第30話 親が子に手をあげるのか!?

 試験を終えて、土日で風邪を治した俺は、テストの返却を項垂れて待っていた。

 一枚、また一枚と返却されていく問題用紙。

 そのほとんどが90点以上だが、古文のテストだけは70点。

 あの日あのとき、問題を解いている途中で倒れた。

 一応採点はしてくれたらしく、途中での点数だが70点をとることには成功した。

 しかし、これでは一位をとるのは難しいだろう。

「今回のテストは成績が悪かったな。平均点は57点だ」

 赤点ギリギリの同級生も多い。

 それだけ難しかったということだろう。

 三日かけて返却されたテストはどれも90点代。古文を除いて。

「やっぱ、すごい奴だよ。お前は」

 ポンッと肩を叩く大河。

「だと思った。信じていたよ」

 微笑ましいものを見るような綾崎。

「これで噂を信じるものもいなくなった……」

《運動も勉強もできて、しかもあの色恋さんと龍王子さんと仲良くなったって》

《そうそう。色恋さんとテスト中にイチャイチャしていたって》

《それってもしかして噂どおりの話じゃない?》

《冷蔵庫くん、もしかして本当にすごい人なのかな?》

 なんだか噂がこじれている気がする。

 大丈夫なのか? 俺。

 しかし、なんで勉強ができることになっているだ?

 俺は疑問を覚えながらも、掲示板を見やる。

 いつも通り龍王子が一位だろう。

 そう思って見ていたが、龍王子の文字が見当たらない。

 そしてなんと、

「俺、が一位……?」

「よ。龍王子さんは二日目から風邪で休んでいたからな」

 疑問を解消する声が背中からかけられる。

「本当か? 大河」

「ああ。ひどい夏風邪だって」

 風邪。

 もしかして俺の風邪をうつした!?

 俺は慌ててそのまま下駄箱に向かう。

「お、おい。赤井!」

「どうした? 赤井」

 大河と綾崎が怪訝な顔で俺を見やる。

「ごめん。でも俺、行かなくちゃ」

「……決めたんだな。行けよ」

「ありがとう」

 俺が慌ててアパートの205号室に向かう。

 チャイムを鳴らすと、遅まきに龍王子が玄関を開ける。

「タケルくん?」

「何しているんだよ。お前」

「え。いや……」

 俺は玄関のドアに足を滑り込ませて、口を開く。

「お前、俺の風邪がうつって病欠していたんだろ? そんなの俺のせいだろ!」

「そんなことないです。わたしがやりたいからやっただけです」

 ふるふると力なく首を振る。

「そんなんだから!」

 俺は怒りを覚えて台所に向かう。

 カップ麺がいくつか見える。

「まさか、これが主食じゃないよな?」

「……ええと。ははは」

 乾いた笑みを浮かべる龍王子。

 こいつは人の事は心配するクセに。

「今、料理してやる。少し待て」

「うん。ありがとうございます」

 やけにしおらしい態度をとる龍王子。

 それがなんだか悲しく思えて仕方なかった。

 チャイムの音がまた鳴る。

 龍王子が玄関先に向かい、扉を開ける。

 そこには妙齢の男性が一人。

 ピシッとしたスーツ姿に、ビジネス鞄。ジェントルマンと言った様子。

紗倉さくら。もう帰るぞ」

「いや。わたし、まだ頑張れる」

「何を言っている。父さんの言うことが聞けないのか!?」

「お父さん……?」

 俺がつい言葉を零してしまった。

「なんだね。キミは? うちの紗倉とどういう関係だ!」

 厳しくまるで詰問するかのように詰め寄る。

「タケルくんは関係ない。帰って。お父さん!」

 熱のある龍王子が、目を潤ませて声を上げる。

「どうもこうも、俺の彼女です!」

 嘘である。

 虚勢を張った。

「付き合っているという気か!?」

 龍王子父はかなり厳しい人なのか、声を張り上げる。

「はい」

「じゃあ、紗倉が一人暮らしをしていい決まりも知っているのだな?」

「決まり……?」

 そんなのは初耳だ。

 じーっと龍王子に向き直る。

「えと。その……」

「言っていないのか」

 龍王子父は落胆したように呟く。

「じゃあ、キミはそんな彼女のことも知らずに付き合っているということか?」

「え」

「そんな薄っぺらい関係に何の意味がある?」

「ぅぐ……!」

 確かにこの間まで全然知らない間柄だった。

 ただ龍王子は有名だったが、俺は何も知らなかったのだ。

 可愛く笑うことも、拗ねることも。

 怒る顔だって、友達ができて喜ぶ姿だって。

 ずっとずっと見てきた。

 だから、俺はここに来た。ここにいる。

 でもそれが俺の一方的な思い込みだったら?

 その可能性に至り、さーっと血の気が引いていくのを感じ取る。

「紗倉はテストで一位をとり続けることを条件に一人暮らしをさせていたんだ」

「え……」

 それじゃあ、俺のしたことって……。

「さ、帰るぞ。紗倉」

「いや、離して!」

「娘さん、嫌がっているじゃないですか!?」

「そうしたのはキミだろう。キミの愚かな行いのせいだ。この害獣め!」

 そんな。そんな言い方しなくても。

 俺は涙が溢れてきそうになる。

 龍王子は必死で頑張ったのだ。

 俺がいなければいつまでもテストで一位をとっていただろう。

 俺が風邪をうつさなければ――。

「彼女は風邪を引いているのです。ここで休養させたい!」

「なんだと! 自己管理もできなくなったか! このバカ娘!」

 ショックだった。

 自分の子どもの体調は聞かないのか。

 それをバカにするような言い回し。

 親として、どうしてそこまで冷たくなれるんだ。

 龍王子はこんなにも暖かい熱をもっているというのに。

 俺は龍王子の袖を引き、呼び止める。

「彼女が本気を出せば一位をとれる。バカにするのは止めて頂きたい」

「毒されおって。だから恋愛などにうつつを抜かすなど!」

 龍王子父は血走った目でこちらを睨む。

 ぱんっと頬を叩く音が響く。

「この! 龍王子に何しているんだよ!」

 俺は龍王子父の手をつかむ。

「……っ!」

 手をあげてしまったことに驚きを隠せない龍王子父。

「親が子に手をあげるのか!?」

 俺がそう問いただすと、分が悪くなったと思ったのか、血相を変えて飛び出す父。

「大丈夫か? 龍王子」

 俺はその場にへたり込む龍王子に手を差しのばす。

 その手を払いのけて立ち上がる龍王子。

「少し、一人にしてください」

 髪で顔を隠すように呟く龍王子。

「で、でも……!」

「一人にしてください」

 語気を荒げる様子を見て、俺は引き下がることを決めた。

「分かった。でもなにかあったら相談してくれ」

 それだけを言い残し、俺は自分の部屋に戻る。

 勢いで彼女とか言ってしまったが、それに怒っているのだろうか?

 いや違うよな。あの場ではあれが最善だった…………と思う。

 思いたい。

 そっか。

 俺はそう思いたい、と逃げてばかりいた。

 本音を聞こうともしなかった。

 彼女の気持ちを考えずにバカみたいに一人で頑張っていた。

 誰の言葉も聞こうとはしていなかった。

 なんてバカなんだ、俺は。

「ただいま。ってお兄ちゃん。どうしたの!?」

 慌てて駆け寄ってくる佐里。

「俺、かっこ悪いよな。なんにも分かっていなかった」

 最初から、彼女に惚れていたのだ。

 それすら分からずに、突き進んでいた。

 彼女の抱えているものも知らずに。

 いや聞こうともしなかった。

「何言っているの。お兄ちゃん」

 ふるふると首を横に振る佐里。

「ワタシは、ワタシはそんなお兄ちゃんが好きなった。みんなもきっとそう。だから自分を悪いなんて責めないで。いつまでも格好いいお兄ちゃんでいて」

「龍王子を守れなかった。それなのに格好いいなんて……」

 言えるはずがない。

「ワタシはそんなお兄ちゃんが好きで好きでたまらない――」

「家族だも」

「だってワタシは異性としてお兄ちゃんを好きになったんだから」


 あの日あのとき。

 暴走したトラックを目の前にしていなかったらこんなに好きになることはなかった。

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