第5話(終) くだらない勇気

 亮は真帆の手を掴むと、駆け出した。

 とにかく逃げるしかない。

 だが、背後から追いかけてくる気配を感じる。

 魔縁だ。

 決して速い訳ではないが疲れを知らないように、一定の距離を保ったまま追ってくる。

 亮は、走り続ける。

 体力に自信はあるが、相手は疲労を感じないらしい。

 このままだと追いつかれるのは時間の問題だった。

 二人は、木々の間を縫うようにして走る。

 速度としては山登りに慣れている真帆の方が早いが、足場が悪いため全力で走れないのだ。

 それでも何とか、斜面を下って平地まで降りることができた。

 しかし、そこで二人は立ち止まる。

 周囲を見渡せば、そこは崖だった。

 二人は、追い詰められたのだ。

 後ろを振り返ると、魔縁は一定の速度を保って近づいてくる。

 その姿は、徐々に大きくなっていく。

 亮は、真帆に話しかける。

 その声は、恐怖によって震えていた。

 彼は、今までの人生で最大の恐怖を感じていた。

 それは得体の知れない化け物に対する恐怖だ。

「僕が時間を稼ぐから、君は急いで逃げるんだ!」

 亮は、真帆に向かって叫び、アウトドアナイフを抜く。刃渡り100mm程のフォールディングナイフだが、武器になる物としてはこれしかなかった。

 亮は、覚悟を決める。

 ここで自分が食い止めなければ、真帆は殺されるだろう。

 それだけは、絶対に避けなければならない。

 亮は、真帆を守るために戦うことを決意する。

「何くだらない勇気を出してるのよ! 二人で生き残る方法を考えなさい」

 真帆は、亮の行動に激怒した。彼女は、自分の為に誰かを犠牲にすることだけは嫌なのだ。

 二人は必死になって打開策を考える。

 だが、何も思い浮かばなかった。

 気がつけば魔縁は、二人の眼前に迫っている。

 もう逃げ場はない。

 その時、突然、魔縁の姿が消えた。

 まるで霧のように、その姿が掻き消えてしまったのだ。

 二人は、驚き戸惑う。

 すると、頭上から魔縁が落ちてきた。奇声を発している。

 亮の背中に嫌な汗がガマの油のように流れる。

 魔縁は亮に覆い被さり地に押し付ける。

 亮は左腕で魔縁の喉を押さえて噛み付きを防ぐが、魔縁の鋭い爪は亮の肩に突き刺さった。

 その痛みに亮の顔が歪む。

 必死に抵抗するが、魔縁の力が強く振りほどけない。

 亮の顔に、魔縁の唾液がかかる。

 その感触は、まるで獣に喰われているようであり、吐き気を催すような嫌悪感があった。

 亮はナイフを魔縁の脇腹に突き立てるが、魔縁は意に介さない。

 まともに突き刺さりもしていないのだ。

 それどころか、魔縁は亮の左肩に爪を立てる。

 激痛が全身を走り抜ける。

 あまりの苦痛に意識が飛びそうになる。

「クソ!」

 亮は叫ぶ。

 そこへ真帆は、ペンダントを引きちぎり投げつける。

 それは魔縁を直撃し、緑色の光を放った。

 魔縁は、苦しそうにもがき始める。

 亮は、覆いかぶさる魔縁との腹の間に脚を入れると、蹴り上げた。

 巴投げの要領で、魔縁を亮は自分の頭上へと持ち上げた。

 そして、そのまま崖下へと魔縁を落とす。

 暗い虚空へと、魔縁は消えていった。

「亮!」

 真帆が、心配そうな表情で駆け寄ってきた。

 亮は、左肩の傷口を手で押さえて止血する。

 出血は止まらず、地面に赤い染みを作る。

 真帆はザックからタオルと紐を使い止血を行う。応急処置が終わると、二人は下山することにした。

「君が投げつけた、アレは何なんだ?」

 亮は、疑問を口にした。

 魔縁を退けたのは、あの石のおかげだ。

 あれには何か秘密があるのだろうか。

 亮の問いに、真帆は答える。

翡翠ひすいよ。古くから《奇跡の石》と呼ばれ、様々な民族に魔除けやお守りとされ、珍重されてきたの。災いや不運から身を守るとされ、冷静さや落ち着きをもたらしてくれるので、自ら災害に巻き込まれることも防いでくれるって言われているの。もしかしたらと思ったけど、効いて良かったわ」

 真帆は、心底ホッとした様子だ。

 もし、魔縁が真帆の投げた石の効果を受けていなかったら、今頃、二人はどうなっていたことか。

 亮は、改めて真帆に感謝した。

 

 ◆


 二人は、無事に山を下りることができた。

 この件に関して、不老長寿の謎を推察することはできたが、確証を得ることはできなかった。

 また、村の秘密を暴くこともできたが、それを公にするのは危険だと判断した。

「結局の所。不老長寿なんて無かったのか」

 亮は苦笑しながら言う。

 真帆は残念な気持ちだった。

 しかし、その答えを聞いて真帆は満足げな顔をしていた。

「そうね。でも得るものはあったわ」

 亮は首を傾げる。

「シュリーマンはトロイアが伝説上の都市ではなく実在すると信じ、それを証明した。

 そして、私は不老長寿を信じた。それが全てよ。真実かどうか確かめることだけが重要なんじゃない。信じることは、とても大切な事なのよ。だから、私にとっては大収穫だったわ」

 それは、真帆の決意表明だった。

 彼女の研究に対する姿勢である。

 今回の出来事を通して、彼女は自らの探求心に火がついたのだ。

 亮は、そんな真帆の姿に感動を覚えていた。

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