第27話 勉強はなんのため?

 翌日。

 月曜日。

 俺たちの戦いが今、始まろうとしている。

 六月に入り、湿り気の多い季節。

 その中で教室という豚小屋に詰め込まれ、ひたすら問題を解かせる苦行――いや過酷なまでの労働。

 すなわち、それは中間テストである。

 まあ、一年のこの時期から意識する者は少ない。

 少ないが――。

 俺の場合は八股疑惑を解決すべく、良き成績を収める必要がある。

 そうでなければ、俺たちはみんなバッドエンドだ。

 だから、俺は今回満点をとるため当日を迎えた。

 これは教師陣へのアピールにもなる。

 嫌な噂を吹き飛ばすにはちょうど良い。

 問題用紙と向き合い、俺は熟考しつつ答えていく。

 みるみるうちに黒くなっていく問題紙。

 一時限目を終えると、色恋さんがげっそりした様子で机に突っ伏していた。

 その二つ前で龍王子がニコニコと笑顔を見せている。

 そういえば龍王子はいつも一位をとっていたな。

 あいつに勝てねば俺に居場所はない。

 まあ、笑っているがいいさ。俺が一位を頂くけどな。


 ゴロゴロと雷鳴がなり始め、稲光を轟かせる。

「降ってきたな。気をつけて帰れよ」

 先生がそう言い、俺は下駄箱で立ち尽くす。

 夕立。

 というよりもゲリラ豪雨というべきか。

 ともかく俺は悩んでいた。

 一応、折りたたみ傘はある。

 が、

「ほい。色恋さん」

 そう言って素早く傘を渡すと、俺は走って帰る。

 傘は一本しかない。その傘を困っていた色恋さんにわたし、一人雨の中を突き進む。

 十五分の道のりを走りきると、俺は201号室のドアを開ける。

 と、そこで佐里が驚いた様子で駆け寄ってくる。

「どうしたの!? お兄ちゃん」

「ああ。突然の雷雨でな」

「え。でも傘持っていったよね? 慎重なお兄ちゃんなら持っていっているでしょ?」

「あー。なくした」

「もう、お兄ちゃんは! お風呂に入って暖まって」

 そう言ってお風呂を入れ始める佐里。

 しかし一人暮らしの時にはこういったことをしてくれる相手がいなかった。

 最初の一ヶ月だけで、あとは佐里が来たけど。

 だからこそ分かる。

 こういった存在がどれほど嬉しいのか。

 俺は裸になってタオルで拭くと、シャワーを浴びる。

 ゆっくりと湯船に浸かる。

 疲れを吹き飛ばすためにもいいかもしれない。

 小さくため息を吐くと、お湯で顔を洗う。

 なんとなく落ち着いた。

 よし。今日も勉強頑張るぞ。

 気合いを入れ直し、上がろうとする。

 そこにガチャという音がなる。

「え?」

「お兄ちゃん、お背中流すね」

「い、いや、待て!」

 俺は慌てて浴槽に身体を隠す。

 主に下半身を。

「な、なにしにきたんだよ! 佐里」

「いいじゃない。ワタシ、あまりいい想い出ないんだもの。少しぐらい、ぐへへへ」

 俺の妹ってこんなにおかしかったっけ!?

「落ち着け。俺はこんなこと望んでいない!」

「え。そうなの? ラノベとかではよくあるじゃん」

「それを前提に話す時点でお前は空想フィクション現実リアルの区別ができていない!」

「ええ。じゃあ、どうしたらお兄ちゃんは喜ぶの?」

「あとで教えるから、出てくれ」

「わ、分かった」

 俺の必死すぎる声に引いていく佐里。

 ええと。喜ぶことを教えなくちゃならないのか……。

 とっさに出た言い訳だったが、背中を流してもらわなかったことが少し惜しいことをした気分になる。

 いや、待て。

 俺はそんなこと望んでいない。そのはずだ。

 義妹に手を出すほど、落ちぶれちゃいない。

 気持ちを切り替えて風呂を出る。

 そのあと、少し赤い顔をした佐里を見つめる。

「お兄ちゃん、夕食にしよ?」

「あー。まあ……」

 夕食を作り始めるが、一人分多めに作る。

「ちょっと出かけてくる」

「え。夕食は!?」

 佐里はびっくりしたようにこちらを見やる。

「先に食べててくれ」

 俺はタッパーにいれた煮物と、サラダを持って205号室のドアを叩く。

「なんですか? タケルくん」

「これ食べて」

「え。な、なんで?」

「その勉強で無理していないか、不安になったんだ。だから食べて欲しい」

「……うん。ありがと」

 龍王子は嬉しそうに目を細めて受け取る。

 うるうるとした瞳にしばらく呆けていた。

「じゃ、これで……」

 俺が立ち去ろうとすると、袖をつまむ龍王子。

「あっ!」

 自分でも驚いたのか、龍王子は顔を赤らめてうつむく。

「ごめん。まだ好きかどうかは分からないんだ」

「そう、ですか……」

 少し悲しそうな顔を浮かべる。

「でも、いいんです。わたし、待つって決めましたから」

「そうか……。また学校でな」

 気まずい空気が流れ、誤魔化すように手を挙げて立ち去る。

「はい。学校で」

 丁寧に会釈をしてドアを閉める龍王子。


「お兄ちゃん、遅い!」

「ごめんよ。さ、食べよう」

「む、なんだかワタシたち、食べ過ぎていない?」

「あー。それは思った。俺の料理が出過ぎていないかな」

 まるで紫色の料理が珍しいかのようにこの世界さくひんでは登場してくるが、もうみんな飽きているのではないだろうか。

 という独白が聞こえてきそうだ。

「今日は何をしていたの?」

 佐里は至福のときを味わいながらジト目を向けてくる。

 紫料理はおいしくいただけているみたいだ。

「そ、そんなことより、佐里のテストはどうだった?」

「ごまかすにしても酷い返しだね。お兄ちゃん」

「ははは。何を言うか。妹よ」

「妹はなしっていっつも言っているじゃん」

「そう言うなら《お兄ちゃん》もなしだろ」

「でも喜ぶでしょ?」

「まあ否めないが……」

 俺はたじたじになり追い詰められる。

「ま。今更だよね? お に い ちゃん?」

「はい。すみません」

 なんとなく負けた気になる俺。

「いいけどさぁ……」

 ブツブツと念仏を唱えるように顔をうつむかせる佐里。

「そんなに怒っていたら可愛い顔が台無しだぞ」

「〜〜ムカつく〜!」

 怒りを露わにして目を釣り上げる妹(決戦兵器仕様)。

 右手に持ったシャープペンが字を書く。

 問題集を解き始めたのだ。

 これぞ学生の本文。

 俺への当てこすり。

「わかった。勉強しような。佐里」

「お兄ちゃんのばか!」

 きっと色恋さんや龍王寺と会っていたこと、バレているんだろうな。

 自分から聴いたらやぶ蛇だと思うので言わないけどね。

「まったく。お兄ちゃんの様相ようそうていしていないんだから」

「なんでそんな言葉は知っているのに、国語は赤点付近なんだよ……」

 妹の学習能力に疑問を覚える俺。

「いいじゃない。ワタシは好きなことをして覚える派なの!」

 ぷりぷりと怒り出す佐里。

「それにしても……」

 問題を解いていくにつれて佐里の成績が上がっていく。

 地頭はさほど良くないが、学習する意欲が高い。

 そうした子は総じて勉強をうまくこなすことができる。

 日本の学校では自分で考える力よりもコピペのようなインプットとアウトプットが一致した、まるで暗記のような問題が多い。

 それが海外との差を生み、日本の学力低下に拍車をかけているのだが、それは後回し。

 逆に言えば考える力がなくても、記憶さえすれば、それなりの評価を得ることができる。

 それは妹の佐里にとっては好都合なシステムであった。

 覚えるだけなら反復練習でも十分、成績を上げられる。

 やり方を覚えるだけで、大学までは行けるだろう。

 ただし、大学に入れば頭脳をつかい、自分で考えなくてはいけない。

 それは下地になる知識がなければできないこと。

 その下地を作るのが高校までの教育なのかもしれない。

 しかし考える力を身につけなければ、大学にいっても挫折するだけだ。

 その練習も必要かもしれない。

 俺は佐里のために特殊な問題をいくつかピックアップして、勉強の糧にしてみる。

 それをすんなり受け入れる辺り、佐里も自分のためになると知っているのだ。

 そうして俺と佐里は夜遅くまで勉強するのだった。

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