05 終演
『青い夜と月のしずく』が終了すると、また大歓声が爆発した。
スポットは暗く落とされて、町田アンナも何も語ろうとしない。そうして歓声がひいていくと、和緒はおもむろにスティックでカウントを取った。
四曲目は、バラードの『あまやどり』だ。
『青い夜と月のしずく』で構築した重々しい雰囲気が、『あまやどり』の優しい演奏によって中和されていく。めぐるもまた、清涼な心地で甘い低音を紡ぐことができた。
やはり、曲の順番は重要であるのだ。町田アンナの提案で曲の繋ぎを意識するようになって以来、めぐるはその事実をしっかり噛みしめることができた。
『小さな窓』で元気かつ攻撃的に始まって、さらにダンシブルな『
きっと他のメンバーたちも、それは同様であるのだろう。
だからこそ、めぐるも満ち足りた思いでベースを弾くことができているのだ。
それを客席にまで伝えられるかどうかは、ひとえに楽曲の完成度――演奏力や表現力というものにかかっているのだろうと思われた。
トーンを絞った甘い音色にひたりながら、めぐるは客席に視線を転じる。
町田家の姉妹はうっとりとした面持ちで身を揺らしており、軽音学部の先輩がたや『ケモナーズ』の面々も至極満足そうな表情であった。
客席の中段以降は暗くて様子もわからなかったが、そこに漂う空気はしっとりと落ち着いている。それでめぐるも、同じ心持ちのまま演奏に没頭することができた。
みんなのやわらかな演奏と栗原理乃の紡ぐ切ない歌詞が、めぐるの心を満たしてくれている。
やはり本日も、この曲の歌詞はめぐるの心に深く食い入ってやまなかった。町田アンナから幼少期の思い出話を聞いて以来、めぐるはいっそう栗原理乃の歌詞に彼女自身の面影を感じるようになっていた。
『……ありがとう。四曲目は、「あまやどり」でした』
町田アンナがぺこりと一礼すると、歓声ではなく大きな拍手が打ち鳴らされる。
町田アンナは天を仰いで「ふいー」と息をついてから、また正面に向きなおった。
『じゃ、残りは二曲だねー! こっからはまたかっとばしていくから、最後まで楽しんでねー!』
すると、拍手に歓声が入り混じる。町田アンナはMCにもっと磨きをかけなければと主張していたが、彼女の言葉には十分に人の期待をかきたてる力があるように思われた。
そんな思いを噛みしめながら、めぐるはチューニングとエフェクターの確認に勤しむ。もう全身が汗だくで、下顎から伝った汗が足もとにまで落ちていた。
『次の曲は、カバー曲なんだけど! ウチらはすっかりハマっちゃったから、今後もセットリストに組み込んでいきたいと思ってるんだよねー! SNSのほうに原曲のライブ映像のリンクが張ってあるから、キョーミある人はチェックしてみてね!』
そのように語りながら、町田アンナもチューニングに取り組んでいる。和緒はこれから始まる重労働に備えて、腕のストレッチをしていた。
『原曲を作ったのは、「SanZenon」ってバンドの人たちね! もう十年ぐらい前に解散しちゃったんだけど、元メンバーさんにカバーするお許しをいただいたの! 「SanZenon」がいなかったらめぐるはベースを始めてなかったかもしれないし、めぐるがいなかったら「KAMERIA」もなかったから! ウチらにとっても、めっちゃ大事なバンドなんだー!』
そうして自分の名前を出されると、めぐるもたいそう恐縮してしまう。
そして、客席の視線がこちらに集中するような感じがするので、わけもなく頭を下げることになるわけであった。
『じゃ、二曲連続でかっとばしていくねー! まずは「SanZenon」の、「線路の脇の小さな花!」 めぐるサン、どうぞ!』
大歓声に腕を引かれるような思いで、めぐるは指板に指を走らせた。
Eを基調にした、十六分の激しいフレーズだ。ビッグマフとラットを混ぜた音色も、心地好く響いてくれた。
やがてすべての楽器が演奏を重ねると、MCの間に沈静化した心が一気に高まっていく。
スネアの連打の16ビートに、ギターの高音のカッティングに、ピアノの速弾きフレーズ――今ではこの『KAMERIA』のアレンジバージョンのほうが、馴染み深く聴こえるほどである。めぐるは今でも毎日欠かさず『SanZenon』の音源を聴きあさっているが、それ以上に練習で自分たちの演奏を耳にしているはずであった。
しかしそれでも、『SanZenon』の姿が薄らいだりはしない。
今でもめぐるの心には鈴島美阿の姿がくっきりと焼きつけられており、めぐるはそれを必死に追いかけているような心地であった。
めぐるが目にしたあのライブ映像は、『SanZenon』のごく初期のものであったらしい。だから彼女も、まだビッグマフとラインセレクターしか使っていなかったのだ。『SanZenon』の音源では、こちらの曲でももっと数多くのエフェクターが使われているようであった。
しかし彼女たちは、すでに素晴らしい調和を完成させていた。もちろん本人たちにとってはまだまだ試行錯誤のさなかであったのだろうが、めぐるはあれ以上の調和を目にしたことがない。めぐるが目指すべき最初のゴールは、まぎれもなくあのライブ映像の『SanZenon』であったのだった。
そのために、めぐるは懸命にベースを弾き続けている。
今もめぐるは、試行錯誤の真っ只中だ。現時点でも悦楽の絶頂であるのだが、その先にはさらなる調和も存在することが、『SanZenon』や『V8チェンソー』によって証し立てられているのである。
見果てぬその場所を目指して、めぐるは難解なるフレーズを紡いだ。
和緒も町田アンナも栗原理乃も、同じ場所を目指して素晴らしい音色を紡いでくれている。この日もめぐるは、普段の練習以上の昂揚と悦楽を手にすることができていた。
Bメロではビッグマフを切り、サビではB・アスマスターを加えて、さらに凶悪な音色を奏でる。
栗原理乃も鈴島美阿の幻影に対抗するかのように、彼女ならではの歌声を振り絞っていた。
そうして四分ていどの悦楽は、あっという間に終わりを迎え――最後のE音を切らずに鳴らし続けると、町田アンナが右腕を振り上げて宣言した。
『ありがとー! それじゃあ、最後の曲! 「転がる少女のように」!』
大歓声の中、町田アンナはイントロのリフをかき鳴らす。
なかなか安定しないテンポの中で、今日もめいっぱいのアップテンポだ。もしかしたら、このめいっぱいのアップテンポこそが、この曲のベストのテンポであるのかもしれなかった。
歪みのエフェクターを切っためぐるも、全力でベースを弾いてみせる。
音もフレーズももっともシンプルで、もっとも真っ直ぐな勢いを持った楽曲だ。和緒の力強いドラムも、栗原理乃の流麗なピアノも、混然一体となって世界を駆け巡った。
客席は、沸騰しているかのような熱気である。
町田家の姉妹ばかりでなく、大勢の人々が腕を振り上げている。暗くて人相もわからない場所では、タオルを振り回している者もいた。めぐるたちの作りあげた音と演奏でそれだけ大勢の人々が熱狂してくれているというのが、信じ難いほどであった。
Bメロでは、町田アンナが元気な歌声を響かせる。
サビでは、二人のハーモニーだ。
曲が進行するたびに、客席は盛り上がっていく。その熱気が、いっそうめぐるを昂らせてくれた。
やっぱりこれが、ライブならではの悦楽であるのだ。
家でひとりで練習しているよりも、四人で練習しているほうが楽しい。そして四人で練習しているよりも、大勢の人々の前で演奏しているほうが楽しい――そんな当たり前のことが、めぐるもこの数ヶ月でようやく実感できるようになったのだ。
めぐるたちはライブの回数を重ねるたびに、楽しさが増している。それは、自分たちの演奏力が向上していることと、客席の人数および盛り上がりに起因しており――そのどちらが欠けていても、これほどの楽しさは得られないはずだった。
一曲目で弦が切れたとき、めぐるは心底ぞっとした。演奏で致命的な失敗が生じれば、これほど人々の共感を得ることはできないのだ。そんなリスクを抱えているからこそ、これほどの悦楽が得られるのだろう。一度きりで、取り返しがつかないからこそ、めぐるたちは懸命に音を紡いでおり――それが自分と周囲の人々を熱狂させるのだろうと思われた。
そうして演奏に没頭していると、そんな御託も遠くに霞んでいく。
めぐるは頭ではなく、心と肉体でこの悦楽を味わっているのだ。そんな思考が漂っている内は、まだまだ甘いのかもしれなかった。
しかしめぐるは、今の自分にできる最大限の演奏を見せている。
今の悦楽が、今のめぐるのめいっぱいだ。明日からは、見果てぬその先を目指すしかなかった。
『どうもありがとー! 「KAMERIA」でした!』
『転がる少女のように』が終了すると、町田アンナがまた声を張り上げた。
彼女がラットのエフェクターを踏んだので、めぐるもラインセレクターで歪みの音色を解放する。前の曲のアウトロで使用した、B・アスマスターとソウルフードでブーストさせたラットのブレンドだ。めぐるはハイ・ポジションでCのコードを押さえて、遠慮なくかき鳴らしてみせた。
和緒もバスドラとシンバルを乱打しているし、栗原理乃もめちゃくちゃに鍵盤を叩いている。とてつもない轟音が世界に駆け抜けて、それがまた人々を熱狂させた。
『今日のイベントは、まだまだ始まったばかりだからねー! 最後まで、一緒に楽しもー!』
町田アンナはその身のフィジカルを活かして、ものすごい高さに跳躍した。
その着地のタイミングに合わせて、めぐるたちは最後の音を打ち鳴らす。
客席には、凄まじい勢いで拍手と歓声があふれかえり――それをなだめるかのように、しずしずと幕が閉ざされていった。
めぐるは脱力して、ベースを抱えたままへたり込みそうになってしまう。
しかし、呆けているいとまはない。ステージを終えたならば、すぐさま搬出作業に取りかからなければならなかった。
その前に、メンバーの様子をうかがってみると――栗原理乃が電子ピアノに突っ伏しており、町田アンナがへろへろの顔で笑っていた。
「リィ様、だいじょうぶー? 今日も最高のステージだったね!」
「はい……とりあえず、今の自分をすべて出しきれたように思います……」
息も絶え絶えに答えながら、栗原理乃はのろのろと身を起こした。
いっぽう和緒は頭にスポーツタオルをかぶりながら、バスドラペダルの取り外しにかかっている。
「曲を増やせば増やしただけ、体力の消耗も甚大だね。あんたも大事なベースを落っことさないように気をつけな」
そんなすぐさま平常の言葉を口にできる和緒は、大したものである。
めぐるは夢に浮かされているような心地で、「うん」と答えるしかなかった。
そんな中、幕の端から店のスタッフが登場する。その顔には、屈託のない笑みが浮かべられていた。
「今日も最高のステージでしたね。照明も気合が入っちゃいました」
「どうもありがとー! 時間は、マジで大丈夫だったかなー?」
「はい。三十分きっかりって感じでしたね。これもシバちゃんのおかげでしょう」
そんなやりとりで、めぐるの浮かれた心に一抹の理性が戻された。
「あ、あの、今日もご迷惑をかけてしまって――」
「いいから、まずは搬出だっての。土下座だの何だのは、後にしておきな」
「あはは! 謝る必要なんかないってば! でも、シバちゃんにはきっちりお礼を言っておかないとねー!」
めぐるは覚束ない手つきでシールドを片付けて、まずはエフェクターボードを楽屋に持ち運ぶことにした。
そちらでは、仁王立ちの柴川蓮が待ち受けている。が、めぐるが口を開くより早く、威嚇する柴犬のような声を叩きつけられた。
「あたしらは次の出番なんだから、余計な話は後にしてよね! とにかく、搬出を急いでよ!」
「は、はい! どうもすみません!」
めぐるが階段に戻ろうとすると、バスドラペダルとスティックケースとリッケンバッカーのベースを抱えた和緒が現れた。その後には、電子ピアノを抱えた町田アンナとギターのエフェクターボードを抱えた栗原理乃も登場する。町田アンナはこれが二往復目で、オレンジ色のテレキャスターはすでに壁に掛けられていた。
「搬出はこれで終了だよー! 『マンイーター』のみんなも頑張ってねー! あと、シバちゃんはめぐるのフォローをありがとー!」
「ふん! あたしは大事なイベントを盛り下げたくなかっただけだよ!」
柴川蓮はベースとエフェクターボードを手に、階段を下りていく。
ギターとエフェクターボードを抱えた坂田美月とバスドラペダルとスティックケースを抱えた亀本菜々子も、笑顔でその後に続いた。
「めいっぱいハードルを上げられちゃったけど、あたしらも頑張るよー。みんなもひと息ついたら、ライブを楽しんでねー」
「うん! ちゃちゃっと着替えて、客席にお邪魔するよー!」
そうして楽屋には、『KAMERIA』のメンバーだけが残された。
町田アンナは濡れそぼったオレンジ色の頭をスポーツタオルでかき回しながら、めぐるににぱっと笑いかけてくる。
「それにしても、さっきはびっくりしたよー! まさか、ベースの弦が切れたとは思ってもなかったからさー!」
「は、はい。本当にすみませんでした。……やっぱり町田さんたちは、気づいてなかったんですね」
「うん! だって、演奏もカンペキだったじゃん! いつもとアレンジが違うなーとは思ったけど、いつもよりかっちょいいぐらいだったしさ!」
「はい。私もまったく気づきませんでした。いったいどのタイミングで弦が切れてしまったのでしょうか?」
ようやく息の整った栗原理乃が、無表情に問い質してくる。
めぐるが思わず口ごもると、和緒が代わりに答えてくれた。
「たぶん、一番のサビの後半ぐらいだね。そこまでは、いつも通りのフレーズだったからさ」
「えー! そんな序盤からだったんだ? 和緒は、よく気づいたねー!」
「あたしは後ろから眺めてるからね。プレーリードッグが即興でアレンジするなんて珍しいなと思って見てみたら、弦がぷらぷら垂れ下がってたのさ」
「う、うん。力加減には気をつけてるつもりだったんだけど……またご迷惑をかけてしまって、本当にすみませんでした」
めぐるがおもいきり頭を下げると、町田アンナの笑い声が響いた。
「これまでだって迷惑をかけられた覚えはないし、今日だっておんなじだよ! ウチだっていつ弦が切れるかわかんないから、そんなのはおたがいさまさー!」
「はい。それよりも、遠藤さんのリカバリー能力に舌を巻きました。使用頻度の高い3弦が切れても演奏のクオリティを保てるというのは、並大抵の話ではないと思います」
めぐるが恐縮しつつ声をあげようとしたとき、背後のドアが開かれた。
そこから入室してきたのは、黒マントを纏った『ヴァルプルギスの夜★DS3』の三名だ。その先頭に立った鞠山花子が、ぺちぺちと手を打ち鳴らした。
「あんたたち、ナイスファイトだっただわよ。イベントの幕開けに相応しい、熱いステージだっただわね」
「わーっ、ありがとーございます! ウチらもめいっぱい楽しかったんで、そう言ってもらえたらうれしーですっ!」
町田アンナがたちまち背筋をのばすと、鞠山花子は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「これで全員高校一年生とは、恐れ入るだわね。リハとは比較にならない気迫だっただわよ。まだまだ原石まるだしだわけど、こんな馬鹿でかい原石を目にしたのは初めてなんだわよ」
そう言って、鞠山花子は眠たげな目をいっそう眠たげに細めた。
「おかげでわたいたちも、闘志マックスなんだわよ。磨きに磨きぬかれたジュエリーの輝きを見せてあげるから、せいぜい勉強するんだわよ」
「はいっ! みなさんも頑張ってください!」
「その前に、あんたたちは着替えるべきだわね。13号ちゃんは表で待機してるんで、心置きなく裸体をさらすだわよ」
「……10号さんの目は気にしなくていいわけですかね?」
和緒がクールに問いかけると、鞠山花子はうろんげに背後を振り返った。
「あんたも置いてきたはずなのに、どうしてしれっとついてきてるんだわよ?」
「あちゃー、バレたかー。でも、女同士で遠慮はいらなくない?」
ガスマスクで人相を隠した片方が、フードに包まれた頭をかく。
「本質的には、13号ちゃんよりあんたのほうが自重するべきなんだわよ。わたいの支配下にある時間は、いかなるやんちゃも許さないだわよ」
「はいはい。それじゃあ、またのちほどぉ」
10号はひらひらと手を振りながら、楽屋を出ていった。
すると、もう片方の長身の人物――7号がガスマスクを外して不愛想な素顔をさらしつつ、めぐるのほうを見据えてきた。
「あんたも、なかなかのプレイだったね。のちのちのセッションがいっそう楽しみになってきたよ。……まだまだたっぷり時間は残されてるから、次の出番までにきっちり回復しておきな」
めぐるは「は、はい」と答えたが、実のところ次の出番というものは頭からすっかり消えてしまっていた。
(わたしは『V8チェンソー』のアンコールでも、ステージに出ないといけないんだ……なんだか、想像がつかないなぁ)
そして今は、もっとステージの余韻にひたっていたいところであったが、そうそうゆっくりもしていられない。機材をきちんと片付けて、汗だくのTシャツを着替えて、お客たちの相手をして、『マンイーター』のライブを観戦しなくてはならないのだ。そのように考えると、なんだかぐったりしてしまいそうであったが――しかし心の片隅には、期待の萌芽のようなものが生じているような気がしなくもなかったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます