまでたどり着いた中間報酬として、ヒントと昔話ぐらいはしてあげてもいいんだよー?」
「えっ、ホントですか! やったー!」
目を輝かせて素直に喜ぶ私に、和菓子先生はやりにくそうに顔をしかめた。
「くそっ、単純馬鹿は扱いに困るなー……」
「馬鹿じゃありません!」
「はいはい。ほら、少しの間目を閉じてな。ヒントの準備するから」
言われた通りに私は目を閉じる。
そして、ほんの十数秒ほど経った頃、先生は私に声をかけた。
「はい、もういいよ」
私は目を開ける。そこに広がっていたのは――生徒指導室中に泳ぎ回るホログラムの魚たちだった。
目を見張る私に、和菓子先生は新しくおせんべいを開けながら歌うように言った。
「じゃあ昔話を始めようか。とある吸血鬼の使い魔の話を」
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