06 開演

 ミサキがやってきてからしばらくして、ついに午後の三時半に至った。

 卒業ライブイベントの開幕である。洋楽のBGMがフェードアウトして高校の校歌が流れ始めると、あちこちから歓声と笑い声が響きわたった。


『お待たせしました。時間になったので、今日のイベントを開始します。校歌が流れていますけど先生がたはいないんで、どうぞご安心を』


 PA卓の手前に設えられたブースから、マイクを握った森藤がそんな言葉を伝えると、さらに歓声が響きわたった。

 この十五分ていどで、客席もすっかり賑やかになっている。これぞ宮岡部長を筆頭とする先輩がたの人徳であるのか、すでに五十人ていどのお客が来場しているようであった。


『今日は我がさくら高校軽音学部の、卒業ライブイベントです。宮岡部長に、寺林副部長に、轟木先輩。尊敬する先輩たちを見送るために、せいいっぱい頑張ります。この場には卒業生の方々も在校生の方々も集まっていると思いますけれど、どうか最後まで見届けてください』


 森藤がぺこりと一礼すると、温かな拍手が打ち鳴らされた。


『それではトップバッターは、「さくら事変」です。さっそく頼もしい先輩たちのお力をお借りしちゃいます』


 森藤の言葉に応じて、ステージを隠していた幕がするすると開かれた。

 ステージには、すでに三名のメンバーがスタンバイしている。ギターの宮岡部長、ベースの小伊田、ドラムの寺林副部長だ。


 宮岡部長はチャコールグレーのシャツの上から、タイトな黒いジャケットを羽織っている。そんな宮岡部長が軽やかにギターをかき鳴らすと、たちまち黄色い声援がわきたった。宮岡部長は、とりわけ女子生徒から熱い支持を受けているという話であったのだ。


 そして、ブースを離れた森藤は客席を横断して、ステップからステージに上がっていく。そうして中央に置かれた電子ピアノのもとに到着すると、森藤は再び一礼した。


『それでは「さくら事変」、スタートします。一曲目は、お馴染みのあの曲です』


 お馴染みのあの曲とは、文化祭でも一曲目に披露した曲であった。

 最初はピアノの独奏で、そこにドラムとベースが加わり、最後にギターが参加する。アップテンポだが休符の効果でゆったりと聴こえる、軽妙な楽曲であった。


 この『さくら事変』では、宮岡部長と寺林副部長も本来の力強さを制御している。それもまた、曲調に合わせてのことであるのだ。『さくら事変』が演奏する楽曲は、パワーよりも小気味好さや流麗さを重んじる曲調が多かった。


 ただし、文化祭のステージよりも格段に迫力が増している。やはり体育館よりもライブハウスのほうが臨場感に秀でているし、それに何より上級生の二名の演奏力が増しているように感じられた。


(リハのときにも感じたけど……本当に、練習を頑張ったんだろうなぁ)


 文化祭では、受験勉強の合間に必要最低限の練習をこなした状態であったのだろう。であれば、これが宮岡部長たちの本来の実力なのだろうと思われた。


 ヴォーカルを受け持つのは森藤で、彼女は歌声もピアノも繊細で愛らしい。これは原曲のイメージ通りであるのか、あるいは森藤個人の特性であるのか、とてもやわらかな歌声と演奏であるのだ。そこには彼女の人間性というものも、大きく反映されているのではないかと思われた。


(ピアノ&ヴォーカルっていうのは、栗原さんと一緒だけど……本当に、似ても似つかないなぁ)


 まあ、それを言ったらギターもベースもドラムも『KAMERIA』とはまったく様相が異なっている。これはもう、音楽性の違いと言うしかなかった。

 しかし、『さくら事変』の演奏は心地好いし、楽曲の素晴らしさは言うまでもない。歌のメロディも楽曲のアレンジも、とにかく洒脱で魅力的であるのだ。めぐるの好みからはかけ離れているはずであるが、こうして演奏を拝聴する立場としては心地好い限りであった。


 ジャズベースを使用する小伊田の音色は、ピック弾きであるにも関わらず、金属的な響きがほとんど感じられない。常にトーンを絞った、やわらかな音色であるのだ。それもまためぐるにとっては物足りない音作りであったものの、やっぱりこのバンドにはとても相応しいように思われた。


 本日の持ち時間は二十五分間であるため、『さくら事変』のステージは五曲で終了する。

 めぐるは義務感ではなく、温かな心持ちで拍手を送ることができた。


『ありがとうございます。この後も素晴らしいバンドが目白押しですので、最後までお楽しみください』


 白い頬を紅潮させた森藤がそんな言葉で締めくくり、黒い幕が閉ざされた。

 暗かった客席にひかえめな照明が照らされて、洋楽のBGMが流される。あちこちの人々が歓談を始めて、こちらでは町田アンナが声を張り上げた。


「いやー、『さくら事変』もすっごくイイ感じになったよねー! でもやっぱ、ウチと和緒があそこにお邪魔するってのは、まだうまくイメージできないなー!」


「え? そ、それはどういったお話でしょうか?」


 ミサキがびっくりまなこになると、町田アンナではなく和緒が説明した。


「さっきのバンドのギターとドラムが卒業生なんで、次の文化祭ではあたしと町田さんがヘルプとして参加することになるかもしれないんです」


「ああ……そういうことですか。確かにさっきのバンドと『KAMERIA』じゃ音楽性がまったく違うので、どんな演奏になるのか想像がつきませんね」


 そんな風に言いながら、ミサキはおずおずと微笑んだ。


「でも、軽音学部って、そういうものなんですね。なんだか……とても楽しそうです」


「それを楽しめる度量があればいいのですが、私には難しいようです」


 栗原理乃が冷ややかな声をあげると、ミサキはたちまち縮こまってしまった。


「な、何かお気分を害するようなことを言ってしまいましたか? それでしたら、ごめんなさい」


「あはは! ミサキちゃんは、なーんも悪くないよー! リィ様も、いい加減にあきらめが悪いなー!」


「私は、狭量な人間ですので」


 栗原理乃は、ぷいっとそっぽを向いてしまう。フレアハットの陰に隠されたその顔は、やはり人形のように冷たく無表情であった。


(やっぱり栗原さんも、町田さんたちが他のバンドを手伝うのは気が進まないんだなぁ)


 その気持ちは、めぐるにも痛いほどよくわかる。他のバンドに時間を取られれば、『KAMERIA』に使う時間が削られるのは当然の話であるし――そうでなくとも、自分の大切な相手が他のグループに加わるというのは、たいそう落ち着かない心地であるのだった。


『みなさん、お疲れ様でした。「さくら事変」のステージは如何でしたか?』


 と、再び客席に森藤の声が響きわたる。

 ステージから下りたばかりである彼女は、また客席の後部に設えられたブースでマイクを握っていた。『V8チェンソー』企画イベントのハルのように、彼女が転換の時間のMC役を担うようである。


『次に登場するのは、軽音学部のOBメンバーによるスペシャルバンドです。わざわざ今日のイベントのために、大先輩の方々が頑張ってくださいました。有名なヒット曲も満載ですので、みなさんもどうぞお楽しみください』


 客席の人々は、好意的な拍手や歓声を送っている。

 高校生とは思えない容姿をした人間も少なくはないので、それがOBの友人知人であるのだろう。もしかしたら、こちらにも軽音学部のOBが入り混じっているのかもしれない。卒業の後にまで学校関連のイベントに足をのばすというのは、めぐるにとってなかなか現実味のない話であった。


(まあ、『KAMERIA』は卒業の後も続けたいけど……それだって、他の人たち次第だもんなぁ)


 そんな風に想像すると、たちまち背中が丸まってしまう。

 しかしめぐるは和緒に頭を小突かれるより早く、自らの力で背筋をのばした。他のメンバーたちがそう簡単に『KAMERIA』を捨てたりはしないと、めぐるはそう信じると決めたのだった。


(いつか『KAMERIA』が、『SanZenon』みたいになれるまで……できれば、その後もずっと……)


 めぐるがそこまで空想の翼を広げたとき、客席の照明が落とされた。

 次のバンドの準備ができたのだ。歓声が響く中、SEと思しき電子音の音楽が流されて、ステージの幕が開かれた。


 こちらのバンドのメンバーは、まだ大学生ぐらいの年頃である。ただし、宮岡部長たちが入学する前に卒業している世代であるとのことであった。

 全員男性で、とても有名な日本のバンドの楽曲をコピーしているらしい。しかし、テレビもパソコンもスマホも持っていないめぐるには、まったく馴染みのない楽曲ばかりであった。


 その楽曲の完成度には、感服するばかりである。流麗なる歌のメロディも、演奏のアレンジや構成も、とうてい真似できないレベルであるように感じられた。

 しかしその反面、演奏力の乏しさが強調されてしまう。メロディや楽曲がきわめて凝っているために、それを再現するのが難しいのだろう。めぐるはこれまでも、コピーバンドからそういう印象を受けることが多かった。


(でも……『さくら事変』には、そういうのを感じないんだよな)


『さくら事変』がコピーしているのも、現役で活動している有名なバンドの楽曲である。そしてやっぱり、完璧に再現するのはきわめて困難であるという話であったのだ。


「あんなもんを完コピできたら、世話はねえよ。だから、曲の雰囲気を崩さないていどにアレンジしてるんだ」


 いつだったか、寺林副部長はそんな風に言っていた。彼らは無理に再現を目指すのではなく、自分たちの技量に見合った形に楽曲をアレンジしているとのことであった。


(それで演奏がしっかり噛み合うなら……わたしは、そっちのほうが魅力的に思えるなぁ)


 このOBバンドの演奏を耳にしていると、楽曲の素晴らしさばかりに気を取られてしまう。そして、それを再現できない演奏力を残念に思う気持ちが先立ってしまうのだった。


(コピーバンドって、難しいな。わたしはやっぱり、自分がやりたいとは思えないや)


 めぐるがそんな想念にふけっている間に、そちらのバンドのステージは終了した。

 気づけば、客席もさらに賑わっている。五十名ていどであった人数が、七十名ていどに増えたようだ。まだまだ客席にゆとりはあったが、それでもなかなかの熱気であった。


 そんな中、三番手のバンドの演奏が開始される。

 都内でも活躍しているという、年長のOBバンドだ。その実力は、リハーサルの段階でも明らかにされていたが――本番のステージでは、さらなる実力が発揮されていた。


 こちらのバンドはコピーではなく、オリジナルの楽曲を披露している。メンバーは四名で、ヴォーカルの女性がセミアコというギターを担当しており、あとはベースにピアノにドラムという編成であった。


 楽曲はスローからミドルの落ち着いた曲調ばかりで、めぐるにとってはいささか物足りない。そもそもセミアコのギターというのは激しく歪ませたりする楽器ではないらしく、他の演奏もそれに合わせて優しい音色を奏でているのだ。一曲や二曲であればまだしも、最初から最後まで落ち着いた楽曲であるというのは、めぐるにとって刺激不足としか言いようがなかった。


 だが――このバンドの演奏は、とても魅力的である。

 彼らはめぐるにとってもっとも重要な、演奏の調和というものを十分に備え持っていたのだ。

 すべての音色が正しく絡み合い、心地好い結合を見せている。そうしてそれがゆったりと落ち着いた演奏であるものだから、めぐるの心を眠たくなるぐらい安らがせるのだった。


 とりわけ心地好いのは、ベースとドラムである。

 ドラムは、和緒と同じ楽器とは思えないほど、やわらかな音を奏でている。『KAMERIA』であれば、きっと他なる楽器のサウンドにかき消されてしまうことだろう。しかしそこには、人間ならではの鼓動というものがはっきり感じられた。


 そんなドラムに、ベースの低音が深く絡み合っている。ベースは木目の五弦ベースで、小伊田と同様に金属的な響きがまったく感じられず――そしてそれ以上に、ウッディな響きが強調されていた。あくまでめぐるの印象であるが、それは木の温もりと響きであるように思えてならないのだ。


 フレーズもずいぶんシンプルであるが、休符やゴーストノートの効果で、とても魅力的に感じられる。『KAMERIA』のバラード曲である『あまやどり』に限っては、お手本にしたいぐらいであった。


(いいなぁ……わたしもかずちゃんのドラムと、これぐらいしっかり絡み合いたいなぁ)


 そんな想念も、めぐるの心を安らがせるばかりであった。

 

(これだったら、『V8チェンソー』と対バンしててもおかしくないよ。ていうか……よく考えたら、こっちの人たちのほうが年上なんだろうしね)


 めぐるはこれまでにも、落ち着いたバンドの演奏を何度か耳にしている。しかし、これほどの完成度を見せているバンドはなかったので、心から尊敬することがかなったのだった。

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