-Track 4-

01 始動

 四人で合奏をした翌日、栗原理乃もまた軽音学部に入部することに相成った。

 五月も半ばを越えてから立て続けに三名もの新入部員を迎えることになり、顧問の教員や先輩がたは喜ぶというよりも半ば呆れ気味であったものの、こちらにとっては些末な話である。めぐるはベースを手にして以来、ずっと満ち足りた時間を過ごしてきたが、それが町田アンナや栗原理乃との出会いによってさらに増幅されることになったのだった。


 もちろんそれと同じぐらい、和緒も重要な存在である。和緒のドラムと、町田アンナのギターと、栗原理乃の歌――それらのすべてが混然一体となって、めぐるの心を浮き立たせているのだ。めぐるは今でも離れに帰ってからひたすら個人練習に打ち込んでいるが、部室での合同練習によって得られる悦楽はそれとも比較にならない質量でめぐるの心を満たしてくれるのだった。


(バンドをやれば、もっとベースが楽しくなるって……きっと浅川さんにとっては、本当に当たり前のことだったんだろうなぁ)


 そんな思いを噛みしめながら、めぐるは練習に取り組んでいた。

 日を重ねるごとに、和緒のドラムもどんどん上達していく。その成長のスピードこそ、驚くべきものであった。和緒は家にドラムセットがあるわけでもないのに、一夜が明けると新しい知識やテクニックを身につけているのである。本人いわく、インターネットの情報のおかげであるとのことであったが――それにしても、和緒の学習能力というのは尋常でないように思えてならなかった。


「そりゃああたしが一番のド素人だから、成長が目に見えやすいってだけのことでしょ。本当に、厄介な騒ぎに巻き込んでくれたもんだよ」


 和緒はそんな風に言っていたが、めぐるよりも長きのキャリアを持つ町田アンナもたいそう感心していたのだから、それほど的外れな感想ではないはずであった。


 その町田アンナは、最初から魅力的なギターサウンドを響かせていたものであるが――そちらもまた、練習のたびに魅力が上乗せされていた。かなり感覚派であるらしい彼女は、楽しければ楽しいほどギターの音色も冴えわたるようであるのだ。彼女のギターは荒々しく、自由奔放で、実のところ和緒やめぐるよりもミスをすることが多いぐらいであったが、演奏の勢いを牽引しているのはまぎれもなく彼女であるはずであった。


「ウチは理乃とバンドを組むために、ずーっと理想のメンバーを探してたんだからねー! それがあっさり同じ学校の中で見つけられるなんて、そりゃーテンションあがるっしょ!」


 そのように語る町田アンナは、心の底から楽しそうだった。

 いっぽう栗原理乃はというと、相変わらず謙虚で内向的だ。気の小ささには自信のあるめぐるでも、彼女を前にすると自分がいかに粗雑な人間であるかを思い知らされる心地であった。


 ただし栗原理乃は、ヴォーカルのパート以外でも大きな活躍を見せていた。中学二年までピアノのレッスンを受けていた彼女は誰よりも音楽的知識が豊富であったし、それに絶対音感などという恐るべき武器も持ち合わせていたのだった。


「あ、あの、新曲のBメロについてなんですけど……遠藤さんは最初の小節の三拍目で、Fの音を使っているでしょう? きっとギターのコードとは矛盾していないのでしょうけれど、メロディの進行的にちょっとぶつかってしまう要素があるので……もしも無理がないようでしたら、ルートのC音か三度のE音に変更していただけたら……あ、でも、本当に無理がなかったらでいいのですけれど……」


 たとえめぐるが相手でも、栗原理乃のおどおどとした態度に変わりはなかった。

 しかしめぐるのほうも、恐縮するばかりである。


「え、ええと、Bメロの三拍目っていうと……ああ、この音ですか。はい、わかりました。歌のお邪魔をしてしまって、本当にすみません」


「と、とんでもありません。遠藤さんみたいにお上手な人に文句をつけてしまって、こちらこそ申し訳ありません」


 そうして二人がぺこぺこと頭を下げ合っていると、おおよそは町田アンナが笑顔で取りなしてくれた。


「そのていどの話でオタオタする必要ないっしょー? もー、二人して気ぃ使いなんだから! でも、理乃もきちんと言いたいことを言えてエラいねー!」


「ご、ごめんなさい。何も言わずに歌の完成度を下げるほうが、みなさんのご迷惑になるかと思って……」


「エラいって言ってるんだから、謝る必要ないって! とにかく、ベースラインを変えたバージョンで、Aメロから合わせてみよっかー!」


 音楽的知識を持ち合わせていないめぐるは、そんな具合に栗原理乃から数々の恩恵を授かることになった。それでいっそう、ベースのフレーズを理想に近づけることがかなったわけである。


 週明けの月曜日に栗原理乃と出会っためぐるたちは、それから水曜日までの三日間、部室での練習に明け暮れることになった。

 その内容は、二曲の楽曲を煮詰めることとなる。栗原理乃と初めて合奏した楽曲と、先週の土曜日に町田アンナとのセッションで生まれた楽曲だ。町田アンナはそれ以外にも複数の楽曲をストックしていたが、せっかくならばめぐるたちとのセッションで生まれた楽曲を優先したいとのことであった。


 そちらの楽曲はまだ歌詞もついていないため、栗原理乃も適当にメロディをなぞるのみである。しかし彼女の特異な歌声は、こちらの楽曲でもしっかり調和していた。機械的な声音と歌い方であるのにひどく生々しいという、彼女ならではの歌声だ。古今の流行歌などさっぱりわきまえていないめぐるでも、彼女が特異な存在であることは最初から確信させられていた。


 そしてもういっぽうの楽曲には、すでに歌詞がついている。そちらの楽曲のタイトルは『小さな窓』で、「小さな窓に広がる大きな世界に憧れる少女」というものを主題にしていた。和緒などは、「リリカルだねぇ」と評していたものである。


「だけどまあ、ごつい曲にリリカルな歌詞ってのも、アンバランスで面白いのかな。どこかのお姉さまがたも、そういうギャップがフックになるとか言ってたもんね」


「そーそー! ヘヴィな曲にヘヴィな歌詞じゃ、そのまんまだしさ! だいたいそんなの、理乃には似合わないよ! ウチは理乃のこーゆー歌詞が好きなんだからさ!」


 栗原理乃は読書が唯一の趣味であるという話であったので、ボキャブラリーが豊富であるのだろう。あまり歌詞にはとらわれないめぐるも、彼女の織り成す歌詞には何の不満もなかった。それに、暴力的で勢いのある楽曲に、どこか物悲しくて切々とした歌詞というのは、『SanZenon』にも通じる要素であったため――めぐるの胸をひそかに高鳴らせていたのだった。


 ともあれ、それらの二曲を演奏しているだけで、めぐるは悦楽の至りであった。

 町田アンナいわく、『小さな窓』はダンシブルなヨコノリ、新曲は疾走感のあるタテノリであるという話であったので、いっそう飽きることもないのだろう。めぐるは数々の場面で知識と技術の乏しさを露呈していたが、こと感覚的な部分はみんなと意見を共有できているように思えたので、それが何より喜ばしかった。


 喜ばしいと言えば、メンバー間の相性という面についても二の次にはできなかっただろう。言うまでもなく、めぐるは社会不適応者の部類であったが、町田アンナや栗原理乃とは何とかかんとか友好的な関係を保つことがかなったのだ。

 それはきっと、二対二の構図というものが功を奏したに違いない。めぐるだけでなく栗原理乃も極度の人見知りであったが、おたがい気心の知れた相手がひとりずつ存在することで、ようよう自分を押し殺さずに済んだわけである。


 なおかつ、和緒や町田アンナのほうだって、決して凡庸な人柄はしていない。というよりも、より個性的な人間であるのは、そちらの両名のはずであるのだ。そして和緒と町田アンナはどちらも歯に衣着せぬ人柄であったため、昔馴染みのめぐるや栗原理乃がそれぞれブレーキ役を担っている感があった。


 もしも誰かがひとりでも欠けていたら、きっと交流の輪もうまく保持できなかったことだろう。気弱な人間と強気の人間が二名ずつ居揃っているというのも、きっとバランスが良かったのだ。このような四人でバンドを組めたというのは、めぐるにとって何よりの幸運であるとしか思えなかった。


(もちろん何より重要なのは、プレイヤーとしての相性なんだろうけど……好きになれない相手とバンドを組むなんて、想像しただけでしんどいもんなぁ)


 幸いなことに、めぐるも現時点では町田アンナや栗原理乃のことを好ましく思っていた。町田アンナは直情的で、いささかならず短慮な面も否めないものの、基本的にはいつも明朗で裏表がないように感じられるし、栗原理乃はめぐるが心配になるぐらい繊細で、いつも余人の心情を気づかっているように感じられる。めぐるのほうが嫌われる心配はあっても、めぐるが彼女たちを嫌う理由は今のところ発見できていなかった。


 ただもちろん、めぐるもまだまだ彼女たちについて何も知っていない。この四名はみんなクラスが別々であったし、放課後は最終下校時間までひたすら練習に打ち込むばかりであったので、プライベートの会話をする時間もそれほど存在しなかったのだ。


 そんな中で、めぐるが小耳にはさんだのは――栗原理乃は音楽大学の教授を親に持ち、兄と姉がそれぞれクラシック音楽の道に進んでおり、町田アンナのほうは実家が格闘技の道場で、二名の妹が存在するというぐらいのものであった。


「で、うちは親父が柔術家で、ママがキックボクサーだったんだけどさ! ママも道場のコーチだから、ウチは昔っから妹たちの面倒を見てたんだよ! そーゆー環境だったから、ちょっとばっかりおせっかいな性格に育っちゃったのかもねー!」


 と、町田アンナのほうはわずかな時間を使って、少しずつ個人情報を上書きしてくれた。


「ウチも中二でギターにハマるまでは、ひたすら道場で稽古だったからさー! ちっちゃい頃から腕っぷしでは、誰にも負けなかったし! ま、そっちで身についたフィジカルなんかも、少しは演奏に活かされてるんじゃないかなー!」


「ふーん。ちなみにあんたの見事な赤毛は、どなた様の遺伝なのかな?」


「うちのママが、オランダ出身なんだよ! ただ、そっちのばーちゃんはトルコ系だし、親父のほうのばーちゃんはブラジル系だけどさ! ウチは日本生まれの日本育ちだから、オランダ語もトルコ語もポルトガル語もさっぱりだねー!」


 ずいぶん錯綜した家系であるが、現在の家庭環境に問題はないのだろう。メンバーの中で自ら家庭環境を語ろうとするのは町田アンナただひとりであったし、めぐるも自分の境遇を語る気はさらさらなかった。


 ともあれ――町田アンナと栗原理乃に巡りあっためぐるは、とても満たされた気持ちでバンド活動に取り組むことがかなった。

 しかしそうして気持ちが満たされると、今度は幸福な心地を阻害する要素に目が向いてしまうものである。日々の練習が楽しければ楽しいほど、めぐるがかねてより抱いていた不満はどんどん大きくなっていった。


 それはめぐるの、ベースの音についての問題であった。

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