阪神の虎

 むかしむかし、とある新聞社に、寺野一久てらの・かずひさという、大変頭の切れる新人記者がいました。その評判は、不夜城と称される新聞社の社長の耳にも届きました。


「大変優秀な記者であるという一久をこの社長室に連れて参れ」


 社長はさっそく子飼いの秘書室長に命じました。


 秘書室長に連れられて、本社ビル最上階の社長室に初めて来た一久さんは思わず目を細めます。驚くほど金ピカで豪奢な空間です。とても発行部数が右肩下がりで、業績不振に喘いでいる会社とは思えません。部屋の四方は、社長が熱狂的なファンであるという阪神タイガースのグッズで埋め尽くされています。


 壁の大きな球団旗の横には、バース、掛布、岡田の伝説のバックスクリーン3連発の大きな写真も飾られています。さながら1985年のあの栄光の時代で、時が止まってしまったかのようです。昭和の香りがプンプンするこの部屋に、一久は思わず顔をしかめます。


「おお、よく来たのぉ一久よ。早速だが、ワシの頼みを聞いてくれ」


 労いの言葉もそこそこに社長は切り出します。


「実はのぉ……ウチも他の新聞社のように球団が欲しいのじゃ」


 その言葉に、一久の片眉がピクリと上がります。

 一久の新聞社はプロ野球運営はおろか、春夏の甲子園大会の後援すらしていません。スポーツ事業すらもしていません。


 ──それなのに何故?


 社長曰く「パーティに行くたび、自慢することもなく、大変悔しい思いをしてきた」とのことです。


「おぬしは院にて金融工学を学んだプロフェッショナルと聞いておる。どうにかして我が社も球団を持つ方法はないか? スキームを考えてくれぬか?」


 チラリと壁のタイガースの球団旗に視線を這わせてから、社長は上目遣いで問います。


「分かりました! その願い、この一久めが引き受けましょう!」


 一久は快諾します。そして、腕まくりをして社長に言いました。


「それでは早速、買収資金を用意してください。社債では発行条件が厳しくなるため、事務主幹事も難色を示すでしょう。ですので、全額、銀行借入での調達をお願いします!」


 それを聞いた社長は、思わず大きな声を出しました。


「な、何を言うか? 今にも財務制限条項に抵触しそうな我が社に銀行が融資してくれるはずがないだろう。無理じゃ」


 それを聞いた社長は、大きな声で反論しました。

 一久さんは、にっこり笑みで返します。


「そうです社長。無い袖は振れないのです。無理なのです。夢は見るくらいが丁度いいんです」


「うぅぅ」


 長年の夢が潰えた社長は項垂れています。

 そんな社長をまっすぐ見つめながら、一久は進言します。


「社長は、もっと身の丈にあった経営をすべきです」


 新人記者による社長批判とも取れる発言。緊張と沈黙が社長室を支配しています。傍の秘書室長は今や、顔面蒼白。ビクビクと全身を震わせています。


 しばらくして社長は「ふー」と大きく嘆息します。

 それからニヤリと口角を上げて、一久に言います。


「ワシに直言するとは……。一久よ、あっぱれじゃ! よし、褒美をやろう!」


 そう言って、懐に忍ばせていた金一封を取り出して、渡してきます。

 先ほどの一久の直言が全く響いておりません。

 一久は深々とお辞儀をして丁重に断ります。

 それから大きく嘆息し、決意を秘めた目で言います。


「社長、会社を私物化しないでください。あと主筆でもあるのですから、毎日ベタくらいの出稿はしてください」


 それだけ言うと、呆気に取られる社長を置き去りして、一久は部屋を辞去します。すぐに転職サイトに登録しましたとさ。


 めでたしめでたし。

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