第3話 裳末杏太郎はウェアダニットにしか興味がない
唐突かつ非現実的なワードが
「それって悪魔の証明のパロディのつもり? だったらこっちに勝ち目はないじゃん。僕、勝てない勝負って嫌いなんだよね」
悪魔の証明。
遡れば中世ヨーロッパの法学に由来する言葉であるが、現代においてはもう少し広いニュアンスで使われることが多い。
その概念を一言で表すのなら、ないものをないとは証明できないという言葉に尽きる。
存在するものを存在すると証明するのは簡単だ。その存在を見つけてくることさえできれば証明は完了する。
しかし、存在しないものを存在しないと証明するのは難しい。なぜなら、仮に
故に、悪魔の証明。
存在しない悪魔を、存在しないと証明するのは難しい。
だが、にべもなく断られたというのに、
「まあまあ、話は最後まで聞いてよ。この吸血鬼の証明には、ちゃんと答えが用意してあるって言ったら?」
「まさか、一介の高校生が考えた謎かけに答えられる自信がないわけじゃないよねえ?」
ここで
当然、これまでの人生で自分より格上の存在と出会ったことがないわけではないが、そうと気付いた瞬間、即座に自分の視界からシャットアウトすることによって、ちっぽけなプライドを守ってきた矮小な人間である。
そのくせ、現実と理想の齟齬への苛立ちですくすく育った巨大なコンプレックスを持て余している、どこにでもいる平凡な敗北者である。
そんな彼が、大嫌いな『自分よりも賢いガキ』に挑発されて、平静を保っていられないのは仕方のないことであった。
「へえ、言うじゃん。相当自信がおありのようだけど、僕がそんな安い挑発に乗ると思った?」
「挑発なんてしてないし。俺はただ、和菓子せんせにはちょっと難しいカナー? って言ってるだけだし」
「はあ?」
ここに来ても
「いいよ、やってやろうじゃん」
「やりぃ! せんせ大好き!」
「……あっそ、僕は大嫌いだよ」
にっこにこになって喜ぶ
「ところで『不在証明』って俗に言うアリバイのことだけど、僕は吸血鬼のアリバイじゃなくて、吸血鬼がいないことを証明すればいいんだよね?」
「えっ、そうなんだ。知らなかった」
素直に無知を告白する
「で、証明するのはアリバイじゃなくていいんだね?」
「うん! 吸血鬼はこの学園に存在しないって、俺が卒業するまでに証明できればせんせの勝ち。できなければ俺の勝ち。簡単でしょ?」
「はあ、まあ付き合ってはあげるけどさ。当然、何の手がかりもくれないわけじゃないんだよね?」
「もちろん。せんせ、うみがめのスープって分かる?」
うみがめのスープ。
出題者に回答者が質問を重ねることによって真相を探る、水平思考ゲームだ。
回答者は「それは●●ですか?」といった、はい、いいえで答えられる質問をし、出題者はそれに、はい、いいえのみで答える。
「あー、あのネットにかぶれた大学生が好きそうなゲーム?」
「せんせ、本当にろくな学生生活送ってこなかったんだね……」
言及するたびに学生という身分をけなす
「今時は色んなとこでレクリエーションとしてもやってるからね? 小学校とか、サークルとか」
「ふーん、世も末だね」
「おっ、
「……僕さあ、人の言葉を勝手にダジャレだと思い込んで、勝手に滑ったのをフォローしてくる人間大嫌いなんだよね」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと面白かったよ!」
「地獄に落ちてほしい……」
「これから先、聖母子学園では奇妙な事件が起きる。和菓子せんせはその犯人である吸血鬼が存在していないことを証明する。俺は、和菓子せんせの質問にうみがめのスープ形式で答えてヒントを出す。こういうルールでどう?」
「ふーん、じゃあ早速、一個質問してもいい?」
ルールを把握して早々に、
「その吸血鬼の正体は君?」
あっさりと口に出されたのは、このゲームの核心を正面から突く問いだった。
「せんせー、ずっるーい!」
「ずるくないよ。君の言うルールには犯人について直接尋ねてはいけないなんて書いてないでしょ」
「そうだけどさー。そんなの聞かれちゃったらゲームになんないし、そもそも風情がなさすぎるでしょ。だからせんせー、友達いないんだよ!」
ぎゃんぎゃん喚いて不服を表明してくる
「あーもう、わかったよ。ルール付け加えていいから。これだから子供の駄々は困るんだよね」
「先に大人げない質問したのは和菓子せんせだからね?」
あくまで自分は巻き込まれただけの被害者ですという
「やれやれって言いたいのは俺のほうなんだけど」
「文句があるなら僕、ゲームから降りてもいいんだよ?」
「ほんと大人げないよね……。じゃあ、『吸血鬼の実在についての直接的な質問に、
最大限の譲歩を提示し、
「いいよ、その条件で。まあ、それを抜いてもこのゲームは僕の勝ちが決まってるようなものだけど」
相変わらず上から目線で、
「えー、どこから来るのその根拠のない自信」
「根拠? あるに決まってるでしょ。ほら」
ここ、私立聖母子学園高等部は、少し変わった事情のある生徒が多く通う全寮制の高校である。
有名芸能人の子供、大御所政治家の関係者、プロ野球選手に内々定しているスポーツ特待生。
彼らに共通しているのは「万が一にもスキャンダルを起こしてはいけない」という一点だ。
それゆえに彼らはこの学園に押し込められた。『生徒の完全庇護』というお題目で校内ほぼ全ての場所に監視カメラが設置され、四六時中監視され続けるこの聖母子学園に。
表向きは、生徒の安全のためのセキュリティがしっかりしている上に、超高度なIT技術を授業に取り入れている難関私立校という立場であるので、無論、事情を知らない一般人のほうが絶対数は多い。
しかし、
「万能カメラ様に頼るって? 一体この学校に全部でいくつのカメラが設置されてると思ってんの?」
「そうだね。だけど、逆に言えば『
「ウェアダニット? フーダニットでも、ハウダニットでも、ホワイダニットでもなく?」
フーダニット。誰がそれを為したのか。
ハウダニット。どうやってそれを為したのか。
ホワイダニット。どうしてそれを為したのか。
どれも、ミステリーの物語構造を示す言葉だ。だが、
「フーダニットは無視していい。なぜなら犯人は君だから。ホワイダニットはどうでもいい。なぜなら僕は興味がないから。ハウダニットは後回しでいい。なぜならこの学園の全ては監視されてるから。ゆえに、肝心なのはウェアダニット。それさえ分かれば、事件の真相はカメラが捉えてるからね」
面倒そうにつらつらと
「……フーン?」
どうやらこの教師は、これから起きる事件の現場がカメラに写ってさえいれば、簡単に謎なんて解けるとこちらを侮っているらしい。
安楽椅子探偵という言葉はあるが、ここまで自信過剰な安楽椅子探偵も珍しいだろう。
しかし、と
ここでもう一つ自分がアクションを起こせば、
「やれやれ、しっかたないなあ。じゃあ今回は特別大サービスしちゃおっかな?」
「はあ?」
言うが早いか、
右下に表示されているカメラの名称は『2年B組』。本来であれば、
映像の中では数学教師の中戸が、黒板に数式を書いて説明していた。彼はあまり字が綺麗なほうではないようで、癖の強い文字を読み取ろうと生徒たちは四苦八苦しているようだ。
――不意に、画面の右端に何かが映り込む。ゆらゆらと揺れる黒いローブをまとった怪しい人影だ。
生徒のうち、数名がそれに気付いて、徐々に教室はざわめきはじめる。その人影を指さしてささやきあったり、わざわざ眼鏡を外して確認する生徒もいる。
「……せーんせっ!」
「うわっ」
食い入るようにその映像を見ていた
「ほら、答えてみなよ、せんせ。ウェアダニットはもうここにある。さて――
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