第5話 山仲美世はよくわからない

 時間は下って、現在。


 和菓子先生の語る昔話にじっと聞き入っていた私は、唐突に途切れた話にきょとんと目を丸くした。


「というわけで、これが君をここに呼んだ理由だよ」


「どういうわけですか?」


 和菓子先生の体ががくんっと傾いた。ちょうど、コメディ映画とかで主人公がズッコケた時みたいに、大袈裟に。


「え、もしかして君はあれなの? アホの子?」


「だ、誰がアホの子ですか。アホって言うほうがアホなんですよ!」


「アホの子だなこれは……」


 和菓子先生はぐりぐりと眉間を揉み始めた。なんだか馬鹿にされている気がするが、なぜ馬鹿にされているかよくわかっていないのでどう怒ればいいのかもわからない。


「ミステリーにはさ、読者に情報を全て開示しないで謎を提示するのはアンフェアだ、なんて言説があるんだけどさ」


「はあ」


「おっかしいんだよな……。君視点ではもうちゃんと推理と理解ができるはずなんだけど」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、和菓子先生はすっかり冷めてしまったコーヒーを啜る。なんだか気まずくなって私もミルクティーを口に運んだ。


 そして、やけに苦そうな顔でコーヒーを飲み込み、先生は息を吐いた。


「まあいいや。説明したげるよ。一つ一つ言葉にしていけば流石の君も分かるでしょ」


「不本意な妥協をされた気がする……」


「不本意な妥協をしたんだよ。じゃあそうだな、まずはこの事件の技術的な真相について解説していこうか」


 そう言うと、和菓子先生はその辺に積んであった没収雑誌を一冊手に取った。今気付いたが、そこに書いてある発行日は十年近く前のものだ。


「美世ちゃん、ここまでの話には一つ曖昧になってることがあるんだけど何かわかる?」


「曖昧になっていること……?」


 改めて問われて、私は和菓子先生の語った事件について思い返す。


 暮吉くれよし最中さなかという生徒が起こした、とある授業での吸血鬼出現事件。


 その真相は、生徒たちがかけている眼鏡グラスごしにしか見えないホログラムを投影したものだった。


 そして、そのトリガーとなったのは教師の行動であり、黒板の何かが関係しているというところまでは聞いたが、それ以上、解説をするようなことがあっただろうか?


 首をひねる私に、和菓子先生は芝居がかった仕草でため息をついた。


「ハイ、時間切れ」


「えーっ」


「期待はしてなかったから別にいいよ。君のようなデジタルネイティブにはもう環境の一部――前提条件みたいなとこあるしね」


 和菓子先生は何かを探しているのか、パラパラと雑誌をめくる。ゲーム系の情報をまとめた雑誌なのか、表紙には有名なゲームキャラクターが躍動感たっぷりに描かれている。


「答えは――教師の行動がホログラムのトリガーになっていたとして、一体教師の行動を読み取っていたのか、だよ」


 先生の言葉に、ようやく私は合点がいった。


「行動……ってことは、センサーですか? 赤外線みたいな!」


「ぶぶー。ここまでの話に出てきていない機材はこの事件に使われていないよ」


 明らかに面白がっている声色で、和菓子先生は私の推理を否定する。悔しくなった私は頭を抱えて考え始めたが、なかなか答えには思い至らない。


 これまでの先生の話に、センサーの代わりになるようなものは登場していただろうか。そんな、人間の行動を読み取ることができるようなものが――


 うなり続ける私にしびれを切り足したのか、先生はさらに付け加えた。


「ヒント。学生には皆、同じホログラムが見えていた。同じタイミングで同じ位置に、同じ間隔で吸血鬼がね」


 


 その言葉に私は違和感を覚える。察するに、話の中にあったホログラムのブレは、教師の行動を読み取るセンサーの誤作動なのだろう。


 つまり全員の視界が同時にブレたとすれば、教師の行動を読み取ったセンサーは同一のはずだ。


 あの時、教師は黒板の前で立ち止まり、センサーは誤作動を起こした。話の中の和菓子先生が指摘していたトリガーは黒板。


 黒板と、教師。それからそれを見ている私。その延長線上にあるのは――


「あっ」


 私はとある機材に思い至った。話の中に登場し、モニターごしには絶対に見えない機材。それは――


「監視カメラ……」


「ご名答」


 ぱちぱちと平坦に拍手をしながら、和菓子先生はさらに尋ねる。


「教師の行動を読み取っていたのは監視カメラで、黒板を消せばホログラムは消えるということは?」


「細工がしてあったのは監視カメラで、黒板の字に反応してホログラムのデータをクラス中に共有した?」


「ん。たいへんよくできました」


 和菓子先生はやけに幼い表情で笑うと、今までめくっていた雑誌をぺたんと開いてこちらに差し出した。


「大昔のIT界隈で流行った技術なんだけどさ。多分、今の眼鏡グラスでも対応してるから眼鏡グラスごしにこのページを見てみなよ」


 言われるままに、私は授業用の眼鏡グラスをかけてそれを見る。すると、ページの中央に書かれた不可思議なマークの上に、可愛らしいキャラクターがぽんっと姿を現した。


「えっ、かわいいー」


「マーカーをカメラに映すことで、対応するホログラムを出力するんだ。むかーしむかしは、ゲームのリアルイベントとかで使われてたんだよ。手にマーカーを乗せて、手乗りモンスターとかね」


 先生がゆらゆらと雑誌を動かすと、それに合わせてホログラムの位置も動く。私は古代技術を見せられているような気分でそれを目で追った。


「今回、吸血鬼のマーカーにしたのはあの教師の『下手くそな文字で書かれた特定の数式』だった。この授業以外でほぼ間違いなく発動しないっていうのはそういうこと」


 私はその解説を聞きながらイマイチ釈然としない思いに駆られていた。


 だって、私にだって話を聞いていればこの騒動のは理解できた。だからわざわざを解説した先生の今の話は、ただの蛇足にしか思えなかったのだ。


「……こんなのいちいち説明しなくてもよくないですか? 黒板の文字がきっかけでホログラムが投影されましたーでいいじゃないですか」


「はっ、わかってないなー美世ちゃんは」


 当然の不満を口にした私を、和菓子先生は笑い飛ばした。


「いい? 仕組みのわからない科学技術はファンタジーと同じなんだよ。仮にこれをミステリーと定義するなら、そこまで解説しないとフェアじゃない」


「ここはミステリー小説の世界じゃなくて現実ですよ?」


「だが吸血鬼はミステリーのつもりで事件を作った。ならその作法に従うのが道理だと思わない?」


 ああ言えばこう言う詭弁の連続に、私はうまい返しが出てこなくなって沈黙する。


「どう? 流石のにぶにぶ美世ちゃんでも理解できたかなー?」


 こちらをのぞき込みながら煽ってくる和菓子先生を、私はじとりとにらみつける。


「……なんか馬鹿にしてません?」


「おっ、察しがいいね。馬鹿にしてるんだよ、迂闊な吸血鬼の後継者さん?」


 言いながら先生は私の胸ポケットを指さす。そこまで言われて私はようやく、自分がなぜここに呼ばれたのかを完全に理解した。


 ブレザーの胸ポケットに入った小さなキーホルダー。咄嗟に私はそれを手で押さえる。


「先日、君は2-Bの教室清掃中にとあるデータが入ったチップを見つけた。そこに入っていたのは、かつて学園に通っていた学生の置き土産――ちょっとしたイタズラができるデータの山だった」


 そう。それを見つけたのはただの偶然だった。


 偶然、誰もしばらく掃除をしていなさそうな、黒板の上の汚れが気になり。


 偶然、汚れをよじ登って拭いている時に古びたキーホルダーが手に引っかかり。


 偶然、それがただのキーホルダーではないことに気づいてデータの抽出に成功した。


 そこに入っていたのはちょっとした悪意の籠ったイタズラデータと、一つの謎めいたメッセージ。


 その時はデータの面白さが気になって読み飛ばしてしまったけれど、あそこには確かにこう書かれていたはずだ。


……」


「そう。データを手に入れた君は、そのイタズラを試してみたくなった。そして、あろうことか自分が出席する授業で、自分の学生IDを使って、何のセキュリティロックもかけずに、データを実行した。そんなことをすれば、一瞬で下手人がわかるとも知らずにね」


 嫌みったらしくゆっくりと説明する先生に私は縮こまる。


 そう。私は、今まさに行われている数学の中戸先生の授業で、イタズラデータを実行するつもりだった。


 このデータを実行したら具体的にどうやって何が起きるのかは読み解けなかったけれど、あの授業で実行すれば面白いことが起きるのだろうということだけはわかったので。


 ついうっかり。魔が差したのだ。


「最初から全部、お見通しだったんですか」


 震える声で私は尋ねる。


 叱られる。内部進学が取り消しになる。自業自得とはいえ目の前に迫った小さな破滅に、私は萎縮するしかできない。


 俯いて震える私を眺めていた和菓子先生は、ふうと息を吐いて、モニターのスイッチを入れた。


「ほら、見てみなよ」


 顔を上げると、モニターに映し出されていたのは、私が出席するはずだった中戸先生の授業だった。


 しかし、教室のどこにもあの吸血鬼の姿は


「あれ?」


 今までの話を総合するに、私が実行したデータは暮吉くれよし最中さなかという人物がイタズラのために残したもので、だったら同じ条件である中戸先生の授業では同じようにホログラムが発動するはずなのに?


 ぽかんとする私に、和菓子先生は大きく嘆息した。


「君さあ、どうしてこの部屋に入ったときにわざわざ名乗らされたかまだ気付いてないの?」


「……あっ」


 あの時かすかに聞こえた音声。ユーザー認証の成功。学生IDのログインに必要なのは各種の生体認証だ。その一つには音声認証も含まれていて――


「もしかして……」


「迂闊でおバカな吸血鬼のために、気を利かせてイタズラは解除しておいたよ。感謝してよね」


 ぶっきらぼうに言い放たれたその言葉に、私はへなへなとその場に脱力した。


「よ、よかったあ……」


「こんな間抜けな生徒がいるとは思わなかったよ。もっと慎重に行動するってことを覚えたほうがいいよ?」


「肝に銘じます……」


 生徒指導室の和菓子先生はすこぶる評判が悪い。何が、そんな彼のお眼鏡にかなったのかはわからないが、どうやら私は見逃してもらえたらしい。


 それとも理由は私にあるわけではなく――かつてこの学校にいたその問題児への思いが関係しているのだろうか。


「じゃ、もう行っていいよ。授業戻りな」


 しっしっと手首を振って、和菓子先生は私を追い払う。私は立ち上がるのを少し躊躇った。


 先生は最初、そんな私を普通に無視したが、やがて無視しきれなくなったのか面倒くさそうに尋ねてきた。


「どしたの? まだ何かある?」


 その顔に張り付いているのは、先ほどまでの昔語りで浮かべていた柔らかい表情とは真逆の、無関心そうで偏屈な印象を受ける顔だ。


 私はどうにも気になっていることを口に出してみることにした。


「あの、その問題児さん……最中さなかさんの動機って何だったんでしょう?」


 意を決して尋ねたその言葉に、和菓子先生は目を丸くした。なんだか気まずくなりそうな雰囲気を察した私は早口で続ける。


「ええと、和菓子先生は、その教師が嫌いだからって言ってましたけど、それだけじゃない気がして……」


 徐々に声が小さくなってしまいながらそこまで言うと、和菓子先生は長い沈黙の後、ぽつりと言った。


「……フーン、続けて?」


 それは平坦な声ではあったが、不思議と拒絶されているようには聞こえない声色だった。私は大きめに息を吸って吐くと、和菓子先生に向き合った。


「まだよくわからないんですけど、きっと最中さなかさんにとって吸血鬼って特別なものだったんじゃないかって思うんです。でなければ、こんなにたくさんのイタズラデータを吸血鬼の名前と一緒に残しませんよね?」


 キーホルダーの中に残されていたデータは一つではない。


 いくつにもフォルダ分けされた無数のデータ。そのどれもが、かつてこの学園で実際に使われたものなのだろう。


 それをあえて学園に残した意味。それは、和菓子先生がかつて取りこぼした何かを、後世の生徒に解いてもらいたがっているかのようで。


 そう、それはたとえば、和菓子先生がかつて不要だと断じて捨て置いた――ウェアダニットではない何か。


「和菓子先生、は何だったんでしょう?」


 私の問いに、和菓子先生は答えなかった。ゆっくりとまばたきをして、ただ私を見つめるばかりだ。私はまけじと先生を見つめ直した。


 数分にも思える沈黙の後、和菓子先生は不意に挑戦的な笑みを浮かべた。


「じゃあ推理してみる?」


「へっ?」


「初代吸血鬼から、今代の吸血鬼への命題だよ。吸血鬼は事件を起こし続けた。さて、なぜか?ホワイダニツト


 にまにまと和菓子先生は笑う。私は、訳が分からなくなって硬直していた。


 あれ? 和菓子先生は和菓子先生で、でも初代吸血鬼? それって暮吉くれよし最中さなかくんのことじゃ?


 混乱で目を回している私に、和菓子先生はあきれた表情になった。


「うーん、さては美世ちゃん、観察力がゴミカスだね?」


「だっ、誰がゴミカスですかー!」


 反射的に噛みついた私に、和菓子先生はケラケラと笑う。


「わかったわかった。ヒントをあげよう。さっきあげたおまんじゅう、漢字でどう書くか知ってる?」


「おまんじゅう?」


 急に方向転換した話についていけないながらも、私はおまんじゅうの包み紙を確かめる。あの口の中に張り付いてしまう、美味しくて食べにくいおまんじゅうだ。


 その包み紙にはひらがなで「もなか」と書かれていた。


「もなか……へえ、かわいい名前のおまんじゅうですね! このおまんじゅう、もしかしてモナカアイスの仲間ですか?」


「モナカアイスがもなかの派生なんだよ、このスットコドッコイ」


「すっ……?」


 よくわからないがけなされたような気分になりながら、私は考え込む。


 もなか、もなか。そもそもどこで切るのだろう。もな・か? も・なか? それによって漢字は変わってくるけれど……?


 一向に正解にたどり着かない私を観察しながら、和菓子先生はさらに付け加える。


「ヒント。この部屋の中に同じ漢字があるよ。ほら、探してみな」


 そう促され、私は部屋中に視線を巡らせる。


 コーヒーメーカー。冷蔵庫。雑誌。ゲーム。机の上のモニター。本棚の本。


 どれを見てもそれらしき文字は見当たらない。


「……ハイ、時間切れー」


「えーっ」


 抗議の声を上げる私を軽くかわし、和菓子先生は自分の首から提げている教員名札を持ち上げた。


「もなかって漢字はね、こう書くんだよ」


 改めて見たその名札に書かれていた名前は――『暮吉くれよし最中さなか』。


「……えっ。ええっ!?」


 私は大声を上げて、名札と和菓子先生を見比べる。先生は、教師にあるまじき長い金髪をいじりながら、私をあざ笑った。


「理解した? じゃあ次はもうちょっと頑張ってね」




第一問 吸血鬼の不在証明 完

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