05 ファーストステージ

『それでは、エントリーナンバー5! シバウラ楽器さくら店からエントリーした女子高生ガールズバンド、「KAMERIA」のみなさんでーす!』


 しばらくして、閉ざされた幕の向こう側からそんな声が聞こえてきた。誰あろう、土田奈津実の声である。転換の時間は、彼女たちがMCで場つなぎをしているのだ。


 ほどほどの歓声や拍手が鳴り響く中、黒い幕がするすると開かれていく。すると、町田アンナにつられてステージの中央に寄っていた遠藤めぐるはわたわたと慌てながらベースアンプの前に引き下がった。


(まったく、余裕があるんだかないんだか)


 和緒は苦笑をこらえながら、二本のスティックを握りなおす。

 そんな中、まだステージの中央に留まっていた町田アンナがギターをかき鳴らしながら、ヴォーカル用のマイクに口を近づけた。そのために、彼女はその場に留まっていたのだ。


『こんにちはー! ウチらが「KAMERIA」でーす! みんな、ウチらと一緒に楽しんでいってねー!』


 それだけ告げて、町田アンナもギターアンプの前に戻っていく。

 そちら側の最前列では、彼女の妹たちが笑顔でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


 そうして、ギターの音色がフェードアウトしていくと――遠藤めぐるがおもむろに、『小さな窓』という楽曲のイントロを開始した。

 これは、かつて栗原理乃と初めて出会った際に部室で演奏をした曲である。ミドルテンポで、ヨコノリで、ダンシブルな曲調だ。その要となるのが、この極悪に歪んだ重低音による、スラップのリフであった。もともとはギターのために考案されたフレーズであったが、いまや完全にそれは遠藤めぐるのものになっていた。


 遠藤めぐるの奏でる重低音は、いつも通りの凶悪さでうねりをあげている。

 初めてのステージでも、怯む気持ちは皆無であるようだ。和緒は内心で感じ入りながら、所定のタイミングでスネアを打ち鳴らした。


 かくして、和緒のドラムと町田アンナのギターも演奏を開始する。

 その瞬間、和緒の背中に得も言われぬ感覚が走り抜けた。


(……モニターで音を返してもらうと、こんなに聴こえ具合が違ってくるんだな)


 ベースとギターのアンプは客席のほうに向けられているため、普段ほどの圧力はドラムにまで届いてこない。それを補助するために、モニターのスピーカーから他なる楽器の音が返されているのだ。


 間にPA卓というものを介しているためか、普段よりも硬質でクリアーな音色である。

 しかし、遠藤めぐると町田アンナの演奏に情念があふれかえっていることに変わりはなかったし――音がクリアーである分、普段は爆音にまぎれている細かなニュアンスまでもがはっきり感じ取れるような気がした。


(やりづらいことは、まったくないな。……あんたもそれは、同様みたいだね)


 16ビートまがいのダンシブルなリズムを叩き出しながら、和緒は遠藤めぐるの小さな背中を見守った。

 いつも通り、彼女はうつむき加減の姿勢でベースの演奏に没頭している。誰よりも小さな背中から、誰よりも濃密な気迫がたちのぼっているかのようであった。


 やがて栗原理乃の歌までもが加わったならば、和緒の背中はますます粟立っていく。

 彼女の歌声こそ、クリアーさが増すとその存在感が跳ねあがった。もとより彼女はボーカロイドのようにデジタルな声質と歌唱であるため、彩度が増せば増すほどその特異性が浮き彫りにされるのだ。


 そんな彼女も、今は背中しか見えない。

 練習中はおたがいに向き合うような布陣を取っているが、ライブではみんな客席のほうを向いているのだ。バンドメンバーの背中だけを眺めながら演奏に没頭するというのは、なかなかに新鮮かつ奇妙な心地であった。


 しかし何にせよ、和緒も調子を崩さずに現時点でかなう限りの演奏を見せることができている。

 他のメンバーたちの迫力が普段以上であるため、どうしたって和緒も熱情をかきたてられてしまったが――それでも何とか、我を見失わずに済んでいた。


 三人の音が、とても心地好い。遠藤めぐるの凶悪なベースはもとより、町田アンナの荒々しいギターも、栗原理乃の冷たい牙のような歌声も、すべてが深い部分で絡み合いながら、ライブハウスの空間を揺るがしていた。


 ただ――和緒の意識は、じわじわとベースの音色に引っ張られていく。

 それもまた珍しい話ではなかったが、和緒は小さからぬ違和感を覚えた。もともと凶悪な遠藤めぐるのベースが、普段以上の獰猛さを剥き出しにしつつあるように思えたのだ。


(あんたは、本番で実力以上の力を出せるタイプってこと? だったら、大したもんだけど――)


 そうして遠藤めぐるのほうに向きなおった和緒は、思わず息を呑むことになった。

 遠藤めぐるの小さな体が、ゆらゆらと揺らめいていたのだ。それはリズムを取っているというよりも、この場の轟音に押し流されているような風情であり――何だか今にも、ぱたりと倒れ込んでしまいそうであったのだった。


(ちょっとちょっと。ここに来て、ガス欠を起こすんじゃないだろうね?)


 彼女は昨晩、一睡もしていないのだ。

 まあ、町田アンナと栗原理乃もそれは同様であるとのことであったが――普段と異なる姿を見せているのは、遠藤めぐるただひとりであった。彼女はまるで、ベースを弾きながら居眠りを始めたかのような頼りなさであった。


 しかし、そうであるにも関わらず、ベースの音色は凶悪さを増している。

 まるで何かに憑依されているかのように、遠藤めぐるは普段以上に力強く、重々しく、凶悪で優しいベースの音色を響かせていた。


 その音が、いっそう深い部分で和緒のドラムに絡みついてくる。

 普段は大型犬にまとわりつかれるような心地であったが、今日はもっと巨大な生き物――それこそ、トラやライオンのような迫力である。その気になればひと噛みで和緒を絶命させることのできる肉食獣が、ごろごろと咽喉を鳴らしながらのしかかってきているような心地であった。


(……いきなりそんな巨大化されたら、あたしにはついていけないよ)


 そんな思いを噛みしめながら、和緒は愚直にスティックを振るう。

 すると――「それでいいんだよ」とばかりに、ベースの重低音がいっそうずっしりとのしかかってきた。


(……せめて、巨大化したプレーリードッグを想像しておくか)


 本当にそんなものを想像すると、思わず笑いそうになってしまう。

 それで和緒は思い悩むのを取りやめて、演奏に集中した。


 遠藤めぐるのベースが深く絡みつけば絡みつくほど、和緒の心地好さは増していく。そしてその上では、栗原理乃の歌声と町田アンナのギターが奔放に暴れ回っているのだ。町田アンナのギターなどは、今にも暴走して突っ走ってしまいそうなほどであった。


 しかし今は、すべての演奏が正しく絡み合っているように感じられる。

 練習のときよりも、メンバーの存在が身近に感じられるのだ。そして、もっとも和緒のそばにいるのは、同じリズム隊である遠藤めぐるの存在に他ならなかった。


 その事実が、和緒をいっそう幸福な心地にさせていく。

 観客の目などは、まったく気にならない。和緒は『KAMERIA』のメンバー四人で、ジェットコースターにでも乗っているような気分であった。


(でも……あんたがおかしなことになったら、すぐさま演奏を止めさせていただくからね)


 そんな思いを込めて、和緒は遠藤めぐるのゆらめく背中を見つめ続けた。

 そうして暴走機関車のごとき迫力を留めたまま、『小さな窓』は終わりを迎えたのだった。


『ありがとー! じゃ、時間がないから、次の曲ね! 今の曲は『小さな窓』で、次の曲は「転がる少女のように」だよー!』


 拍手や歓声が鳴り響く中、町田アンナがそんな声を響かせた。再びステージの中央に寄って、幼馴染のほっそりとした肩を抱きながら、MCの役目を果たしたのだ。


 しかし和緒は演奏でゆるんだハイハットのネジを調整しながら、遠藤めぐるの姿を凝視し続けている。

 すると、町田アンナたちの姿をぼんやり眺めていた遠藤めぐるが、ふっと和緒のほうを振り返ってきた。


 その汗に濡れた顔が、にこりとあどけない笑みをたたえる。

 普段通りの――いや、普段以上に愛くるしい笑顔である。思わず頬がゆるみそうになった和緒は、いっそうきつい目つきでその笑顔をにらみ返してみせた。


(だから、そんな笑顔にごまかされやしないよ。あんたやっぱり、普通の状態じゃないでしょ?)


 和緒のそんな思いも知らずに、遠藤めぐるは正面に向きなおって、また手もとに視線を落とした。

 町田アンナもまた、容赦なく次の曲のイントロを開始させる。次はタテノリでアップテンポの楽曲――そして、遠藤めぐるが歌詞のモチーフにされている、『転がる少女のように』であった。


 どちらかと言えば、和緒はこちらの曲のほうを得意としている。どうしたって、ヨコノリを意識したダンシブルな楽曲には人間らしいフィーリングやグルーブというものを強く要求されるのだ。タテノリの楽曲でもそれは同じことなのであろうが、正確性を重視している和緒には躍動感よりも疾走感のほうがまだしも体現させやすいように感じられるのだった。


 こちらの楽曲では町田アンナもいっそうハシりがちであるため、和緒は集中して演奏に取り組む。

 だけどやっぱり、自分ひとりで正しいテンポを押し通そうというのは通用しない。そこで和緒を支えてくれるのは、遠藤めぐるのベースに他ならなかった。


 彼女もまた毎晩メトロノームを使って練習に励んでいるため、正しいテンポ感が育まれているのだろう。メトロノームのクリック音を耳にしている時間は、和緒よりも遥かに長いはずであった。


 しかし和緒は、持ち前の小器用さで対抗している。彼女ほど長い時間を練習に費やせなくとも、最大限に効率のいい方法でテンポ感を研ぎ澄ましてきたつもりでいるのだ。

 そんな和緒と遠藤めぐるが、その身に刻まれたテンポ感を頼りにして、おたがいのリズムに身をゆだねている。そうすることによって、この幸福な調和が保たれているのだった。


 遠藤めぐるもこちらの楽曲ではエフェクターを使用していないが、凶悪かつ優しい印象に変わりはない。彼女はこれほどアップテンポの楽曲でも『SanZenon』を見習ってフレーズをうねらせているし――そして、他なるメンバーたちとひとつの音を結実させようという思いにあふれかえっているのである。


 本日は、彼女のそんな思いが普段以上に報われていた。彼女自身が普段以上の迫力であるために、和緒ばかりでなくすべてのメンバーがその勢いに巻き込まれているのだ。

 そしてまた、町田アンナも栗原理乃も、遠藤めぐるにただ引きずられるだけの存在ではない。遠藤めぐるの力でブーストされた彼女たちは、いっそうの迫力を帯びたギターと歌声を響かせて、それがまた遠藤めぐるをブーストさせるのである。


 これが、彼女たちの持つ力であった。

 和緒はそこからこぼれ落ちないように、必死にドラムを叩いている。自分がどれだけこの暴力的な音の渦についていけているのかは、まったく判然としなかったが――ただ、楽しいことに変わりはなかった。そして、どれだけ楽しくても我を見失うことなく、自分の思う通りにドラムを叩くことができた。


 正しい音と正しいテンポを心がけながら、周囲の音を無視することなく、ともに突き進む。それこそが、和緒にとってもっとも重要な心得であった。

 今日も何とか、その心得を全うできている。演奏を重ねれば重ねるほど、他なるメンバーたちの勢いや迫力は増していくばかりであったが、和緒は自然に同調することができた。


 何だか、まるで――あるがままの自分を受け入れてもらえたような心地である。

 和緒はハルのように、あるいは『SanZenon』の中嶋千尋のように、荒々しいドラムを叩くことはできない。練習を重ねるにつれて、スネアのロールなどはなかなか巧みになってきたものの、彼女たちのように奔放で躍動感にあふれかえった演奏は望むべくもなかった。


 それでも和緒は、「それでいいんだよ」と遠藤めぐるに手を引かれているような心地である。

 そして今日という日には、町田アンナや栗原理乃も一緒になって、和緒の背中を押してくれているかのようであった。


(どいつもこいつも……人たらしめ)


 楽曲は、すでに終わりに向かっている。

 この幸福な時間も、あと数秒限りであるのだ。


 しかしどうせ明後日の月曜日からは、また部室での練習に取り組むことになるのだろう。

 その無間地獄を楽しめる心境に至れたのは、何よりの話であった。


 そうして和緒は、アウトロの最後の一音を叩き鳴らし――その後は、遠慮なくスネアやバスドラやシンパルを乱打した。

 遠藤めぐるや町田アンナも、それは同様である。ただ、すべての開放弦をかき鳴らしている町田アンナに対して、遠藤めぐるはC音のパワーコードをかき鳴らしており、これは不協和音なのではないかという不穏な気配をたちのぼらせていたが――そんな不穏さも、この凶悪なバンドには似つかわしいように思えた。


『どうもありがとー! 今日のイベントはまだ折り返しだから、最後まで楽しもーね!』


 町田アンナは空いた左腕で、また幼馴染の肩を抱いている。

 その言葉を締めくくりの合図と受け取って、和緒はスティックをタムに走らせた。


 町田アンナは栗原理乃の身を解放し、指板を押さえる準備をする。

 遠藤めぐるも長く音をのばしたまま、最後の瞬間に備えた。

 栗原理乃は、ゆっくり右腕を振り上げて――それが振り下ろされるタイミングに合わせて、三人は最後の音を打ち鳴らした。


 これまで以上の歓声と拍手が響きわたる。

 そして――遠藤めぐるの小さな体が、ぐらりと傾いた。


(ほら来た!)


 すぐさま腰を上げた和緒は、バスドラを踏み台にしてドラムセットを跳び越えた。

 そうして床に降り立った和緒の腕の中に、遠藤めぐるが倒れ込んでくる。


 和緒はその手のベースごと、遠藤めぐるの小さな体を抱きとめた。

 遠藤めぐるは、完全に意識を失っており――そしてその汗に濡れた小さな顔に、世にも幸福そうな微笑みをたたえていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る