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01 卒業の日

 めぐるの誕生日から、五日後――そして、和緒と二人で甘いものを食べに行った日曜日の、翌日――三月の第二月曜日である。

 その日が、めぐるたちの通う高校の卒業式であった。


 卒業式そのものは、粛々と執り行われた。見知った卒業生が三名も存在するということで、中学時代の卒業式よりはまだしも意義があるように思えたが――それでもめぐるは根本的に、式典のありがたみというものがあまりわかっていない。多少なりとも感慨を抱いたのは、その三名が壇上にあがって卒業証書を授与される姿を目にした際だけであった。


 めぐるが見知っている卒業生というのは、もちろんいずれも軽音学部の先輩がたである。

 宮岡部長に寺林副部長、それに轟木篤子の三名だ。宮岡部長は相変わらず毅然とした表情、寺林副部長は怒っているかのような緊張の表情、轟木篤子はいつも通りの仏頂面であった。


 そうして卒業式を無事に終えたならば、教室でホームルームを済ませたのち、部室を目指す。卒業する先輩がたは、そちらで見送る手はずになっていた。

 しかし、一年生と二年生の部員が集合しても、卒業生の三名はなかなかやってこない。おそらくは、クラスメートたちと別れを惜しんでいるのだろう。めぐるは生音でベースを爪弾きながら、その時間を過ごすことになった。


「みんなのおかげで賑やかになったのに、また寂しくなっちゃうね」


 そんな感慨をこぼしたのは、二年生の男子生徒である小伊田であった。小柄でややふくよかな体型をした、ものすごく温厚な人物だ。『KAMERIA』のステージを見届けた後にはいつも子供のようにはしゃいだ姿を見せる、とても無邪気な人柄でもあった。


「そのぶん、わたしたちが頑張らないとね。軽音学部の伝統を絶やさないように、新入部員の獲得にも力を入れないと」


 もう片方の二年生部員である森藤は、はりきった面持ちでそのように答える。こちらも温和な人物であったが、小伊田よりはやや気丈であるのだろう。セミロングの黒髪を自然に垂らした、清楚で品のある容姿をしていた。


「新入部員かー。あんまり部員が増えるとまた部室の取り合いになって、スタジオ代がかさんじゃうんだよなー」


 めぐると同じようにギターを爪弾いていた町田アンナがそんな声をあげると、森藤がきりっとした面持ちでそちらを振り返った。


「町田さん、わかってるとは思うけど――」


「はいはい。ウチらはあくまで部員として部室を使わせてもらってるんだからねー。そのありがたさを忘れたりはしてないってば」


「うん。『KAMERIA』は部員だけで正式なバンドを組んでるから、わたしたちとはちょっと状況が違うんだよね。そこのあたりのことも、今の内に話しておいたほうがいいのかな」


 森藤はパイプ椅子の向きを変えて、町田アンナと正面から相対した。


「前にも言ったと思うけど、わたしと小伊田くんは校外で正式なバンド活動をしているの。だから、軽音学部ではあくまで部員として活動してきたんだよね」


「うんうん。メインのバンドは毎回スタジオで練習してるってことだよねー? そりゃー大変だと思うよー」


「スタジオ練習なんて週に一回あるかないかだから、別に大変なことはないよ。部室でもスタジオでもとにかく週五、六回の練習を維持してる『KAMERIA』は、すごいと思う。でも……これからは、部員としての活動にも時間を割いてもらわないといけないんだよね」


 森藤は、常にないほどかしこまった面持ちだ。それを見返しながら、町田アンナは「んー?」と小首を傾げた。


「部員としての活動って? コンクールとか、そーゆ―話?」


「コンクールに出るかどうかは本人次第だけど、そうじゃなくって後輩の指導とかだよ。新入部員が入ったら、それを指導してあげないといけないでしょう?」


 めぐるは町田アンナとともに、目をぱちくりさせることになった。

 しかしやっぱり、口を開くのは町田アンナの役割である。


「えーと……ウチらって、誰かに何か指導してもらったっけ?」


「だって、『KAMERIA』のみんなには指導の必要なんてなかったからね。でも、もし楽器の初心者とかが入部したら、わたしたちが指導してあげないといけないんだよ」


「んー。和緒なんかはおもいっきり初心者だったけど、フクブチョーに指導してもらったっけ?」


「手取り足取り教えてやるよとか言われた覚えはあるね。その後に、お前に教えることはないとも言われたけどさ」


 和緒のクールな返答に、森藤はようやく微笑をこぼした。


「磯脇さんは成長のスピードが尋常じゃなかったから、指導する隙もなかったよね。でも、磯脇さんがもしドラムの練習に手こずってたら、副部長は受験勉強の合間に面倒を見てくれたと思うよ。わたしや小伊田くんもそのつもりだし……春からは、みんなにもお願いしたいの」


「へー。じゃ、ギターの初心者が入部したら、ウチが面倒みるってことかー。ブチョーが卒業しちゃったら、ギターはウチひとりだもんねー」


 そんな風に言ってから、町田アンナはにぱっと笑った。


「それぐらいなら、どーってことないさ! ウチがめいっぱい、ギターの楽しさを叩き込んであげるよー!」


「あ、そう? それなら、いいんだけど……」


「うん! 道場で稽古をつけてた頃は、ウチも指導員の真似事みたいなことをしてたからさ! そんなのは、お茶の子さいさいさー!」


「そっか」と笑ってから、森藤は残るメンバーに視線を巡らせてきた。

 めぐるは栗原理乃とともにうつむき、和緒はポーカーフェイスで肩をすくめる。


「あたしだってキャリア一年足らずの初心者だし、完全に独学ですからね。大したお役には立てないでしょうけど、スティックの握り方ぐらいならレッスンいたしますよ」


「うん。磯脇さんはあんなにすごいドラムを叩けるんだから、もう初心者の域じゃないよ。……遠藤さんと栗原さんも、よろしくね?」


「はあ……で、でも、ベースだったら小伊田先輩もいっらしゃいますし……」


「僕なんて、遠藤さんの足もとにも及ばないさ。初心者ベーシストが入部したら、一緒に頑張ろうね」


 小伊田に屈託のない笑顔を向けられると、めぐるもそれ以上は拒みきれなかった。

 そして栗原理乃は、森藤の視線から逃げるように顔を伏せている。


「わ、私はその……クラシックの基本的なことしかわかりませんし……それも途中で投げ出してしまったので……」


「それを言ったら、わたしなんて電子オルガンを三年間ぐらい習っただけだよ。そんなに気を張る必要はないから、一緒に頑張ろうね」


 かくして、栗原理乃もごにょごにょと口ごもることになった。

 すると今度は、小伊田が「そうだ」と声をあげる。


「ねえ、森藤さん。例の話も、今のうちにお願いしておいたほうがいいんじゃないかな? これから春まで、ずっとバタバタしちゃうだろうからさ」


「うん、そうだね。……よければ、小伊田くんから話してもらえる?」


「うん」とうなずいた小伊田は、笑顔で和緒と町田アンナの姿を見比べた。


「これはまだ、確定の話じゃないんだけど……もしものときには、町田さんと磯脇さんにこっちのバンドを手伝ってもらえないかなぁ?」


「んー? こっちのバンドって? あの、『さくら事変』ってやつ?」


「そうそう。部長たちが卒業しちゃったら、『さくら事変』も二人きりになっちゃうんだよ。もちろん僕たちも受験勉強があるから、しばらく活動はできないけど……でもやっぱり、文化祭には出場したいんだよね」


 その発言に泡を食ったのは、当人たちではなくめぐると栗原理乃であった。

 小伊田と森藤が部内で組んでいる『さくら事変』というバンドは、宮岡部長がギターを、寺林副部長がドラムを担当しているのである。それで、和緒と町田アンナにお呼びがかかったわけであった。


「新入部員でギターとドラムの経験者がいたら、そっちにお願いしてもいいんだけどさ。でも新入部員には自分たちのバンドを優先してもらいたいから、なるべく町田さんたちにお願いしたいんだよね」


「おー、そんな話まで飛び出すのかー。そいつは、予想外だったなー」


 そんな風に言ってから、町田アンナはまた無邪気に笑った。


「ま、それぐらいだったら、どーってことないさ! いざとなったら、声をかけてよ!」


「えっ! で、でも、アンナちゃんはコピーバンドに興味がないんでしょう? それに、『KAMERIA』の活動だってあるし……」


 と、栗原理乃が慌てた顔で腕を引っ張ると、町田アンナはいっそう無邪気に笑った。


「だからそれも、部活動の一環っしょ? これまでさんざん部室を使わせてもらったんだから、義理は返さないとさ! ……それに、コピバンはコピバンで勉強になる面もあるんだよねー!」


 そうして町田アンナは同じ笑顔のまま、和緒に向きなおった。


「センパイたちがコピーしてるバンドって、何気にめっちゃハイセンスだからさ! 『KAMERIA』とはぜーんぜんジャンルも違うし、和緒もいい武者修行になるんじゃない?」


「あのバンドのイカれたクオリティは、あたしだってわきまえてるつもりだよ。修行のレベルが高すぎるんじゃないのかね」


 そう言って、和緒はめぐるに向きなおってきた。


「あたしが余所のバンドに浮気したら、あんたは悲しい?」


「か、悲しいことはないけど……でも……」


 そうしてめぐるが身をよじると、和緒は芝居がかった仕草で溜息をついた。


「あんたがそんなに嫌がるなら、嫌がらせの一環で頑張るしかないかぁ。嫌がらせのためだったら、どんな困難も辞さないのがあたしの身上だしなぁ」


「そ、そんなことで今後のことを決めるのはよくないと思うよ? もっとちゃんと考えたほうが……」


「冗談だよ。軽音学部に在籍してる以上、部員としての活動を二の次にはできないってことさ。……言っておくけど、あんたたちだって他人事じゃないんだからね?」


「うん。もしも新入部員のバンドにベースやピアノの穴があったら、それは遠藤さんたちにお願いしないとね。もちろん僕や森藤さんも、可能な限りは頑張るけどさ」


「そうだね。部長や副部長だって、そうやってわたしたちを支えてくれたんだもん。今度は、わたしたちが支える番だよ」


 森藤は大きくうなずきながら、『KAMERIA』のメンバーをあらためて見回してきた。


「これまで一年生のみんなは独立して活動してたから、あれこれ面倒に感じられるかもしれないね。でも、部活動っていうのは、こういうものなんだよ。後輩の指導をしたり、別のバンドを手伝うっていうのは、きっと自分たちにとっても実りになると思う。だから……どうか退部したりはしないで、頑張ってもらえないかなぁ?」


「えー? ウチらがこれぐらいのことで退部するとか思ってるのー?」


「うん。遠藤さんや栗原さんは、ずいぶん深刻そうな顔をしてるからね」


 町田アンナはめぐると栗原理乃の姿を見比べてから、「あはは!」と笑った。


「二人は人見知りさんだから、プレッシャーを感じちゃうのかもねー! でも、きっと心配はいらないよー! まずは何でも、チャレンジしてみないとね!」


「そうそう。退部したら、練習はスタジオオンリーになるんだからさ。言っておくけど、あたしは週六でスタジオに通えるほどの資産は持ち合わせちゃいないよ?」


 やはりこういった話においても、和緒と町田アンナがめぐると栗原理乃の背中を押す役割になるようであった。

 めぐるは栗原理乃と力ない視線を見交わして、溜息をつく。そうしてめぐるが和緒に頭を小突かれ、栗原理乃が町田アンナに背中を叩かれたとき、ようやく部室のドアが開かれたのだった。


「いやあ、お待たせしちゃったね。みんな、わざわざありがとう」


 まずは宮岡部長が颯爽とした足取りで入室し、寺林副部長と轟木篤子がそれに続く。こちらの三名と間近から顔をあわせるのは、ずいぶんひさびさのことであった。


 宮岡部長は運動部の部長を思わせる凛々しい面立ちで、和緒に負けないぐらいすらりとした長身の持ち主である。寺林副部長は中背でややがっしりとした体格をしており、言動は荒っぽいがごく真面目そうな容姿をしている。そして轟木篤子は中肉中背で分厚い黒縁眼鏡をかけており、セミロングの髪を首の横でひとつに結わっていた。


「こいつ、下級生の女どもに囲まれててさ。ほんと、女にだけはモテるよなあ」


 寺林副部長が皮肉っぽい笑顔を向けると、宮岡部長は「うるさいよ」と苦笑した。その手にたくさんの花束を抱えているのは、その下級生たちからの贈り物であろうか。そこに、小伊田が新たな花束を差し出した。


「宮岡部長、卒業おめでとうございます! これまで、ありがとうございました!」


 宮岡部長は照れ臭そうに笑いながら、「ありがとう」と花束を受け取った。

 すると今度は、森藤が寺林副部長に花束を受け渡す。


「寺林副部長、卒業おめでとうございます。これからは、わたしたちがみなさんの分まで頑張ります」


「おう。相棒が頼りないぶん、お前が頑張ってな」


「ひどいなあ。まあ、部長の座はつつしんで森藤さんに譲りますけどね」


 笑いながら、小伊田はそう言った。四月からは森藤が新たな部長、小伊田が副部長となるのだ。

 そんなやりとりを横目に、花束を手にした和緒がずかずかと進み出ると、轟木篤子はやぶにらみの目をいっそううろんげに細めた。


「……どうしてよりにもよって、あんたが出てくるのさ?」


「さあ? たぶん、一番威圧的に見えるからじゃないですか? 何はともあれ、卒業おめでとうございます」


 和緒がすました顔で花束を差し出すと、轟木篤子はひったくるような勢いでそれを受け取った。


「部員全員が集まるのは、文化祭以来かもね。受験勉強で忙しかったのは事実だけど、なんの面倒も見られなくて申し訳なく思ってるよ」


 たくさんの花束を抱えた宮岡部長は、いつも通りの力強い笑顔でそう言った。


「まあ、週末には卒業ライブも控えてるから、ここは簡単に終わらせておくけど……これまで、どうもありがとう。それに、これからも頑張って。今後はOBとして、みんなの活躍を見守らせていただくよ」


「はい! 先輩たちも、また新しいバンドを頑張ってくださいね!」


 そのように応じる小伊田は朗らかに笑いながら、目もとに涙をにじませていた。森藤のほうは、懸命に涙をこらえている様子である。


 きっと彼らはこの二年間で、それだけの絆を育むことになったのだろう。

 来年、森藤たちが卒業する際には、めぐるも同じだけの感慨を抱くことになるのか――それはまったく想像もつかなかったが、めぐるも内心では惜しみなく先輩がたの前途を祝する心持ちになっていたのだった。

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