第4話 裳末杏太郎は吸血鬼のアリバイを証明する
にんまりと笑って
「僕さあ、人の言葉の揚げ足を取って悦に浸る奴、大嫌いなんだよね」
「それって自己紹介?」
「うるさい」
即座に返された皮肉を、
「で、何? 僕はあの人影の正体を探ればいいってわけ?」
「より正確に言えば、どうやってあの人影を出現させたのかまで当ててほしいかなー?」
「ふーん、まあできるけどね。所詮学生のお遊びだし」
教室の隅――ちょうど黒板の隣に寄り添うように存在しているそれに、生徒は全員気づいているようだが、授業を行っている教師だけは気づいていないようだ。黒板に数式を書く手を止め、ざわめく生徒たちに振り向いて怪訝な顔をしている。
「……君は、事件の犯人が吸血鬼だって言ったね? あの人影が吸血鬼って認識でいい?」
「はい」
はっきりとした発音で
そして、
「おっかしいよねえ。俺が仮に吸血鬼であるとしたら、ああしてあそこに立つことはできないもんねえ?」
「だって、俺の体はこうして、せんせの目の前にあるし?」
「……ああ、なるほど。君は最初っから、僕に吸血鬼のアリバイを証明させるつもりでこの状況を作ったんだね?」
「はい」
そこまで来ればさすがの
しかしそこで大人な対応として適当にあしらって負けを認めたり、不平不満を口にしてゲームから降りなかったのは、ひとえに
一度乗った勝負を投げ出したくないだなんて殊勝なスポーツマンシップはそこにはない。
あるのは、シンプルな性根の悪さ。
馬鹿にされたのなら馬鹿にし返さないと収まりがつかない。殴られたのならなんとかして相手を同じ目に遭わせないと夜も眠れない。
その蛇のような執念深さをもっと建設的なことに使ったほうがいいというのは、後々になって、彼の数少ない理解者が彼にかけた言葉であるが、今はどうでもいい。
相互理解による和平という言葉から最も遠い男である
「君には共犯者はいる?」
「いいえ。共犯者にコスプレさせてあそこに立たせているわけじゃないよ」
自然と掴まれていた手を解放された
「というか、そもそもこの授業、誰の授業だっけ」
「え、それマジで言ってる? 和菓子せんせの同僚でしょ?」
前提条件にあたることを言い出され、
「僕は上司の顔しか覚えないことにしてるんだよ。ゴマを擦る時に便利だからね」
「え、じゃあ俺は?」
「ただのカボチャに見える」
「嘘! 俺、こんなに可愛いのに!?」
言いながら
「こんなに可愛いというのに!?」
「あーはいはい、カワイイカワイイ」
うんざりとした顔で
「まーねっ、俺、可愛いもん」
「はいはいはい……。で、あの教師誰だっけ?」
「ホントに覚えてないんだ……。社会人としてどうなのそれ?」
どう見ても社会不適合者なのに社会人をしている目の前の男のことが純粋に心配になってしまいながら、一応
「数学の中戸先生だよ。今年入った新任の。熱血系のくせに文明に対する理解がない時代遅れのアナログ人間っていうのが俺の認識かな」
「……期せずしてホワイダニットが分かったよ。君、さてはこの中戸とかいう若造が嫌いだね?」
さらりと指摘されたそれに、
「……ま、説明ご苦労様。質問に戻っていい?」
「はい。もちろんだよ、せんせっ」
語尾にハートでも付けているかのような軽やかな声色で
「じゃあ、次。あの人影は実在してる?」
「だーめ。吸血鬼の実在についての質問は禁止でしょ?」
「質問を変えるよ。あの人影に実体はある?」
今度は
「いいえ」
途端に
「だったら答えは簡単だ。あの黒い人影は、ただのホログラム。授業用の
この聖母子学園では、高度なIT技術を授業に取り入れており、その取り組みのうちの一つが全校生徒に配布されている授業用の
しかしこの中戸という数学教師は、実際に手で書かないと学問は身につかないというアナログ至上主義派であり、しかもそう言う彼自身の文字が汚いこともあって、一部の生徒には評判が悪い存在だった。
「……はい」
その途端に、
「大口叩いてくるからどんなものかと思えば他愛もなかったね。こんなので自信満々とか恥ずかしくないの?」
「……ふふーん。まだ終わりじゃないよ、せーんせっ」
一瞬で調子を取り戻し、
「和菓子せんせは今、単純な仕組みを言い当てただけ。どうやって吸血鬼を出現させたかまで推理するって約束でしょ?」
それを言われてしまうと言い返せない
「まったく仕方ないな……。あのホログラムは君が仕込んだプログラム?」
「ノーコメントって言っとくよ」
「あっそ。肯定として受け取っておくよ」
状況としてはほぼ確定的なことを一応
「あのホログラムは時限式で発動した?」
「いいえ」
「ランダムなタイミングで発動するようになっていた?」
「いいえ」
「君が遠隔でなんらかのスイッチを入れてホログラムを出した?」
「いいえ」
一つ一つ丹念に可能性を潰して、
惜しむらくは、その能力の大半を他者への嫌がらせにつぎ込んでしまっていることだが――こと、この「うみがめのスープ」のルールにおいて、それは大きなアドバンテージとして機能していた。
「誰かにホログラムを発動させるスイッチを押させた?」
その質問を投げかけられた時、
「……部分的にはい」
最終的に口にされたのも曖昧な答えだ。
「教室にいる何者かが、ホログラムが発動するなんらかのスイッチを入れた?」
「部分的にはい」
「……教室内で何らかの発動条件が満たされたから、ホログラムは発動した?」
「はい」
着実に正答への距離を詰めてくる
こういうときがあるから、和菓子せんせとの会話はやめられないのだ。
モニターの中では、ようやく事態を把握した教師が生徒たちに犯人は誰かと問い詰めているところだった。
しかし、一向に犯人は名乗り出ない。当然だ。犯人は生徒指導室にいるのだから。
教師は苛立った足取りで教卓の周囲をうろうろと歩き始めた。その動物園の動物のような滑稽な姿を眺めていると、ふと教室の隅の吸血鬼の姿が、定期的にブレていることに
「ねえ」
「なーに?」
「この授業以外に発動条件が満たされることはある?」
「限りなくありえないけど、一応、はい」
「発動条件は生徒によるもの?」
「いいえ」
「教師によるもの?」
「はい」
「教師の何らかの行動によって発動条件は満たされた?」
「はい」
モニターの中の教師がある位置でぴたりと立ち止まる。その途端、吸血鬼は不規則に明滅しはじめた。まるで教師の立つその位置が、吸血鬼にとっての何かを邪魔しているかのように。
「なるほどね」
「最後の質問だ。あの吸血鬼は黒板の文字を消したら消える?」
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