08 さらなる出会い

 明けて翌週の月曜日――めぐると和緒は朝一番で、軽音学部の顧問教員に入部届けを提出することになった。


「あら、二人も入部してくれるのね。わたしは吹奏楽部と兼任なので、なかなかそちらまで手が回らないのだけれど……部長の宮岡さんがしっかりまとめてくれているはずだから、どうか頑張ってね」


 顧問の女性教員は、そのように言いたてていた。つくづく現在の軽音学部は、覇気を失っているようである。

 しかし、めぐるとしては勿怪の幸いであった。めぐるの本懐は和緒や町田アンナとバンド活動に取り組むことであったので、顧問や他の部員たちの介入など少ないに越したことはないのだ。一念発起してバンドを結成しためぐるも、そのあたりのネガティブ思考に変わるところはなかった。


「じゃ、お次はオレンジ色の彼女にも挨拶をしておこうか」


「え? わざわざ町田さんのところに行くの? 放課後になったら、部室で会えるんじゃない?」


「この前の土曜日は、入部の話もバンドの話も保留のままお別れしたじゃん。早めに結果を伝えておかないと、あっちのほうが教室に殴り込んでくるんじゃない?」


 それは是非とも、避けたい展開である。

 よって、めぐるは和緒とともに一年B組の教室を訪れたわけであるが――結果は、あまり変わらなかった。こちらが教室を覗くなり、他のクラスメートと談笑していた町田アンナが「あーっ!」と馬鹿でかい声を張り上げたのだ。


「めぐるに和緒じゃん! わざわざ教室まで来てくれたのー? まあ、ウチも次の休み時間には、そっちに押しかけるつもりだったけどさ!」


 教室中の人目を集めながら、町田アンナはずかずかとめぐるたちのほうに近づいてきた。本日もブラウスの上にジャージを羽織った姿で、オレンジ色の髪は窓からの日差しでまぶしいぐらいきらめいていた。


「で、返事は? ウチとバンド組んでくれるよね? よね?」


「は、はい。本当にまだまだ未熟ですけど、町田さんさえよかったら……」


「やったー!」と叫ぶなり、町田アンナはおもいきりめぐるに抱きついてきた。

 そうしてめぐるの小さな体をぐいぐい締めあげながら、かたわらの和緒を振り返る。


「あんたは、磯脇和緒っていうんだってね! ついさっき、クラスの連中に聞いたんだー! あんたももちろん、ドラムをやってくれるんでしょ?」


「どうだろうね。今さらながら、迷ってきたよ」


「ったく、素直じゃないなー! ま、何にせよ、今日からよろしくね! めぐるもちゃんと、ベース持ってきた?」


「あ、いえ……今日は挨拶だけかなと思って……顧問の先生や部長さんたちにも、まだ許可をもらってなかったし……」


「なんだ、つまんなーい! キョカなんて、どーでもいいのにー!」


 そうして町田アンナはめぐるの背中をばしばしと叩いてから、ようやく身を離してくれた。気のせいか、彼女は髪の香りまでもが柑橘系のようである。


「あ、でも、今日はちょうどよかったかなー。それじゃーさ、部室での挨拶が済んだら、ちょっとつきあってくれない?」


「ど、どこにですか?」


「それは、放課後のお楽しみ! じゃ、よろしくねー!」


 オレンジ色の髪をなびかせて、町田アンナは教室に舞い戻っていった。

 めぐるが息をついていると、和緒が横目でにらみつけてくる。


「あんたも、迷いが生じてきたんじゃないの?」


「あはは。これぐらいなら、大丈夫だよ。……町田さんって、本当に元気な人だね」


「アレを元気のひと言で済ませられるあんたも、大したもんだよ。じゃ、また後で適当にね」


 和緒も校内では、そうそうめぐるの頭を小突こうとはしない。それをいささか物足りなく思いながら、めぐるは待つ人間もない自分の教室に戻ることにした。


                ◇


 そうして、その日の放課後である。

 他の部員への挨拶というのは、至極簡単なものであった。その日も軽音学部の部室には、前回と同じく四名の先輩部員しかそろっていなかったのだ。


「残りの一人は予備校が忙しくって、二学期が始まるまで顔を出せないみたいなんだよね。わたしたちも本格的な練習を始めるのは夏休みが終わってからになると思うから、空いてる時間は好きに練習していいよ」


 宮岡部長は、そんな風に語っていた。

 宮岡部長と荒っぽい口調の男子生徒が三年生、残りの男女が二年生であるとのことである。それらの視線は、やはりめぐるではなく和緒のほうに集中しているようであった。


「けっきょくあなたも、入部してくれたわけね。ええと、一年A組、磯脇和緒さん。キャリアは無しで、希望パートはドラムね」


 宮岡部長がプロフィール用紙を読みあげると、三年生の男子部員がにやにやと笑いながら声をあげた。


「そんなルックスなのにドラムなんて、もったいねえな。しかも、これから始めるのか。ヒマなときは、俺が手取り足取り教えてやるよ」


 この男子部員が、副部長にしてドラムの担当なのである。なおかつ、五名の上級生の中でドラムを叩けるのは彼ひとりであるため、二つのバンドを兼任しているとのことであった。


「わたしはギタボなんだけど、二年生バンドのほうでもギターを担当してるよ。で、こっちの彼女がヴォーカル&キーボードで、こっちの彼と予備校のもうひとりがそれぞれベースね。ドラムはまだしもギターまでひとりしかいないってのが、なかなか危機的な状況を物語ってるでしょ?」


「いちおーウチも、ギタリストなんだけどー?」


 少し離れた場所で生音のギターを爪弾いていた町田アンナが陽気に声をあげると、宮岡部長はうるさそうにそちらを振り返った。


「あなたはオリジナルしかやる気がないってんでしょ? そうじゃなかったら、二年バンドのギターをお願いしたかったよ」


「だって、コピバンとかキョーミないし! ウチは自分の好きなように弾きたいからさー!」


「はいはい、どうぞご勝手に。……それであなたが一年E組の、遠藤めぐるさんね。キャリアは一ヶ月と一週間、希望パートはベース、と。あなたたちが、あのうるさい新入生とバンドを組んでくれるわけ?」


「は、はい。その予定です」


「そう。それじゃあ、頑張ってね。文化祭は十月だから、それまでに自信がついたらエントリーするといいよ」


「ふん。誰も知らないオリジナル曲なんかじゃ、盛り上げようもないだろうけどな」


 どうもドラマーの副部長は、町田アンナに反感を抱いている様子である。しかしまあ、いわれのない反感ではないようなので、めぐるとしても特に感想はなかった。


「じゃ、わたしたちはミーティングをさせてもらうけど、練習するんだったら節度のあるボリュームでね」


「センパイがたは、またミーティング? ほんっと、おしゃべりが好きなんだねー! ま、ウチらも今日は用事があるから、好きなだけくっちゃべってればいいよ!」


 町田アンナは最後に音高くギターを鳴らしてから、それをケースに仕舞い込んだ。


「じゃ、行こっか! センパイがたは、おつかれー。また明日ねー」


 町田アンナがさっさと部室を出ていってしまったので、めぐるたちも慌ててそれを追いかけることになった。


「なんか、あたしらもまとめて厄介者認定されそうだね。ま、先輩がたの評価なんて、どうでもかまわないけどさ」


「あはは! 和緒は不愛想だから、ウチがいなくても厄介者扱いだったんじゃないのー?」


「どうでもいいけど、こんな浅いつきあいでファーストネームの呼び捨てはご勘弁願えない?」


「どうでもいいなら、このままね! 同じバンドのメンバーになったのに、苗字で呼び合うなんてよそよそしいじゃん!」


「へえ。この子がよそよそしさを克服するには、一年ぐらいかかりそうだけどね」


 いきなり水を向けられて、めぐるはどぎまぎしてしまう。

 しかし今はそれ以上に、町田アンナの挙動が気になっていた。


「それであの、わたしたちはどこに向かってるんですか?」


「向かう先は、図書室ね! そこに、スカウトしたいやつがいるんだよ!」


「ス、スカウト?」


「そう! パートは、ヴォーカルね! ウチの曲を歌ってもらうなら、ヴォーカルはあいつしか考えられないから!」


 その発言には、和緒も小首を傾げることになった。


「あたしはてっきり、あんたがヴォーカルを受け持つもんだと思ってたよ。土曜日だって、気持ちよさそうに歌ってたじゃん」


「歌うのは好きだけど、やっぱ弾きながらはムズくってさ! ウチは歌よりギターが好きだから、ダキョーはできないんだよ!」


 そんな風に言いながら、町田アンナはにっと白い歯をこぼした。


「で、ウチの代わりに歌うなら、ウチよりすごいヴォーカルじゃないとね! あいつはマジで、チョーすごいから! めぐるも和緒も、ぜーったい気に入るよー!」


 和緒が「へーえ」と気のない言葉を返したところで、校舎裏に到着した。

 すると町田アンナがてけてけと駆け出して、校舎の窓にへばりつく。そうして彼女がぶんぶんと手を振ると、窓の向こう側に女子生徒の姿が浮かびあがった。


「ア、アンナちゃん、どうしたの? 今日は練習をしていくんでしょう?」


「そのつもりだったけど、予定が変わってさ! あんたに紹介したい連中がいるから、ちょっと顔を貸してくれる?」


「紹介……?」と、その女子生徒は不安そうにめぐるたちのほうを見やってきた。

 その姿に、めぐるはすっかり驚かされてしまっている。そこにひっそりとたたずんでいるのは、ちょっと類を見ないぐらい秀麗な面立ちをした少女であったのだった。


「……なんかまた、おかしな展開になってきたね」


 和緒はめぐるにだけ聞こえる声量で、そんな風につぶやいていた。

 しばらくして、先刻の女子生徒が正規ルートでこちらに回り込んでくる。学生鞄を胸もとに抱えた彼女は、さきほどよりもいっそう不安げな面持ちになっていた。


「これは、ウチのツレで栗原理乃くりはら りのね! 幼稚園時代からの、腐れ縁なの! 見た目通りに気がちっちゃいから、和緒は言動に気をつけてねー!」


「あんたと長いつきあいだったら、荒っぽい言動にも免疫がつきそうなもんだけどね」


 和緒はそのように言いたてていたが、確かにこの栗原理乃なる少女はめぐるよりも気が小さそうだった。

 しかし、それより何より美しい少女である。しかも、和緒とは対極的な美しさだ。長身ですらりとしていて王子様のように格好のいい和緒とは異なり、彼女はお姫様のような可愛らしさであった。


(いや、可愛らしいなんて言葉じゃおさまらないな)


 彼女は艶やかな黒髪を長くのばしており、その肌は透き通るように白かった。町田アンナも色の白さでは負けていなかったが、栗原理乃のほうは触れたらひんやりと冷たそうな白さであるのだ。いくぶん目尻の下がった大きな目は長い睫毛で縁取られており、造作の小さな鼻や自然な桜色をした唇は作り物のように繊細で、お姫様やお嬢様といった形容がぴったりである。背丈は町田アンナと同程度であったが、どこもかしこもびっくりするぐらい華奢であった。


「理乃は読書が、唯一の趣味でさ! 放課後は図書室にこもりきりで、ウチと帰る時間を合わせてくれてるの! でね、ウチの曲はぜーんぶ理乃が歌詞をつけてくれてるんだよー!」


「だ、だってそれは、アンナちゃんが私に押しつけるからでしょう?」


 栗原理乃はその声までもが、銀の鈴のようにはかなげで繊細だ。これがどのような歌声に変じるのか、めぐるには見当もつかなかった。


「土曜日も、最後のワンテイクを録音したっしょ? あれって、理乃に音源を渡すためだったんだよー! さっそく歌詞をつけてくれた?」


「だ、だからそんな、すぐには無理だってば。……もしかして、みなさんがアンナちゃんとバンドを組むのですか?」


 栗原理乃はめぐるたちのほうを見ながら、おずおずと微笑んだ。


「あの演奏、とても素敵でした。すごいメンバーを見つけたって、アンナちゃんも大喜びだったんですよ」


「なーにを他人事みたいに言ってんのさー! 約束通り、あんたも一緒にやるんだよ!」


 町田アンナがそのように声を張り上げると、栗原理乃はたちまち眉を下げてしまった。


「ま、まだそんなことを言っているの? 私なんかに、バンド活動は無理だよ」


「そんなことないって! 理乃の歌なら、天下取れるから! ウチらと一緒に、ロックスターを目指そうぜー!」


「……アンナちゃんは、いつもこんな調子なんです」


 と、栗原理乃はまた弱々しく微笑んだ。


「でも、安心してください。私には、バンド活動なんて無理ですから……みなさんのご活躍を応援しています」


「だから、無理じゃないってのに! めぐるや和緒も、なんとか言ってよー!」


「この状況で、何を言えばいいんだかね」


 和緒はクールな面持ちで、ひとつ肩をすくめた。

 めぐるとしても、今のところは言葉が見つからない。ただ気になるのは、彼女がどのような歌声を有しているのか――その一点のみであったのだった。

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