05 来客

 OBバンドのメンバーとしばし語らったのちは、コンビニの弁当で簡単に昼食を済ませながら他のバンドのリハーサルを見物することになった。


 本日は、六つのバンドが出演する。トップバッターは、二年生コンビと三年生の助っ人メンバーによる『さくら事変』。二組目は、OBの寄せ集めバンド。三組目は、さきほど挨拶をしたOBバンド。四組目は、ゲストバンドの『ケモナーズ』。五組目は、『KAMERIA』。六組目が、『イエローマーモセット』という順番だ。


 OBバンドの在籍時には、軽音学部のメンバーだけで六組の枠が埋められていたのだという。かつては、それほどに活況を呈していたのだ。しかし、軽音学部がそんなに大量の部員を抱えていたならば、部室での練習もままならないはずなので――軽音学部が衰退してよかったというめぐるの本音は、心の奥底に厳重に仕舞い込んでおくしかなかった。


 そうして全バンドのリハーサルが終了したならば、顔あわせである。『V8チェンソー』企画のイベントと同じように、出演者が一堂に会するのだ。ただ、個人の紹介まではされず、各バンドの経歴が簡単に語られるていどの内容であった。


「五番目に出演する『KAMERIA』は、結成一年足らずとは思えない完成度と爆発力です。これでもメンバーはまだ全員一年生なので、どうか可愛がってあげてください」


『KAMERIA』は、そんな言葉で紹介されることになった。

 寄せ集めバンドの面々は、ずいぶん熱心にこちらの様子をうかがっているように見受けられる。もしかしたら、めぐるを除くメンバーたちの外見的な魅力に胸を躍らせているのだろうか。そういう気配に敏感な和緒は、普段以上にクールなポーカーフェイスであった。


 そんな顔合わせも無事に終了したならば、ついに午後の三時――開場の時間である。

 しかし、しばらくはお客が来る気配もない。本日もそれなりに長丁場であるため、そうまで早くから来場しようと考える人間は少ないのだろう。トップバッターの『さくら事変』とトリの『イエローマーモセット』は客層がかぶっているのであろうから、なおさらであった。


「そういえば、今日も紙袋をかぶりっぱなしなの?」


 そのように問うてきたのは、二年生の森藤である。

 店内で注文したジンジャーエールをすすりながら、町田アンナは「ううん!」とオレンジ色の髪を揺らしながら首を振った。


「いちおー話し合ったけど、かぶりっぱは文化祭とかだけにしておこーって話になったよ! アレって視界が悪くなるし、けっこー息苦しいからさ!」


「そっか。『KAMERIA』はみんな可愛いから、わたしもそのほうがいいと思うよ。こんなに可愛いのにあんな極悪なサウンドっていうのが、『KAMERIA』の売りだろうからさ」


「うんうん! ウチ以外のみんなは、ほーんとレベル高いもんねー!」


「町田さんだって、その内のひとりだよ。みんなそれぞれ、個性の違う可愛さだよね」


 めぐるは反論したかったが、話の腰を折ったあげくに頭を小突かれるだけなので、やめておいた。

 開場してから十五分ほどが経過すると、ようやくぽつぽつとお客が下りてくる。クラスメートか何かがやってきたようで森藤が離席すると、その場には『KAMERIA』のメンバーだけが残された。


「今のところ、同学年の人間は見当たらないみたいだね。文化祭で暑苦しいものをかぶった甲斐があったってもんだ」


「あはは! でも、サウンドだけでお客を呼べないとしたら、ジクジたるシンキョーかなー! ま、あの学校ってバンドに興味ある人間が少なそうだけどさ!」


「だからこそ、軽音学部も衰退の一路を辿ってるんだろうしね。あたしら単体が目当てのお客なんてのは、ほんとに来るのかな」


「うーん。今日は昼のイベントだから、どうなんだろうねー! こればっかりは、フタを開けてみないとわかんないなー!」


 そうして楽しく語らっていると、ほっそりとした人影がおずおずと近づいてきた。

 何気なくそちらを振り返っためぐるは、思わずきょとんとしてしまう。それは、とても可愛らしい面立ちと格好をした人物であり――人の顔を見覚えることが苦手なめぐるでも、はっきりと見覚えがあったのだった。


「あれー? ミサキちゃんじゃん! どーしてミサキちゃんが、こんなトコにいるのー?」


 と、めぐるよりも早く町田アンナが盛大に声を響かせた。

 それでその人物は、気の毒なぐらいあわあわとしてしまう。


「ど、どうもすみません。事前にご連絡を入れるかどうか、ずっと迷っていたのですけれど……あれこれ悩んでいる間に、当日になってしまって……」


「えー? つまり、ウチらを観にきてくれたってことー? 家も遠いのに、わざわざありがとー!」


「い、いえ。いちおう、県内は県内ですし……」


 その人物はごにょごにょと言いながら、まだきょとんとしているめぐるのほうに上目遣いの視線を向けてくる。するとたちまち、そのなめらかな頬が赤く染まった。


「と、突然おうかがいしてしまって、どうも申し訳ありません。あの……めぐるさんも、お元気でしたか?」


「あ、は、はい。こ、こちらは変わりありませんけれど……」


 と、めぐるも一緒になってまごまごしてしまう。

 それは先月の『V8チェンソー』企画イベントでご一緒した、『ヴァルプルギスの夜★DS3』のベーシスト――13号こと、ミサキであったのだ。ミサキという名前に関してはその夜の別れ際に打ち明けられていたし、その後はSNSの『KAMERIA』のアカウントを通じて何回か連絡をいただいていたのだった。


 綺麗なウェーブを描くセミロングの黒髪をふわりと垂らしたミサキは、とても可愛らしい容姿をしている。丈の短い真っ白のジャケットに、小さなフリルのついたブラウスとトレンチワンピースといういでたちも、その可憐な面立ちによく似合っていたが――ただしミサキは、生物学上において男性であった。ナチュラルメイクに彩られた白い顔も、透明感のある声も、華奢でなよやかな体格も、何もかもが可憐な少女そのものであったが、それでも彼はめぐるたちより一歳年長の少年であったのだった。


「ミサキさんのお住まいは、柏だったっけ? 県内でも、一時間ぐらいはかかるんじゃない?」


 和緒がクールに問いかけると、ミサキは「あ、はい」と目を泳がせた。


「か、快速を使って、ちょうど一時間ぐらいでした。……ど、どうもすみません」


「苦労をしたのはそっちなんだから、謝る必要はないでしょうよ。……おっと、ついつい気安い口を叩いちゃいましたね。ミサキさんは、年上でしたっけ」


「い、いえ。どうぞ気になさらないでください。ボ、ボクは誰が相手でも、こういう喋り方ですので……」


 と、ミサキはもじもじとする。そんな仕草も、可愛らしい限りであった。


「でも、わざわざウチらのために来てくれたんだー? ヴァルプルのメンバーさんに来てもらえるなんて、なんかキョーシュクだなー!」


「あ、いえ……あれはあくまで、サポートですので……ボクだって、ヒヨッコバンドの一員に過ぎません」


 ミサキは『ヴァルプルギスの夜★DS3』のボスたる鞠山花子のスカウトによってサポートメンバーを務めているが、普段は自分のバンドで活動しているのだ。そのライブ映像を確認した和緒いわく、「きわめて前衛的なアングラバンド」であるとのことであった。


「でも、わざわざ来てくれるなんて嬉しいなー! ほらほら、めぐるももてなさないと!」


「は、はい……えーと、その……きょ、今日はわざわざありがとうございます」


「い、いえ……ほ、本当にその、勝手な真似をしてしまって……」


 めぐるとミサキが二人そろってもじもじすると、和緒は「駄目だこりゃ」と肩をすくめた。


「ベース談義じゃないと、会話もままならないみたいだね。ここはひとつ、なんの脈絡もなしにベース自慢でもしてみたら?」


「い、いきなりそんなこと言われても……」


「それじゃあ、あたしが話題を提供してあげよう。……ミサキさんが使ってるタルボってベースはもう生産されてなくて、けっこうプレミアがついてるみたいですね。なかなかお高かったんじゃないですか?」


「は、はい。ギターだったらけっこう中古でも出回ってるんですけど、ベースは本当にタマ数が少ないみたいで……でも、中古ショップで見かけたら、我慢がきかなくて即買いしちゃいました。実はまだ、ローンも終わってないんです。めぐるさんのリッケンも、きっと同じぐらい値が張りますよね?」


「あ、いえ。わたしはたまたま格安のベースと巡りあえたので……こんな初心者が使うのは申し訳ないぐらいです」


「そんなことないですよ! めぐるさんはすごいプレイヤーですし、リッケンのフォルムもすごく似合ってます! あんなにしっかり使ってもらえたら、ベースだって喜んでるはずです!」


「あ、ありがとうございます。13号さ……あ、いえ、ミサキさんも、あのベースはすごく似合ってると思います。それに、金属的な音色がすごく独特です。あれってやっぱり、ボディがアルミなことと関係してるんでしょうか? 普通のベースより、重くて冷たい感じがするんです」


「そうですね。ボクも他のアクティブベースは弾いたことがないので、あんまりはっきりしたことは言えないのですけれど……ボディの素材は、大きいと思います。ただ、エフェクターの音作りでも金属的な質感を狙っているから……どこからどこまでがベース本体の影響なのかは、ちょっと判断が難しいですね」


「あ、エフェクターって何を使ってるんですか? あの歪みは、とても素敵だと思います」


「メインの歪みは、プリアンプなんですよね。もともとハイゲインだから、すごく強烈に歪んでくれて……あとは、オクターブファズもときどき使っています。そちらは、飛び道具みたいな扱いですね」


「あ、わたしもオクターブファズを使ってます。飛び道具じゃなくって、激しい曲ではほとんど踏みっぱなしにしたりもしますけど……」


 そこで我に返っためぐるは、周囲のメンバーたちを見回した。

 和緒はしたり顔で腕を組んでおり、町田アンナはにこにこと笑っている。ひとり栗原理乃だけは、素知らぬ顔でミネラルウォーターを口に運んでいた。


「めぐるもミサキちゃんも楽しそー! いいなー! ウチも誰かとギター談義でもしたいなー!」


「す、すみません。つ、ついつい夢中になってしまって……」


「こ、こちらこそ、すみません。ずっとめぐるさんに、ベースのことをお聞きしたかったから……」


「我に返る必要はないでしょうよ。まだ開演まで時間はあるから、好きなだけ我を見失いなさいな」


 和緒はそのように言っていたが、いったん我に返るとそれも難しい話であった。

 すると、ミサキがもじもじとしながら言葉を重ねてくる。


「あの、さっきめぐるさんは初心者だと仰ってましたよね。いったい、いつぐらいからベースを弾いているんですか?」


「え? それは、その……ら、来月でちょうど一年になりますけど……」


「一年!?」と、ミサキは絶句してしまった。

 すると、町田アンナが笑顔で割り込んでくる。


「やっぱ、オドロキだよねー! ちなみにミサキちゃんは、いつぐらいに始めたの?」


「わ、わたしは中学二年生の頃です。親戚の家にベースがあって、さわってみたらすごく楽しくて……そうしたら、その持ち主だった従兄弟が以前に使っていたベースをプレゼントしてくれたんです」


「おー! それなら、ウチと一緒だねー! でも、いっこ上だから一年先輩かー! それでヴァルプルにスカウトされたんだから、やっぱミサキちゃんもすごいよー!」


「は、はい。ミサキさんは、すごくお上手だと思います。それに、すごく格好いいですし……」


「わ、わたしは学校にも行かないで、ずっとベースを弾いていましたから……中学生の頃から不登校で、けっきょく高校も受験しなかったんです」


 ミサキはもじもじと恥じらいながら、そう言った。


「今もフリーターで、家のことは親に甘えています。きちんと学校に通いながら、たった一年であんなベースを弾けるなんて……やっぱりめぐるさんは、すごいです」


「ですが、そのような来歴は観る人間にとって関係ないのでしょうね」


 と――我関せずであった栗原理乃が、いきなり口を開いた。


「もちろん私も、遠藤さんのことを心から尊敬しています。でも、客観的に考えるなら……遠藤さんはキャリアが浅いという情報を付加価値にしなくとも、きわめて上質なプレイヤーであるはずです」


「んー? よくわかんないんだけど、リィ様はけっきょく何が言いたいわけ?」


「初心者でもあれだけのベースを弾けるという評価は、正しくないように思ったまでです。たとえ遠藤さんが十年のキャリアを持つプレイヤーであったとしても、あのサウンドが魅力的であるという事実に変わりはないはずです」


「……そうですね」と、ミサキははにかむように微笑んだ。


「ボクはめぐるさんのキャリアを知る前から、魅力的だと思っていました。初心者というのは確かに大きな付加価値なのかもしれませんけれど、それとは関係なしにめぐるさんは凄いと思います」


「ええ。私もそのように考えています。同じ気持ちを共有できたのなら、幸いです」


「あはは! よくわかんないけど、丸くおさまったみたいだねー! でも確かに、初心者だけどスゴい! って評価は、ちょっと物足りないかー!」


「ふん。あたしには、まだまだ付加価値が必要だからね。そこのプレーリードッグよりさらに一ヶ月ばかりもキャリアが浅いってセールスポイントを、存分に活用させていただくよ」


 和緒が和緒らしい口を叩くと、町田アンナは楽しげに笑い、ミサキも口もとをほころばせる。

 そうして『KAMERIA』のメンバーは、ミサキのおかげでライブ前のひとときをいっそう楽しく過ごすことがかなったのだった。

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