第5話 『おとうと』 柊圭介さん

〇作品 『おとうと』

 https://kakuyomu.jp/works/16817330650675551877

 

〇作者 柊圭介さん


【ジャンル】

 現代ドラマ


【作品の状態】

 1万字の短編・完結済。


【コンテスト受賞】

 カクヨムWeb小説短編賞2022 エンタメ短編小説部門「はてなインターネット文学特別賞」受賞作品。


【セルフレイティング】

 なし。


【作品を見つけた経緯】

 柊さんの作品はこれまでも読んだことがあり、この作品もどんな話だろうと気になったので読んでみることにしました。


【あらすじ】

 主人公の神崎真二郎は、その日同僚と共に飲んでいました。飲み会の理由は、真二郎の昇進を祝うため。二次会が終わり、もうお開きになるかと思えば「もう一軒行こう!」という同僚たち。


 真二郎には小さい娘もいるし、妻が身重ということもあって帰りたかったのですが、自分の昇進を祝ってくれる彼らに断るのも言いづらく、三件目に行くことになります。その店というのが「おかまバー」。さらに行きたくなくなる真二郎。


 ですが、やっぱり断ることはできず、そのまま同僚に勧められたバーへ行くことになります。

 店の名前は「バー・ジュモー」。入るとそこには女装をした男が出迎えてくれるのですが、真二郎はその姿に寒気を覚えます。しかし、話をしているうちにさらに背筋が凍るようなことに気づくのです。

 その女装をした男と言うのが、十五年前、二十一歳のときに家を出て行った真二郎の双子の兄・礼一郎だったのです。


 さて、双子の予期せぬ再会には、どんな結末が待っているのでしょうか。



【感想】(ネタバレしている上に私の勝手な解釈がついています。お気をつけください)

 この作品は何度か読んだのですが、結末が分かっていても心に迫るものがあります。


 カクヨムコンの短編のため、一万字ピッタリにしたためられた作品。

 読んでみると、一万字という制限のなかで、物語に登場する双子の現状や心境を、読者が推察できるようギリギリまで表現をそぎ落としつつも、一つひとつの言葉を丁寧に、でもどこか慎重に置いていっているのを感じました。


 さて、この作品は双子の話です。

 双子ゆえに苦しめられ、双子ゆえに救われる――私はそんな風に感じました。


 まず、双子というのは、兄弟だけれども、兄弟とは違う「時間の距離感」があるのかなと、この作品を読んでいて思いました。


 母親のお腹のなかで同じ時間一緒に成長し、同じときにこの世界に生まれ出る「双子」。

 もし一年でも差があって生まれていたら、その分「時間の距離」があります。でも双子は生まれる瞬間の時間にほとんど差がありません。『おとうと』でも「たった二分の差で生まれた」ということが書かれています。

 この時間の距離感がほぼないことで、「双子」とは「似ているもの」という前提が人々のなかにあり、そのために「違い」が目立って見えるのかなと読んでいて思いました。


 礼一郎と真二郎は二卵性双生児なので、一卵性双生児とは違って見た目もあまり似ていません。そのため、周囲は同時に生を受けた二人を見て、「何故似ていないの?」とうんざりするほど問われてしまうわけです。


 周りはこんな感じで二人が似ていないことを興味本位で問うてくるわけですが、第2話で、真二郎は「似ているとか似ていないとかはどうでもよかった」と心の内を吐露しています。彼にとっては礼一郎は「特別な片割れ」。だから周りから「似ていない」と言われても、気にしていませんでした。


 しかし彼らが成長するにつれて、好むものや趣味なども変わっていきます。そして体格も。その上、礼一郎がゲイであることに気づいてしまう。

 これは真二郎にとってかなりの衝撃だったのだと思います。似ていなくても良かったのは、理解の範疇はんちゅうを越えなかったからであって、それを越えられた途端に、「特別な片割れ」は、得体の知れない者が傍にあるような感覚になったのかなと。


 これが年の離れた兄弟ならば「時間の距離」があるので、「違い」があっても納得できるものがあるのかもしれませんが、双子だったがゆえに真二郎は納得できなかったのかなと、私は思います。


 それがはっきりと分かるのは、第3話に出て来る「大学四年にしてまだめぼしい就職先がなかった。父の伝手ですでに関連会社に決まりかけていた兄とは歴然と差がつけられていた」(『おとうと』より引用)という真二郎の言葉。


「双子なのに何故似ていないの?」という周囲の言葉に対して、「似ているかどうかは気にしない」と言っていたのに、比べられると酷く困惑する彼の様子が描かれています。


 多分、真二郎のなかでの「双子」というのは、「同じ立ち位置にいるべき」ということだったのだろうと思います。でも、片方ができていて、片方ができていない。しかもできないほうが「『弟』と言われている自分である」ということに、劣等感を抱いたのでしょう。

「たった二分の差で生まれた」だけなのに、礼一郎との差は大きくなっていくばかりです。


 そして真二郎はその鬱憤うっぷんを晴らすために、ちょっとした出来心で兄を困らせます。これが礼一郎にとっては、爆弾を投げ込まれたようなとんでもない出来事になり、家を出て行ってしまうのですが……。


 大人の兄弟喧嘩というのは修復できなくなることもありますが、礼一郎と真二郎はそこまでではありませんでした。

  真二郎は、兄のなかに母親の面影があることに気づきますし、礼一郎に至っては、店の名前にフランス語で「双子」を意味する「ジュモー(jumeau)」を入れていた時点で、真二郎がしたことを許そうと思っていたように思いました。また、自分のことを理解されなくても、「弟のことを大切に思っているよ」と、そういうメッセージが込められているように感じます。


 まるで感情のジェットコースターに乗ったかのように悲しくなったり、衝撃を受けたり、「ど、どうなるんだ……⁉」と手に汗握るような内容になっていますが、最後は「ゆきどけ」というエピソードタイトルらしく、春の訪れのように暖かないいお話になっています。

 気になった方は是非読んでみてください。あっさりとした文章のなかに、奥深いものがあります。


 今日は『おとうと』をご紹介しました。

 それでは次回、またお会いしましょう。

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