04 開会

 やがて午後の二時に達したならば、ついに『ニュー・ジェネレーション・カップ』が開始された。

 トップバッターは、『ケモナーズ』なる珍妙なバンドである。まあ、珍妙なのは着ぐるみのステージ衣装だけで、楽曲のほうはきわめてストレートなビートロックであった。


(でも、これで高校二年生で、しかも曲はオリジナルなのか……バンド文化は下火だって話だけど、ずいぶん地力の底上げがされてるんだな)


 聞くところによると、こちらのバンドは軽音学部のコンクールで準優勝を飾っていたそうである。その情報をもたらしてくれたのは、お客として来場した軽音学部の面々であった。


(それならまあ、高校生としては上位レベルなんだろうけど……それにしたって、達者だよなぁ)


 和緒がこれまでライブハウスで目にしてきたバンドと比べれば未熟な面は否めないが、高校生バンドとしては十分以上であろう。彼らの演奏は若者らしい勢いにあふれかえっていたし、何よりしっかりとした統一感が備わっていた。音作りや演奏の面で拙い部分はあれども、同じ方向に向かって疾走している気配が濃厚であったのだった。


(個々の演奏力って意味なら、うちの三人のほうがレベルは高いんだろうけど……何せ、ドラムがあたしだからなぁ)


 そうして『ケモナーズ』の演奏が終了すると、ついに町田家のご家族も到着した。これで『KAMERIA』がチケットを売った十名は、勢ぞろいだ。

 まずは小さな女の子が「おねーちゃーん!」と騒ぎながら町田アンナに飛びつき、その後から残りの三名がぞろぞろとやってくる。その姿に、和緒はひそかに感じ入ることになった。


(なるほど……こういうご家族が、町田さんみたいな人間を育んだわけね)


 町田家のご家族は、誰もがひとかたならぬ生命力を発散させていた。格闘技道場の主であるというご両親はもちろん、二名の妹たちも町田アンナに負けない活力をみなぎらせていたのだ。たとえ家族でもこれだけみんな似通った人間に育つのかと、いささか呆れたくなるほどであった。


(つまり、それだけ家族間の隔たりがないってことなんだろうな)


 仮面家族を演じている和緒には、計り知れない境地である。

 祖父母から疎んじられている遠藤めぐるも、ピアノのレッスンを放棄したことで家族との縁が断ち切れたという栗原理乃も、それは同様なのだろう。まるでこちらの三名のマイナス面を補うかのように、町田家では濃密な家族愛が育まれている様子であった。


(まあ、あたしみたいに冷めた人間には縁のない話だし……そんなもんを羨ましがる感受性も、すっかりすり減っちゃったからな)


 というわけで、和緒は負の感情を抱くことなく、その賑わいを見守ることができた。

 そうしてこちらが騒いでいる間に、二番目の出演者の演奏が開始される。今度は大学生の四人組で、流行りのバンドのコピーバンドであった。


 こちらも、なかなかの完成度である。ただ、昨今のバンドは楽曲が凝っているため、いささか演奏力が追いついていないようだ。それもまあ、十代という年齢を考えれば当然の話であった。


 そしてその次は、アコースティックギターの弾き語りである。こちらはもう、抜群の上手さであった。いまだ高校二年生であるというのに歌もギターもしっかりしているし、なおかつ楽曲はオリジナルであるらしい。和緒はギターの弾き語りに強い興味は抱いていなかったが、その完成度には感心するしかなかった。


(やっぱり今はインターネット上で情報があふれかえってるから、効率よく練習できるんだろうな)


 和緒もまた、その恩恵に授かっているひとりである。

 そもそも現代日本においては、音楽産業そのものが衰退の傾向にあるという噂であったが――そうであるからこそ、その環境でも音楽活動を選んだ人々はひとかたならぬ熱情を傾けているのかもしれなかった。


 そうして三組目の出演者が演奏を終えたならば、ついに和緒たちも動く時間である。

 十名の招待客に挨拶をしてから、『KAMERIA』の一行は楽屋に向かうことにした。


 四組目の出演者はすでにセッティングを始めていたので、楽屋は無人だ。

 十組分の機材が詰め込まれた楽屋は、無人でも狭苦しい。そんな中、自分のギグバッグを開いてベースの無事を確かめた遠藤めぐるは、ほっと息をついていた。


「さー、みんなも戦闘準備だよー! ほらほら、リィ様も!」


 和緒が振り返ると、町田アンナはオランダの木こりを思わせるベストを脱ぎ捨てて、自前のバンドTシャツをあらわにしていた。

 そんな幼馴染にうながされた栗原理乃はかぶりっぱなしであったフレアハットを壁に掛け、夏用のカーディガンを脱ぎ捨てる。アイスブルーのウィッグをあらわにして、純白のワンピース姿をさらすと、栗原理乃はいよいよ機械仕掛けの妖精めいた雰囲気であった。


 そうして栗原理乃がワンピースの上からバンドTシャツを着込む姿を横目に、和緒はノーカラーのシャツを脱ぎ捨てる。遠藤めぐるも半袖のパーカーを脱いで、全員が同じTシャツの姿となった。

 古着屋を経営しているという町田アンナの知人が作りあげた、『KAMERIA』のバンドTシャツである。ポップな字体のバンド名とツバキの花のイラストがプリントされただけの、シンプルなデザインだ。


 四人それぞれ色違いで、和緒に準備されたのはローズピンクの生地にボトルグリーンのプリントというカラーリングであった。

 和緒がTシャツ一枚の姿を衆目にさらすというのは、およそ三年ぶりのことであったが――あらかじめXLのオーバーサイズをゆったり着こなしたいと主張しておいたため、無駄に発育したボディラインがそこまで目立つことはなかった。


「いいねいいねー! それじゃあ記念撮影しとこっかー! ほらほら、めぐるもベースを構えてさ!」


 すでにギターを抱えていた町田アンナがそのようにうながすと、遠藤めぐるもわたわたしながらベースのストラップを肩に引っ掛けた。

 しかしスマホの自撮りであったので、楽器などはほとんど見切れたことだろう。遠藤めぐるの背後に陣取った和緒は、その後頭部を小突きたい衝動をこらえながら画像に収められることになった。


(おそろいのバンドTシャツで、仲良く記念撮影か。まったく、ガラにもないことをやらされてるなぁ)


 和緒がそんな感慨を噛みしめていると、遠藤めぐるがおずおずと町田アンナに呼びかけた。


「あの……その画像って、プリントできるんですか?」


「もっちろーん! うちにプリンターがあるから、いつかプリントしてあげるねー!」


「ありがとうございます」と頭を下げる遠藤めぐるは、心から嬉しそうな笑顔であった。

 和緒も被写体に含まれている写真が、いずれ遠藤めぐるの暮らす離れに飾られることになるのだ。それを想像した和緒は、むやみに温かい気持ちになってしまい――それを解消するために、遠藤めぐるの頭を小突くことになった。


「な、なに? どうしたの、かずちゃん?」


「別に何も。プレーリードッグを虐待するのに、理由なんていらないでしょ?」


 和緒の適当な物言いに、遠藤めぐるは「あはは」と笑った。

 何だか今にも泣きだしてしまいそうな笑顔である。

 きっとライブを目前にして、いよいよ昂揚しているのだろう。そして和緒と同じように、この場の温かい空気に胸を圧迫されているのではないかと思われた。


 町田アンナはせわしなく動き回りながらギターを爪弾き、雑事を終えた栗原理乃は何故だかコンクリの壁と向き合って直立不動である。そうして各々が好き勝手に動いても、この場にはひとつの思いが――初めてのライブを成功させようという思いがあふれかえっていたのだった。


 普通の人間は、文化祭や体育祭などでこういう感覚を味わっているのだろうか。

 大きく屈折する前から冷めた子供であった和緒には、まったく縁のなかった話であるし――遠藤めぐるもこの三年間は、和緒以上に無縁であったことだろう。中学時代の行事など、二人はそろって他人事のように眺めているばかりであったのだ。


(ただ……ライブってもんをまったく楽しく感じなかったら、あんたの熱情はどこに向かうことになるんだろうね)


 そんな想念にふける和緒の眼前で、遠藤めぐるは運指のウォームアップを開始した。

 すでにステージでは四組目の出演者が演奏を始めているので、ベースの生音はまったく聴こえない。ただその小さな指先が縦横無尽に駆け巡るだけで、和緒の脳内には凶悪な重低音が響きわたるような心地であった。


(まあ……客がいようといなかろうと、あんたはベースを弾くだけで幸せなのかな)


 ともあれ、和緒は自分の役割を果たすだけである。

 三人の足を引っ張らないように、最善の演奏を目指す。今の和緒の力量では人間メトロノームを演じるしかなかったが、それならば最高に出来のいいメトロノームを目指すしかなかった。


 そうして四組目の演奏が終了したならば、ついに『KAMERIA』の出番である。

 円陣でも組もうかという町田アンナの提案を一蹴して、和緒はステージに向かうことにした。


 客席との間に幕がおろされているためか、ステージにはなかなかの熱気がこもっている。

 大荷物の遠藤めぐるはベースをスタンドに立てかけてから、また楽屋に舞い戻っていった。そうして二台のエフェクターとケーブル類を両手に抱えて、よちよちと再登場する。その愛くるしい姿に、和緒は(ああもう)と溜息をついた。


(だったら最初にギグバッグごと運んで、後からギグバッグを戻せばいいのに。どうしてこう、ぶきっちょなんだろう)


 和緒が内心でやきもきしている間に、スタッフがドラムのセッティングを進めてくれた。前のバンドがスリータムのセッティングであったため、余分なタムを外す必要があったのだ。今の和緒には、スリータムなど無用の長物であった。


 あとは自分が叩きやすいように、タムの角度やスネアの位置を調節する。試しにバスドラのペダルを踏んでみると、部室のペダルよりもやや重い踏み心地であった。


(やっぱりちょっと、部室のペダルはガタがきてるんだろうな。スタジオやライブハウスのほうが踏みやすいや)


 それに、スネアの鳴りも異なっているように感じられる。部室のスネアはもっとくぐもった音であり、スタジオのスネアはもっとヌケがいいように感じられた。


(これは、張ってある皮の死に具合か。名のあるバンドは自前のスネアを持ち込むんだろうから、ライブハウスもそうそうスネアのメンテに金はかけないんだろうな)


 そうして自分のセッティングの合間には、つい遠藤めぐるの様子をうかがってしまう。

 エフェクターのセッティングを終えた遠藤めぐるは、自分よりも図体のでかい冷蔵庫のようなベースアンプの前で呆然と立ち尽くしていた。


「何かわからないことがあったら、スタッフさんに聞いてみなよ。うかうかしてると、音作りの時間がなくなるよ」


 和緒が声をかけると、遠藤めぐるは我に返った様子であわあわと慌てた。

 そして、取り外したタムを片付けようとしていたスタッフが、不思議そうにそちらを振り返る。


「どうしました? 何かアクシデントですか?」


「あ、いえ、その……アンプに何か、小さな機材の配線が繋がれていて……前のバンドさんの忘れ物でしょうか……?」


「ああ、それはDⅠですよ。シールドは、そっちに繋いじゃってください」


 何か、ライブハウス独自の仕様が施されていたようである。

 ほどなくして、巨大なベースアンプから重低音が鳴り響いた。


「で、出ました! どうもありがとうございます! かずちゃんも、どうもありがとう!」


「ああもう、いいからとっととセッティングしちゃいなよ」


 得も言われぬ感情に胸を満たされながら、和緒はセッティングを再開させる。

 すると今度は、エフェクターを駆使した凶悪な音色が響きわたった。何度聴いても、遠藤めぐるの本性をあらわしているかのような音色である。


(……あんただって、栗原さんに負けない衝動やら鬱屈やらを抱えてたんだろうしね)


 遠藤めぐるの紡ぐ音色には、凶悪さと優しさが満ちあふれているように思えてならない。すべてを破壊し尽くしてやろうというような凶悪さと、あらゆるものに寄り添おうとしているかのような優しさだ。それはまた、彼女が有している二つの資質が複雑に絡み合っているのではないかと思われた。


 いま現在の遠藤めぐるは、とても満ち足りているように見受けられる。理想のメンバーと巡りあい、バンド活動に没頭できていることが、楽しくてならないのだろう。そこに負の感情が割り込む隙間は存在しないはずであった。


 ではその楽しいバンド活動で、何を目指しているかというと――この凶悪な音色である。和緒としては、巨大化したプレーリードッグが歓呼の雄叫びをあげながら世界を破壊して回っている図を想像してしまうのだった。


(ま、ロックってもんには反骨精神ってのが不可欠なんだろうな)


 少なくとも、遠藤めぐると栗原理乃は体内に渦巻くマイナスのエネルギーを、バンド活動によってプラスのエネルギーに転化しているのではないか――と、和緒はそのように考えていた。

 町田アンナには、そういった鬱屈を感じない。しかし彼女は正負に関わらず、エネルギーの塊だ。日常生活では消費しきれないエネルギーが、貪欲にさらなる喜びを追い求めるのかもしれなかった。


 そして、和緒本人はどうなのか――他者のことは偉そうに分析できても、自分のことはわからない。和緒はひたすらこのバンドで落ちこぼれないように尽力しているのみであるが、無意識下の領域でどんな作用が働いているかは確認のしようもなかった。


 しかしそれは、遠藤めぐるたちも同じことなのだろう。彼女たちは、鬱憤晴らしで爆音を鳴らしているわけではないのだ。和緒はただ、彼女たちの奏でる凶悪な音色から勝手な妄想を誘発されているだけのことであった。


(何にせよ、あたしのやることに変わりはないしな)


 三人が好き勝手に暴れられるように、土台を支える。

 あとは、そこから生じる名付け難い感覚を楽しむだけだ。

 そんな風に考えながら、和緒は幕が開かれる瞬間を待ち受けた。

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