-Track 3-
01 僥倖
「かずちゃん。今日、『リペアショップ・ベンジー』につきあってくれない?」
めぐるがそのように提案したのは、復調してから五日目となる五月の第二木曜日――忌まわしき中間試験の最終日のことであった。
時間は朝方で、駅から学校に向かっているさなかである。和緒はまったく気乗りしていない様子で、「なんで?」と問い返してきた。
「うん。今日で試験も終わるから、浅川さんにあのCDを返そうかと思って……それにちょっと、相談したいことがあるんだよね」
「相談?」
「うん。ベースアンプって、いくらぐらいするのかなと思って……」
和緒は姿勢よく歩きながら、めぐるを横目でねめつけてきた。
「なるほど。たとえ中間試験のさなかでも、あんたの頭は愛しいベース様のことでいっぱいってわけね。試験の直前までうんうんうなってたくせに、余裕たっぷりで何よりだよ」
「い、いや、だから、試験の最終日までこんな話を持ち出すのは我慢してたんだけど……かずちゃんの集中を邪魔しちゃったんなら、ごめんね?」
「あたしだって、登校中から試験に集中するほど気合は入っちゃいないよ。まあ、高校に入学して初めての中間試験だってのに、何故だかロクに勉強時間は取れなかったわけだけどさ」
「あうう……本当にごめんなさい……」
「あんたはあたしの下僕になる道を回避したんだから、こんな軽口でいちいちオタオタしなさんな」
しれっとした顔でそんな言葉を口にしながら、和緒はめぐるの頭を小突いた。
「で、次のターゲットはいよいよベースアンプってわけね。ま、エレキベースなんてアンプに繋いでなんぼなんだろうけど……それにしても、思い切ったねぇ」
「ま、まだ思い切ってはいないよ。そもそも貯金は二万円ぐらいしか残ってないし……とりあえず、ベースアンプの種類だとか値段だとか、基本的なことを知っておきたいんだよね」
「ふーん。でも、あたしがつきあう理由はなくない?」
「うん、それはそうなんだけど……なんか、かずちゃん抜きであのお店に行くっていうのが、少し奇妙な気分なんだよね。最初の一回を除くと、いつもかずちゃんにつきあってもらってたからさ」
「いつもって、弦を買いに行った二回だけじゃん。今日ひとりで行けば、トントンでしょ」
「うん。かずちゃんが嫌なら、無理には誘わないよ。浅川さんも店主さんも、かずちゃんがいたほうが喋りやすいだろうけど……わたしは、かずちゃんの気持ちを一番に尊重したいから」
「何を朝から、
「そんなテンションでお誘いされたら、こっちも判断に迷っちゃうね。しぶしぶつきあうのとしぶしぶ断るのと、どっちがいいと思う?」
「な、なんで両方ともしぶしぶなの?」
「そうしたら、どっちを選んでもあんたの罪悪感を刺激できるじゃん」
そんな言葉を交わしている間に、校門が見えてきてしまった。
「ま、放課後までには決めておくよ。どっちにしてもしぶしぶなんで、そのおつもりで」
そうしてめぐるは確たる返事をもらえないまま、和緒と別れることになってしまったが――和緒がめぐるをからかうのは機嫌の悪くない証拠であるので、めぐるは平穏な気持ちで教室に向かうことができた。
教室には、すでにたくさんのクラスメートがひしめいている。めぐるはいつも通り、誰とも視線を合わさないまま、自分の席に着席した。
本日は苦手な英語の試験が第一科目であったため、机の上に教科書を広げる。しかし、めぐるの頭の中には和緒の面影がふわふわとたゆたって、なかなか勉強に集中できなかった。
(ゴールデンウィークにあんな大迷惑をかけたのに、かずちゃんは相変わらずで……かずちゃんは、本当に優しいなぁ)
朝からさんざんからかわれていながら、めぐるの内に渦巻くのはそんな思いばかりであった。
めぐるがどれだけの失態を見せても、和緒は愛想を尽かさずに面倒を見てくれる。和緒はめぐるの不出来な部分までひっくるめて、丸ごと受け止めてくれているのだ。どうしてそのような真似ができるのか、めぐるには不思議に思えてならないほどであった。
(だからわたしも、かずちゃんの存在を丸ごと受け止めたいんだけど……かずちゃんはずけずけ物を言う割に、肝心なところで本心を隠したりするからなぁ)
めぐるがそんな想念に陥ったのは、五連休で見舞われた悪夢の余波なのかもしれなかった。
言うまでもなく、めぐるは和緒に甘えまくっている。食べ物を分けてもらったり看病をしてもらったりなどというのは、あくまで表層的な事柄であり――めぐるはもっと根本の部分で、和緒に甘えてしまっているのだ。それを自覚できないほど、めぐるも無神経ではないつもりであった。
(とか言いながら、わたしはこれっぽっちもかずちゃんの気持ちを理解できてないんだろうし……本当に、救いようがないよなぁ)
そんな思いをぼんやりと噛みしめながら、めぐるはその日の試験に挑むことになった。
◇
そうして無事にすべての中間試験をやり遂げて、その日の放課後である。
案の定というべきか、めぐるは和緒とともに『リペアショップ・ベンジー』を目指すことに相成った。
「脳内会議の結果、しぶしぶつきあってあげることにしたよ。あんたがあたふたしてる姿を横から眺めてるのは、まあ面白くないこともないからね」
「うん、ありがとう。かずちゃんも何かあったら、遠慮なく誘ってね。いつでもどこでもつきあうから」
「へえ、そいつは大きく出たね。あんたが真っ青になるようなネタを思いついたら、試させていただくよ」
めぐるはいつでも、本音で語っているつもりである。それに対して斜め方向からの言葉を返してくるのは、和緒の性分であったため――二人がこのような関係性に落ち着いてしまっているのも、めぐるだけの責任ではないのかもしれなかった。
ともあれ、『リペアショップ・ベンジー』だ。
入り口の脇に自転車をとめさせていただいためぐるは、和緒とともに入店する。折よくその日の店番は、店主ではなく孫娘のほうであった。
「あれあれぇ? こんな昼間っから、どうしたのかなぁ? 学校さぼってデートなら、もっとロマンチックな場所を目指すべきだと思うよぉ」
「あ、いえ……きょ、今日までは学校の中間試験だったので……」
「ああ、なるほどぉ。そういう学校行事って、すっかり遠い思い出だからさぁ。何はともあれ、ご来店ありがとうございまぁす」
本日も、浅川亜季はのんびりとしていて、けだるげであった。
本日はサイケデリックな柄をした七分袖のTシャツ姿で、愛用の赤いギターを爪弾いている。そちらに聞き惚れないように気持ちを引き締めつつ、めぐるはまずお礼の言葉を申し述べることにした。
「せ、先日はわざわざ学校まで来てくださり、ありがとうございました。それであの、お借りしていたCDを持ってきましたので……」
「ああ、それねぇ。実はそれ、めぐるっちにプレゼントすることになったんだよぉ」
「えっ! ど、どうしてですか? たしかこれって、なかなか手に入らないんでしょう?」
「うん。だけど、ハルがネットオークションをあさってたら、発見できたんだってさぁ。で、無事に落札できたから、それはめぐるっちに進呈することになったんだよぉ」
あくまでのほほんと微笑みながら、浅川亜季はそのように言いつのった。
「まあぶっちゃけ、あたしらはそのCDのおかげで迷走状態から脱出することができたからさぁ。そのきっかけになってくれためぐるっちには、おもいっきり感謝してるわけだよぉ。で、落札したCDのお代もメンバーで割り勘することになったから、そいつはあたしら三人からのプレゼントってことで、ひとつよろしくぅ」
「そ、それはあまりに申し訳ないです。それじゃあわたしが、CDの代金をお支払いしますので……」
「それじゃあ、お礼にならないでしょう? フトコロに余裕があるんなら、いつか自腹でライブを観にきてよぉ。そのほうが、あたしらも嬉しいからさぁ」
浅川亜季は、年老いた猫のような風情で微笑んでいる。めぐるが第一印象で感じた近寄りがたい印象などは、もはや微塵も残っていなかった。
しかし何にせよ、『SanZenon』のCDをいただけるなどというのは、想像を絶する僥倖である。めぐる自身、いつか経済的なゆとりができたらこのCDを探して買い求めようと決意していたのだ。めぐるはさまざまな感情に胸の内側をかき回されながら、『SanZenon』のCDを胸もとにかき抱くことになった。
「ほ、本当にありがとうございます。それじゃあ絶対、みなさんのライブに行かせていただきますので……次のライブは、いつでしたっけ?」
「次のライブは、来週の木曜だねぇ。でも、平日で都内だから、ちょっと時間的に厳しくないかなぁ? また千葉でやるときに声をかけるから、都合のいいときに遊びに来てよぉ」
そんな風に言いながら、浅川亜季はスマホを取り出した。
「じゃ、その日に備えて、連絡先を交換ねぇ。この前は、あたしもバタバタしてたからさぁ」
「あ、いえ……実はわたし、スマホも何も持っていないんです」
「へえ、今どき珍しい。じゃ、連絡は自宅の電話? それとも、パソコンのアドレスとかかなぁ?」
「自宅はちょっと、都合が悪くて……パソコンは、持っていません」
浅川亜季はきょとんとしながら、和緒のほうに向きなおった。
「それじゃあ和緒っちは、普段どうやって連絡を取り合ってるのかなぁ?」
「おもに思念波を飛ばしてます。だけど届いた試しがないので、用事があるときは自宅に押しかけてますね」
和緒のふざけた物言いに、浅川亜季は咽喉で笑った。
「あなたたちって、ほんっとに愉快だねぇ。どっちがボケでどっちがツッコミなのかもわかんないけど、とにかくいいコンビだと思うよぉ」
「きょ、恐縮です。と、とにかく本当に、わたしは連絡先をお渡しすることができなくって……決して浅川さんのことを信用していないわけじゃないんですけど……」
「いいよいいよぉ。人にはそれぞれ事情があるからねぇ。じゃ、せめて和緒っちと連絡先を交換させてもらえるかなぁ? そうしたら、めぐるっちに思念波を飛ばしてもらえるだろうしねぇ」
和緒は小さく息をつき、じっとりとした目つきでめぐるをねめつけてきた。
「そうか。あたしはこのために呼び出されたわけね」
「ち、違うよ違うよ! 嫌だったら、交換しなくていいから!」
「えー? 和緒っちは、あたしのこと嫌いなのぉ?」
「嫌いだと言えたら、楽になれるんですかね」
和緒はぶすっとした顔で、スマホを取り出した。
けっきょく和緒に迷惑をかけてしまい、めぐるは恐縮するばかりである。
「よしよし。あたしは最初っから和緒っちの連絡先も狙ってたから、めぐるっちが気にする必要はないよぉ」
連絡先の交換を終えた浅川亜季はそんな風に言いながら、満足そうに白い歯をこぼした。
和緒には申し訳ない限りであったが、めぐるはこの不思議な空気感を持つ女性とまた一段階交流が深まったような心地であり――それが思っていた以上に、めぐるの心を温かくしてくれたのだった。
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