第19話 勉強と恋心

「何があったんだ?」

 龍王子と水族館に行ってから翌日の月曜日。

 札原ふだはら高等学校の教室の一角。

 お昼休み。

 だらだらとしている生徒の中で、俺と大河、綾崎が机をくっつけて弁当や惣菜パンを広げているところだった。

 大河が唐突に質問してきたのだ。

「いや、何もないよ」

 そう言って弁当箱のふたを開ける。

「なに言ってんだ。僕からみてもおかしいと思うよ。その弁当の色」

「色……?」

 唐揚げが茶色である。サラダが緑色である。ポテトサラダが白である。

「いつもなら紫色だろ。テンション上がると赤色になるが……」

「そうか、俺、疲れているんだ……」

「なんだよ。自分のことなのに、そう言うなんて」

 大河は大きなため息を吐く。

「まあ、僕はあまり自分の体調って分からないときがあるものな」

 綾崎は納得した様子でうなずく。

「でも、今回おかしいのはお前だけじゃないぜ?」

 大河が怪訝な顔を見せる。

「そうだね。あの龍王子さんも困ったような顔ばかりしているね」

 龍王子と仲良くなるのを拒んだ。

 それだけのこと。

「そわそわした様子で何度もお前を見ていたから分かるわ」

「で? 何をしたのさ。きっと赤井の方が悪いに決まっているけど」

 大河と綾崎は何も知らない。

 知らないから、なんでも言えてしまう。

 人と人が分かりあうのに、良好な関係になれるのはとても難しいのだ。

 俺には仲良くできる自信がない。

 偽善の言葉に、心ない言葉に、傷つくのが嫌なんだ。

 元から目立つのが苦手なタイプだ。

 龍王子との偽の恋人になったとき、辛かった。

 もうごめんだ。

「何、バカなこと言っているんだ。俺と龍王子が釣り合う訳ないだろ」

 そんな言葉を投げつけると、ずきりと胸が痛んだ。

「赤井ならいけるって」

「……何か、あれば相談しろよ。僕たちは味方だ」

 大河と綾崎は暖かい。

 なんの事情も知らないのに、こうして寄り添ってくれている。

 それは本当にありがたいことだ。

「ありがとう」

「こいつ赤井じゃねーな」

「そうだね。こんな素直なのはおかしい」

「なんだと!?」

「そうそう。こんな感じ!」

「ぶっ飛ばすぞ! こんちくしょう」


 放課後になり、俺は帰り支度を整えていたとき。

「ぁ……」

「赤井くん。一緒に帰ろ?」

 龍王子が何かを言いかけて、それを遮るように色恋さんが前に出る。

「別にいいが。恋人と間違われても知らないぞ」

「いいじゃない。勘違いさせておけば」

「んだよ。それ」

 俺は渋々承諾すると、色恋さんと一緒に下校する。

「来週、中間試験があるね。赤井くんは勉強している?」

「ああ。それなりに、な」

 実を言うと、あまり勉強に集中できていなくもある。

 龍王子のことを少し思い出してしまう。

 もう関係ないはずなのに。

「じゃあ、勉強会、しようよ!」

 弾けるような笑顔で提案してくる色恋さん。

 その顔がまぶしくて、視線をそらしてしまう。

「何か予定でもあった?」

「……いや」

 断り切れない性格な俺が悪い。

 首肯してしまう。

「じゃ、行こ!」

 色恋さんは純粋に勉強をしたいんだな。

 だったら最大限、手伝いたい。

 それだけだ。

 ファミレスにたどり着くと、フライドポテトとドリンクバーを頼む。

 そして机に教科書や参考書を広げて、勉強を始める。

「なんか。こういうのって青春ぽくていいよね!」

「ん。そうだな。そうかもしれない」

 俺に青春なんて言葉は似合わない。

 でもそんな気もしている。この青臭い感じはあまり好きじゃない。

 鼻歌交じりに問題をすらすら解いていく色恋さん。

 俺と一緒に勉強する意味、あるのだろうか。

 そう思った矢先。

「だぁー。疲れた。そろそろ帰ろうか?」

 時間を見ると二時間も経っていた。

「ああ。そうだな」

 広げていたものを鞄にしまいだす。

「そんなに早く帰りたいんだ……」

「え?」

 どういうことだ? 帰りたいのは当たり前だろ?

「もう、赤井くんって分からず屋なんだね。そんなんだから紗倉ちゃんとぶつかるんだよ」

「!? そ、それは……」

「赤井くん、本気で気持ちが分からないの?」

 指をビシッと向けてくる色恋さん。

「分からないよ。人の考えていることなんて」

「……赤井くん」

「だから生きて行けるんだろ? 人の考えていることなんてろくな事じゃない!」

「赤井くん!!」

 咎めるように大きな声を上げる色恋さん。

「ごめん。帰るよ……」

「ワタシの言葉じゃ、足りない?」

「……」

 沈黙を返し、俺は立ち上がり、レジへ向かう。

「ちょっと待って。今日はおごりでいいから」

 慌てて追いかけてくる色恋さんを無視して会計を済ませる。

 男にかっこつけさせろよ。

 まあ、二度目があってもいいとは思った。だから払うのだ。

「赤井くん、バイトはしていないんでしょ?」

 会計を済ませると申し訳なさそうに訊ねてくる色恋さん。

「そういう色恋さんはバイトしているの?」

「うん。コンビニだけどね」

「そうか。俺もバイトするかな」

「ホント? 今、うちのコンビニで辞めた人いるから人手欲しいって。店長に相談してみるよ!」

「え。ああ。でもテストのあとがいいな」

「うん。分かった」

 色恋さんは外に出ると、元気よく手を振って別れる。

 俺、何やっているんだろ。

 まさか、色恋さんと勉強するなんて。

 なんだか罪悪感が湧いてくる。

 それにしても。

 色恋さんも龍王子と俺のことを気にかけている。

 どうするのが正解なんだ?

 俺はこれ以上、踏み込めないと思っている。

 そうすれば取り返しのつかないことになる。

 俺が人を傷つける。

 知らず知らずのうちに人を殺していく。

 だから俺とは付き合うべきじゃない。

 俺は最低限の付き合いがあればそれでいい。

 男女の関係など、俺には無理なんだ。

 それが分かっているから美鈴は俺と付き合えないと言ったのだ。

 別れて当然だ。

 俺が家庭を、人間関係を壊してしまうタイプの人間と分かっていたのだから。

「あれ? タケル?」

「ん。美鈴か?」

 帰り道、街角でぶつかりそうになる。

「何々。こんな遅くまで何していたの?」

 時間を見ると七時を回っていた。

「あー。勉強していた」

「うそ。タケルは家に帰ってから勉強するタイプじゃない」

「まあ、そうなんだけど……」

「あ。もしかして龍王子さんと一緒、だったとか?」

 ズキズキと胸の痛みが走る。

「別にいいだろ。誰と一緒でも」

 俺はそう言い残し、立ち去ろうとする。

「素直じゃないなー。悩みなら聞いてあげるよ?」

「うるさい」

 あれだけ好きだったはずの美鈴が、今は疎ましく思う。

「何よ。タケルのクセに!」

 俺は後ろ髪を引かれる思いで、その場を立ち去る。

 家に帰ると当たり前のように居座る佐里。

「遅かったね。料理作る? それともデリバリーにする?」

「はは。俺の心配より食い意地か。悪くないな」

「なんの話? まあいいや。疲れているみたいだし、ピザでも頼もう!」

「分かったよ」

 妹の声を聞いて少し安心している自分がいる。

 美鈴にはあんなに黒い感情が湧いてきたというのに。

 そうだ。

 ふったのは美鈴だ。

 なのに今更寄ってくるなんて。

 そんなのおかしいじゃないか。

 俺だってせいいっぱいなんだ。

 注文したピザを二人で切り分ける。

 トマトソースがしょっぱく感じた。


☆★☆


「赤井くん……」

 わたしのこと、嫌いになっちゃったかな。

 あんなに素を見せたんだものね。

 そりゃそうか。

 乾いた笑みが零れる。

 今日はあんまり勉強に集中できそうにないなー。

 テストも近いというのに、なんとうふがいなさ。

 こんなんだから赤井くんに嫌われるんだ。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を洗いに行こうと洗面所に向かう。

 鏡に映ったのは泣き腫らした酷い顔。

「らしくないですー」

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