第16話 『とある赤ちゃん編集者が叫びたい校正のこと』 海橋祐子さん

〇作品 『とある赤ちゃん編集者が叫びたい校正のこと』

  https://kakuyomu.jp/works/1177354054897677895

 

〇作者 海橋祐子さん


【ジャンル】

  エッセイ・ノンフィクション


【作品の状態】

 1,600程度の短編・完結済。


【セルフレイティング】

 なし。


【作品を見つけた経緯】

 カクヨムサーフィンしていて見つけました。


【ざっくりと内容説明】

 新人編集者の「校正」に対する悩みが書かれています。


【感想】

 作者の海橋祐子さんは、新人編集者さんです。


 編集者さんの仕事には色んな業務があると思いますが、今回作中で取り上げられているのは「校正」のことです。


「校正」という言葉。カクヨムさんで文章を投稿されている方や書籍化を夢見ていらっしゃる方の多くは、きっと一度は耳にしたことがあるかと思います。


「校正」とは、元々、作者さんが手書きで書いたものを校正刷り(=校正するために仮に刷った印刷物のこと。通称「ゲラ」)にした際に、誤植がないか、文字の大きさは問題ないか、不要なスペースが入っていないかなどを確認することでした。

 つまり、手書きの原稿を、正しく印字されているかどうかを確認することが主だったんです。


 しかし、書き手がPCで原稿を書くようになってからは、「校正」は「校閲」という言葉と相違なく使われるようになってきました。


「校閲」とは「原稿・印刷物などの不備や誤りを調べ正すこと」(『明鏡国語辞典 第三版』より)。


 自分が書いたものを出版するとなったら、「校閲」を通し、誤字・脱字・衍字えんじの指摘や言葉の使い方の確認はもちろん、実際の場所をモデルにしていたらその事実確認や、もっと踏み込むときはキャラクターの言動などについても疑問を投げかけられることもあります。


 ただ、『とある赤ちゃん編集者が叫びたい校正のこと』はそこまでは踏み込まず、誤字・脱字・衍字えんじの指摘や言葉の使い方の確認までをされているのかな、と読んでいて思いました。

(出版社によっては、「校正」は「誤字・脱字・衍字えんじ・表記ゆれ・文法上の問題点だけ指摘する」、「校閲」は「事実確認・情報の相違がないかの確認などの確認作業を行う」としている場合もあります)


 さて。

 何故編集者である海橋さんが「校正のことで叫びたいのか」というと、SNSで次のような言葉を目にしたからだと言います。

「こんな文が世の中に出るなんておかしい」(『とある赤ちゃん編集者が叫びたい校正のこと』より引用)というもの。さらに「編集者が無能であるから」とも書かれていたのです。


 痛い所をかれた海橋さんですが、一方でこう叫びます。


「それは編集者だけのせいではない!」と。


 海橋さんの気持ちはよく分かります。そして私自身、癖のある読みにくい文章を書いている自覚があるので耳が痛いです……。

 そしてこれがとても難しく、簡単に解決できない問題でもあるのです。


「おかしい文章」についてですが、確かに、校正(校閲)をすり抜けてしまった可能性はないとは言えません。

 しかし、校正(校閲)で文章の根本まで直すのは、海橋さんがおっしゃるように、とても難しいことです。


 私は校正(校閲)のことを学んだことがあるのでよく分かるのですが、どんなに校正(校閲)者が赤を入れて正しさを主張しても、作者さんが受け入れなかったらそれまでです。


 何故なら、その作品は作者さんのものだから。校正(校閲)側は、指摘や提案はできますが、それを受け入れるのは作者さん次第。だからこそ、作品の責任は作者さんにあるとも言えます。


 少し話が逸れますが、近年、カクヨムなどの媒体から書籍化作家になる方も多く、チャンスが広がった一方で、書き手の言葉に対する向き合い方が不十分だと感じることが多くなりました。(偉そうですみません……)


 最近読んだラノベは、内容は面白かったのですが、しっかり読むと「うん?」と首をかしげるような表現や描写、表記ゆれや誤字が多くみられました。残念ながら、文章の質の低さは否めません。


 しかし、そのラノベは重版もされている人気作品です。もしかすると読み手も、それほど気にならなくなってきているのかなと、読んでいて思いました。


 また先月のことですが、カクヨムで投稿されている創作論に、誤って使いがちな日本語について書いていらっしゃる方をお見かけしました。


 どんなことを取り上げているのかなと読んでみたのですが、信憑性に欠けますし(何をもってそういっているのかが分からないのです)、さらっと見ただけでも怪しいところがちらほら……。辞書で調べてみたところ、やはり誤って提示しているものが幾つかありました。


 しかし、読み手の方は気づかれていなくて、素直に「気をつけます」とおっしゃっているんです。さらに驚いたのは、カクヨムから書籍化された作家さんが、その誤りのある創作論を「すばらしい」と絶賛されていたこと。

 私は「それでいいのだろうか……」と、もやもやとした気持ちにさせられました。


 その創作論に直接何かを言うつもりは毛頭ないですし、読み手の方が何を信じるのかは自由です。


 しかし、地道に辞書を引いて調べれば分かることをせずに、こういう罠にはまってしまう書き手が沢山いることは残念ですし、「日本語」という言葉で作り上げられた作品の質が落ちることにもなるのではないかと憂慮ゆうりょしています。


 ただその一方で、最近の出版社は、「書き手を育てる」ことをしていないのも問題になっていると聞きます。本当のところは分かりませんが、ある作家の「小説の書き方」の本にそういう話が載っていました。


 しかし、「出版社が書き手を育てる」ことに力を入れすぎると、アマチュアの書き手が書籍化されるチャンスも減るような気もします。難しいですね……。


 特別いい文章を書かなくても(時にはおかしいと思われても)、物語性があれば書籍化がされる時代なのかな……と思うのですが、できれば物語を書く人には、書かない人よりも言葉や文章のことについて考えてほしいなと思ったお話(編集者さんの心の声)でした。(私も人のことは言えないですが……)


 やはりいい文章で書かれた物語性のある作品を読んで、読者の方に楽しんでもらえたほうが、日本の文学の質もあがるのではないかなと思います。


 今日は『とある赤ちゃん編集者が叫びたい校正のこと』をご紹介しました。

 それでは次回、またお会いしましょう。



*2023.9.4 読者の方に誤解して捉えていると思われる方がいらっしゃいましたので、一部修正いたしました。

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