04 新曲

 めぐるはステージの上で、弦交換に勤しんだ。

 その間、三人のメンバーたちが間を繋いでくれている。語ることがなくなった町田アンナは自由奔放なギターソロをお披露目し、さらには二小節ごとにピアノとソロの掛け合いを見せる。それは、練習時の指ならしや小休止の時間でもしょっちゅう見せている姿であった。


 弦交換も、一本であればさして時間がかかるものではない。しかし、焦れば巻き方をしくじって、不調をきたすことになるだろう。めぐるは逸る気持ちをぐっとこらえて、柴川蓮の準備してくれたニッパーで余分な先端を切り落とし、ペグに巻き、チューニングを合わせることになった。


 柴川蓮はニッパーと切れた3弦を拾い上げて、バックヤードへと消えていく。

 めぐるは大きく息をつき、エフェクターを切り替えて、ギターとピアノの掛け合いがちょうど一段落するタイミングで、ベースの音を鳴らしてみせた。


『よーし! ベースも準備完了みたいだねー! それじゃー、二曲目を始めさせていただくよー!』


 そんな風に宣言してから、町田アンナはめぐるに向かってにっと笑いかけてきた。

 めぐるは町田アンナばかりでなく、和緒と栗原理乃にも頭を下げてみせる。それから慌てて客席にも一礼すると――思わぬほどの歓声が応えてくれた。


 メンバーたちのおかげで、客席には熱気が残されている。

 もちろん多少は沈静化してしまっているのだろうが――それは、演奏で取り戻すしかなかった。


『二曲目は、新曲! 「孵化ハッチング」!』


 町田アンナはギターの音を消し、めぐるもノイズを出さないようにチューナーのエフェクターで音を切った。

 そんな中、一定のリズムで四つ打ちのバスドラを踏んでいた和緒が、裏打ちのハイハットを追加する。


 機械のように正確で、力強い、和緒ならではのリズムだ。

 それを四小節聴いてから、栗原理乃がトリッキーな単音のフレーズを紡いだ。

 そこから二小節目で町田アンナがEm7の音を長くのばし、めぐるは裏打ちに合わせたシンプルなフレーズを披露する。


 ベースのフレーズはシンプルだが、音色には細工を施している。

 これは、B・アスマスターの粘ついた歪みの音に、オートワウを重ねた音色であった。この楽曲にはオートワウの音色が必要であると判じて、めぐるは購入を決断したのだ。


 このオートワウはビッグマフやソウルフードと同じくエレクトロハーモニクスというブランドで、機種名はベースボールという。フユも現在のエフェクターを新調するまではメインで使っていたエフェクターであり、ベース用のオートワウとしては定番のひとつであるとのことであった。


 こちらのオートワウはラインセレクターよりも前段に繋いでいるため、ソウルフードでブーストされた原音もB・アスマスターの歪んだ音も、ともに効果がかけられている。うねうねと一定のリズムで音が上下する、きわめて愉快な効果だ。あまりに独特の音色であるため、この新曲以外ではなかなか使い道が思いつかないぐらいであった。


 合奏から二小節が過ぎたならば、町田アンナはカッティングを開始する。

 16ビートの、小気味好いカッティングだ。こちらは『小さな窓』以上に、ダンシブルなヨコノリを強調した楽曲であった。


 そしてイントロを終えたならば、ギターだけが消えてAメロに入る。そこで歌を担当するのは、町田アンナであった。

 ラップのように音程の変化が少ない、早口の歌詞を詰め込んだAメロである。ただ、歌っているのが町田アンナであるため、明るく元気な弾けるような雰囲気であった。


 ドラムは四つ打ちのバスドラと裏打ちのハイハットのみで、ピアノは単音のリフレイン、ベースも休符でアクセントをつけたルート音の繰り返しであるので、至極シンプルだ。しかしその分、リズムの正確さと力強さが強調されているはずであった。


「『小さな窓』と連動して、思わず踊りたくなっちゃうような曲を目指そーよ!」


 町田アンナが最初に提示したテーマは、そのようなものであった。

『小さな窓』と『青い夜と月のしずく』の間に必要なのは、どのような楽曲であるか――それで考案されたのが、この『孵化ハッチング』という新曲であったのだ。


『小さな窓』のノリを引き継げるように、イントロからAメロまではダンシブルな構成を心がけている。

 そして、たっぷりと尺を取ったAメロの後には、『青い夜と月のしずく』に通ずる幻想的なパートが準備されていた。ベースとギターはゆったりとしたフレーズに変じ、ピアノは流麗なる音色を奏で、そして栗原理乃によるメロディアスな歌になだれこむのだ。


 ただその間も、和緒は同じリズムを貫き通している。

 そうでなければ、いきなり別の曲に転換したかのような印象になっていたことだろう。まるきり雰囲気の異なるAメロとBメロに一貫性を持たせているのは、和緒のドラムに他ならなかった。


 ひたすらEm7であったAメロに対して、Bメロは四つの循環コードが使用される。それで一気に、世界が大きく広がるような感覚であった。

 そしてまた、単調とも思えるAメロに舞い戻る。それで退屈させないのは、町田アンナの魅力的な歌声と――そしてやっぱり、和緒のドラムであった。


 こちらの楽曲の裏テーマは、ドラムの魅力を前面に押し出すというものであったのだ。

 和緒本人は「でっかいお世話だよ」とぼやいていたが、この時点でも和緒の魅力は大きく示されている。こんなシンプルなフレーズが魅力的に聴こえるのは、ひとえに和緒のドラムならではであるはずであった。


 和緒のドラムは機械のように正確でありながら、どこかに人間らしい生々しさがにじんでいる。それは、栗原理乃の歌声にも通じる、和緒ならではの魅力であった。

 めぐるもシンプルなフレーズで、懸命に和緒のリズムに寄り添っている。逆に言うと、たとえこれだけシンプルなフレーズでも、和緒のドラムとともにあれば悦楽の至りであった。


 これは、フユのアドバイスから生まれた曲でもあるのだ。

 かつての夏のバンド合宿で、フユは和緒に「人間と機械のいいとこどりでも目指してみな」という言葉を投げかけられていた。それを忘れていなかった町田アンナが、新曲の裏テーマにしたいと提案したのだ。


 おかげでめぐるは、幸福なばかりである。

 弦が切れるという思わぬアクシデントで乱れた心も、和緒のリズムにひたっている間にどんどん深く満たされていくことになった。


 そして二番のBメロからは、じわじわと細工が増えていく。

 町田アンナは循環コードの中に装飾の音符を織り込み、めぐるもゆったりと音をのばしつつ、スライドやチョーキングで彩りを加えた。そして基盤を担っていた和緒も裏打ちのハイハットを16ビートの複雑なフレーズに切り替えて、盛り上がりの前兆を演出し――そして、サビへとなだれこんだ。


 サビではまた、異なる循環コードに転調する。

 ギターとピアノは激しいバッキング、ベースはコード進行に沿ったスラップ、ドラムは四つ打ちのバスドラだけキープしつつ、不規則なタムの乱打と猛烈なスネアの連打を織り込んだ。


 めぐるの印象としては、おもちゃ箱をひっくり返したような派手派手しい展開である。

 そこで躍動するのは、栗原理乃と町田アンナのツインヴォーカルであった。

 栗原理乃の機械人形めいた歌声と町田アンナの無邪気な子供のような歌声が、最初は順番にメロディを歌いあげ、中盤からはハーモニーとなり、終盤ではまた掛け合いとなる。そのせわしなさが、またとない躍動感を生み出していた。


 そこで重要であるのは、やはり歌詞であるのだろう。

 今回は初めて、『孵化ハッチング』という英語のタイトルがつけられることになった。栗原理乃のこだわりで、表記は日本語の『孵化』となるが、読み方はあくまで『ハッチング』で、それは歌詞にも使われていた。


 基本的には、閉塞した空間から脱出しようという、前向きな歌詞であるように感じられる。

 しかしそれが栗原理乃の言語センスで、きわめて叙情的に仕上げられていた。それは何だか、タマゴの殻の中で蠢く不定形の生き物が、幸福な行く末をぼんやりと夢見ているようでもあり――町田アンナの元気な歌声がなかったら、『青い夜と月のしずく』に負けないぐらいダークで切々とした印象になっていたはずであった。


 この曲には、暗さと明るさが複雑に入り混じっている。

 そしてそれこそが、この曲のコンセプトであったのだ。『小さな窓』の威勢のよさと、『青い夜と月のしずく』の暗く激しく幻想的なイメージの間を取り持つために、この『孵化ハッチング』には相反する要素が詰め込まれている。そして、光を受け持つ町田アンナと闇を受け持つ栗原理乃を繋いでいるのが、和緒の揺るぎないドラムであるのだった。


(だからわたしは、かずちゃんと二人の間を取り持ってるようなものなのかな)


 和緒がどれほど素晴らしいドラマーでも、ドラムというのは打楽器だ。打楽器ではカバーできないメロディや音色の部分で、めぐるは光と闇を繋いでいるような心地であった。


 そうして賑やかなサビが終了したならば、めぐるは町田アンナとともにEm7のコードを長くのばす。

 和緒は四つ打ちのバスドラと裏打ちのハイハットに戻り、その舞台上で栗原理乃がピアノソロを披露した。

 栗原理乃のピアノは町田アンナの要請で派手なフレーズを盛り込むことが多いが、明確にピアノソロと呼べるものを披露するのは、これが初めてである。客席からは、今まで以上の歓声があがっていた。


 栗原理乃は、二歳から十三歳までの十一年間、プライベートの時間のほとんどをピアノのレッスンに捧げていたのだ。その時間で積み上げられた数々のテクニックが、惜しみなくさらけ出されていた。

 左手は低音をバッキングし、右手は驚くほどの速弾きを見せている。「イヤミなぐらいのバカテクを見せつけちゃいなよ!」という町田アンナの提案通り、栗原理乃は凄まじい勢いで指先を走らせていた。


 そうして八小節目からめぐるのベースが低音を支えると、栗原理乃は両手で高音の鍵盤を乱打する。ヒステリックで、ガラスをかきむしるような、切迫感に満ちみちたピアノソロだ。

 そこから八小節で怒涛のピアノソロは終了し、町田アンナのギターソロに引き継がれる。栗原理乃の凄まじいピアノソロに続くというのは、ひどいプレッシャーになりそうなところであったが――町田アンナはその豪胆な気性でもって、堂々とギターをかき鳴らした。


 どれほどの超絶技巧でもどこか繊細な栗原理乃のピアノと異なり、町田アンナのギターは根本が荒々しい。その彼女らしい躍動感が、閉塞感を突き破るような感覚をもたらしていた。

 和緒とめぐるはひたすら同じフレーズで、栗原理乃はちろちろと雨粒のような音色を添えている。その上で、町田アンナのギターは自由奔放に荒れ狂った。


 十六小節のギターソロが終了したならば、町田アンナはまたEm7の音を長くのばす。めぐると栗原理乃は同じフレーズのままであり――そして和緒は、スネアを乱打した。

 バスドラは四つ打ちをキープしながら、スネアは十六分のロールである。そこに織り込まれたアクセントが押し寄せる津波のような迫力を演出し――その最果てで、最後の大サビになだれこんだ。


 めぐるはB・アスマスターとオートワウにラットの歪みも加えて、最初のサビよりも激しい音色とフレーズに切り替える。和緒もまた、暴走した機械さながらの迫力を見せていた。

 そうして和緒やめぐるがどれだけ暴れても、栗原理乃と町田アンナのツインヴォーカルは揺るがない。栗原理乃の人間離れした歌声に対抗できる町田アンナは、本当に大したものであった。


 大サビの後半はスネアの頭打ちとなり、バスドラは裏拍に移動される。それがいっそう強固なリズムを構築し、めぐるも縦のリズムを強調したスラップのフレーズに切り替えた。

 栗原理乃の歌声はいよいよ冴えわたり、それに対抗する町田アンナの歌声はいくぶんかすれていく。しかしそれがまた、生々しい切迫感を生み出していた。


 そうしてついに、大サビも終了し――すべての楽器がEm7の音を長くのばす中、和緒だけが四つ打ちに切り替えたバスドラの音を残した。

 そのバスドラが四小節を終えたのち、今度は全員がEm7の音を強く短く叩きつける。

 すべてが死に絶えたような静寂が満ち――そこに、歓声が爆発した。


『どうもありがとー! 新曲の『孵化ハッチング』でした!』


 町田アンナが声をあげると、いっそうの歓声が吹き荒れる。

 めぐるは悦楽の余韻にひたりつつ、すぐさまチューニングを開始した。

 予想通り、3弦は大きく狂っている。張り替えたばかりの弦というのは、チューニングが狂いやすいものであるのだ。しかし、チューナーの機能でアンプの音が消されても、ボディを通して野太い低音がめぐるの内にも力強く響いてきた。


『本当はここでMCタイムなんだけど、時間のほうはどうだろー? 一曲ぐらいカットしないと、マズいかなー?』


 町田アンナの言葉に、めぐるはギクリと身をすくめる。

 しかし、歓声の隙間をぬって、ハルの元気な声も聞こえてきた。


「まだ十分ぐらいしか使ってないから、大丈夫だよー! 予定通りに進めちゃってねー!」


『ありがとー! じゃ、時間オーバーしないように、MCを短くするねー!』


 語りながらチューニングを進めていた町田アンナは、笑顔でメンバーたちに向きなおってきた。

 和緒はハイハットの位置を修正しており、栗原理乃は客席に背中を向けて咽喉を潤している。そんな二人が同時に首肯したため、めぐるも慌ててうなずいてみせた。


『それじゃー、次の曲! 「青い月と夜のしずく」!』


 正面に向きなおった栗原理乃が、機械のような正確さで切々としたフレーズを紡いでいく。

 和緒はライドシンバルでひそやかにリズムを刻み、町田アンナは不穏なハウリングを響かせた。


 ピアノとドラムはじわじわと盛り上がっていき、その終着点で全員が派手な音を響かせる。『孵化ハッチング』のサビと同じぐらい分厚く音を重ねた、『青い月と夜のしずく』のイントロである。

 ただし、『孵化ハッチング』は四つ打ちを基調にした16ビートで、こちらは六拍子の曲であるため、雰囲気はまったく違っている。そしてこちらには、激しさと同じぐらいの重々しさが加えられていた。


 めぐるの心は、思うさま昂揚している。

 この曲に適切な居場所を与えるべく、『孵化ハッチング』という新曲が考案されたのだ。めぐるは『小さな窓』からこの曲に繋げていた頃よりも、さらに楽しい気持ちで演奏することができていた。


 客席の人々も、めぐるたちと同じ喜びを共有できているだろうか。

 それを確かめるすべはなかったが――めぐるは心からの悦楽と幸福を抱きつつ、演奏に没頭することがかなったのだった。

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