泣いた赤尾記者
むかしむかし、とある新聞社の経済部に
「俺たちが一体何した⁉︎」
担当して1ヶ月。この日、赤尾は荒れていました。鬼の形相。顔を朱に染めて、猪口を握り締めています。実は担当企業で最も大きいサムライ電機への挨拶をまたも断られたのです。
前任が昨年、他社もビックリなフライング報道をしたことで社長が激怒。それ以来、ずっと出禁です。
「俺に妙案がある」
眼前の青木が赤尾の猪口に日本酒を注ぎながら、切り出したのはその時です。
「いいかい、赤尾。総合電機担当は2人いるんだ。俺がヒール、君がヒーローになれば良いのさ」
青木は下唇を舐めると、策士そのものの顔で作戦を説明し始めました。
翌日から作戦は実行されました。
青木は証券畑が長く、3年間のニューヨーク駐在も経験しています。一体、何をウォール街で学んできたのでしょう? エッジの効き過ぎた株価分析でサムライ電機を痛烈批判します。
一方の赤尾はヨイショヨイショ。新商品を褒めちぎったり、取材もできていない社長を「プロ経営者」ともてはやします。
サムライ電機社長はこれまで、朝回りをしても一切無視でした。ですが、赤尾と少しずつ話してくれるようになりました。
「俺も本当は手打ちする機会をうかがっていたんだ」
出勤のハイヤーに初めて同乗させてくれた際には、そんな本音まで吐露してくれました。一方──。
「それにしても、あの青木とかいうバカ記者は許せねぇな」
青木に対しては容赦がありません。
ズキン──。その言葉を言われる度、赤尾の胸は鋭利な刃物で刺されたように痛みました。
「はい……私も同意見です」
嘘をつき続ける度、赤尾は思うのです。
──これで本当に良かったのか?
6月中旬、赤尾はサムライ電機社長の情報提供もあって、別企業の巨額買収ネタを報じます。正真正銘の特ダネです。編集局長賞までもらい、社内で英雄視されるようになりました。
ですが、これは「ワンフォーオール オールフォーワン」の精神で、青木がヒール役を演じてくれたからこその栄光です。
本来、賞賛されるべき青木の名は社内史に刻まれなかったのです。
──俺はヒーローじゃない。本当のヒーローは青木だ。
その思いは日に日に強くなっていきます。
時を同じくして、何だか青木の態度がよそよそしくなってきました。赤尾とすれ違っても視線すら合わせません。
阿吽の呼吸の如く、今までは一心同体でした。ですが、今は青木の考えていることが良く分かりません。
最近、夢に出てくるのは大学のラグビー部時代の青木との日々です。寮の部屋も同じ。文字通り、寝食をともにして、泣いて笑って過ごした泥臭い青春でした。
──また、いつかあの頃の関係に戻りたい。
そんな願望を胸に抱いて、過ごしていた6月下旬。赤尾は衝撃の事実を知ります。
なんと青木が8月末をもって、会社を辞めるというのです。有休消化で、もう会社にも来ないそうです。
「嘘だろ……」
赤尾はしばし呆然とします。
連絡してみますが音信不通です。家も訪ねてみましたが、既に空室でした。
──青木、お前は一体どこに……。
暑さ寒さも彼岸までの格言通り、過ごしやすい日が続いていた9月下旬。赤尾の自宅に一通の手紙が届きます。
なんと青木からのエアメールでした。
荒々しく封を切ると、赤尾は貪るように読み始めました。
<赤尾、お元気ですか。君がサムライ電機と仲良くなれて何よりです。ですが、このまま同じ担当を続けていたら、遅かれ早かれ、僕らの関係はバレてしまう。だから、僕は記者を辞めて、コンサルに転職することにしました。君の活躍、紙面で引き続き拝見させていただきます。さようなら、マイヒーロー。>
読み終えた瞬間、赤尾の手は小刻みに震えていました。視界がぼやけて、ポタポタと手紙に涙の雫が落ちました。膝までもガクガクと震えて、その場に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくりました。
それから嗚咽混じりに叫びました。
「青木……俺はサムライ電機と仲良くなりたかったんじゃない。君と一緒に……記者を続けたかったんだ」
不意にBGMと化していた蝉の鳴き声まで止まります。視線を向けた窓の外で、1匹の蝉が木から落ちて、夏の終わりを告げるようにその生命を終えました。
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