外伝・ザムシードの息吹 前編

-燕真・中3春-


 可も不可も無い平凡な中学生・佐波木燕真。

 彼は、実力も無いのにイキるのが嫌い。義務を放棄して、立派な権利だけを主張している連中を、「負けない為に勝負を放棄した連中」と感じていた。


 燕真のことを「可も不可も無い」と表現したが、それは彼が何も出来ないという意味ではない。不可を無くす努力はしている。何をしても赤点にはならないが、全てが平均点で、突出した部分も無いと言うことだ。

 手抜きが嫌いなので、級友からの信頼は比較的厚い。


 中1からバスケ部に所属をしている。バスケを選んだ理由は、「話題性があって、なんとなく格好良かった」から。2年間、それなりにちゃんと練習して、それなりには上手くなったけど、スタメンには成れず、センスのある後輩には追い越され、勝ちが決まったゲームにしか出番は無い。


 中学時代は、スポーツ万能タイプやリーダー格に異性の人気が集まる為、モテた経験は無い。初恋は松莉花(まつ りか)という幼馴染みだったが、彼女は、成績優秀でスポーツ万能のバスケ部のキャプテンに熱を上げていた。今日の練習試合でも、彼女は、燕真ではなく、キャプテンを応援する為に会場に来ている。


「ばっきー(燕真のあだ名)!」

「おうっ!」


 チームメイトがパスしてくれたボールをキャッチして、2回ほどドリブルをして両手で抱え、ゴールリングに向けて飛び上がってレイアップシュートを放つ。手から放れたボールはウインドに当たって跳ね返り、リングに落ちてネットを揺らした。


「ナイスシュートばっきー!」


 これで2点追加。燕真が所属する平本(へいぼん)中は、これで86点目。対戦相手の美宿第二中は23点。トリプルスコアを楽に超えており、燕真の得点に関係無く、試合は決まっている。

 平本中は、地区で優勝争いの絡むくらいバスケ部が強い。運動神経の高い連中が集まっており、「可も不可も無い」燕真では、勝負にならない。対する美宿第二中学は、陸上競技と水泳は強いが、バスケにはあまり力を入れていない。相手チームのスタメンが、燕真と同等程度の実力しかない。もし仮に、燕真が美宿第二中に所属をしていたら、スタメンを勝ち取っていただろう。

 だが燕真は「あっちのチームなら目立てたのに」とは思わない。競争率の低いチームで頂点に立つより、強豪揃いのチームで、頂点に立てなくても、上を目指して懸命に頑張りたい。目立てなくても切磋琢磨できる方が好きだった。




-6月-


 地区の中学陸上競技大会。成績優秀な選手は、県大会~地方ブロック大会と駒を進めるが、大半の中学3年生にとっては、このレースで引退となる最後の大会になる。

 平本中学校の陸上部は、部員の少ない弱小チームだった。男女合わせて3年生は10人以下で、全員が短距離走の選手の為、長距離走に参加をする選手がいない。去年の秋の新人戦や駅伝大会は、他の部活から長距離向きの生徒を集めて、どうにか参加をした。寄せ集めなので、ハナっから優秀な成績など期待はしていない。次年度以降の新入部員の為に、陸上部を存続させなければならないので、体裁を整える為に参加をする程度の学校の意向である。


 寄せ集めの長距離選手の中に、佐波木燕真の姿があった。ユニフォームに付けているゼッケンは60番。

 バスケットボールの試合は、ゲーム中、ずっと、休む暇無く走り回っている為、体力が無いと話にならない。日々の練習の半分(体育館を使えない日)はランニングや連続ダッシュや筋トレなどの基礎体力作りになる。そのお陰で、他校トップクラスの長距離選手を除けば、バスケ部の燕真の方が早い順位でゴールができる。その足を買われて、バスケ部所属の燕真が、陸上競技部の長距離ブロックに貸し出されたのだ。

 午前中の3000m走予選で、同レースにあまり早い選手がいなかったお陰もあって、燕真は3位でゴールして、決勝レースへの参加資格を得る事ができた。ただし、1周400mのトラックを7周半も走る長いレースを、一日で2回も走る事になるとは思っていなかった。


「え~マジかよ!」

「スゲーじゃん、ばっきー!」

「決勝進出おめでとう!」

「2回も走るなんて聞いてない!キツい!」


 口では文句を言っているが、内心は結構嬉しい。平本中の弱小陸上部が、長距離走で決勝レースに進むのは、4~5年ぶりである。決勝レースに残った他校の選手は、皆、長距離専門の市内トップクラスの選手ばかりだ。各選手のタイムを見れば、燕真がこのレースを勝ち抜いて、県総体に進む事など不可能である。しかし、「もう少し頑張れば、奇跡が起こせるのでは無いか?」と期待をしてしまう。バスケ部スタメンには選ばれなかったが、それくらいのキツい練習には耐えてきた自信はある。


「そろそろ招集時間じゃないか?」

「頑張れよ、ばっきー!」

「まあ、恥をかかない程度には頑張るよ!」


 午後になり、3000m決勝に出場する選手達の招集が会場内にアナウンスされ、燕真は、皆から激励をされて集合場所に向かった。集まった他校の選手達は、仲良く会話をしている。


「○○高から推薦の話し来てる?」

「来てるよ。君は?」

「俺も来てる。」

「どうする?」

「迷っている。」

「一般受験をするつもり。」


 地区のトップ選手達は、もう受験後~高校生活の事を考えているようだ。所属校が違っても、大会のトップ常連同士は仲が良いのだろう。燕真は、我関せずと彼等の会話から外れながら、今行われている幅跳びを眺めている。


「キミ、平本中だよね?陸上部じゃないんでしょ?」

「・・・・え?」


 他校の生徒が燕真に話しかけてきた。常連客でもなければ、記録会や合同練習にも顔を出した事の無い燕真が、決勝レースに残ったのが、珍しく思えたのだろう。


「俺、バスケ部です。

 学校に言われて、半強制的に、この大会に出場させられました。」

「すげ~!専門じゃないのに、決勝に残ったんだ?」

「はははっ・・・まぁ、バスケ部も、それなりに走り込んでいるからね」

「そういや、うちの学校も、バスケの奴等は長距離が早いっけな。ポジションは?」

「スモールフォワード・・・ただし、補欠だけどね。」

「・・・補欠なの?」

「そうだよ!選抜じゃ無くて悪かったな。」

「ゴメンゴメン!

 そういうんじゃなくてさ、そんだけ足が速いのに、

 バスケの補欠なんてもったいないって思ってさ!

 高校に行ってもバスケ続けるの?」

「まだ、高校に入ってからの事なんて考えていないよ」

「陸上やりなよ!イイ線行くと思うよ!」

「・・・そ、そうかな?」


 思いがけない誘いだった。陸上競技をやる事など、考えた事も無かった。だけど、おだてられて、少しだけその気になってしまう。もし、良い記録が出せたら、高校生活は陸上を考えようかな?と少しだけ考える。


 女子の1500m決勝が終わって、男子の3000m決勝レースのアナウンスが場内に流れる。1500mを走り終えた女子達は、これで引退の選手も、県総体に進めた選手もいて、泣いたり笑ったり様々だ。もし高校で陸上部に入ったら、彼女達の数人は、部員になるのだろうか?そんな余計な事まで考えてしまう。


 他校の連中の真似をして、スタート練習をしてから、スターティングラインについて、合計18名でスタートの合図を待つ。燕真に与えられた立ち位置は第1コース、つまり一番内側である。中~長距離のトラックレースでは、インコースの奪い合いになるため、スタートダッシュが苦手だとイン側スタートは不利。


 空に向けられたスターターピストルの音が鳴り響き、一斉にスタートをする。

 少しで遅れた。ライバル達が、あっという間にインコースに傾れ込んできて、走りたかったコースが塞がれる。燕真は少しアウト側に逃げてコースを確保して、後ろから3番目で、トップ集団を追う。1週目が終わるまでには1人に抜かれて、後ろから2番目になった。だけど、体力が尽きたわけでは無い。

 密集して走っていたライバル達が、徐々にバラけて、インコースに並んで、序盤の順位が安定してきた。一歩アウト側に出ればコースはクリアなので、燕真は追い上げを開始。1人・・・2人・・・ゆっくりではあるが、着実に抜いていく。走る専門の陸上部に混ざって、バスケ部の自分が健闘をしているのが気持ちよい。

 1000mを走り終えた頃には、順位は中盤くらいにまで上がっていた。レース前に話しかけてきた選手は、ずっと前の方を走っている。彼がペースを落としてくれないと、ちょっと、追い付けそうにないけど、バスケ部のトレーニングの手を抜かなかったので、まだまだ走れる。もしかしたら、本当に良い記録が出せるのでは?と思えてくる。

 1500mを経過した。少し苦しくなってきた。後ろを走っていた2人に追い越された。これ以上は抜かれたくないので頑張って追い掛け、どうにか1人を抜き返す。


 だが・・・厳しいトレーニングはしていても、3000mという決められた距離で、体力を使い切るトレーニングなどした事の無かった燕真には、3000m決勝レースは未知の世界だった。レースはまだ半分終わった程度なのに、息が上がって、足が重たくなってきた。また一人の選手に追い抜かれ、懸命に食らいついていく。残り3周(1200m)を越えたあたりで、足が前に出なくなってきて・・・前の選手を無理に追い越そうとして、後ろから抜きに来た選手と接触をして、既にフラフラで当たり負けた燕真だけが転倒をする。


 後方から来る選手達に追い抜かれながら立ち上がり、再び走り出した。しかし、変な体勢で転んだらしくて足首が痛い。転んでぶつけた所から血が滲む。集中力は途切れ、既に体力が限界に来ていて、今までと同じペースでは走れない。後続から次々と追い抜かれて、あっと言う間に最下位になってしまった。ノロノロと走るのが恥ずかしい。ラスト1週を前にして、レース前に燕真に話しかけてきた選手を含めたトップ集団に周回遅れにされる。


 トップ選手達に混ざってゴールラインを跨ぐが、走り終えた選手達とは違って、燕真だけはあと1周残っている。ゴールをした選手達に、会場の観客達から大きな声援が送られる。

 恥ずかしくて仕方なくて、動揺をしながら、周囲を見回して走る。会場の皆が、ゴールした選手達を見ていて、自分には誰も興味を持っていない。もしくは、情けない姿を笑っているように思えてくる。

 もう、走りたくない。良い記録なんて臨めない。レースタイムに、極端に遅い汚点を残すだけになるのが解ってしまう。心が折れそうになる。リタイアをしたくなってきた。


「ガンバレ!60番!!」


 突き抜けるような甲高い声が、燕真のゼッケン番号を叫ぶ。燕真を、懸命に応援する女の子がいた。聞き間違いではない。スタンド席の前を通過する時に、間違いなく「60番」と言った。小学校低学年くらいのツインテールの小さな女の子だった。女の子が何処の誰なのかは解らない。どんなに頑張って走っても、最下位は覆らない。 だけど燕真は、女の子の声援を勇気に変えて、最後まで諦めずに走りきる事にした。 もう、足が前に出ないが、前に進みたがる気持ちを力に変えて、懸命に走る。途中で止めてしまったら、女の子の期待を裏切るような気がした。


 ゴールをした時、会場のみんなが、自分に声援を送っている事に初めて気付いた。投げ出さずに最後まで走った燕真には、温かい拍手が送られていた。スタンド席にいる女の子も、懸命に拍手を送ってくれている。

 他の選手からは1周以上の差を付けられていたので、正直言って恥ずかしかった。もっと活躍をして、上位入賞は無理でも、せめて、真ん中くらいの順位で、拍手を貰いたかった・・・でも、少しだけ嬉しかった。


「紅葉っ!」


 女の子の母親・源川有紀が、驚いた表情で、応援を続けた女の子に寄って行く。


「どうしたのママ?」

「ど、どうした・・・・って。」


 それまでの少女は、周りからは「お人形さんみたい」と評価されていた。可愛らしいけど、温和しくて人見知りで、友達が居なかった。

 少女には、他の人には見えない物が見えた。亡くなった人や動物が、現世に残した寂しそうな念である。見てしまうと、少女も悲しい気持ちになって、でも、その気持ちは、周りの人とは共有できなくて、「悲しくなっちゃう」気持ちを理解してくれない友達なんて、要らないと思っていた。

 母親は、娘の悩みを知っていた。自分よりも、父親の血を濃く受け継いで、周りの人とは違うことを認識している娘を、「どう人間らしく育てるべきか?」と度々思案していた。

 今日、美宿市の陸上競技場に来ていたのは、ただの偶然。県外に嫁に出た姉の娘(友野真紀)が走ると聞いて、応援をする為に来ただけ。此処で娘に変化がもたらされることなど、全く予想していなかった。

 だが、つい先程まで、「陸上の大会なんて興味無い」「早く帰りたい」と言っていた娘が、見ず知らずの少年に吸い寄せられるようにして応援席の最前列まで行って、大声で応援をした。有紀が知る限りで、娘が人間らしい感情を爆発させたのは、これが初めてだった。


「・・・あの少年。」


 有紀は、ゼッケン60番を付けて、陸上競技のユニフォームを着て、チームメイトに囲まれて恥ずかしそうに苦笑いをしている少年を見詰める。姪とは違うユニフォーム(他校)なので、姪に聞いても、彼が誰なのかは解らないだろう。



 走り終えた後、競技場の医務室に行った燕真は、「足首の捻挫」を告知された。転んだ直後にリタイアをすれば軽傷で済んだのだが、無理をして走り続けたので、悪化をさせてしまい、完治には時間が掛かるようだ。


「ごめんな、ばっきー。」

「俺が勝手に自爆しただけだよ。」

「でも、その足じゃ、バスケの試合に・・・。」

「気にすんな。どうせ、補欠だ。」


 燕真に助っ人を依頼した陸上部員が謝罪をするが、燕真は軽く笑って受け流す。

 帰り道、友人と別れたあと、燕真は公園でブランコに座り、痛めた足首を眺める。チームが地方大会に出場してくれれば、その頃までには完治するだろうけど、地区では強い平本中でも、県大会を突破して、地方ブロックに進出するのは、かなり厳しい。何よりも、そんなハイレベルな大会で、燕真が出場して活躍できる試合など無い。最後の大会を待たずに、燕真が中1から打ち込んできたバスケの活動は終わったのだ。


「まぁ・・・捻挫した足を口実にすれば・・・

 試合に出られない大義名分になるか・・・。」


 燕真は尤もらしい言い訳を作って直ぐに、その虚しい言い訳では少しも納得を出来ていない自分に気付く。


「あれ?・・・俺、何、言ってんだろ?バカじゃね?」


 他人に走ることを押し付けられて転倒して、他人の所為で中学最後の夏が終わったわけではない。仲間に誘われて、その気になって出場して、自分の責任で足を痛めたのだ。


「どんな言い訳をしたって、悔しいのは悔しいんだよ。」


 溜息をついて顔を上げると、公園の入り口で、先ほどの2つ結びの女の子が、ジッと燕真を見つめていた。眼が合うと、何故か女の子は逃げ出そうとする・・・が、途端に公園入り口の車止めポールに足を引っ掛けて、持っていたお菓子をぶちまけて引っ繰り返った。


「おいおい、大丈夫か?」


 燕真は、目に浮かんだ涙を手の甲で擦り、痛めた足を引きずりながら女の子に近付いた。大きな目で自分をジッと見つめている女の子を抱っこして立たせ、服に付いたホコリをポンポンと祓ってやる。


「・・・60番?」

「・・・ん?」

「ゼッケン60番の人?」

「あぁ、そうだよ」

「・・・・・・・・・・・・・」

「応援してくれて、ありがとな。」

「・・・うん。」

「膝・・・同じになっちゃったな。」

「・・・ん?」


 不思議そうに眺める女の子に対して、自分のズボンの裾をめくって膝を見せる燕真。女の子の膝と同じ、転んだ時の傷が出来ている。


「あ!痛そう!」

「君もな」

「・・・うん」


 バラ巻かれたお菓子を拾い上げ、袋に入れて女の子に返す燕真。女の子は、袋からお菓子を1個出して、燕真に差し出す。


「・・・食べる?」

「ん?・・・あぁ・・・」


 燕真は、苦笑しながら、女の子の手の平にあるチョコを摘まんで見つめる。頑張ったわりには何も達成できなかった燕真にとって、女の子のチョコが最高の勲章に思えた。


「ありがとう。」

「ぅん。」


 少女に礼を言って、口の中に放り込む。ただの駄菓子なんだけど、とても美味しく感じられた。


「紅葉と・・・少年。」


 有紀が、近所のコンビニにお菓子を買いに行ったまま帰ってこない娘を探して、公園の2人を見付ける。知らない少年と話している娘の邪魔になるような気がして、声を掛けることが出来なかった。

 昼間の、感情を爆発させた応援だけでも驚いたのに、今の紅葉は、少年の傍で笑っている。たった1日。たった数時間。感情を持とうとしなかった娘が、感情を表現している。

 少年からは。妖気の類いは全く感じられない。完全な人間だ。今まで人に興味を持たなかった娘が、今はハッキリと彼に興味を向けているのが解る。




-冥界-


「むぅ?」 「何奴?」


 地獄門の前に、闇霧が近付く。地獄の書記官・司録と司命が、警戒をして立ちはだかると、闇霧はカジュアルな装いの青年の姿になって、2人の前に立った。


「随分と見た目が変わったが・・・」

「・・・オマエは酒呑童子だな。」

「一発で見抜くか。さすがは、我が宿敵の側近だ。

 だが、今の俺は、かつての鬼の名は捨てて、崇と名乗っている。」


 青年は、酒呑童子の魂。大半の妖気を失い、肉体は滅び、残された魂は浄化の光によるダメージを受けている為、自分の意思で動くことは、殆ど出来ない。だが彼は、「今は動くべき時」と判断した為に、宿敵の居城を訪れた。


「貴様等の主はいるか?

 ・・・まぁ、聞くまでもなく、

 地獄の番人が、地獄門から離れる事なんて無いだろうが。」

「何用だ?」

「閻魔に少しばかり、頼みたいことがあってな!」

「散々、大王に敵対をした鬼の頭領が、頼み事だと?」


 閻魔大王は冥界の王。冥界の覇権を狙う酒呑童子からすれば、目障りであり、度々、覇権を奪う為に攻め入ったことがある。一方の閻魔大王は、人間界から逃げ帰った酒呑に、その都度、追っ手を差し向けたが、捕らえることはできなかった。閻魔と酒呑は、長きに渡る争いに決着が付かないまま、今に至るのだ。


「停戦の提案だ!閻魔に協力をして欲しい!」

「それは、大王の軍門に降るということか?」

「あくまでも‘協力’だ。悪い話ではないと思っている!通してもらえぬか!?」


 酒呑童子は、目の前の2人と話すフリをして、あえて大きな声で、居城の奥に居る閻魔大王に聞こえるように喋っていた。


〈ほぉ?悪い話ではない・・・とな?〉


 居城の奥から、威圧的な声が響き渡った途端に、地獄の書記官達は片膝を付いて畏まる。


「しかし、大王様。」

〈構わぬ。其奴の、人間界での、酒呑童子らしからぬ変化は見ていた。

 冥界で発生した奇異(輝く闇)が絡む事案であろう?〉

「さすがは閻魔。話が早い。」

〈面白そうだ。司録、司命、その者を通してやれ。

 其奴では、儂を騙して隙を突く力も有るまい。〉

「ははぁっ!」


 地獄門通過の許可を得た酒呑童子は、地獄の書記官の横を通過して、奥へと進む。




-燕真・高1夏-


 佐波木燕真は、美宿市内で中堅の布津迂(ふつう)高校に進学をしていた。部活動を終えて帰宅途中、進行方向が赤信号に変わったので自転車を止める。横断歩道の向こう側では、大荷物を背負って両手も荷物で塞がった腰の曲がった老人が、信号待ちをしていた。


(ジイさん、荷物で潰れそうなだな。)


 信号が青に変わったので、燕真は自転車を漕いで道路を通過。反対側の歩道に到達したところで、腰の曲がった老人が、ようやく横断歩道を渡る為に動き出す。燕真は「大丈夫かな?」と思いながらすれ違い、少し気になったので振り返ったら、老人が3歩ほど進んだところで、青信号が点滅を開始する。


「おい、ジイさん、危ねーぞ!」


 燕真は慌てて自転車を駐車して、老人に駆け寄って引っ張り戻した。


「邪魔をするな、若造!」

「邪魔じゃなくて助けたんだよ、頑固ジイさん!

 死にに行こうとしてたワケじゃね~んだろ?」

「儂は、この先にある家に帰りたいだけじゃ。」

「解った解った。

 目の前でジイさんが轢かれたり、クラクション鳴らされてんのは見たくない。

 ジイさんのスピードじゃ横断歩道を渡る前に信号が変わっちゃうだろうから、

 俺が向こうまで付いて行ってやるよ。」


 燕真は、老人と一緒に信号待ちをして、青信号に成ると同時に、老人を連れて横断歩道を渡る。メッチャ足が遅いので、半分ほど通過したところで信号が点滅を開始した。だが、今更、戻ることも出来ない。燕真は、老人の通過待ちをしてくれる先頭車や、状況が解らずにクラクションを鳴らす後続車に頭を下げながら、老人を対面歩道まで導いた。


「じゃ、ジイさん。俺、行くな。気を付けて帰れよ。」

「ありがとうの。

 儂は、この大荷物を抱えながら、1人で家まで帰らねばならないのか。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 大荷物を抱えているのはジジイの勝手。大変って自覚があるなら、荷物を小さく纏めるか、自力で大荷物を運ぶ選択をしないでくれ。

 燕真は大きな溜息をつきつつ、老人の両手の荷物を預かり、屈んで背中を向ける。


「家、何処だ?近いんだろ?」

「隣町じゃ。」

「背中に乗ってくれ。送ってやるよ。」


 2つの荷物を片手で持ち、大荷物を背負った老人を背負って片手で支え、隣町を目指して、ヨタヨタと歩き始める燕真。それでも、進行速度は、大荷物に潰されそうな爺さんが1人で歩くよりはマシ。1つ目の町を通過して、道路を横断して、老人が指定した町に入る。


「その角を曲がった先じゃ。」

「あいよっ!」


 言われた通りに角を曲がった燕真は、目が点になった。「一体、何段あるの?」と段数を数える気すら失せるような石階段が聳えている。


「・・・え?この先?」

「若い頃は、千段程度の階段など、どうってことは無かったのじゃがな。」

「・・・・・・・・・1000?マジか?」


 ジジイは、千段の階段を降りてきたのか?半日くらい掛かったんじゃないのか?転がり落ちたのか?燕真は、軽く疑問に感じながら、「じゃ、俺はここまで」と老人を見捨てることは出来ずに、千段の一歩目を上がり始めた。




-20分後-


 ようやく、階段を上がりきった。体力と持久力には自信があるので、単身なら10分もあれば上がれるだろうが、ジジイと荷物があると、さすがにキツい。庭を通過して、家の前で背負っていた老人を降ろしてやる。


「あぁぁ・・・しまった。」

「ん?どうした?」

「荷物を一つ忘れてきた。」

「・・・はぁ?」

「多分、横断歩道の所。家の鍵が入ったバックを置いてきてしもうた。」

「え?なら家に・・・?」

「入れん。若造が急かした所為で忘れたのじゃ。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 かなりイラッと来たが、荷物の置き忘れを確認しなかった自分にもミスはある。


「しゃ~ない。取ってきてやるよ。どんなバックだ?」

「ダメじゃ。若造が善人面をして持ち去るかもしれん。儂を連れていけ。」

「・・・信用ねーな。

 まぁ、最近は老人をターゲットにした詐欺とかあるから、

 初対面の俺が信用されなくても仕方無いか。」


 燕真は、千段をもう1往復する覚悟を決め、老人に背中を向けて屈んだ。老人は、大荷物を持ったまま、燕真の背に乗る。


「おいおい、荷物は置いていけよ。」

「ダメじゃ。家の前に放置したら、盗人に持って行かれてしまう。」

「千段を上って荷物を盗みに来る奴なんていねーよ!」

「ダメじゃ!」

「・・・はいはい。」


 燕真は、「二度とこのジジイには会いたくない」「会ってもガン無視をする」と思いながら、老人を背負って大荷物を持ったまま千段を降りて、ヨタヨタと歩いて横断歩道まで戻り、置いてあったセカンドバック一つを確保して中身を確認してもらい、他に忘れ物が無いかを隈無く確認してから、老人の家に向かう。


「礼に茶でも飲んでいくか?」

「早く帰って飯を食いたいから、遠慮しとくよ。」


 老人は、少しは燕真を信用してくれたようだ。だが燕真的には、ジジイとは早く縁を切りたいので、適当に対応をする。やがて、千段を上りきって老人の家に到着。家の鍵を開けて中に入るのを確認して、再度「茶を飲んでいけ」と言われたが断り、千段を降りる。


「・・・ん?」


 千段の一番下で、老人が座って休んでいるのが見える。散歩中の近所のジイさんだろうか?でも、大荷物を抱えている。もう、嫌な予感しかしない。。


「ふぅ~~~・・・・この歳で、千段を上って、家に帰るのは辛いのう。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 燕真は気付かないフリをしたかったのだが、燕真が擦れ違うタイミングで、ポツリとぼやきやがった。


「ジイさん、念の為に聞くけど、上の家に住んでるジジイか?」

「そうじゃ。連れて行ってくれるのか、若造?」

「・・・なんで、千段を3往復もせにゃならんのだ?」


 さっきのジジイとは別のジジイに、また「背負って上れ」と催促をされてしまった。燕真は「二度と下界に降りてくるな」と思いながら、屈んで背中を差し出し、老人を背負って大荷物を抱えながら千段を上がる。体力と持久力には自信のある燕真だが、流石に疲れてきた。


「すまんのう、若造。礼に茶でも飲んでいけ。」

「帰って飯を食いたいから、遠慮しとくよ。」

「遠慮は要らん。

 ミス美宿と言っても過言ではない自慢の孫娘に準備させるから馳走になれ。」

「まぁ・・・そこまで言うなら。」


 なるほど、ジジイ相手に大損をさせられたのは、アニメやドラマでありがちな、自慢の孫娘に出会う為の伏線か。燕真は、ジジイの茶には全く興味が無い。だが孫娘には興味があるので、屋敷に上がって、茶を飲んでいく事にした。


「おっばっばっばっば!うちのお爺ちゃんと大叔父さんがお世話になったわねえ。」

「は・・・はい。どういたしまして。」


 茶をもてなしてくれた孫娘は、43才、既婚。過去はミス美宿だったかもしれないが、今は見る影も無かった。


「ちなみにお子さんは(ジジイの曾孫)は?」

「居るわよ。暴れん坊の息子が3人。」

「ああ・・・そうですか。それは良かった。」


 現実なんて、こんなものらしい。変なジジイに親切に接したら、スゲー可愛い孫娘と出会えた・・・なんてパターンは、アニメやドラマの世界にしか存在しないようだ。燕真は、出された茶を一気に飲み、おかわりを遠慮して、10分程度の世間話の後に、ジジイ×2と孫娘に見送られて、ガッカリとしながらジジイ宅から帰るのであった。


「どう思う、司命?」

「千段に踏み込んだ時点で、此処が異界と解れば、合格だったんだがな。

 全く気付いていなかったな。」

「だが、赤点ではないな。」

「うむ、もう少し試してみる価値はありそうだ。」


 ジジイ2人が司録と司命に、孫娘が使い魔の妖怪・オバリヨンに変化。彼等は、閻魔大王の指示で、燕真の素行調査をする為に訪れた地獄の使者だった。

 ちなみに、崇の依頼から、調査の開始までに1年も期間が空いたのは、「紅葉と出会った少年」が何処の誰なのか探すのに時間が掛かった為。



 ある時は、ジジイが倒れていたので病院に連れて行った。

 ある時は、ジジイがヤンキーに絡まれていたので、「警察を呼んだ」と言って助けた。

 ある時は、ジジイが財布を忘れて飲食をしたので、代金を立て替えた。

 ある時は、ジジイ2人が往来で大喧嘩していたので仲裁してやった。

 ある時は、ジジイが何処かに置いてきたセカンドバッグを一緒に探してやった。

 ある時は、またジジイが倒れていたので病院に連れて行った。

 ある時は、孫娘(43才)がヤンキーに絡まれていたので、「警察を呼んだ」と言って助けた。

 ある時は、曾孫(小学生)が犬に襲われていたので助けてやった。

 ある時は、またまたジジイが倒れていたので病院に連れて行った。

 ある時は、曾孫(中学生)がヤンキーに絡まれていたので、「警察を呼んだ」と言って助けた。

 ある時は、孫娘(43才)に誘惑をされたが、頑なに拒んだ。

 ちなみに、2人のジジイの、どっちが兄で、どっちが弟なのかは、未だに見分けが付かない。




-燕真・高3春-


 いつも通り、燕真が自転車で帰宅をしていたら、道の端っこで、大荷物を背負ったジジイが、また倒れていた。


「これで何回目だよ?ワザと行き倒れてねーか、ジイさん?

 倒れても良いけど、次回からは、俺の通学路から外れたところで倒れてくれ!」

「ちょうど良いところに来てくれた。家まで連れて行ってくれ。」


 燕真は、面倒臭そうに悪態を付きつつ、自転車を駐車して、ジジイに背中を向けて屈んでやる。


「・・・たくっ!仕方ねーな!」


 ジジイの家は、千段の階段を経由して異界にあるのだが、燕真は全く気付いていない。ヤンキーは人間に化けた妖怪なのだが、燕真は全く気付いていない。孫娘は妖怪オバリヨンで、曾孫達も妖怪なのだが、燕真は全く気付いていない。

 約2年間を通して、ジジイ達(司録&司命)が導き出した結論は、「少しくらい異常に気付け」「燕真には全く才能が無い」だった・・・が、


「悪ガキ共(曾孫達)は元気か?」

「おう、元気じゃ。」

「一郎は、今年、高校受験だよな?何処の高校を目指しているんだ?」

「よく解らん。」

「二郎は、バスケ頑張ってるか?」

「今度、また、オマエと1対1をやりたいと言っていたぞ!」

「三郎は、同じクラスの花子ちゃんと上手くいってるのか?

 一番ガキのクセに、3兄弟で一番マセているよな。」

「おうおう、昨日も、長電話しとったぞ。」


 この2年間で、燕真とジジイ一家はスッカリ仲良くなっていた。閻魔大王の指示で燕真の調査をしていた地獄の書記官からしてみれば、まさか、丸ごと、燕真のお人よしっぷりに抱き込まれるとは思っていなかった。佐波木燕真には、不思議な魅力があった。


「どう思う、司命?」

「霊的な才能はゼロ。だが、嫌いではない。」

「うむ、ありのままを報告して、あとは、大王様のご判断にお任せしよう。」


 燕真が千段を降りたのを見計らって、司録が結界を解除。階段上のジジイ宅が、神社の小さい社に変わる。同時に、操作をされていた付近住民の記憶は「其所にあったのはジジイ宅ではなく小さい神社」に置き換えられた。

 以降、燕真の通り道で、ジジイ一家がトラブルを起こす事案は無くなった。




-文架市・粉木邸-


 敷地の形状や建物の様子、駐車場に駐められた粉木の愛車は、粉木が引っ越してきた頃と変わらない。ただし、敷地内に建つ『妖怪博物館』は、今風に『YOUKAIミュージアム』と名前を変えていた(中身はほとんど変わらない)。


ピーピーピー

「妖怪出現!何処や!?」


 茶の間で寛いでいた粉木が、妖怪センサーの警報を聞いてYOUKAIミュージアム事務室へ向かう。だが、駆けながら、履歴を確認するまでもなく、明確に「此処に妖怪が居る」と、強い妖気を感じていた。


「どういうっちゃ?妖怪の襲撃か?」


 一定の警戒をして、妖気が最も強く感じられる事務室の扉を開けた。ソファーに、「大王」と書かれた冠を被り、道服を着て、笏を持った、赤い肌で大柄の妖怪が座っている。


「・・・オマンは!」


 粉木は、その妖怪と遭遇するのは初めてだが、名を聞かなくても、何者なのか直ぐに解った。それは、テレビや本で見る‘典型的な閻魔大王’の姿をしていた。竦んでしまうほどの高圧的な妖気を発しているが、敵意は感じられない。


「コナキカンペエという人間に会いに来た。」

「粉木はワシや。閻魔はんが、なんでワシの名を知っとる?

 そない有名人になったつもりは無いんやが・・・。」

「酒呑童子の依頼で、オマエを訪ねた。」

「酒呑・・・やと?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「なんだ?来客に茶も振る舞えんのか?」

「・・・・ん?」

「客が来たら、茶と茶菓子でもてなすのが人間の作法なのだろう?」

「あぁ・・・そやな。ちと待っとれ。」


 粉木は、自宅に戻って煎餅と湯を持ってきて、事務所で茶を入れて差し出し、話を再開する。


「酒呑・・・やと?ヤツは死んだはず。」

「肉体は消え、コアも失い、僅かな精神体となって動くのみ。

 敵対関係だった俺がその気になれば、一握りで潰せるだろう。

 ヤツは、それを承知で、俺の所に依頼に来た。

 ゆえに、酔狂としか思えぬ話に乗ってやった。」

「依頼とは?」

「この閻魔に、人間の為に、力を貸せという依頼だ。

 白メダルとやらを貸せ。俺の力をくれてやる。」


 粉木は、閻魔大王の言い分が信じられなかった。だが、酒呑童子のことは一定の信頼をしており、且つ、閻魔から敵意は全く感じられない。言われた通りに白メダル1枚を差し出すと、閻魔は握り締めて魂を送り込んだ。数秒後、閻魔が手を開くと、白メダルは『閻』の文字が浮かび上がったメダルに変わっている。


「俺には地獄の審問があるゆえに、俺自身が封じられるわけにはいかぬ。

 だが、魂の一部を封じ込めた。

 これで、メダルを通じて、俺の力を使えるであろう。

 ただし、俺のメダルは使用者を選ぶ。」

「有能な霊能力者か?」

「俺が好む者。」

「閻魔はんが好むて・・・。」


 閻魔大王は、審問で、殺生、盗み、邪淫、飲酒(毒の使用)、妄語(嘘)、邪見(仏教の教えとは相容れない考え)を嫌い、該当する死者を地獄に落とす。

 盗み、邪淫、毒の使用、邪見に該当しない者は、探せばそれなりに居るだろう。殺生については、小虫を殺した者は懺悔をすれば許される。


「妄語(嘘)の無い聖人など、この世に存在せんで。」

「自分に嘘を付く心の弱者には、俺を扱えぬ。

 自分自身に嘘を付かない者と解釈しろ。

 ・・・その者は、数ヶ月のうちに、オマエの前に現れるであろう。」


 閻魔大王は、『閻』メダルを粉木に託し、茶菓子を2つほど食べて、茶を飲み、闇霧と化して蒸発するようにして消えた。

 粉木は、『閻』メダルを眺めながら考える。「自分自身に嘘を付かない」ことも、かなり難しい。人は、たいていは、自分に嘘を付いて自分の心を誤魔化す生き物だ。


「そないヤツが現れるとは思えんが・・・

 現れた時の為に、使えるようにしとかなならんか。」


 粉木は、退治屋中枢の近くに居て唯一信頼できる者=東東京支部の砂影滋子に、『閻』メダルの錬金塗膜を依頼する。砂影は、「また厄介ごと」と渋りながら、粉木の依頼を引き受けた。

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