07 出番前

 三番手のOBバンドの演奏が終了したならば、ついに『KAMERIA』も準備を始める刻限であった。


「が、頑張ってください。お邪魔にならないように、すみっこで拝見させていただきます」


 ミサキはそんなつつましい言葉で、めぐるたちを激励してくれた。

 転換の時間が五分ほど過ぎた見当で、『KAMERIA』の四名はいざ楽屋を目指す。その道中で、楽屋から出てきたOBバンドのメンバーと行きあうことになった。


「あ、おつかれさまでーす! やっぱ、すげー完成度でしたねー! オトナのミリョクって感じでしたー!」


 物怖じを知らない町田アンナがそのように告げると、ギター&ヴォーカルの女性は「ありがとう」と微笑んだ。


「でも、あなたたちには物足りなかったんじゃない? 『KAMERIA』って、ステージが爆発してるみたいな迫力だもんね」


「あはは! それじゃー今日も、バクハツさせてきまーす!」


 せまい通路ですれ違い、『KAMERIA』の四名は雑然とした楽屋に足を踏み入れる。するとすぐさま、和緒がめぐるに向きなおってきた。


「あんたはずいぶん恍惚としてたけど、我を忘れて声をかけるほどじゃなかったのかな?」


「え? いや、だって……わたしなんかが声をかけたって、迷惑なだけだろうし……」


「と、そんな理性が働くぐらいのレベルで収まってたわけだ。そのわりには、ずいぶん熱心だったみたいだけど」


「あ、うん……『あまやどり』ではお手本にしたいって思ったよ」


 めぐるがそのように答えると、チェック柄のシャツのボタンを外していた町田アンナが「あはは!」と笑った。


「ウチらがあんなオトナのミリョクをかもしだすには、もう何年か必要かなー! ま、今日はワカゲのイタリで対抗するしかないっしょ!」


「は、はい……」と応じながら、めぐるは思わず胸を高鳴らせてしまった。町田アンナの何気ない言葉が数年後にも『KAMERIA』が活動し続けていると示唆しているように思えて、嬉しかったのだ。

 すると、めぐるのそんな心情を見て取ったかのように、和緒が頭を小突いてきた。


「欲情するのは後にして、さっさと準備を始めなさいな。まあ、それほど慌てる時間ではないけどね」


「べ、別に欲情はしてないよ?」


 そんな風に答えつつ、めぐるも準備を進めることにした。

 まずはリハ前と同じようにエフェクターのチェックをして、ベースをチューニングする。服装は、パーカーを脱いでTシャツになるだけだ。腰から下は、またキュロットスカートと黒タイツの組み合わせであった。


 町田アンナもオリーブグリーンのハーフパンツをサスペンダーで吊っており、足先はオレンジ色のブーツだ。最近は打ち合わせをするまでもなく、これまでと同じような格好でステージに臨むようになっていた。

 もちろん上半身は、みんな『KAMERIA』のバンドTシャツである。一ヶ月ぶりにおそろいの格好になっためぐるは、またひそかに胸を高鳴らせてしまった。


 白いワンピースの上から白いバンドTシャツを着込んだ栗原理乃は、無言のままにリップスティックを取り出す。町田アンナもまた無言のままに進み出て、左の頬に『A』の一文字を描かれた。


「こういう前準備も、だいぶん流れ作業になってきたね」


 和緒はそのように評していたが、めぐるはむしろ以心伝心といった印象であったので、いっそう胸を弾ませるばかりであった。

 そうして全員が左頬に赤い英文字を描かれたならば、準備も万端である。そのタイミングで、ステージから『ケモナーズ』の演奏が響きわたった。


 楽屋にはステージの様子を確認できるモニターが設置されているので、ソファに座っためぐるはそれを眺めながらベースの運指のウォームアップを開始する。和緒はめぐるの隣にふんぞり返り、栗原理乃はコンクリの壁と向き合い、町田アンナはせわしなく歩き回りながらギターを爪弾き――これもまた、ライブ前の見慣れた光景であった。


「ふうん。『ケモナーズ』のみなさんも、いっそうパワーが増したみたいだね」


 ステージの中盤に差し掛かると、和緒がそんな言葉を耳打ちしてきた。

 確かに『ケモナーズ』は、以前よりもさらに勢いが増したようである。楽屋からではくぐもった音しか耳にできないが、演奏もずいぶんまとまってきたように感じられた。


 もとより『ケモナーズ』は、勢いを売りにしていたバンドである。おおよその楽曲はアップテンポの8ビートで、最初から最後まで勢いで押し切るような迫力であったのだ。この数ヶ月で、その長所に磨きがかけられたようであった。


(そもそもわたしたちが『ケモナーズ』のステージを観るのって……去年の夏以来なのか。それじゃあ、成長してるのが当たり前だよなぁ)


『ケモナーズ』は、全メンバーがめぐるたちより一歳年長であるという。そして『KAMERIA』と同じく、オリジナルの楽曲を披露しているのだ。ひとつ年少のめぐるがこのように評するのはおこがましい限りであろうが、実に高校生らしい元気いっぱいのバンドであった。


 メンバーは五名で、ギター&ヴォーカル、リードギター、ベース、キーボード、ドラムという編成になっている。ヴォーカルとキーボードが女子で、相変わらず全員が動物の着ぐるみめいたルームウェアをステージ衣装にしていた。順番に、猫、犬、豚、ニワトリ、ゴリラというラインナップである。


 ベースは当然のようにピック弾きで、今日も元気にかき鳴らしている。壁ごしのくぐもった音色でも、トレブルを強調した音作りが感じ取れた。ギターが二本も存在するのに、彼はやたらと硬質で金属的な音を響かせようとしているのである。


(もうちょっと太い音にして、土台を支える役に回ったほうがいいような気もするけど……そんなのは、わたしの勝手な好みだしなぁ)


 めぐるはあまり、トレブルを強調しすぎた音を好んでいない。金属的な響きはけっこうであるが、それも重低音からにじみ出るような加減を好んでいた。ミサキの音色を好ましく思うのも、彼が重低音を二の次にしていないためであり――なおかつ、ギターの音ともしっかり調和しているためであった。


 あとは、『ヒトミゴクウ』や『ザ・コーア』の音も嫌いではない。めぐるの好みのど真ん中ではないものの、彼らも金属的な歪みと重低音の両立を求めており、そしてギターの音色ともぶつかることなく共存できているような印象であった。


 しかしやっぱりめぐるにとっての理想は『SanZenon』の鈴島美阿であり、それに次ぐのはフユである。あとは『マンイーター』の柴川蓮や轟木篤子なども、めぐるが文句をつける要素はいっさい存在しなかった。


(キュウベイさんだけは、心のどこに置いていいのかもわからないけど……あれこそ、わたしなんかには何も偉そうなことは言えないもんなぁ)


 そしてそれらは、すべてめぐるの個人的な見解である。頭の中ではあれこれ考えてしまうものの、本人たちには何も告げるつもりはない。めぐる自身、余人に文句をつけられても困惑するだけであるので、なおさらの話であった。


(みんなはそれぞれ、自分の理想を追いかけてるんだろうから……他の人にどうこう言われたって、どうしようもないよ)


 それにまた、音作りに唯一の答えなどというものは存在しないのだろう。ベースに限らずすべてのプレイヤーは、自分の所属するバンドにとってもっとも最善の音を目指さなければならないはずであった。


 フユのベースはうっとりするぐらい素晴らしいが、それも『V8チェンソー』の中で確かな調和を果たしているためである。たとえフユが『KAMERIA』であの音を奏でても、『V8チェンソー』におけるフユほど魅力的ではないだろう。そうでなくては、めぐるが『KAMERIA』に存在する意義も失われてしまうはずであった。


 それにやっぱり印象的であるのは、ミサキと轟木篤子だ。

 その両名の奏でる音色は、めぐるの理想から大きく外れている。ミサキの音色は金属的な鋭さが強すぎるし、轟木篤子の音色はナチュラルすぎるのだ。それならば、柴川蓮のほうがよほど好みに近かった。


 だが、ミサキと轟木篤子の音色は、魅力的である。めぐるの好みからは外れていても、それぞれのバンドにおいてはもっとも相応しい音色であるように感じられるためだ。そうすると不思議なことに、彼女たちの奏でる音色そのものが魅力的に思えてくるのだった。


(だから……さっきのバンドの人も、それに近い感覚なのかな)


 めぐるは決して先刻のOBバンドのベースの音色を見習いたいとは思わなかった。『あまやどり』だけは例外であるが、それでも彼の音やニュアンスをそのまま真似たいわけではないのだ。めぐるは彼と同じぐらいの完成度でもって、和緒のドラムと深く絡み合いたいと願ったまでであった。


 しかしまた、彼の音色も魅力的だ。あんなベースを弾ける人間のことを、めぐるは心から尊敬してしまう。そしてめぐるは、ミサキと轟木篤子にも似たような思いを抱いていたのだった。


「……なんだか今日は、いつも以上にふわふわしてるみたいだね」


 と、和緒が横から頭を小突いてきた。

 指先だけは止めないまま、めぐるは「うん」とうなずいてみせる。


「なんか、色んなことを考えちゃって……バンドって、不思議だよね」


「そんな妄想の結論だけを聞かされても、なんとも答えようがないね。……ま、あんたはリトプリやヴァルプルやらと対バンしたことで、また何か目覚めたんじゃない?」


 そう言って、和緒はめぐるのおさげにくくった髪に指を絡ませてきた。


「頼むから、暴走はほどほどにね。いっぺん置いていかれたら、一生追いつけなくなりそうだからさ」


「わたしはずっと、かずちゃんと一緒だよ」


 めぐるが反射的にそんな言葉を返すと、和緒は優しい眼差しと苦笑をいっぺんに浮かべつつ、めぐるのおさげを軽く引っ張ってきた。


 そんな中、『ケモナーズ』の演奏はどんどん進められていく。

 そうして気づけば、時計の針は五時五十分を指し示し――『KAMERIA』の出陣の刻限であった。


『どうもありがとー! あらためて、卒業おめでとうございまーす!』


 定刻からわずかに遅れて、『ケモナーズ』のギター&ヴォーカルがそんな声を響かせた。

 ほどなくして、『ケモナーズ』のメンバーたちが楽屋に舞い戻ってくる。着ぐるみめいたルームウェアなどを着込んでいるものだから、全員が汗だくの姿であった。


「お待たせー! 『KAMERIA』のステージも、ばっちり拝見させていただくよー!」


「うん、お疲れさまー! モニターでしか観られなかったけど、今日もかっとばしてたねー!」


 町田アンナはそちらの少女とハイタッチを交わしてから、めぐるたちに向きなおってきた。


「それじゃー、いざ出陣だねー! ウチらも、かっとばしていこー!」


「はいはい」と応じながら、和緒はバスドラペダルとスティックケースをひっつかむ。めぐるもまた、ベースを抱えたまま立ち上がった。


 暗いステージには、これまでのバンドの熱気がたちこめている。これを味わうのも、ひと月ぶりのことだ。ステージの開始が刻一刻と近づくごとに、めぐるの胸は高鳴るばかりであった。


 ベースをスタンドに立てかけたならば、楽屋に舞い戻ってエフェクターボードを運び込む。そちらの電源を入れて、シールドを配線する間も、めぐるの心拍数はどんどん高まっていった。


 しばらくすると、ギターやドラムやピアノの音が奏でられる。

 それに続いて、めぐるもベースの音を鳴らすと――その重低音にくるまれるようにして、心臓が落ち着いた。


 興奮がさめたわけでも、緊張が解けたわけでもない。

 ただ、心臓と胸郭の間に重低音が満ちて、鼓動をなだめてくれたような心地であった。


「遠藤さん、どうぞ」


 と、栗原理乃が扮装用の紙袋を手渡してくる。

 めぐるが「ありがとうございます」と頭を下げながら受け取ると、栗原理乃は白く凍てついた頬をほんの少しだけゆらめかせた。


「……遠藤さんは、素晴らしく集中されているようですね。私も見習いたく思います」


「え? いや、はい……きょ、今日も頑張りましょう」


 栗原理乃は無言のまま一礼して、ステージの中央に戻っていった。

 試奏を終えた和緒はスティックを握ったまま大きくのびをしており、町田アンナは満面の笑みで屈伸運動をしている。それらの頼もしい姿が、めぐるの心を深く満たしてくれた。


 七月終わりの『ニュー・ジェネレーション・カップ』から始まり、八月には二回の野外フェス、十月には文化祭、十一月には通常ブッキング、大晦日には年越しイベント、二月には『V8チェンソー』企画イベント――『KAMERIA』のライブ活動も、これでついに八回目である。


 四月の下旬には『ジェイズランド』で九回目のライブが待ちかまえており、その半月後に『KAMERIA』は結成一周年を迎える。『KAMERIA』は、まだまだ未熟なヒヨッコバンドに過ぎなかったが――だからこそ、こんなにも瑞々しい心地でステージに立てるのかもしれなかった。

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