-Track5-
01 マンイーター
めぐるたちが楽屋を出ると、たちまち見知った顔が取り囲んできた。
町田家の面々と田口穂実、そして軽音学部の二年生コンビである。
「みんな、おつかれさまー! 今日もすっごくかっこよかったよー!」
「うん! 本当にすごかったです! 今までで、一番すごかったです!」
まずは町田家の元気な姉妹が、満身に喜びの思いをみなぎらせながらそんな言葉を投げかけてくる。
そしてその背後から、田口穂実が町田アンナにやわらかく笑いかけた。
「あたしも、めっちゃカンドーしちゃったよー。アンナ先生は、ほんとにすごいメンバーと巡りあえたんだねー。なんかもう、言葉にならないぐらい嬉しいよー」
田口穂実はいつも通りののんびりとした笑顔であったが、その眼差しの優しさがこれまで以上にふくれあがっていた。
するとたちまち、町田アンナの目から大量の涙があふれかえり――彼女は「もー!」と声を張り上げながら、怒っているような顔で笑った。
「今日こそホヅちゃんを泣かしてやろーと思ってたのに、けっきょくウチが泣いちゃったじゃん!」
「あはは。涙は出ないけど、心臓はバクバクだよー。確かめてみるー?」
田口穂実が無邪気な笑顔で両腕を広げると、町田アンナは迷いの気配もなくその胸に飛び込んだ。
「おおう。すげー怪力だねー。ほんとに稽古をやめたのかなー?」
「うるさいよー! もー! もー!」
町田アンナは子供のように声をあげながら、田口穂実の身をぎゅうぎゅうとしめあげた。
田口穂実は優しく笑いながら、汗で濡れたオレンジ色の髪を撫でる。それから、めぐるたちのほうに視線を向けてきた。
「あ、理乃ちゃんもお疲れさまー。理乃ちゃんの歌声とピアノも、すげかったよー」
「あ、いえ、私はその……ど、どうもおひさしぶりです」
リィ様の変身を解いた栗原理乃は、なんとも言えない面持ちで頭を下げる。
そうしてめぐるが町田アンナの感極まった姿に胸を詰まらせていると、小伊田と森藤が挟み撃ちにしてきた。
「でも、今日は本当にすごかったよ! 文化祭の頃とも比べ物にならなかったよ!」
「うん! 最初っから最後まで、文句のつけようのないステージだったね! みんなは、本当にすごいよ!」
小伊田ばかりでなく、森藤も子供のようにはしゃいでしまっている。それがまた、めぐるの心を大きく揺さぶってきた。
『KAMERIA』をもっとも古くから知る人々が、みんなで頬を火照らせながら祝福の言葉を届けてくれたのだ。めぐるは得も言われぬ誇らしさに心を満たされて、息をするのが難しいぐらいであった。
「みんな、お疲れぇ」と、誰かが背後からめぐるの身にもたれかかってくる。
顔を確認するまでもなく、それは浅川亜季のとぼけた声であった。
「またまた『KAMERIA』は、ものすごい勢いでレコード更新してくれたねぇ。今日は地殻変動を起こすぐらいの大爆発だったよぉ」
「それはそれは、恐縮です」と、言葉の出ないめぐるの代わりに和緒が軽妙な言葉を返す。
浅川亜季は「うんうん」と笑いを含んだ声をあげながら、めぐるの頭に頬ずりをしてきた。
「ほんとはひとりずつハグして回りたいとこなんだけど、そろそろ『マンイーター』のステージが始まる頃合いだからさぁ。とりあえず、めぐるっちにまとめて受け取っていただくねぇ」
そうしてめぐるの頭を思うさま蹂躙してから、浅川亜季はようやく身を離した。
その顔に浮かべられていたのは、年老いた猫のような笑みだ。それでまた、めぐるは胸を詰まらせることになってしまった。
「じゃ、こまかい感想はまたのちほど……あれあれぇ? どこかで見かけたお顔だねぇ」
と、足を踏み出そうとした浅川亜季が、きょとんと小首を傾げる
その視線の先にあるのは、まだ町田アンナに抱擁されている田口穂実の姿であった。
「あ、もしかして、『パニッシュメント』のギターさんかなぁ? そういえば、アンナっちのオトモダチだっていう話だったよねぇ」
「あらあら。あたしなんかのことを、ご存じで?」
どこか似た部分のある両名が、おたがいに飄然と微笑みながら視線を見交わす。
すると、田口穂実の胸もとで涙をぬぐった町田アンナが、おひさまのような笑顔を浅川亜季に向けた。
「あんまり詳しく話してなかったけど、ホヅちゃんはウチのココロの師匠なんだよー! アキちゃんも、仲良くしてあげてねー!」
「それはそれは。アンナっちの師匠様だなんて、恐れ多いばかりだねぇ」
「いやいや。あたしなんか、そんな大したもんじゃないんだよー。……もしかして、あなたが『V8チェンソー』のギターさんかなー? あたしはパニッシュでギターを担当してる、田口穂実と申しやす」
「これはこれは、ご丁寧に。あたしは浅川亜季ってもんですよぉ」
二人が語れば語るほど、空気がふにゃふにゃ弛緩していくような心地である。
両名は決してそこまで似通っているわけではないのだが――ただ、ピンポイントで似ている部分が強く共鳴しているように感じられてならなかった。
「よかったら、最後まで楽しんでいってくださいなぁ。じゃ、あたしは主催者としてステージを見届けないといけないんで、これにて」
「あーっ! もう『マンイーター』が始まる時間かー! それじゃー、ウチらも客席に下りないと!」
ということで、その場の面々も浅川亜季とともに客席を目指すことになった。
その階段の手前では、出演バンドのグッズ販売がされている。その売り子が三名に増えており、新顔の女性は『Kick down 3rd』という本日のイベント名がプリントされたTシャツを着ていた。
「あ、そうそう。実は物販のTシャツとステッカーを車に置き去りにしちゃってて、事前に配ることができなかったんだよねぇ。出演者のみなさんには、後であらためて配布するからさぁ」
「あー、そーいえばイベント用のグッズを作るって言ってたねー! すっげーかっちょいーじゃん!」
「さんきゅー。後ろも見せてくれるかなぁ?」
売り子の娘さんが、「はい」と後ろに向きなおる。
その背中には、本日出演するバンドの名がずらりとプリントされていた。
『KAMERIA』の名が、『V8チェンソー』の名と一緒にプリントされているのだ。それでめぐるは、初めて本日のフライヤーを目にしたときと同じぐらい心を揺さぶられることになってしまった。
「あ、ちなみにこのコは、ハルのオトモダチだよぉ。どこかの会場で顔をあわせてるんじゃないかなぁ」
言われてみると、確かにどこかで見たような顔である。めぐるが慌てて頭を下げると、その可愛らしい女性はにこりと微笑んだ。
「去年の夏前ぐらいに、制服姿でブイハチのライブを観にきたコたちだよね? わたしはここから動けなかったけど、モニターでもすごい盛り上がりなのがわかったよ。どうも、お疲れ様でした!」
ハルの友人に相応しい、きわめて朗らかな人柄であるようだ。
めぐるはぺこぺこと頭を下げながら、階段に足を踏み出すことになった。
バーフロアもけっこうな人混みであったが、客席はそれ以上の人口密度だ。
そして外界は大変な寒冷であろうに、もやがかかりそうなほどの熱気がたちこめている。そこには『KAMERIA』のステージの余熱も残されているのかと思うと、めぐるは感慨深くてならなかった。
浅川亜季は人混みをかきわけて客席の中央まで進軍していったが、めぐるは和緒とともに適当な場所で足を止める。
ステージにはまだ幕が閉められていたが、その手前の狭いスペースにハルの姿があった。
『それじゃあ、準備が整ったみたいです! 新進気鋭の爆裂スリーピースバンド、「マンイーター」のステージをお楽しみください!』
どうやらハルは、転換の時間もMCの仕事に励んでいたようである。
最後には自分たちのステージも控えているというのに、大変な労力だ。めぐるにはとうてい真似のできない所業であった。
そんな中、洋楽のBGMが『マンイーター』のSEに切り替えられる。
電子音で構成された、けたたましい音楽だ。客席の人々は、それに呼応して歓声を張り上げた。
黒い幕が開かれると、そこには三名の姿がある。赤いワーウィックのベースを抱えた柴川蓮と、サンバーストというカラーリングのギターを抱えた坂田美月は無表情の棒立ちで、ドラムの亀本菜々子だけがにこやかな笑顔だ。
さまざまな色合いのスポットが明滅し、三人の姿を光と影で彩っている。
そんな中、柴川蓮は何も語らぬままベースを抱えなおし、おもむろに轟音を炸裂させた。
十一月のステージでも見せた、荒々しいコード弾きだ。このプレイが脳裏に焼きつけられていたからこそ、めぐるは弦が切れたときにコード弾きのアレンジを思いついたのである。
ベースの音色は硬く歪んでおり、火花のような残響を散らしている。おそらくフユと同じプリアンプの歪みに、ディレイか何かも薄くかけているのだ。ロー・ポジションの重低音であるためコード感は希薄であったが、そのぶん物凄い迫力であった。
その破壊的な音色に、いっそうの歓声が吹き荒れる。
そして、ギターの刺すような音色とドラムの激しいリズムも加わって、最初の曲が開始された。
ステージの幕開けに相応しい、疾走感にあふれかえった楽曲だ。十一月に観たときよりも、さらに勢いが増しているように感じられた。
柴川蓮は怒れる柴犬のごとき形相で、坂田美月はのんびりとした表情、亀本菜々子は楽しげな笑顔と、見た目は三者三様であったが――その演奏はしっかり合致して、ひとつの凶悪なうねりを見せていた。
自分のステージの直後で、しかも過去最高の悦楽であったためか、めぐるは少し頭がぼんやりしてしまっている。そんなめぐるの心と体が、『マンイーター』の激しい演奏に押し流されるような心地であった。
柴川蓮の甲高い歌声が追加されると、そんな思いがいっそう加速していく。相変わらず、彼女の歌声には可愛らしさと獰猛さが同居していた。
(やっぱり……わたしは、『マンイーター』の演奏が好きだなぁ)
『V8チェンソー』に比べると、『マンイーター』の演奏は粗い。しかしそれを言うならば、『KAMERIA』はもっと粗いはずであるのだ。粗さは荒々しさにも通じており、それがめぐるの心を魅了するのかもしれなかった。
客席も、大変な盛り上がりようである。ついさっきまでステージから眺めていた光景を、今度は背後から見守っているような心境だ。
それがまた、めぐるを幸福な心地にさせていく。そういえば、自分たちのステージの直後に好きなバンドのステージを見届けるというのは、これが初めての体験であったのだ。
『「V8チェンソー」さん、三周年おめでとうございまぁす』
あっという間に一曲目が終わると、亀本菜々子がシンバルを乱打しながらのほほんとした声をあげた。
そしてすぐさま、二曲目が開始される。今度は年越しイベントで披露されていた、高速スラップで始まる楽曲であった。
こちらはサムピング・アップという技術を駆使しており、今のめぐるにはとうてい真似できないスピードだ。
そういえば、さきほどの一曲目にも『KAMERIA』にはない要素が詰め込まれている。もしかしたら彼女たちは、そういった楽曲を序盤に並べることで『KAMERIA』の勢いに対抗しようとしているのかもしれなかった。
しかし何にせよ、めぐるにとっては心地好いばかりである。
そうして二曲目も終了して、亀本菜々子があらためて挨拶の言葉を述べ始めると、めぐるの肩が横合いから小突かれた。
そちらを振り返っためぐるは、思わず身をすくめてしまう。そこには、フユが凛然と立ちはだかっていたのだ。
今日はおたがいにバタバタしていたため、会話らしい会話もできていなかった。
それにめぐるは演奏中に弦を切ってしまい、とてつもなくぶざまな姿を見せてしまったのだ。ついでに言うならば、フユからG&Lのベースを借りた経験もまったく活かすことができず、弦交換でそのアクシデントを乗り越えることになったのである。
それでめぐるが、どのような言葉で挨拶をするか決めかねていると――フユが長身を折って、めぐるの耳もとに口を寄せてきた。
「おつかれさん」
フユが告げてきたのは、そのひと言である。
特別な感情は感じられない、フユらしいクールな声音だ。
ただ、フユがそれだけのためにわざわざ声をかけてくれたのが、なんだかものすごく嬉しくて――めぐるはうっかり、涙をこぼしてしまった。
これはもう、ずっと情緒が定まっていないめぐるの心が、最後のひと押しで決壊しただけの話である。
だからフユには何の責任もないのだが、そんなことを知るよしもない彼女はスパイラルヘアーの頭を抱えて「なんでだよ」という形に口を動かすことになってしまった。
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