03 入場

 バーガーショップでランチを済ませて、ショッピングロードのトイレで町田アンナの準備したバンドTシャツを着込んだならば、いざ会場たるライブハウスに出陣であった。


 本日は、十組のアマチュアミュージシャンがこちらのイベントに出場する。十代限定という年齢制限で、ギターやピアノの弾き語りでも出場が許されるという、なかなか愉快なイベントだ。その出演者には、動画サイトで話題の小学生ピアニストなども含まれていた。


『KAMERIA』の出番は五番目で、最後にはスペシャルゲストによるライブショーなどという余興も準備されている。それは和緒もうっすらと顔と名前を見知っている、『オーバードライバーズ』というアイドルバンドであった。


「どうせだったら、アイドルじゃないバンドを呼んでほしいところだよねー」


 町田アンナはそのように言っていたが、和緒にとっては些末な話であった。和緒はとにかくメンバーの足を引っ張らないという命題をクリアーしなければならないのだ。いずれも若年である出演者の中でも、和緒はもっともキャリアが浅い可能性が高かったのだった。


(たった二ヶ月半のキャリアでこんなイベントに出ようなんて考える人間は、そうそういないだろうからな。まったくこいつらは、無邪気な顔をしてとんでもない暴走に巻き込んでくれるもんだよ)


 そんな感慨を噛みしめながら、和緒は遠藤めぐるの様子を横目でうかがかった。

 バーガーショップで栄養を補給したためか、遠藤めぐるはいっそう元気になったようである。イベントに対する気後れの思いは隠しようもないが、それ以上に彼女は昂揚しているようであった。


(……あんたはそんなに、『V8チェンソー』の演奏がお気に召したんだね)


 そもそも彼女がこのイベントに出場することに意欲的であったのも、『V8チェンソー』のライブが大きく影響しているのだろう。『SanZenon』によってロックバンドに魅了された彼女は、『V8チェンソー』との出会いでいっそうの熱情を抱え込む事態に至ったのだった。


 そうしてアイドルバンドの司会によるイベント内容の説明会が終了したならば、ついに開場の時間である。

 本日は、『V8チェンソー』と軽音学部の先輩がた、そして町田家のご家族にチケットを売り渡している。その中で真っ先に来場したのは、『V8チェンソー』の面々であった。


「わーっ、ブイハチのおねーさまがたじゃん! 出番は三時すぎって連絡を入れたのに、もう来てくれたのー?」


「うん。若い人らのエキスを吸収させてもらおうと思ってさぁ」


 先頭に立っていた浅川亜季が、のんびりと微笑みかけてくる。本日は最初からタンクトップの姿であり、肩にワークシャツを引っ掛けていた。

 彼女はワイルドな風体であるので、そんな露出度でもあまり嫌味に感じられない。ただ、美人であることは確かであるので、裏ではかなり男心をくすぐっているのではないかと思えてならなかった。


「外でうだうだしてるより、ライブハウスのほうが落ち着くからさ! どんなバンドがエントリーしてるのかも気になるしねー!」


 と、ドラムのハルも元気に声をあげてくる。そちらもいつも通り、Tシャツにハーフパンツというボーイッシュな格好だ。無造作なショートヘアーと相まって、元気な男の子という風情であるが、なかなか可愛らしい顔立ちをしているため、ある意味ではもっとも幅広く異性にもてはやされそうな雰囲気であった。


 そしてベースのフユは、ひとりだけ普段と雰囲気が違っている。いつもは頭の天辺でくくっているスパイラルヘアーを自然に垂らしており、巨大なサングラスで目もとを隠していたのだ。すらりとした長身やエスニックなファッションに変わりはなかったが、長い前髪のせいで端整な顔に影が落ち、普段以上に冷徹かつ威圧的な雰囲気であった。


「あ、あの、今日はわざわざありがとうございます。立派なベースに負けないように、頑張るつもりですので……」


 遠藤めぐるがおっかなびっくり声をかけても、フユは「そう」としか返さない。

 その態度に、和緒は思わずカチンときてしまった。彼女が不愛想なのはいつものことであるが、本日はいささか度を越えているように感じたのだ。


「何かご機嫌ななめのご様子ですね。無理にお誘いしたつもりはないんですけど、ご迷惑だったんならお詫びしますよ」


 和緒がそのように指摘すると、浅川亜季が横からするりと割り込んできた。


「あはは。フユはちょっとわけあって、ナーバスになってるだけだよぉ。フユもさぁ、そんな仏頂面をさらしてたら、いたいけな娘さんたちが心配しちゃうじゃん」


「うるさいな」とフユが苛立しげに言い返したとき――小柄な人影がこちらに近づいてきた。アイドルバンドたる『オーバードライバーズ』のひとりである。


「みなさん、こんにちはぁ。ちょっとだけ、お話をいいですかぁ?」


 その芝居がかった口調に、和緒は思わず眉をひそめてしまう。それはメンバーの中でただひとり金髪のショートヘアーをした娘さんであったが、そのにこやかな笑顔も明らかに嘘っぱちの表情であった。

 その娘さんに押し込まれる形で、『KAMERIA』と『V8チェンソー』のメンバーは客席のコーナーに追いやられてしまう。難を逃れたのは、他人顔で椅子に座っていた栗原理乃ひとりだ。そうして人の目と耳から遠ざかると、その娘さんが本性をあらわにした。


「……手前ら、何しに来たんだよ?」


 周波数が高くて甘ったるい声がチンピラのような迫力を帯び、作り物の笑顔の下からは険悪な形相が剥き出しにされる。それを見返しながら、浅川亜季はのんびりと笑った。


「おー、ひさしぶりぃ。すっかりアイドルが板についたみたいだねぇ」


「うるせーなぁ。何をしに来たって聞いてんだよ。冷やかしに来たんだったら、とっとと消えやがれ」


「アタシらだって、そこまでヒマじゃないよぉ。今日はお友達の初ライブを拝見に来たのさぁ」


「……お友達? 手前らが、十代のガキどもとつるんでやがるってのかよ?」


「そうだよぉ。ご覧の通り、すっかり親睦が深まってねぇ」


 そう言って、浅川亜季はいきなり遠藤めぐるの肩を抱いた。


「それじゃあ、紹介しておこうかぁ。このコがブイハチの元メンバーで、土田奈津実だよぉ。うちらはナツって呼んでたけど、今の愛称はナッチだったっけぇ?」


 町田アンナは「えーっ!」と驚きの声を張り上げたが、和緒はすみやかに納得した。この一連のやりとりだけで彼女たちの関係性は把握できたし――フユが不機嫌であった理由も知れたのである。


(なるほど……メンバーの脱退とかそういうデリケートな話には、フユさんが一番弱そうだもんな)


『V8チェンソー』のメンバーは、みんな情が深い上に頑丈な心を有しているように見受けられる。ただ、どこか仙人めいている浅川亜季や、ポジティブきわまりないハルと比べて、フユは繊細に感じられるのだ。それは、和緒の有する脆弱な部分と通ずるもののある、ある種の打たれ弱さであった。


(敵の攻撃には強いけど、味方の裏切りには弱いっていうか……あたしの場合はそれに耐えられないから、うかうかと仲間を増やせないんだよな)


 和緒がそのように思案していると、当のフユが冷たい声音を土田奈津実に叩きつけた。


「こいつていどの腕でリードギターなんて、出世どころか大転落でしょ。ヴォーカルの座をアイドルなんかに奪われて、恥ずかしくないの?」


「うるせーなあ。売れないバンドマンにガタガタ言われる筋合いはねえよ」


 すると、ハルが「まあまあ!」と両者の間に割って入った。


「こんなとこでモメても、しかたないじゃん! ナっちゃんも、今はお仕事中なんでしょ? あたしらは本当に友達のバンドを観に来ただけで、ナっちゃんを冷やかすつもりなんてないからさ! そっちもお仕事頑張ってよ!」


 土田奈津美は「ちっ」と舌を鳴らして、身を引いた。


「……手前ら、こっちの邪魔をしたらただじゃおかねえからな。こっちはもう事務所をバックにつけてることを忘れんなよ」


「知ったことかよ。せいぜいアイドルらしく、尻でも振ってな」


 フユが冷然と言い返すと、土田奈津美はミニスカートをひるがえして立ち去っていった。その小さな後ろ姿を見送りながら、浅川亜季は「あはは」と笑う。


「ナツは相変わらずだなぁ。あんなんでアイドルがつとまるのか、こっちが心配になっちゃうよぉ」


「ふん。あんなやつ、せいぜい泣きを見るといいんだよ」


 フユがぷいっとそっぽを向くと、ハルが申し訳なさそうに説明を始めた。


「まあ、こういうわけでフユちゃんはちょっとナーバスだったんだよ。なんだかんだでナっちゃんと一番仲良くしてたのはフユちゃんだったから、色々と割り切れない気持ちも出てきちゃうんだよね」


「ふざけんな。あんな馬鹿女、私の知ったこっちゃないよ」


 フユが語れば語るほど、和緒の想像は真実味を帯びていった。

 フユはいまだに、土田奈津美との別離を悲しんでいるのだ。すでに彼女の脱退から半年以上の日が過ぎており、三人のメンバーでもしっかり活動を続けていける目処が立っていても――信頼していた相手に裏切られたという悲しみだけは、どうしてもぬぐいきれないのだろう。


(勝手に心中お察ししちゃってますけど……それって、本当にしんどいですよね)


 だから和緒は二年にもわたって、遠藤めぐるとつかず離れずの距離をキープしていたのだ。

 自分の内面をさらけだした上で裏切られるのは、耐えられない。それと同時に、相手の内面を見た上で自分のほうが冷めてしまうのも、同じぐらい耐えられない。そんな臆病風に吹かれて、和緒は遠藤めぐると距離を取っていたのである。


 和緒ほど屈折していないフユは、怯むことなく土田奈津美と交流を深めて――その上で、裏切られたのだろう。

 相手にとっての自分というのはそのていどの価値しかなかったのだと、思い知らされたのだ。そんな風に想像しただけで、和緒は胃が重くなってしまった。


 そんな思いを抱え込みながら、和緒は「なるほど」と声をあげてみせた。


「でもきっと、割り切れないのはあちらさんも同様でしょうね。あたしだったら、元メンバーにあんなフリフリの姿を見られるのは死ぬほど恥ずかしいですよ」


 和緒がフユにかけられるのは、そんな言葉しかなかった。

 臆病で卑怯で性格のねじ曲がった和緒は、場を茶化すことでしかフユに寄り添うことができないのだ。それでも和緒は心中で、フユの痛みが少しでもやわらぐようにと祈っていた。


「うんうん。だからナツのやつも、あんなにいきりたってたんだろうねぇ。ま、アイドルに転身したのは本人の勝手なんだから、そこは自力で乗り越えてもらうしかないさぁ」


「それは、あたしも同意見です。……ところでうちのプレーリードッグが、過剰なスキンシップに不整脈を起こしているようですよ」


「ああ、ごめんごめん。めぐるっちってちっちゃいから、抱き心地がよくってさぁ」


 浅川亜季は、いまだに遠藤めぐるの肩を抱いていたのだ。浅川亜季が解放すると、遠藤めぐるはほっとした様子で息をついた。


「まあ、これ以上はお騒がせすることもないだろうからさぁ。みんなは心置きなく、初めてのライブを楽しんでよぉ」


「うんうん。あたしたちのせいで集中を乱しちゃったら、どんなに謝っても申し訳が立たないからね! 四人とも、こっちのことは気にしないで――」


 と、そこまで言いかけたハルが、「あれ?」と小首を傾げた。


「そういえば、ここには三人しかいないね。理乃ちゃんはどこにいったのかな?」


「あー、そっか! ハルちゃんたちにも、説明しておかないとねー!」


 町田アンナはにぱっと笑いながら、栗原理乃のほうに視線を飛ばした。

 栗原理乃は大きなフレアハットをかぶったまま、壁沿いの座席にひっそりと座している。その姿に、『V8チェンソー』の面々はそれぞれ驚きの思いをあらわにした。


「ええ? アレが理乃っちなのぉ? すっかり見違えちゃったねぇ」


「いやいや! 見違えるどころの話じゃないでしょ! まるっきり別人だよー!」


「まったく……一番まともそうなやつまで、こんな本性を隠してたとはね」


 栗原理乃の変身のインパクトで、土田奈津美の幻影はすっかり払拭されたようであった。

 そして和緒は、自分の推察が的外れでなかったことを確信した。『KAMERIA』の面々よりも人生経験が豊かであろう『V8チェンソー』の面々は、栗原理乃の異質さをより深く理解している様子であったのだ。


 浅川亜季はチェシャ猫のように微笑みながら、栗原理乃の姿をじっくりと検分している。

 ハルは心から仰天しつつ、同時に感心しきっているようだ。

 そしてフユは、鋭く探るような眼差しになっている。この不可解な存在はどのような力を隠し持っているのかと、懸命に見て取ろうとしている様子である。


 ロックバンドというものは、おそらく技術や演奏力というものだけでは完成させられない要素が存在する。それは熱情であったり、思想であったり――そして、狂気であったりするのだろうと思うのだ。


 遠藤めぐるの内にも、狂気というものは少なからず存在するのだろう。ただ今のところ、その尋常ならざる思いはすべて熱情に転化されている。彼女は尋常ならざる労力をベースの練習に注ぎ込むことで、内なる狂気を昇華しているのではないかと思われた。


 いっぽう栗原理乃は、その狂気を持て余している感がある。彼女はバンド活動を家族に秘匿しているため、家では発声の練習もままならないのだ。そうして町田アンナと遠藤めぐるに強い憧憬を抱く彼女は、何とか自分もバンドの中に居場所を見出そうと煩悶しており――その思いが、今はライブの成功というものに傾けられているのである。


 ヴォーカルというのは、バンドの顔だ。そのもっとも過酷なポジションに立つために、栗原理乃はこのような道を選んだ。ただ扮装で顔を隠しているばかりでなく、彼女は臆病で脆弱な自分を心の奥底に封じ込め、何にも動じない氷の女王のごとき人格を作りあげてみせたのだった。


 ただでさえ天才の部類である栗原理乃がそんな狂気まで持ち出してきたら、いったいどれだけのステージを見せることができるのか――そして、熱情の権化たる遠藤めぐるやエネルギーの塊たる町田アンナはどのような形で調和するのか――和緒としては、生身で溶鉱炉に突き落とされるような心地であった。


(ま、あたしもあがけるだけあがくつもりなんで、どうか骨は拾ってくださいな)


 和緒は心中で『V8チェンソー』の面々にそんな言葉を投げかけながら、開演の時間を待つことになったのだった。

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