03 入場
町田家で夜を明かしたならば、ついに卒業ライブの当日であった。
本日は入り時間が早かったため、朝からなかなかの慌ただしさである。低血圧である栗原理乃のフォローをしながら朝食をいただき、格闘技の試合に出向く町田家のご家族を見送り、自分たちも出立の準備を整えて、午前の十一時には家を出ることになった。
本日は、リハーサルの開始が正午ちょうど、開場が午後三時、開演が午後三時半、閉演が午後七時というスケジュールになっている。このように日中から開催されるイベントに『KAMERIA』が出場するのは、昨年の夏以来のことだ。そして、自らの足で会場に出向くのは、それこそ初ライブである『ニュー・ジェネレーション・カップ』以来のことであった。
「ま、ふつーはこうやって自力で会場を目指すもんだからねー! こーゆー日があってこそ、車のありがたみを噛みしめられるってもんさ!」
何事に対してもポジティブな町田アンナは、駅を目指す道中でそんな風に言っていた。
しかしまた、もっとも大きな苦労を担っているのは彼女である。町田アンナは非力な幼馴染に代わって、巨大な電子ピアノを積んだカートを運んでいるのだ。もちろん背中にはギターのギグバッグを背負っているのだから、大変な荷物であった。
なおかつ、町田アンナのオレンジ色をしたエフェクターボードを運んでいるのは、和緒であった。和緒のペダルケースもそれなりのサイズであるため、当初は栗原理乃が受け持つはずであったのだが――昨晩、確認してみたところ、栗原理乃がエフェクターボードの運搬を受け持つと指先に疲労が溜まってプレイに影響が出てしまいかねないという話であったのだった。
「本当に、自分で自分が情けなくてしかたないのですけれど……でも、演奏に支障が出てしまうことだけは、どうしても避けたいんです。どんなペナルティでも負いますから、エフェクターボードは別の御方が運んでくださいませんか?」
昨晩、栗原理乃はほとんど泣きだしそうな顔で、そんな風に言っていたものであった。
ただし、現在の栗原理乃はすでにリィ様に変身しているので、氷のごとき無表情である。彼女は全員分の着替えやタオルをまとめたボストンバッグだけを華奢な肩に担ぎながら、ひとり悠然と歩を進めていた。
「まあ確かに、エフェクターボードって持ち手が固いから、指が疲れるんだよねー! めぐるなんてウチより馬鹿でかいボードなのに、だいじょぶなの?」
「は、はい。毎日学校まで運んでいるので、もう慣れたみたいです」
「おー、頼もしい! ここ最近は、バイトでもへばらなくなったもんねー!」
町田アンナに無邪気な笑顔を向けられて、めぐるは気恥ずかしくも嬉しい限りであった。
確かにめぐるのエフェクターボードは、町田アンナのそれよりも二回りは巨大である。町田アンナのエフェクターはチューナーを含めて三台、めぐるのエフェクターはチューナーとパワーサプライを含めて九台であるのだから、それが自然の摂理というものであった。
「でも……こうやってエフェクターボードにステッカーを貼れるのは、ちょっと羨ましいです」
と、和緒がぶらさげたオレンジ色のエフェクターボードを見やりながら、めぐるはそんな心情をこぼした。そちらのエフェクターボードにはこれまで『KAMERIA』が参加してきたイベントのバックステージパスと、さまざまなバンドのステッカーが貼られているのだ。とりわけ羨ましいのは、『V8チェンソー』と企画イベントのタイトルである『kick down 3rd』のステッカーであった。
いっぽうめぐるが使用している黒いエフェクターボードには、なんのステッカーも貼られていない。なおかつこれは、フユからの借り物であるのだ。去年の夏以来、めぐるはまだフユからこちらのエフェクターボードと三台のエフェクターを借りたままであったのだった。
「えー? だったら、めぐるも貼っちゃいなよ! ブイハチとかのステッカーだったら、フユちゃんも文句は言わないっしょ! てゆーか、めっちゃ喜びそう!」
「うんうん。陰でこっそり随喜の涙でもこぼしそうなところだねぇ」
「そ、そんな勝手な真似、できないよ。ただでさえ、こんなに長々と借りちゃってるんだから……」
「誰も無許可で貼れなんて言ってないよ。フユさんに聞いてみる? あとでメッセージを送っておこうか?」
「あ、あっちも今日はライブなんだから、迷惑だよ。それに……言うときは、自分で言いたいし」
和緒はにやりと笑いながら、左手でめぐるの頭を小突いてきた。大荷物でもペダルケースはショルダータイプであるため、左手は空いているのだ。
そんなやりとりをしている間に、JRの駅に到着する。昼前の中途半端な時間であるためか、車内の人口密度もほどほどだ。座席に座ることはできなかったが、荷物を足もとに下ろせるだけでありがたい限りであった。
しかし、ただでさえ目立つを容姿をしたメンバーが多い上にこれだけの大荷物だと、人目を集めてしかたがない。しかも栗原理乃がリィ様の姿であるものだから、注目度も倍増だ。たとえつばの広いフレアハットを目深にかぶっていようとも、アイスブルーの髪と黒いフリルの目隠しというのは絶大なるインパクトであるはずであった。
「そういえばリィ様が初めて降臨した日も、こうやって変身した姿で電車に乗ってきたの?」
「あー、あの日も親は昼間に用事があったから、電車だったね! うん! 変身に慣れておこうって話になって、家からこの姿だったよー!」
「ふーん。ま、本人がいいなら、いいけどさ」
栗原理乃はリハーサルでもリィ様の姿をしている必要があるため、本日もこの姿で出立することになったのだ。めぐるには計り知れない心境であったが、万全の状態でライブに臨むためならば何の異論もなかった。
(まあ……たとえリィ様の姿じゃなくても、目立つことに変わりはないしね)
栗原理乃ばかりでなく、和緒や町田アンナも人目をひいてやまない容姿をしているのだ。春物のアウターを纏った三人は、今日もきわめて魅力的に見えた。
そうして電車は、二十分ていどで目的の駅に到着する。めぐるや和緒の最寄り駅である京成線では大回りで四十分がかりとなるが、JR線はその半分の時間で済むのだ。そして駅から会場までは、徒歩で十分たらずの道のりであった。
本日の会場は、『千葉パルヴァン』というライブハウスである。
めぐるたちにとっては初めてのライブを行った会場であり、夏にはこちらのライブハウスが企画した野外フェスに飛び入りで参加している。ここ最近は『稲見ジェイズランド』一辺倒であったが、『KAMERIA』にとっては大切な思い出の地であった。
「おー、なんかすっげー懐かしー! なんだかんだ、ここに来るのはひさびさだもんねー!」
そんな風に言いながら、町田アンナはカートに積んだ電子ピアノを「よっこらしょ」と持ち上げた。こちらのライブハウスは、入り口からすぐに階段を下りる造りになっているのだ。
そんな町田アンナを先頭にして階段を下りていくと、入り口の扉は閉められている。ただし、スタッフがマイクチェックをしている音がかすかにもれ聞こえていた。
ライブの当日であるという実感がわいてきて、めぐるは胸を高鳴らせてしまう。
そんな中、町田アンナは恐れげもなく扉を引き開けた。
「どうも、お疲れさまでーす! 今日出演する、『KAMERIA』でーす!」
「やあ。ずいぶん早かったね」
笑顔で近づいてきたのは、宮岡部長である。本日は、シックなチャコールグレーの長袖シャツ、タイトなブラックデニムのボトム、そして黒いブーツといういでたちであった。
「そっちのリハまで、あと二十分ぐらいはあるはずだけど。もう食事はしてきたの?」
「ごはんは、リハの後で簡単にすませるつもりだよー! この荷物じゃ、どこに行っても落ち着かないしねー!」
「ああ、電子ピアノまで持参したんだね。ここのレンタル品じゃ、用事が足りないのかな?」
宮岡部長に目を向けられた栗原理乃は、冷ややかな無表情で「ええ」と応じた。
「調べたところ、こちらで貸し出されている電子ピアノはペダルがひとつしかないタイプであったのです。私の使用している機材とはメーカーも異なっていたので、ペダルだけを転用することも難しいようでした」
「そっか。電子ピアノのことはよくわからないけど、万全の機材で挑んでくれるなら頼もしい限りだね」
そんな風に言ってから、宮岡部長は屈託なく笑った。
「それにしても、栗原さんのその格好はひさびさだったから、なかなかのインパクトだよ。ライブ映像なんかは、ちょいちょい拝見してるんだけどね」
栗原理乃は、「そうですか」としか答えない。その冷淡なる口調と声音は、普段とまるきり別人であるのだった。
「そーいえば、ブチョーたちが『KAMERIA』のライブを観るのは十一月以来だったっけ! 年越しとかブイハチ企画は来られなかったもんねー!」
「うん。受験勉強の、最後の追い込みだったからね。今日はこの一年ぐらいで溜め込んできたものを、おもいきりぶちまけさせていただくつもりだよ」
「あはは! 文化祭でも、発散しきれなかったんだー?」
「あんな十五分のステージじゃ、まったく収まらないね。あの頃は、練習だってロクにできなかったしさ。それに、今回は……わたしたちにとって、ラストステージだからね」
そう言って、宮岡部長は雄々しい笑みをたたえた。
「もちろん大学に入ったら、新しいメンバーを探すつもりだけどさ。今日はこの三年間の集大成をお披露目するつもりだから、よろしくね」
「うん! ウチらもめいっぱい頑張るよー!」
すると、ステージ上でマイクチェックをしていたスタッフがマイクで呼びかけてきた。
『まだ五分前ですけど、こっちはオッケーです。最初のリハを始めますか?』
「はい。それじゃあ、よろしくお願いします。……そっちは、セット表をよろしくね」
そんな言葉を残して、宮岡部長は立ち去っていった。
寺林副部長と轟木篤子は、すでにステージへと向かっている。それを横目に、こちらはセッティング表を仕上げることになった。
「今日は、あたしが仕上げるよ。弦楽器部隊は、準備をどうぞ」
「おー、さんきゅー! やっぱ和緒は、頼りになるなー! ね、めぐる?」
「は、はい。そうですね」
めぐるは和緒に頭を小突かれてから、エフェクターボードの蓋を開いた。
エフェクター同士を繋ぐパッチケーブルは最初から配線されているので、ツマミ等が動いていないかを確認するのみだ。こちらのエフェクターボードは蓋の側にスポンジの緩衝材が貼りつけられており、それがエフェクターを圧迫固定してくれるためにパッチケーブルも繋いだままにしておけるのだが、その代わりにツマミが緩衝材に押しつけられて動いてしまう恐れがあったのだった。
その微調整が完了したならば、ギグバッグからベース本体、ストラップ、二本のシールド、チューナーを取り出す。ボードにはチューナーのエフェクターも配置されているが、パワーサプライの電源を入れないと使えないため、リハ前のチューニングでは手持ちのチューナーを使う必要があった。
このチューナーはベースを買った際、浅川亜季がおまけと称して同梱してくれたものである。かなりの年代物であるようだが、機能のほうには問題も見られなかった。
そうしてめぐるたちが準備を進めている間に、卒業生たちのバンドたる『イエローマーモセット』のリハーサルが開始される。ドラムのチェックの後にベースの低音が響きわたると、めぐるの胸は勝手に弾んでしまった。
チューニングを終えためぐるはベースにストラップを取りつけつつ、ステージのほうに向きなおる。
轟木篤子は相変わらずの仏頂面で、淡々とベースの音を鳴らしていた。
鳥のマークがプリントされたピックガードだけが白くて、その他は真っ黒な、ちょっと風変わりな形状をしたベース――轟木篤子の愛機、サンダーバードである。その姿を見るのは、文化祭以来のことであった。
相変わらず、そのサウンドは野太い。轟木篤子はピック弾きであるが、中低音が強いどっしりとした音色だ。ここ最近は金属的なベースサウンドを耳にする機会が多かったので、とても新鮮な心地であった。
やっぱり轟木篤子のベースサウンドは、魅力的である。彼女はいっさいエフェクターを使用しておらず、格段にテクニカルというわけでもないのだが、その無骨な音色がめぐるの胸を震わせてやまないのだった。
(それに……部室や文化祭のときより、もっと格好いい。やっぱり、音響の差なのかな)
彼女はエフェクターを使わないため、サウンドチェックはあっという間に終わってしまう。
いっぽう、宮岡部長は二本のギターを準備していた。一本は文化祭でも使っていた青いエレキギターで、もう一本はアコースティックギターだ。ただし、普通にシールドを差しているため、エレクトリック・アコースティックギターというものに分類されるようであった。
「へー。確かに、文化祭のときより気合が入ってるみたいだねー」
リハーサルの邪魔にならないように、町田アンナが声量をおさえた声でそのように告げてくる。めぐるはいっそう胸が弾むのを感じながら、「そうですね」と答えてみせた。
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