02 ミーティング

前回の更新にて、編集ミスで2話分を同じページ上に投稿してしまったため、そちらを分割いたしました。

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「わたし……エフェクターが欲しいです」


 めぐるがそのような真情を吐露したのは、この四名で正式にバンドを組んでから三日目となる五月の第三水曜日のことであった。

 場所は、学校の最寄り駅のすぐそばにあるハンバーガーショップにおいてのことである。メンバー一同は完全下校時間までたっぷり練習に励んだのち、町田アンナの提案でこちらの店に立ち寄っていたのだった。


「エフェクター? いいじゃんいいじゃん! そしたらきっと、めぐるのベースはますますかっちょよくなるだろうからね!」


 巨大なハンバーガーにかぶりついていた町田アンナは、口の周りをソースだらけにしながら無邪気に笑う。その隣に座した栗原理乃はきょとんとしており、めぐるの隣に座した和緒は肩をすくめた。


「あんたは何を、そんな思い詰めた顔をしてるのさ? エフェクターが欲しいなら、思うぞんぶん買いあさればいいじゃん」


「うん。だけど、わたしには何の知識もないから……町田さんに相談させてもらおうかと思って……」


「それは、あまりに無謀じゃない? 相手はカラーリングでエフェクターを選ぶようなお人だよ?」


「それはその通りだけど、あんたに言われるとムカつくなー!」


 町田アンナが怒声を張り上げると、栗原理乃はおどおどとしながらその腕を引っ張った。店中の人間が、仰天してこちらを振り返っていたのだ。


「まあ正直、ウチもエフェクターの知識なんてからきしだけどさー。しかもベース用なんて言ったら、もうお手上げだね! そういう話はネットをあさるか、楽器屋の店員にでも相談するべきじゃない?」


「そうですか……わかりました。それじゃあこの後、ベースを買ったお店に寄ってみます」


 すると、和緒が「ちょっと待った」と声をあげた。


「あのお店を頼りたい気持ちはわかるけど、無策で突っ込んでもご迷惑をかけるだけじゃない? そもそもあのお店では、エフェクターなんてひとつも見かけなかったしさ」


「え……やっぱり迷惑かなぁ?」


「あのご店主や孫娘さんだったら、きっと快く相談に乗ってくれるだろうさ。でも、あのお店の売り上げに貢献できないような内容だったら、ちょっとは整理をつけておくべきじゃない? そもそもあんたは、どういうエフェクターが欲しいわけ?」


「わたしが欲しいのは、スラップで使うエフェクターだよ。そうしたら、きっとあのリフをもっと格好よく弾けるようになると思うんだよね」


「ふーん。それじゃあ、コンプレッサーかリミッターあたりかー。ウチはあんまり興味ないけど、音の粒をそろえるには必須なんだろうねー」


 町田アンナはいくぶん興味を削がれた様子で、メロンソーダのストローをくわえる。めぐるは恐縮しながら、何とか本心をさらけ出してみせた。


「コ、コンプレッサーとかリミッターって、ダイナミクス系のエフェクターですよね? わたしはそれよりも、歪み系を試してみたいんですけど……」


「歪み系? あんな音が暴れてるのに、さらに歪み系のエフェクターをかまそうっての?」


「は、はい。今はちょっと、音の暴れ方が中途半端だと思うので……それならむしろ、歪み系のエフェクターでもっと乱暴な音にしたらどうかと考えたんですけど……」


 とたんに、町田アンナは鳶色の瞳を輝かせた。


「いいねいいね! ウチ、めぐるのそーゆーとこ、大好き! めぐるって理乃に負けないぐらい気がちっちゃいのに、ベースのプレイに関してはめっちゃ強気だよねー!」


「あ、いえ……だからその、歪み系のエフェクターを使っている町田さんに相談したかったんですけど……」


「でも、ベースはベースで専用のエフェクターがあるんでしょ? だったらやっぱり、楽器屋で試奏するのが一番じゃないかなー! ウチもそうやって、可愛いあいつを選んだんだしさ!」


「が、楽器屋で弾くのは、ちょっと……行きつけのお店だったら、まだ何とか覚悟を固められるんですけど……」


 めぐるの弱気な発言に、町田アンナは「えー?」と眉を吊り上げた。


「でもさー、弾きもしないでエフェクターを買うってのは、いくら何でもギャンブルだよー! エフェクターだって、安くないんだしさ!」


「エ、エフェクターって、いくらぐらいするものなんですか?」


「ウチのは生産終了品とかで、お店にひとつだけぽつんと売れ残ってたんだけど、それでも七、八千円だったかなー! でも、一万以上なんてザラだし、中には何万円もするやつもあるみたいだよー!」


「一万円以上は、厳しいですね……本当は、七、八千円でも厳しいんですけど……」


 めぐるが深々と嘆息をこぼすと、町田アンナは不思議そうに小首を傾げた。


「めぐるは、お金に困ってるの? ここでもドリンクしか頼んでないもんね。だったらウチみたいに、バイトでもしてみれば?」


「バ、バイトですか……でも、ベースを弾く時間を減らしたくないんですよね」


「あはは! その気になったら、ウチのバイト先を紹介してあげるよ! でも今は、それよりエフェクターについてだね!」


 そんな風に言ってから、町田アンナはぐりんと栗原理乃のほうを振り返った。


「黙ってないで、理乃もアドバイスしてあげなよー! めぐるは大事なメンバーなんだからさ!」


「で、でも私は、エフェクターについて何の知識もないから……」


 と、栗原理乃はめぐるよりも小さく縮こまってしまう。まだこの四人で行動をともにするようになってから三日目であるが、どのような場所でも恐縮するのはめぐると栗原理乃の役割であり、場を賑やかすのは町田アンナ、そして時おり素っ気ない調子でひっかき回すのが和緒の役割であった。


「た、ただ……やっぱり遠藤さんは、何に関しても意欲的なんですね。あんなにベースがお上手なのに、まだご自分の音に納得がいっていないなんて……」


「うんうん! これでキャリアが一ヶ月ちょいなんて、なかなか信じられないよねー! さすが、一日十時間練習はダテじゃないね!」


 そういう話も、この三日間で町田アンナたちに伝えられることになったのだ。めぐるとしては、「と、とんでもないです」と恐縮するばかりであった。


「だけどまあ、エフェクターの方向性はあるていど定まってるんじゃない? どうせあんたは、『SanZenon』のサウンドが理想なんでしょ?」


 和緒がそのように言いたてると、町田アンナは「さんぜのん?」とまた首を傾げた。


「この子に人生を踏み外させたバンドだよ。そのバンドのベースも、おもいっきり歪んだ音でスラップを披露してたからね」


「へーっ! だったら、そのベーシストが使ってるエフェクターを参考にすればいいじゃん! そしたらけっこう、候補も絞られるっしょ!」


「あ、いや……そのバンドはもう十年ぐらい前に解散しちゃってますし、あまり有名でないバンドだったみたいですから……そういう情報は突き止められないと思います」


 めぐるの言葉に「そうかな?」と反応したのは、和緒であった。


「そんな情報はどこにも転がってないかもしれないけど、それなら本人に直接聞いてみりゃいいじゃん」


「ほ、本人? でも、あの人は……」


「あー、本人は連絡の取りようがないんだよね。だったら、バンドの元メンバーさんに聞いてみりゃいいさ」


 そんな風に言いながら、和緒はスマホを取り出した。


「あの動画サイトって、メッセージ機能があるんだよ。試しに、メッセージを送ってみる?」


「ええええっ!? 『SanZenon』の元メンバーさんに? そんなの、あまりに大迷惑だよ!」


「あっそう。じゃ、やめておこうか」


 和緒はすみやかにスマホを仕舞い込んだ。

 とたんに、めぐるは情緒が揺らいでしまう。すると、町田アンナが和緒を非難するようににらみつけた。


「和緒って、ときどき意地悪だよねー! あんまり困らせたら、めぐるがかわいそーじゃん!」


「あたしは本人の意思を尊重してるだけさ。……さあ、どうするどうする? このままだと、今日は夜の個人練習も手につかなくなっちゃうかもよ?」


「やっぱり意地悪じゃん! めぐるも、ガツンと言ってやりな!」


「あうう……それじゃあ、メッセージの文面を一緒に考えてもらってもいい……?」


「折れんなよ! もー、なんなの、こいつら!」


 町田アンナは脱力して、栗原理乃の華奢な肩にもたれかかった。栗原理乃は、嬉しそうな恥ずかしそうな顔で目を伏せる。そんな姿も、この三日間で多少ながら見慣れてきていた。


 それからしばらくああでもないこうでもないと話し合った末に、メッセージの文面が完成される。基本の部分は和緒が立案し、そこに町田アンナがあれこれ口出ししたような形であった。


「突然のメッセージ、失礼いたします。実はそちらで投稿されていた『SanZenon』のライブ映像を拝見した友人が、リッケンバッカーのベースを衝動買いするほどの熱意にとらわれてしまいました。つきましては、『SanZenon』のベーシストの御方が使用しているエフェクターについておうかがいしたいのですが、ご相談に乗っていただけますでしょうか? ……この友人って部分、マイフレンドに書き換えてもいい?」


「やめときなって! あんたのノリとか、向こうは知らないんだから!」


「はいはい。それじゃあ、送信っと」


 和緒はスマホをテーブルに置き、頬杖をつきながらフライドポテトを口にくわえた。


「あとは便りを待つばかり。ま、あたしだったらこんなメッセージは絶対に無視するけどね」


「言いだしっぺは、あんたでしょー? ったく、めぐるはどうして、こんなやつとツルんでたわけー?」


「あたしとしては、同じ質問を栗原さんにぶつけたいところだね」


 和緒が切れ長の目で見つめると、栗原理乃はいくぶん目を泳がせながらはにかんだ。


「わ、私は昔からうじうじした性格で……いつもアンナちゃんに助けられていたんです。幼稚園から中学校まで、本当にアンナちゃんには助けられっぱなしで……」


「ありゃ、ほんとに語りだしちゃった」


「え? え? 私、黙っているべきでしたか?」


 気の毒な栗原理乃が赤面すると、町田アンナがその身を横から抱きかかえつつ「ちょっとー!」と声を張り上げた。


「理乃のことまで、からかわないでくれる? めぐる、そいつをきっちりしつけておいてよねー!」


「そ、それはちょっと難しいかもしれません」


 メッセージの反応に心臓を騒がせつつ、めぐるは自然に笑うことができた。いまだ町田アンナに対しては気後れしてしまうめぐるであるが、彼女と和緒のやりとりには微笑ましいものを感じなくもないのだ。そもそも和緒という人間は気に入らない相手をからかったりするような性分ではないため、これも大事なコミュニケーションの一環であるはずであった。


 それにしても――あらためて、奇妙な気分である。そもそもめぐるがこのように和緒以外の人間と歓談することなど、この三年間で初めてのことであったのだ。


 めぐるはまだまだ物陰からこそこそと発言しているような心地であるが、少なくとも本音を偽ったりはしていない。そして、町田アンナや栗原理乃の本心を疑ったりもせずに済んでいる。出会って数日の人間を相手にこのような心境でいられるというのは、これまでのめぐるには決してありえない事態であったのだった。


(バンドって、不思議だな……他のバンドをやってる人たちも、みんなこういう気持ちなのかな……いや、わたしみたいな社会不適合者じゃなければ、そもそもこんなことを考えたりはしないのかな)


 めぐるがしみじみとそんな感慨を噛みしめていると、和緒が「おや」と声をあげた。


「こいつはびっくり。もう返信が届いたよ。よっぽどヒマ人なのかねぇ」


 愕然と身をすくませるめぐるのかたわらで、和緒がスマホを取り上げた。


「メッセージありがとー! うちらの演奏がそんなに気に入ってもらえて、超うれしーよー! ……だってさ」


 和緒が可愛らしい裏声でそんな風に言いたてたものだから、町田アンナは「ぷはは!」と大笑いをして、栗原理乃はアイスティーをふきだしそうになっていた。

 しかしめぐるは、指一本動かすことができない。『SanZenon』の元メンバーがそんなメッセージを返してきたというだけで、めぐるは頭が真っ白になってしまっていたのだった。

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