03 極悪なる音色
ハンバーガーショップで『SanZenon』の元メンバーからメッセージを受け取ってから、およそ十五分後――めぐるたちは、地元の駅に降り立っていた。
こちらのニュータウンに住まっているのはめぐると和緒のみであるのに、町田アンナと栗原理乃も同行している。一同は、この足でショッピングモール内の楽器店に突撃しようという目論見であったのだった。
「こんな場所まで、わざわざ酔狂なこったね。そもそもあんたたちは、家も反対方向なんでしょ?」
駅を出て、ショッピングエリアへと歩を進めながら、和緒はそのように言い捨てる。すると、ギターケースを抱えた町田アンナは「なに言ってんのさー!」と元気に応じた。
「めぐるがどんな音を出すかは、ウチらにとってもジューヨージコーだからね! 知らん顔で帰れるわけないじゃん!」
「あっそう。どうでもいいけど、往来で大声はお控えなさいな」
めぐるはこれからその楽器店で、エフェクターの試奏に臨むつもりであるのだ。そこに町田アンナたちまで同行してくれるというのは、めぐるにとってありがたい限りであった。
(それにしても、まさかこんな急展開になるなんてなぁ……)
めぐるがこのような事態に陥ったのは、もちろん『SanZenon』の元メンバーたる人物が快くエフェクターについて解説してくれたがゆえであった。
『あたしはドラムでエフェクターのこととかよくわかんないから、ギターだったやつに速攻で連絡を入れてみたよ! その通りに伝えるから、参考にしてみてね!』
『SanZenon』のライブ映像をアップロードしていた人物――『ちぃ坊の猫屋敷』なる動画チャンネルの管理人は、そのメッセージの文面からも朗らかで親切な人柄があふれかえっていた。これがあの荒々しいドラムを叩いていた人物なのかと、疑わしくなるほどである。
しかし何にせよ、『SanZenon』のベーシストが使用していたエフェクターの種類は判明した。さらに、これから向かう楽器店に在庫があるかどうかも確認済みで、あちらも手ぐすねを引いてめぐるたちの到着を待ち受けているわけであった。
午後の六時までは部室で練習に励んでいたし、その後はハンバーガーショップで歓談にふけっていたため、辺りはすでに真っ暗になっている。移動にも多少の時間を使い、すでに時刻は午後の七時を大きく回っているのだ。このような時間に制服姿で楽器を背負い、三名ものバンドメンバーとともに夜道を歩くというのは、めぐるにとって非現実感に満ちみちた行いであった。
そうして駅から十分ばかりもかけて、ついに一同はショッピングモールに到着した。
めぐるにとっては、ひと月以上ぶりの来訪である。そういえばこれまで考えもしなかったが、めぐるは月に一度のご褒美であったネットカフェ通いも取りやめていたのだった。
「へーっ! 市内にも、こんな立派な楽器店があったんだねー! ま、ウチらだったらJRで千葉まで出ちゃったほうが、よっぽど手っ取り早いけどさ!」
モール内の楽器店を目前にすると、町田アンナは笑顔でそのように言いたてた。彼女たちも同じさくら市の住まいであったが、こちらのニュータウンに足を踏み入れるのは初めてであるという話であったのだ。
楽器店の内部には、めぐるの記憶の通りに数々の楽器がひしめいている。しかしもはや、めぐるがそれらに心を奪われることはなかった。めぐるの内側に生じた得体の知れない熱情は、すべて背中のベースが受け止めてくれたのだ。そして次なる熱情の向かう先は、楽器ではなくエフェクターであったのだった。
こちらの楽器店の前に『リペアショップ・ベンジー』にも連絡を入れていたが、やはりそちらにエフェクターの在庫は存在しなかった。ならばめぐるはどうあっても、この場で試奏に挑まなければならない。そんな覚悟を胸にして、めぐるは先頭を切って明るい店内に踏み込むことに相成った。
「あ、あの、さっき電話をした者ですけど……エフェクターの音を確認させていただけますか?」
めぐるが熱情を原動力にして店員のひとりに呼びかけると、愛想のいい笑顔で見返されることになった。
「あ、はい。エフェクターの試奏ですね。準備はできてますんで、こちらにどうぞ」
店員の案内で、店の奥へと歩を進める。ギターやベースが飾られた内フェンスに囲まれる格好で、いくつかのアンプが鎮座ましましており――そして、背もたれのない丸い椅子の上に、大小二つの箱が置かれていた。
「えーと、ビッグマフに、ボスのラインセレクターですね。これで原音と歪みの音をブレンドさせたいって聞いてますけど……ビッグマフならベース用のも出てるんで、そっちだったらラインセレクターも必要ないかもしれませんよ。ベース用は在庫を切らしちゃってますけど、ご希望があれば取り寄せも可能ですしね」
「そ、そうなんですか。……そのベース用のエフェクターを使ったら、この組み合わせと同じ音を出せるんでしょうか?」
「あー、ベース用はロシアンマフって呼ばれる別のタイプをもとにしてるんで、完全に同じ音を作ることは難しいでしょうね」
「そ、そうですか。それならまず、この組み合わせを試してみたいんですけど……」
「わかりました。楽器は、自分のを使います? それじゃあこっちも準備をしますんで、必要だったらチューニングをお願いします」
若い店員は面倒がる様子も見せず、てきぱきと準備を進めてくれた。
めぐるは胸を高鳴らせながら着席し、そちらに準備されていたチューナーとシールドでチューニングを完了させる。和緒たちが見守ってくれていなかったら、心臓は倍ほども鼓動を速めていたかもしれなかった。
店員は箱から取り出したエフェクターを小さなマットの上に並べて、そちらを短いケーブルで繋げている。さらに、電源を確保するためのアダプターも設置していた。
「これでよし、と。それじゃあ、そっちのシールドを――わ、リッケンですか。渋いですね」
と、こちらを振り返った店員が微笑を広げる。その目がヘッドのプレートでブランド名を確認したのち、しげしげとボディのほうまで見回してきた。
「なんか、変わったカラーリングですね。ブルーボーイともシーグリーンとも違うみたいだし……リッケンにこんなカラーリング、あったかな……」
「あ、こ、これはその、前の持ち主さんが色を塗り替えたみたいで……」
「ああ、そうなんですか。綺麗にリフィニッシュされてますね」
店員は屈託のない顔で笑い、あらためてエフェクターのほうを指し示してきた。
「それじゃあ、説明しますね。ベースからのばしたシールドは、このラインセレクターのジャックに差します。で、この状態だと原音がそのまま出て、ラインセレクターをオンにすると、ビッグマフで歪ませた音も一緒に鳴るわけです。原音と加工した音のブレンド具合を調節するのは、ラインセレクターのこのツマミですね」
「んー? よくわかんないなー。何でこんな風に、ごちゃごちゃこまかい配線になってるの?」
町田アンナが興味津々の様子で身を乗り出すと、店員は笑顔で説明してくれた。
「ラインセレクターっていうエフェクターは、アンプを二台使い分けたり、なんなら楽器を使い分けることもできるんですよ。そのために、インプットとアウトプットのジャックが複数ついてるわけですね。ただ今回は原音と加工した音をブレンドさせたいっていうご要望だったんで、こういう配線になっているわけです」
「へー、ややこしー! なんでこんな面倒なことをしないといけないの?」
「このビッグマフはギター用のエフェクターなんで、ベースで使うと音作りが難しいんですよ。まあセッティング次第では何とかなるかもしれませんけど、けっこう苦労させられるでしょう。だから、このラインセレクターの機能でベースの原音と歪ませた音を混ぜるんです。このAラインが原音で、Bラインが歪みの音ですね。Aラインのほうに空間系のエフェクターでもかましたら、歪みと空間系の音をブレンドさせたりすることもできますよ」
「うー、聞けば聞くほど、ややこしー! ウチはこんなの、無理だなー! ……でもまあ、めぐるは好きにすればいいよ!」
と、最後にはめぐるに無邪気な笑顔を向けてくる町田アンナであった。
めぐるは呼吸を整えながら、店員の姿を振り仰ぐ。
「それで、あの……歪みの加減は、どうやって調節すればいいんでしょう?」
「基本の調節は、もちろんビッグマフのほうですね。それじゃあ試しに原音をカットして、ビッグマフの音だけをオンにしてみましょうか」
ビッグマフというのは銀と黒と赤で構成されたカラーリングで、弁当箱のように大きな図体をしている。いっぽうラインセレクターというのは白と黒を基調にしており、つつましい手の平サイズであった。
店員はラインセレクターのツマミを操作してからペダルでオンにして、ビッグマフのほうは小さなスイッチでオンにする。とたんに、ベースアンプから不穏なノイズが鳴り始めた。
「おっと、レベルを上げすぎましたね。……これでちょっと、音を出してみてください」
めぐるがおそるおそる弦を弾くと、世にも凶悪な音色が鳴り響いた。町田アンナのギターサウンドよりも重々しく、そして強烈に歪んだ音色である。ただし、ギターサウンドのような広がりは感じられず、ぼわぼわとくぐもっている印象であった。
「かろうじてベースらしさは残されてますけど、やっぱり芯が削られちゃうでしょう? これをバンドのアンサンブルで聴かせられるようにセッティングするのは、やっぱり大変ですよね。……そのまま、弾き続けてもらえます?」
めぐるがA音のルート弾きにいそしむと、店員がラインセレクターのツマミを少しずつ上げ始めた。
それにつれて、ベースらしい重低音が歪んだ音色に混じり始める。その津波が押し寄せてくるような感覚が、めぐるを戦慄させつつ昂揚させた。
「こんな具合に、音をブレンドできるわけですね。どうぞお好みの音を探してみてください。ビッグマフは、このトーンとサステインのツマミで歪み加減を調節できますよ」
「は、はい。ありがとうございます」
めぐるは椅子を下りてしゃがみこみ、開放弦を鳴らしながら指定されたツマミに指をかけた。それを調節することで、歪み加減は驚くほど変化するようである。
「なおかつ、ラインセレクターのこのツマミで、ブレンド加減を調節するわけですね。ほとんど原音でうっすら歪みをかけるとか、その逆も可能です。理想の音を追求するにはいくら時間があっても足りないでしょうけど、まあしばらくはお好きにどうぞ」
そんな言葉を残して、店員は立ち去っていった。きっとめぐるが心置きなく調節できるように気を使ってくれたのだろう。それに心中でお礼を言いながら、めぐるは夢中でツマミを回し続けた。
「ビッグマフって、ファズなんでしょ? やっぱ極悪な音だねー! これでスラップなんてしたら、すごいことになりそうじゃない?」
めぐるの手もとを覗き込んでいる町田アンナは、期待に瞳を輝かせている。和緒や栗原理乃がどのような表情をしているかは、めぐるも確認するいとまがなかった。
これは確かに、『SanZenon』のベーシストが鳴らしていたのと同系統の音色である。
ベースの音というのはアンプによっても大きく左右されるという話であったから、もちろん同じ音を作り出すことは不可能なのであろうが――それでも、遠い場所に立っている彼女の姿をうっすらと視認できたような心地であった。
そちらに少しでも近づけるように、めぐるはツマミを回し続ける。
歪み加減とブレンド加減で音が変わるのだから、その組み合わせは無限に感じられてしまう。しかしめぐるは、リッケンバッカーのベースを初めてアンプに繋げたときと同じぐらいの昂りを覚えていた。
「……店員さんも言ってた通り、音作りなんてそう簡単に完成するものじゃないんだろうからさ。あんまり時間をかけてもしかたないんじゃない?」
和緒の言葉が、めぐるの心をそっとつかんでくる。それは何だか、ふわふわと舞い上がっていくめぐるの心を地上に繋ぎとめる命綱のように感じられてしまった。
その命綱を伝うようにして、めぐるはすべてのツマミから指を離し、身を起こす。そうして椅子に座りなおしためぐるは、ひとつ息をついてから指板に指を走らせた。
右手は親指で弦を叩き、人差し指で弦を引っ張る。『小さな窓』のリフとなる、スラップのフレーズだ。それは、驚くべき迫力でめぐるの心を打ちのめし――そして、町田アンナに「わーっ!」と歓声をあげさせた。
「すげーすげー! その音で、ばっちりじゃん! もー、ウチも勝手にアンプを使っちゃおっかな!」
「あたしらの地元で、恥ずかしい真似はやめてよね。……でもまあ、文句のない音なんじゃない?」
「は、はい。すごい迫力だと思います」
和緒も栗原理乃も、そんな風に言ってくれている。
めぐるもまた、彼女たちと同じ気持ちであった。きっとまだまだ改善の余地はあるのだろうが、しかしもうこれらのエフェクターを使わずにこのリフを弾く気持ちにはなれそうになかった。
「いい感じに鳴ってましたね。ご感想は、いかがです?」
店員が、笑顔でこちらに近づいてきた。
めぐるは、大きく息をつき――そして、「買います」と答えてみせる。たとえ貯金の残高がどれだけ心細かろうとも、めぐるにはそのように答えるしかなかったのだった。
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