-Disc 5-

プロローグ

十六歳の誕生日

2024.5/14

本日から更新を再開いたします。

今回は『-Disc 5-』のプロローグから『-Track1-』までの全12話を、隔日で一話ずつ更新していく予定です。お楽しみいただけたら幸いでございます。

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「めぐる、誕生日おめでとー!」


 町田アンナの元気いっぱいの声が、店内に響きわたった。

 ここは何の仕切りもされていないバーガーショップの客席であったため、めぐるはあわあわと慌ててしまう。しかし、町田アンナは満面の笑顔であるし、栗原理乃もはにかむように笑っているし、和緒はクールなポーカーフェイスであった。


「あ、お騒がせしちゃってすみません。この後は、ご迷惑にならないように気をつけますんで」


 何事に関しても周到な和緒が機先を制してそんな声をあげると、こちらに近づきかけていた店員は曖昧に微笑みながら引き下がっていった。

 周囲では、他の客たちがくすくすと笑っている。めぐるとしては、気恥ずかしい限りであったが――しかしそれでも、嬉しい気持ちのほうがまさっていた。


 本日は、めぐるの誕生日であるのだ。

 卒業式を目の前に控えた、三月の第二水曜日である。『KAMERIA』のメンバーは貸しスタジオで三時間の練習に取り組んだのち、このバーガーショップに立ち寄ったのだった。


「いやー、それにしても! 誕生日までいつも通りにスタジオ練習なんて、ロックだねー!」


 町田アンナがコーラのストローをくわえながらそのように言いたてると、フライドポテトをつまんだ和緒は「ふん」と鼻を鳴らした。


「この練習中毒のプレーリードッグには、それが一番のプレゼントなんでしょうよ。練習を中止してパーティーを開こうなんて言ったら、暴れ出すんじゃないのかね」


「べ、べつに暴れたりはしないけど……かずちゃんの誕生日だって、パーティーを開いたりはしなかったから……」


「あはは! 和緒の誕生日は、めぐるがひとりで祝ってあげたんだもんねー! でもそれは、和緒の誕生日がたまたま日曜日だったからだよー! 来年は和緒の誕生日もこうやって祝ってあげるから、何も心配はいらないさー!」


「誰もそんな心配はしちゃいないよ。誕生日ぐらい、心静かに過ごしたいからね」


「にっひっひ。めぐるとデートで、ウキウキだったくせに! まあ、めぐるのバースデーデートは、また別の日にお願いねー! ウチも理乃も、めぐるの誕生日だってのに真っ直ぐ帰る気にはなれないからさー!」


 そんなわけで、このバーガーショップにて簡易的なバースデーパーティーが行われることになったのである。

 本日は学校からスタジオに直行したため、誰もが制服の姿をしている。時刻は午後の八時前で、店内はそれなりに混みあっていた。


「でもやっぱ、スタジオで音を鳴らすのは気持ちいーね! 出費はちょっと痛いけど、その甲斐はあるんじゃないかなー!」


「出費が痛いなら、もうちょっと日数を絞ったら? まあ、そうしたらこのプレーリードッグが暴れそうだけど」


「だ、だから、暴れたりはしないってば。……もちろん、練習の日数は減らしたくないけど……」


「卒業ライブまで、あと十日ですものね。できれば私も、万全を期したいと思います。もしもステージに不備があったら……またあの先輩に、何を言われるかわかりませんので」


 と、栗原理乃がにわかに凛々しい面持ちになると、町田アンナはきょとんとしてから「あはは!」と笑った。


「センパイって、あのメガネセンパイのことー? 理乃ったら、まだあいつにこだわってたんだー?」


「当然だよ。あの先輩のせいで、遠藤さんは……抱えなくていい不安を抱えることになったんだから」


 そんな風に言われては、めぐるも赤面の至りである。さかのぼること半年前、二学期の始業式の夜、めぐるはメンバーたちの前でさんざん涙をこぼすことになったのだ。


 その原因となったのは、軽音学部の幽霊部員――轟木篤子である。

 彼女が栗原理乃と町田アンナを自分のバンドに引き抜こうなどと目論んだため、めぐるは大きく動揺させられてしまったのだった。


 しかしその一件は、その日の内に解決している。めぐるが流したのも悲しみの涙ではなく、喜びの涙であったのだ。『KAMERIA』のメンバーたちはめぐるの抱いた不安を木っ端微塵にするために、次から次へと温かな言葉を投げかけて――それでめぐるは泣き伏すことになってしまったわけであった。


(でも、そうか……あれからもう、半年も経ってるんだな……)


 その半年で、『KAMERIA』は数々の活動を行ってきた。始業式のあった週にはお茶の水まで遠征して新たな機材を購入し、十月の終わりには文化祭、十一月には初めての通常ブッキングのライブ、大晦日には年越しイベント、二月には『V8チェンソー』企画のイベント――ぱっと思いつくだけでも、それだけの活動を行っていた。


『V8チェンソー』企画のイベントからは、まだひと月も経っていない。めぐるたちはその日に数々の素晴らしいバンドと巡りあい――そして、いっそうの熱情でもってバンド活動に取り組むことになったのだ。


 その手始めとして挑むのが、これから十日後に開催される軽音学部の卒業ライブである。

 軽音学部には三つのバンドしか存在しないため、『KAMERIA』にも当然のように出場の打診があったのだ。そこで『KAMERIA』は、再び軽音学部の先輩がたと同じステージに立つことになるのだった。


 今日のように平日でもスタジオの練習に取り組むようになったのも、その影響である。受験を終えた先輩がたも、卒業ライブを目指して猛練習を開始したのだ。週の半分はそちらに部室を譲らなくてはならないため、そのぶんスタジオ練習の日取りが増加したわけであった。


「でも、センパイがたもみーんな志望校に合格したってんだから、おめでたいよねー! けっきょく最後まで大して交流できなかったけど、卒業ライブはめいっぱい盛り上げてあげよーよ!」


 町田アンナのそんな言葉には、栗原理乃も異を唱えることはなかった。たとえ轟木篤子にどのような感情を抱いていようとも、決して不幸を願っているわけではないのだろう。めぐるとて、それは同様であった。


(ていうか……轟木先輩って、すごくベースが上手いもんなぁ)


 めぐるがそんな風に考えていると、和緒が横から頭を小突いてきた。


「あんたはさっきから、何をぼけーっとしてるのさ? 十六歳になった感慨でも噛みしめてるのかい?」


「う、ううん。そういうわけじゃないけど……なんだか、あっという間の一年だったなと思って……」


 めぐるが思い返していたのはこの半年の出来事であったが、その前の半年もまた激動の日々であったのだ。

 あとひと月もすれば、めぐるがベースを購入してから一年が経過する。そしてその日から、激動の日々が始まったのである。ネットカフェで『SanZenon』のライブ映像を観て、『リペアショップ・ベンジー』でリッケンバッカーのベースを購入し、『V8チェンソー』のメンバーたちと巡りあい、町田アンナや栗原理乃とも巡りあい、『KAMERIA』を結成して――そうしてめぐるの人生は、思わぬ変転を遂げたのだった。


「でも逆に言うと、ウチらがめぐるや和緒と出会ってからまだ一年も経ってないのかー! あれって、ゴールデンウイークが終わってからの話だったもんねー!」


 ダブルチーズバーガーを頬張りながら、町田アンナはそう言った。


「もう『KAMERIA』を結成する前の話なんて、あんまり思い出せないぐらいだなー! 理乃だって、そうっしょ?」


「うん、そうだね。……これからもみんなに愛想を尽かされないように、頑張るよ」


「あはは! 理乃だけじゃなくって、誰が抜けても『KAMERIA』は成立しないんだからさ! これからもめいっぱい頑張って、世界一のバンドを目指そー!」


 そのように語る町田アンナは、真夏の太陽のごとき笑顔である。その真っ直ぐな眼差しが、めぐるを何より力づけてくれた。

『V8チェンソー』の企画イベントにおいて、めぐるはとんでもないメンバーとともにステージに立つことになった。そしてそこで、自分が理想とする演奏を実現できたように感じたのだが――それと同時に、『KAMERIA』でこの理想を実現させたいという強烈な欲求に見舞われたのだった。


 あの日の即席バンドに比べたら――それに、『V8チェンソー』や『リトル・ミス・プリッシー』や『ヴァルプルギスの夜★DS3』に比べたら、『KAMERIA』はまだまだ未熟である。もちろん『マンイーター』を筆頭とする数々のバンドと比べても未熟であることに変わりはないが、それらのバンドはさらなる高みに到達しているのだった。


(それに、やっぱり……わたしの理想は、『SanZenon』だもんな)


『リトル・ミス・プリッシー』は『SanZenon』よりも完成度が高いバンドであるように感じたが、それでもめぐるが魂をわしづかみにされたのは『SanZenon』である。

 そしてめぐるは、『KAMERIA』で『SanZenon』のようになりたい、と――そんな風に願っているのだった。


「じゃ、そろそろ帰ろっか!」


 町田アンナがそんな風に言い出したのは、バーガーショップで小一時間ばかりも語らったのちのことであった。

 店の外に出てみると、三月の夜はまだまだ寒い。春とは名ばかりの冷え込みだ。しかしめぐるの体内には、スタジオ練習とその後の語らいによって生まれた熱がまだまだ残されていた。


「きょ、今日はどうもごちそうさまでした。町田さんの誕生日には何のプレゼントもしていないのに、どうもすみません」


「そんなの、いいってばー! 次はウチの家で、理乃のバースデーパーティーだからねー! じゃ、そっちも気をつけて!」


 めぐると和緒は京成線、町田アンナと栗原理乃はJR線であるため、スタジオの後は現地解散である。二人の姿が人混みの向こうに消えるのを見届けてから、めぐるは和緒とともにきびすを返した。


 めぐるはギグバッグとエフェクターボード、和緒はバスドラのペダルとスティックケースを抱えた姿だ。あまりに荷物が多いため、学生鞄は部室のロッカーに置いてきている。明日の朝にまた部室まで楽器を運んだのち、学生鞄を回収するわけであった。


 荷物は重いが、その重さが心地好い。これらの機材がめぐるを悦楽の時間にいざなってくれるのだから、とうてい文句をつける気にはなれなかった。

 そしてそれよりも重要であるのは、バンドのメンバーたちであり――そして和緒は、バンドを抜きにしても何より大切な存在であった。


「あの、かずちゃん……今週の日曜日って、空いてるかなぁ?」


 めぐるがそのように呼びかけると、和緒は素知らぬ顔で「んー?」と答えた。


「さて、どうだったかな。ほとんど週六で練習につきあわされてるから、日曜日は何かと忙しいんだよねぇ」


「う、うん。そうなんだろうね。でも、もし時間があったら……甘いものでも食べに行かない?」


「ふうん?」と、和緒は横目でめぐるを見やってくる。

 その端麗なる顔は相変わらずのポーカーフェイスであったが、切れ長の目が笑いを含んでいたので、めぐるはほっとした。


「つまり、今日のおごりだけでは飽き足らず、あたし個人からもプレゼント代わりのスイーツを徴収しようという心づもりかな?」


「お、お金は自分で払うけど……やっぱり誕生日はかずちゃんと二人で過ごさないと、何だか落ち着かないんだよね」


「って、誕生日の当日は今日だし、こうして二人でほっつき歩いてるじゃん」


「そういう話じゃなくって……わかるでしょ?」


「わかんないよ」と答えながら、和緒はめぐるの頭を小突いてきた。

 しかしやっぱり、その目は笑ったままである。それでめぐるはいっそう温かい気持ちと一緒に、ずっとポケットに忍ばせていたものを引っ張り出す勇気を得ることになった。


「そ、それでね、これをかずちゃんに受け取ってほしいんだけど……」


「今度は何さ? 帰り道に、慌ただしい限りだね」


「う、うん。町田さんたちの前で渡すのは恥ずかしいし、かずちゃんも嫌がるかと思って……か、かずちゃんも、誕生日おめでとう」


 和緒がまじまじと見つめ返してきたので、めぐるは頬が熱くなってしまった。


「ほ、ほら、かずちゃんも自分の誕生日にプレゼントをくれたでしょ? だから、そのお返しをしなくちゃと思って……」


「自分の誕生日に、あんたへのプレゼント? いくらあたしが常識知らずの変態性欲者でも、そんな酔狂な真似をするかなぁ」


「し、したんだよ。証拠だって、ここにあるんだからね」


 めぐるは小さな包みをつかんだ左手で、背中のギグバッグを指し示してみせる。そのジッパーには、和緒からプレゼントされたプレーリードッグのキーホルダーがゆらゆらと揺れているはずであった。


「だから、はい。誕生日、おめでとう」


「うーん……誕生日の二ヶ月後にプレゼントをもらうなんて、あまりにおかしな気分だなぁ」


「だ、だから、それもかずちゃんが始めたことなんだってば。ど、どうして受け取ってくれないの?」


「いやぁ、あんたの困った顔を見てると、嗜虐の性がむくむくと頭をもたげちゃうんだよね」


 そんなやりとりを経て、ようやく和緒はその包みを受け取ってくれた。

 そしてポーカーフェイスのまま封を開いて、手の平に中身を落とす。その正体を目にした和緒は、切れ長の目をほんの少しだけ見開いた。


「これは、フクロウのキーホルダーか……あんたの目に、あたしはこう映ってるってことなのかな?」


「う、うん。見た目の話じゃなくってね。わたしも知らなかったんだけど、フクロウは『森の賢人』って呼ばれてて、何でも見通す物知りの象徴なんだって。それなら、かずちゃんっぽいかなと思って……」


「知らないわりには、くわしいじゃないのさ」


「あ、うん。かずちゃんにも何か動物のキーホルダーをプレゼントしようって思ったから……ネットカフェで、色々と調べたんだよ」


 和緒はひとつ息をついてから、そのキーホルダーをペダルケースのジッパーに取り付けた。

 小さなフクロウのマスコットが、和緒の歩調に合わせてゆらゆらと揺れる。しばらくそのさまを見守ってから、和緒はめぐるの顔を見つめてきた。


「ありがとう。すごく嬉しいよ。大切にするね」


 そんな言葉を投げかけられて、めぐるは心底から驚かされてしまう。

 すると和緒は、形のいい唇にシニカルな笑みをたたえた。


「本当に、あんたの困った顔には嗜虐の性をかきたてられるなぁ。別人格になりきってまで小っ恥ずかしい言葉を口にした甲斐があったよ」


 めぐるはさんざん心を引っかき回されてしまったが、最後には「そっか」と笑うことができた。

 和緒の人の悪さは留まるところを知らないが、その瞳には言葉の通りの感情がちらついているように思えてならなかったのだ。それでめぐるはあらためて、今日という日の喜びを噛みしめることがかなったのだった。

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