06 セッション

 問答無用で、町田アンナはオレンジ色のギターをかき鳴らした。

 弾いているのはCのコードで、それが二小節でGに切り替えられる。昨日と同じコード進行である。


 そうして彼女が四小節を弾き終えると、和緒がバスドラを打ち鳴らした。

 ひとつの小節で四つの音を鳴らす、四分音符のリズムだ。そのマラソン中の心音めいたテンポが、めぐるの心臓にシンクロするかのようだった。


 その状態で四小節を終えるタイミングで、めぐるはルート弾きを開始する。

 すると和緒が、バスドラの隙間を埋める形でスネアを叩き始めた。表の拍で鳴らすのがバスドラ、裏の拍で鳴らすのがスネアだ。それであとはハイハットで八分を刻めば、もう8ビートのリズムということになるはずであった。


 めぐるの心臓は、もはやとんでもない勢いで胸郭を叩いている。

 町田アンナの荒々しいギターサウンドと、思いも寄らない和緒のドラムの音色――そして、めぐるのベースの重低音が、ひとつの演奏を成立させているのである。それでめぐるが平静を保てるわけはなかった。


 ベースの音色も、とても心地好い。こちらの弦もだいぶん使い込んできたが、しかし部室のベースに比べればまだまだ金属的なきらめきを残しており、音が生きているように感じられた。

 いつも通りの弾き心地であるために、めぐるもいつも通り弾くことができる。ネックのサイズ感や不具合に悩まされることもなく、めぐるは普段通りの力加減でベースを弾き――その音色が、ベースアンプによって心地好く増幅されているのだった。


 本当に、昨日とは似ても似つかない音色である。

 昨日のベースよりも太い音色でありながら、硬質の芯もしっかり感じられる。昨日はべちゃべちゃとしていたアタック音も、今日は小気味好く鳴り響いていた。

 それにやっぱり、音ののびが違う。昨日のベースはおそらくネックが反っているために、力を込めれば込めるほど音がビビってしまったが、こちらのリッケンバッカーは強く弾けば音が大きくのびて、優しく弾けば望み通りの温かい音色を鳴らしてくれた。


 めぐるが家で考案してきた装飾の音符を入れてみると、そちらも無理なくフレーズを彩ってくれる。

 ハンマリングも、プリングも、ハイ・フレットまで移動するスライドも、すべてが心地好かった。


 すると――そこにようやく、ハイハットの音が入り始める。

 シンバルは、閉ざしたままであるのだろう。とても歯切れのいい音色で、八分のリズムを刻んでいる。めぐるはベースの指板から目を離せないため、和緒の勇姿を見届けることがかなわないのだが、その音色だけで陶然としてしまいそうだった。


 めぐるのベースがこんなに心地好く響くのは、きっとドラムのおかげでもあるのだ。

 バスドラの重い音と重なると、ベースの音もいっそう重々しく響く。それは、『SanZenon』の演奏に合わせているときと引けを取らないほどの悦楽であった。


 そうすると、ギターもいよいよ奔放に暴れ始める。

 リズムを支えるのはドラムやベースにおまかせして、町田アンナは自由気ままにフレーズを動かしていた。


 そのフレーズが、まためぐるを刺激する。

 めぐるはひと晩かけてベースのフレーズを練りぬいてきたつもりであるが、こうして町田アンナの演奏をリアルタイムで聴いていると、また新たな物足りなさがわき起こってきてしまうのだ。彼女の演奏と比べると、めぐるの演奏はいかにも拙く、単調で、躍動感に欠けていた。


 しかし、昨日のように心がめげたりはしない。めぐるの演奏が拙いことなど、当然の話であるのだ。それでもめぐるは自分に可能な限りの演奏ができているはずなのだから、口惜しさよりも楽しさのほうがまさっていた。

 だけどやっぱり、勢いは足りていない。

 そんな衝動にとらわれためぐるは、Gの最後の小節でハイ・フレットにスライドしたのち、さらにビブラートのテクニックも使ってみせた。あの『SanZenon』のベーシストがここぞという場面で見せる奏法である。


 すると――そのビブラートに返事をするようなタイミングで、町田アンナが「F!」と叫んだ。

 小節の頭でCに戻ろうとしていためぐるは、慌てて4弦の1フレットに指を移す。これはほとんどまぐれ当たりであったが、町田アンナもCではなくFのコードを鳴らしていた。


 そして次には「G!」という声が響き、めぐるもその通りにルートを進行させる。その次はAで、その次はCだ。その進行が二回繰り返されると、またCとGを繰り返す進行に戻された。


「Cのまま繋げると、気持ち悪いね! 次からは、Cに戻る前にBの音をはさもー!」


 町田アンナはそのようにがなりたてたが、もちろんベースに集中しているめぐるには返事をすることもできなかった。

 そうしてもとの進行を八小節繰り返すと、「ここから!」という合図が入れられる。めぐるは愚直に、先刻の進行を再現するばかりであった。


(Bの音をはさむって、どういうことだろう。CをまるまるBに変えるってわけじゃないよね)


 めぐるはほとんどギャンブル感覚で、小節の半分だけをBに移行することにした。

 幸いなことに、町田アンナも同じタイミングでBに移行する。そうしてめぐるが、ほっと息をつくと――もとの進行のCに戻ったタイミングで、驚くべきことが起きた。

 町田アンナが、いきなり歌い始めたのだ。

 日本語とも英語ともつかない――いや、最初から歌詞などは存在しないのだろう。意味をなさない、文字の羅列だ。ただ、メロディだけはくっきりとしており、その迫力がめぐるを打ちのめした。


 そのギタープレイと同様に、町田アンナの歌声は荒々しい。しかし、『SanZenon』などとは比較にもならないし、浅川亜季と比べても、幼げで可愛らしい感じであった。子供っぽい乱暴さと無邪気さを兼ね備えた、実に彼女らしい歌声であったのだ。しかもそれはマイクも通していない肉声であったのに、轟々と吹き荒れる演奏の中で決して埋もれることなく、確かな存在感を主張していたのだった。


(これは最初っから、歌のある曲だったの?)


 そんな疑念がめぐるの脳裏をかすめたが、それも一瞬のことであった。歌声が追加されたことにより、いっそう演奏が楽しくなったのである。

 歌に集中するためか、ギターのプレイはずいぶんシンプルになっている。しかしその躍動感に変わりはなかったし、音色はいっそうきらびやかになったぐらいであった。そしてさらには、和緒のドラムまでもが生き生きしてきたように感じられた。


 ともすれば、町田アンナはひとりでどんどん突っ走ってしまいそうである。きっと歌うことに気を取られて、テンポキープが二の次になってしまうのだろう。

 しかし、めぐるがそれに惑わされることはなかった。和緒の力強いドラムの音色が、しっかりとめぐるを引き留めてくれるのだ。もとより和緒に絶対的な信頼を抱いているめぐるは、このような際にもためらいなく和緒を頼ることができた。


(でも、このままだと町田さんだけテンポがずれちゃう)


 そうしたら、この心地好い調和も崩壊してしまうことだろう。

 それを回避するべく、めぐるも町田アンナと同じぐらいフレーズをシンプルにして、和緒のドラムとの調和に努めた。

 スネアとバスドラの位置にアクセントを置いて、これまで以上に正しいテンポとリズムの維持に注力する。すると、町田アンナが名前を呼ばれた子犬のように、こちらに戻ってきてくれた。そうして三人のリズムが噛み合うと、いっそうの心地好さがめぐるの胸を満たしてくれたのだった。


 めぐるはほとんど笑いたいような心地で、またフレーズに彩りを加える。

 町田アンナはそれに惑わされることなく、めぐると和緒の織り成すリズムの上で躍動してくれた。


 そんな調子で十六小節目に到達すると、町田アンナは「次がサビね」という歌詞をメロディにのせた。

 サビとは、どういう意味か――めぐるはほとんど本能で、CではなくFの音を鳴らした。さきほどの、2パターン目の進行である。


 果たして、それが正解であった。町田アンナもまたFのコードをかき鳴らし、別なるメロディを歌い始めたのだ。

 すると、和緒のドラムも変化した。ハイハットを刻むのをやめて、フロアタムで8分のリズムを叩き始めたのだ。


 めぐるは激しく昂揚しながら、サビのフレーズを二回繰り返す。

 そうして次には町田アンナの指示を待つまでもなく、全員がもとの進行――Aメロに戻っていた。


 町田アンナは、なおも楽しげに歌っている。

 それに、十六小節の前半と後半で、大きくメロディが変わっていた。この進行の中で、AメロとBメロを歌い分けているのだ。

 それが完了したならば、当然のようにサビである。

 和緒はフロアタムではなく、シャープで澄んだ音色のシンバルで八分のリズムを刻んだ。きっとハイハットとは異なるシンバルであるのだろうが、指板を見つめるめぐるには確認できない。ただ、さきほどのフロアタムよりも、こちらのほうがサビの雰囲気に合っているように感じられた。


「もういっぺん」という歌詞に指示を受けて、サビは倍の長さで繰り返される。

 そうしてサビが終了して、Aメロの進行に舞い戻ると――町田アンナは歌うのをやめて、これまで抑えていた力を解放するように派手なフレーズを響きわたらせた。もはや、ギターソロと称するのに相応しい激しさだ。


 すると、和緒がまたハイハットを刻むのを取りやめて、今度はスネアを乱打し始める。

 これが鼓笛隊でつちかった技術なのだろうか。連打の中に絶妙な緩急まで織り込んだ、迫力のあるプレイである。その迫力に引きずられるようにして、めぐるもまた可能な限りさまざまな音符をつけ加えてみせた。


 三人が三人とも、限界いっぱいの動きを見せているように思える。

 そんな荒々しくも楽しい時間が、十六小節継続されて――まるで誰かに命令されたかのように、次の小節の頭で全員が演奏を取りやめた。


 めぐるは夢から放り出されたような心地で、大きく息をつく。

 すると、オレンジ色の塊が突進してきた。


「めぐる、すごいじゃん! あんたホントに、キャリア一ヶ月なの? すっげー気持ちよかったよー!」


 力強い指先がめぐるの両肩をつかみ、がくがくと揺さぶってくる。めぐるは座ったままベースを抱えていたので、目の前にオレンジ色のギターが揺れていた。

 そのギターから上方向に視線を動かすと、町田アンナの笑顔が待ちかまえている。そのそばかすが目立つ白い顔はピンク色に上気しており、鳶色の瞳は星のようにきらめいていた。


「それに、あんたもね! バスドラは最後まで四つ打ちだったけど、初挑戦とは思えないプレイだったじゃん!」


 めぐるの肩をつかんだまま、町田アンナはぐりんっと後方に向きなおる。そちらでは、和緒がハンカチで額の汗をぬぐっていた。


「とにかく、すっげー楽しかった! こんな速攻で一曲仕上がったのは、ウチも初めてだよー!」


「い、今のって、何か原曲があるんじゃないんですか?」


「ないよ、そんなもん! あんたたちの演奏がすっげー気持ちよかったから、メロディがぽんぽん降りてきたんだよねー!」


 そんな風にわめきたてながら、町田アンナはめぐるのほうにぐっと顔を近づけてきた。


「ってわけでさ! めぐる、ウチとバンド組もうよ!」


「ええっ!? わ、わたしなんて、初心者ですし……まだまだベースもへたくそですから……」


「へたとか上手いとか、どうでもいいっしょ! 重要なのは、一緒に演奏してて楽しいかどうかなんだからさ!」


 そう言って、町田アンナは力強く笑った。

 オレンジ色のたてがみめいたヘアースタイルと相まって、ライオンが笑っているかのような迫力である。


「めぐるのベースは気持ちいいし、かっちょいいよ! ウチがこれまで一緒にやってきたメンバーの中で、文句なしにナンバーワンだね! だから、一緒にバンドをやろー!」

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