04 リハーサル

『イエローマーモセット』のリハーサルが終了したならば、次が『KAMERIA』の出番であった。

 本日も逆リハというやつで、出演とは逆の順番でリハーサルが行われる。つまりは『イエローマーモセット』が大トリで、『KAMERIA』がトリ前であるということだ。リハーサルの時間が十五分間で、転換の時間が十分間というのは、めぐるがこれまで経験してきたいくつかのライブと同様であった。


 ただし、『千葉パルヴァン』でリハーサルを行うのは初めてのことである。『KAMERIA』の初のライブであった『ニュー・ジェネレーション・カップ』なるイベントには、リハーサルが存在しなかったのだ。PAのスタッフともきちんと顔をあわせるのはこれが初めてであったため、小心者のめぐるはたいそう恐縮してしまった。


 しかしまた、こちらのベースアンプも『ジェイズランド』と同じくアンペグというメーカーであるし、ヘッドにもキャビネットにも不備は見当たらない。めぐるはこれまでのライブやスタジオ練習と同じ感覚で、自分が好ましく思う重低音を鳴らすことができた。


(でも……こんなにあれこれエフェクターを使うベーシストって、そんなに多くないんだろうなぁ)


 現在のめぐるは、四つの歪みとオートワウを使用している。それらの組み合わせで、七つもの音色を使い分けているのだ。

 ソウルフードでブーストさせたラットとビッグマフのブレンド、同じくラットとB・アスマスターのブレンド、ソウルフードでブーストさせた原音とビッグマフのブレンド、同じく原音とB・アスマスターのブレンド、ソウルフードでブーストさせたラットと原音のブレンド、ソウルフードでブーストさせた原音とB・アスマスターのブレンドにオートワウの重ねがけ、ソウルフードでブーストさせたラットとB・アスマスターのブレンドにオートワウの重ねがけ――そして、歪みもオートワウも使用しないクリーンサウンドまで加えれば、合計は八種だ。リハーサルでは、その八種の音の具合を確認してもらわなければならないわけであった。


 いっぽう町田アンナなどは、その半分である。アンプだけで歪ませた音と、トーンとボリュームを絞ったクリーンサウンド、単体のラット、ダイナドライブでブーストさせたラット――彼女はそれだけの音色で、あれだけ多彩な演奏を見せることができるのだった。


(わたしはやっぱり、エフェクターに頼りすぎなのかなぁ。フユさんやキュウベイさんなんかは、もっとたくさんエフェクターを使ってるけど……歪みなんかは二種類ぐらいで、あとは空間系とかだもんなぁ)


 しかしまた、めぐるはどうしても音色の数を絞ることができなかった。『KAMERIA』が作りあげてきた楽曲には、これらのサウンドが必要であるのだ。リハーサルで多少の気まずさを覚えるとしても、決して妥協することはできなかったのだった。


 それに、言葉にすると大層な内容に聞こえてしまうが、それらのエフェクターを使い分けることに苦労はなかった。Aラインはビッグ・マフかB・アスマスターか原音、Bラインはソウルフードでブーストさせたラットかソウルフードでブーストさせた原音。その組み合わせに、あとはオートワウを重ねるかどうかというだけの話であるのだ。ラインセレクターという便利な機材のおかげで、めぐるはさして悩むこともなくこれらの音色を作りあげることがかなったのだった。


 また、PAのスタッフもべつだん迷惑そうな顔をしていなかった。あちらにしてみれば、重要であるのは出力の加減と音ヌケぐらいであるようなのだ。めぐるはあるていど出力を一定にしているつもりであるし、音ヌケに関しては他の演奏と重ねなければ判然としない部分も多いので、事前のサウンドチェックではひとつの音色につき数秒ていどの音出ししか求められなかった。


 そうしていざ演奏してみると、普段通りの心地好さである。

 途中でギターとドラムの音を少しだけ強く返してもらったが、そうすればもう何の不満もない出来栄えであった。


『お疲れ様でした。本番もよろしくお願いします』


「はーい! よろしくお願いしまーす!」


 十五分間のリハーサルはあっという間に終了して、めぐるはいそいそと撤収作業に取り掛かる。

 すると、PA卓からこちらに出向いてきたスタッフがめぐるのエフェクターボードを覗き込んできた。


「……やっぱり、イコライザーとかは使ってないよね」


「え? え? な、なんでしょうか?」


「いや。これだけ派手に歪ませてるのに、ギターとは上手く分離してるなと思ってね。普通はもっと周波数がかちあって、おたがいの音を潰し合うものなんだよ。……そのあたりは、けっこう気にしてるの?」


「あ、いえ、専門的なお話は、よくわからないのですけれど……」


「そう。だったら、感性の賜物だね。それはそれで、大したもんだよ」


 それだけ言って、PAスタッフはコーラスマイクの設置に取り掛かった。

 ぶっきらぼうな態度であるし、笑みのひとつも浮かべているわけでもない。ただめぐるは、その言葉の内容だけでひどく誇らしい気持ちを抱くことができた。


(よくわからないけど……とりあえず、ほめてくれたんだろうしね)


 そうしてめぐるがエフェクターボードを抱えて客席に下りると、そこには『ケモナーズ』のメンバーたちが待ちかまえていた。軽音学部には三つのバンドしか存在しないため、彼らがゲストバンドとして招集されていたのだ。


「お疲れ様でした! 相変わらず、極悪なサウンドだったね! いやー、本番は逆の順番でよかったよ! 『KAMERIA』の後だと、俺のベースなんてぺらっぺらに聴こえちゃいそうだし!」


 いきなりそんな言葉を叩きつけられて、めぐるは呆気なく慌ててしまう。ただし、声の主たる『ケモナーズ』のベーシストは、満面の笑みであった。


「この前のイベントも、お疲れ様でした! 俺らも俺らなりに頑張るんで、よろしくお願いします!」


「搬出の邪魔しないの! ……でも、今日も最高だったよー! 本番が楽しみだね!」


 そのように言葉を重ねたのは、ギター&ヴォーカルの少女だ。こちらの両名とキーボードの少女は、『V8チェンソー』企画のイベントにも参じてくれたのだった。

 めぐるはへどもどしながら、とにかく搬出の作業を遂行する。電子ピアノはステージからバックヤードへと運び込まれて、その他の機材はひとまず客席に下ろされた。


 そうしてステージが空いたならば、『ケモナーズ』の面々が意気揚々と上がり込んでいく。そしてこちらには、でっぷりとした人影が近づいてきた。

 ビア樽のような体型で、丸い顔の下半面に豊かな髭をたくわえた、ペンションのオーナーか何かを思わせる壮年の男性――こちらのライブハウスの店長である。めぐるは去年の夏のイベントで何度か見かけただけであったが、実に個性的な外見であったのでしっかり記憶に残されていた。


「やあやあ、お疲れ様。いやあ、噂には聞いていたけど、去年の夏とは別人みたいに成長したね。ジェイズさんの準レギュラーじゃなかったら、うちのレギュラーバンドに誘いたかったぐらいだよ」


 その店長はにこにこと笑いながら、そんな言葉を投げかけてきた。

 町田アンナは「ありがとうございまーす!」と元気に答えてから、小首を傾げる。


「でも、ウチらがジェイズの準レギュラーだって、なんで知ってるのー? 『ケモナーズ』の人らに聞いたとか?」


『ケモナーズ』はこちらのライブハウスと懇意にしていて、野外フェスや年越しイベントにも参加していたのだ。

 しかし店長は「いやいや」とグローブのように分厚い手の先を振った。


「ジェイズさんとはときどき連絡を取り合ってるし、正月なんかには千葉のライブハウスの関係者で新年会を開いたりもするんだよ。君たちみたいに若くて有望なバンドを準レギュラーにお招きできて、ジェイさんもほくほく顔だったよ」


 幽霊のような風体をしたジェイ店長のほくほく顔というのはちょっと想像がつかなかったが、めぐるとしてもじんわり胸が温かくなるような話であった。


「しかも君たちは、リトプリやヴァルプルが出演するブイハチ企画のイベントにも参加したんだってね。いくら何でも、それは過酷なんじゃないかって心配してたんだけど……当日は大盛況だったって話だし、今日のリハで納得できたよ。君たちは、本当にすごいねぇ」


「いえいえ、めっそーもない! でも、そんな風に言ってもらえるのは嬉しいなー!」


 町田アンナが屈託なく笑うと、店長のほうもにっこり笑った。


「機会があったら、是非うちにも出演しておくれよ。たまには違うライブハウスで演奏するのも、いい刺激になるだろうからさ。……それじゃあ、今日も頑張ってね」


 そんな言葉を残して、店長はのしのしと立ち去っていった。

 町田アンナは、笑顔のままめぐるたちのほうに向きなおってくる。しかしその口が開かれるより早く、今度は宮岡部長が近づいてきた。


「みんな、お疲れ様。ライブ動画から察してたけど、またひとつかふたつはレベルが上がってるね。卒業ライブじゃなかったら、トリを任せたかったところだよ」


「いやー、そっちだってめっちゃパワーアップしてたじゃん! マジで練習がんばったんだねー!」


 町田アンナが無邪気な笑顔を返すと、宮岡部長は「そりゃそうさ」と不敵に微笑んだ。


「生半可なステージじゃ、あなたたちに対抗できないしね。まあ、真っ向勝負は分が悪いから、ちょっと小細工もさせてもらうけど……あとは本番のお楽しみだね」


「うんうん! 本番が待ち遠しいなー!」


 すると、客席の隅で謎の一団と語らっていた寺林副部長が「おい」と呼びかけてきた。


「お前らも、挨拶しておけよ。我が部の偉大な先輩がただぞ」


 本日は『ケモナーズ』ばかりでなく、軽音学部のOBのバンドも招集されているのだ。めぐるが和緒の背中に隠れながら近づいていくと、そちらで驚くべき言葉を聞かされた。


「で、こっちのお二人はこの前のイベントでお前らのライブを観たんだってよ。でも、すげえ人混みだったから挨拶もできなかったんだとさ」


「へー! でも、なんで? ウチらを観にきたんじゃないんでしょ?」


「先輩がたは、あのブイハチってバンドと対バンの経験があったんだよ。で、ついでにお前らのライブも観ておこうって話になったわけだ」


 すると、和緒が「ああ」と反応した。


「浅川さんから、うちのOBバンドと対バンしたってお話はうかがってました。もしかしたら、そちらのみなさんのことだったのかもしれませんね」


「あのイカついバンドと対バンできるバンドなんて、そうそうなさそうだからな。まずは、当確だろ」


 そのように語る寺林副部長は、ずいぶんと得意げな面持ちであった。

 しかしめぐるはそれよりも、和緒の発言のほうが気になってしまう。


「ねえ。かずちゃんは、どこでそんな話を聞いたの?」


「はあ? あんただって、一緒にいたじゃん。ていうか、話を聞いてたのはあんたで、あたしのほうがおまけでしょ」


「え? そ、そうだったっけ? ぜんぜん記憶にないんだけど……」


「まったく……あんたがアンプを買うかどうか相談するために、お店まで押しかけたときのことだよ。その流れで、あんたは軽音学部への入部を煽動されたんでしょうよ」


 和緒のそんな言葉が、めぐるのシナプスをほのかに刺激した。

 確かに浅川亜季は、めぐるたちの通う高校に軽音学部が存在することをあらかじめ知っていたのだ。何故それを知っていたかというと――以前にOBのバンドと対バンしたことがあるという、そんな話であったのだった。


「じゃ、それがなかったらめぐるたちは入部してなかったかもってこと? だったら、ウチらの大恩人じゃん!」


 町田アンナが声を張り上げると、寺林副部長のかたわらにたたずむ面々が愉快げに笑った。


「いきなり大恩人あつかいとは、恐縮しちゃうね。でもまあ、あなたたちみたいな凄いバンドの誕生にちょっとでも関わってたんなら、光栄に思うよ」


 そのように発言したのは女性であったが、残る三名は男性だ。そしていずれも、二十代半ばであるように見えた。


「こちらの先輩がたは、コンクールの全国大会で優勝してるんだぞ。いまや演奏も、プロ級なんだ」


 寺林副部長の言葉に、別の男性が「いやいや」と手を振る。


「あれはみんな、熱血顧問のおかげだよ。今ではただの、しがない社会人バンドさ」


「でも、都内でもばりばり活動してるじゃないですか!」


「本職の合間をぬって、のんびりバンド活動を楽しんでるだけさ。で、女性ヴォーカル限定のイベントがあって、そこでブイハチと対バンすることになったんだよ」


 角張った顔に薄く髭を生やした男性が、のんびりとした笑顔でそう言った。


「そのときのブイハチはメンバーがぬけたばっかりでちょっと迷走気味だったけど、すっかり生まれ変わったよね。で、彼女らの主催イベントに後輩バンドが出演するって聞いて、興味を引かれたのさ」


「うん。リトプリやヴァルプルが出るようなイベントに誘われるなんて、ただ事じゃないしね。まあ、ステージを観たら納得だったよ。あんたたちも、さっきのリハで理解できたでしょ?」


 女性がそのように声をかけると、残りの二名も無言のままうなずいた。誰も彼も、落ち着いた気性であるようだ。


「顧問の先生が余所の学校に移っちゃって以来、軽音学部もかなりパワーダウンしちゃったからさ。このまま廃部になるんじゃないかって、ちょっと心配だったんだよ。……でも、あなたたちが踏ん張ってくれたおかげで、何とか灯火は守られたね」


 その言葉は、宮岡部長と寺林副部長に向けられたものである。

 寺林副部長は気合の入った顔でうなずき、宮岡部長は「はい」と微笑んだ。


「これからは、この子たちが踏ん張ってくれるはずですよ。これからはわたしたちも、先輩がたと一緒に見守らせていただきます」


「その前に、まずは今日のライブだね。わたしたちも老骨に鞭打って、せいぜい頑張らせていただくよ」


 OBの女性はとてもやわらかい笑みを浮かべながら、そう言った。

 年齢はずいぶん離れているのに、宮岡部長たちとこちらの面々はずいぶん親しげな様子である。めぐるがそれを不思議に思っていると、また髭の男性が説明してくれた。


「軽音学部に在籍していた時代から同じメンバーでバンドを続けてる人間は、俺たちぐらいだからさ。それで卒業ライブは、毎回のように顔を出すことになったんだよ。『イエローマーモセット』はいいバンドだから、解散しちゃうのは残念だな」


「ふん。プレイの相性はともかく、人間としての相性は最悪ですからね。……そういえば轟木のやつは、挨拶もしないでどこに行ったんだよ?」


 寺林副部長が眉をひそめつつ周囲を見回すと、宮岡部長は苦笑を浮かべた。


「あいつだったら、荷物を片付けるなり出ていっちゃったよ。たぶん、ひとりでランチでも楽しんでるんでしょ」


「最後の最後まで、勝手なやつだな! ……とまあこんな感じですから、卒業の後まで一緒にやってられないですね」


「うん。あいつは、ゴリゴリのプロ志向だしね。わたしとテラは大学の場所が遠いんで、それぞれ新しいメンバーを探す予定です」


「うん、そっか。それじゃあ、心残りのないようにね。わたしたちも、しっかり見届けさせていただくよ」


 OBの女性の言葉に、宮岡部長と寺林副部長はそれぞれ「はい」とうなずいた。

 これもまた、部活動から生じた人の縁なのだろう。人格に難のあるめぐるには、真似することも難しいように思われたが――それでもやっぱり、その場の温かい空気に心を和ませることがかなったのだった。

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