03 突撃

 翌日――五月の第三金曜日である。

 その日の放課後、めぐるは和緒の背中に隠れながら、軽音学部の部室を目指すことになったわけであった。


「あのさぁ……覚悟が決まらないんだったら、素直に引き返せば?」


「う、うん。でも、今日は話を聞きに行くだけだから……無理そうだったら、すぐにあきらめるよ」


「だったら、人を盾にするんじゃないよ」


 和緒はクールな面持ちで、めぐるの頭を小突いてくる。しかしそのていどの痛撃では、めぐるも行いをあらためることはできそうになかった。


 それでもめぐるがここまで足を運んだのは、浅川亜季の言葉がいつまでも頭の中でぐるぐると渦巻いていたためである。これは昨日の放課後から二十四時間以上も継続されており、それで昨日はベースの練習にさえ集中できない有り様であったのだった。


(これじゃあまるで、呪いでもかけられたみたいだよ)


 めぐるが平穏な日常を取り戻すには、この苦悩の根源を叩き壊すしかない。自分には軽音学部の活動など務まらないと、この身をもって思い知らなければならないのだ――と、めぐるはそんな後ろ向きの覚悟を携えて、鉛のように重い足を引きずっているわけであった。


 そうして和緒に小突かれながら歩を進めていくと、やがて古びた部室棟が見えてくる。その先はすぐに裏門であったため、そちらから下校しようという生徒たちがちらほらと歩いていた。


 部室棟は二階建てで、横に長い造りをしている。ずらりと並んだドアには、さまざまな部活動の名前がプレートで掛けられていた。

 軽音学部に割り振られていたのは、もっとも裏門に近い最奥の部屋となる。

 そして、そのドアの前に立つなり、エレキギターのけたたましい音色がうっすらと聴こえてきて、めぐるの心臓をバウンドさせたのだった。


「どうやら、練習中みたいだね。……この学校の軽音部って、ちょっと前までは文化部の筆頭って呼ばれるぐらいアクティブに活動してたらしいよ。ここ最近は、ずいぶん部員も減っちゃったみたいだけどね」


「へ、へえ、そうなんだ? さすがかずちゃんは、何についても詳しいね」


「誰のためにリサーチしたと思ってるのさ。言っておくけど、あたしはひと言たりとも口を出す気はないからね」


「う、うん。わかってるよ。でも……話が終わるまでは、一緒にいてくれる?」


「そんな、腹ぺこのプレーリードッグみたいな目で人の顔を見上げるんじゃないよ」


 和緒は再びめぐるの頭を小突き、そしてドアの正面から退いた。

 それで空いたスペースに進み出ためぐるは、じくじくと疼く胃を抱えながら嘆息をこぼす。ここで支えとなってくれるのは、やはり離れで待つベースの存在であった。


(このまま帰ったら、きっと今日も練習に集中できない。せっかく試験が終わったのに、こんな状態で週末を過ごすのはごめんだよ)


 めぐるはぎゅっと拳を握り、すべての勇気を振り絞って、『軽音学部』というプレートの掛かったドアをノックした。

 しかし、反応は見られない。ただエレキギターの音色が響きわたるばかりである。


(……なんか、ギターの音しか聴こえないな)


 めぐるは小首を傾げつつ、さきほどよりも強い力でドアをノックした。

 それでも無反応であったため、三たび拳を上げかけると――危ういタイミングで、ドアが開かれた。


「ごめんごめん。ギターがうるさくて、ノックが聞こえなかったみたい」


 すらりと背の高い女子生徒が苦笑を浮かべつつ、めぐるを見下ろしてくる。

 しかしめぐるはそれよりも、ギターの音色に心をつかまれてしまっていた。ドアが開かれるとギターの音色が猛然たる勢いで響きわたり、めぐるの肌や制服の生地までをも震わせてきたのである。


 それは、とてつもなく心地好くて、なおかつ迫力に満ちみちたサウンドであった。

 ライブハウスで耳にした浅川亜季のギターよりも軽妙な音色であるが、存在感のほどではまったく負けていない。エレキギターらしく金属的で、音が潰れる寸前ぐらいにまで歪んでいながら、ひどく生々しい音色だ。めぐるは突如として、夏の空気をはらんだ熱風に全身をなぶられたような心地であった。


「ああもう、うるさいな! これじゃあ話もできないよ!」


 と、目の前の女子生徒が眉を吊り上げて、室内を振り返った。


「あのさあ! ボリュームを落としてって、なんべんも言ってるでしょ? 個人練習するのは勝手だけど、こっちはミーティングの最中なんだよ!」


「ミーティングなんて、いつでもできるっしょ! でかい音を出せる内に出しておかないと、時間がもったいないじゃん!」


 ギターの轟音に負けない勢いで、そんながなり声が返されてきた。

 ギターの音色と同じぐらい甲高い、少女の声である。


「ようやく地獄の中間試験が終わったんだから、センパイがたもセッションしよーよ! ベースもドラムもそろってるんでしょー?」


「だから今は、ミーティングの最中だってのに……ああもう、いいや。こっちの咽喉が疲れちゃうよ」


 長身の女子生徒は溜息をこぼしながら、ドアを閉めてしまった。

 心地好いギターのサウンドが、それで一気に遠のいてしまう。めぐるとしては、残念な限りであった。


「それで? いったい何の御用かな? 見たところ、一年生みたいだけど……もしかしたら、入部希望者?」


「あ、いえ……こ、こちらの部活動の内容について、お話を聞かせてもらおうかと思ったんですけど……」


「ふうん?」と言いながら視線を巡らせた女子生徒は、めぐるの斜め後ろに立つ和緒のほうを見て目を見開いた。


「あっ! あなた、噂の美少女ちゃんじゃん。あなたもうちに入ってくれるの?」


「いえ。あたしは、ただの付き添いです」


「そっか、残念。あなたのことは、こっちの学年でも噂になってるよ。近くで見ると、本当に綺麗だねぇ。モデルか何かやってるの?」


 和緒は無表情のまま、「いえ」としか答えない。中学時代から、こういった応対には慣れっこであるのだ。女子生徒はひとつ肩をすくめてから、めぐるのほうに向きなおってきた。


「じゃ、入部を考えてるのはあなただけってことね。ちなみに、パートは何かな?」


「あ、いえ……まだ初心者なので……一ヶ月ぐらい前に、ベースを始めたばかりです」


「ベースかぁ。ベースは、足りてるんだけど……でもまあ、このまま入部希望者がいないと、いよいよ廃部の危険が出てくるからなぁ。こっちは、誰でも大歓迎だよ」


 女子生徒は、さして熱意の感じられない面持ちでそのように言いたてた。


「わたしはいちおう今年度から部長をまかされた、三年の宮岡ね。この軽音部って数年前までは色んな大会で賞を取れるぐらい実績があったんだけど、顧問の転勤とバンド文化の衰退っていうダブルパンチで、すっかり規模が縮小されちゃったの。今は六人しか部員がいないし、その半分は三年生だから、来年あたりからかなり厳しくなっちゃうんだよね。だから、一年生の新入部員は大歓迎。興味があったら、ぜひ入部してよ」


「あ、いえ……でも、わたしはまだバンドを組むなんて、まったく考えられない状態なんですけど……」


「キャリア一ヶ月なら、それが普通でしょ。今、二年と三年でふたつのバンドを組んでるんだけど、みんな忙しくてあんまり練習もできないからさ。空いてる時間は、部室で練習し放題だよ。それでじっくり実力をつけて、バンドについてはその後に考えてみれば?」


 そんな風に言ってから、宮岡部長は皮肉っぽく笑った。


「さっきのあいつも、あなたと同じ一年生だしね。礼儀は知らないけどやる気だけはあるみたいだから、気が合うようなら一緒に頑張ってみるといいよ」


 めぐるが「はあ……」と力なく答えたとき、再びドアが開かれた。

 心地好いギターの音色とともに、三名ばかりの生徒がぞろぞろと退室してくる。二人が男子で、一人が女子だ。


「あいつ、話になんねえわ。こっちが移動したほうが早いから、ファミレスにでも行こうぜ。どっちみち、今日はミーティングだけなんだしよ」


「ええ? でも、あんなやつに部室の鍵を預けるのはおっかないなぁ」


「いいじゃん。それで戸締りにミスでもあったら、クビにしちまおうぜ。あんな生意気なやつ、うちにはいらねえよ」


 どうやら誰もが、この心地好い音色を奏でる人物にご立腹の様子である。

 宮岡部長は再び肩をすくめてから、「そうだね」と言い捨てた。


「クビ云々はともかくとして、場所を移そうか。あ、あなたたちも、ちょっと待っててね」


 宮岡部長が入室し、ドアが閉められる。その間、三名の部員たちはちらちらと和緒のほうをうかがっていたが、誰も声をあげようとはしなかった。さきほどの男子部員も口調はいささか荒っぽかったが、いかにも真面目そうな風貌だ。この学校は市内でも有数の進学校であるため、不良生徒というのはまず存在しなかったのだった。

 しばらくして、宮岡部長が通学鞄を手に戻ってくる。そしてその手には、一枚の紙片が握られていた。


「はい。これ、入部届けね。もし気持ちが固まったら、わたしか顧問の先生に提出して。今日も見学扱いにしてあげるから、中の機材を自由に使っていいよ。……あいつの騒音に耐えられたらだけどね」


 そんな皮肉っぽい言葉を残して、宮岡部長は三名の部員ともども裏門へと消えていった。

 入部届けを手に、めぐるはじっとドアを見つめる。すると、和緒が横から頭を小突いてきた。


「あんた、入部のことよりこのギターに気を取られてるでしょ? ほんっと、わかりやすいよね」


「う、うん。だって……この人、すごく上手くない?」


「上手いっていうか、すごく楽しそうだよね。テクニックより、ノリとかフィーリングとかがすごいんだと思うよ。……ま、あくまで素人の見立てだけどさ」


 和緒は前髪をかきあげながら、切れ長の目でめぐるの顔を見据えてきた。


「あんたは、こういうタイプのプレイヤーに心をつかまれるみたいだね。そんなに気になるんなら、さっさと告ってくれば?」


「こ、こんな上手い人と、バンドなんて組めないよ。でも……近くで演奏を聴かせてほしいって言ったら、迷惑がられるかなぁ?」


「知らんよ。こちとら読心術の心得はないんでね」


 めぐるはドアのほうに向きなおり、再び勇気を振り絞ることになった。

 が、ノックをしても返事はない。あれだけの音量を鳴らしていては、ノックなどはとうてい聞こえないのかもしれなかった。


(でも……このままだと、けっきょく練習に集中できないよ)


 めぐるは何度か深呼吸をして、一気にドアを引き開けた。

 とたんに、ギターの音色が勢いよく渦を巻き――そこに、元気ながなり声が入り混じった。


「あれー? お客さん? センパイがたなら、出ていっちゃったよー! ややこしい話は、今度にしてねー!」


 めぐるは、思わず立ちすくむことになった。

 部屋の奥でギターを構えていたのは、ひとりの女子生徒であったのだが――その人物が、実に個性的な容姿をしていたのである。オレンジ色のギターを掲げた彼女は、その波打つ髪までもがオレンジ色にきらめいていたのだった。

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