05 発覚
「いやぁ、今日はわざわざありがとうねぇ」
『V8チェンソー』のライブ終了後――めぐると和緒が一階の休憩スペースで身を休めていると、やがて浅川亜季が姿を現した。タンクトップ一枚で、汗だくの姿だ。赤く染めたセミロングの髪も、シャワーを浴びた後のようにしっとりと濡れそぼっていた。
「こちらこそ、貴重な体験をさせていただきました。でも本当に、チケット代を払わなくていいんですか?」
和緒がそのように応じると、浅川亜季は「いいのいいのぉ」と手を振った。
「お客はひとりでも多いほうが、こっちもテンション上がるからさぁ。それで、ちょっとは刺激になったかなぁ?」
浅川亜季に笑いを含んだ視線を向けられて、めぐるは「あ、はい……」と口ごもる。めぐるはずっと和緒を相手に、自分の体内に生じた不可解な感覚について語っていたところであったのが――とうてい本人には打ち明けることなどできなかった。
「刺激には、なったと思います……わたしもすごく、ベースを弾きたくなりました」
「んー? なんか、歯切れが悪いねぇ。ま、バンドの好みなんて人それぞれなんだから、気に入らなくっても仕方ないさぁ」
「い、いえ……みなさん本当に、お上手だったと思います」
「あはは。それって、魅力を感じなかったときの常套句じゃなぁい?」
浅川亜季は愉快そうに笑い、めぐるは言葉を失うことになった。
そこに、他なるメンバーたちまでやってきてしまう。小柄でショートヘアーのドラマーと、長身でスパイラルヘアーのベーシストだ。
「アキちゃん、誰それ? 新しい人脈を開拓したの?」
「いやいや。この子たちは、じーさまの店のお客だよぉ。地元の高校生で、名前は――」
と、浅川亜季は自分の頭をこつんと叩いた。
「そういえば、名前も聞かないでライブに誘っちゃったよぉ。ま、袖すり合うも他生の縁ってねぇ」
「もう、相変わらず雑だなぁ。でも、おじいちゃまのお客ってことは、この子たちもプレイヤーなんだ?」
そのように語っているのは、ショートヘアーのドラマーのほうである。めぐるとさして変わらないほど小柄であり、高校生と言われても納得できそうな容姿をした女性であった。
「初めまして。あたしはハルで、この子はフユちゃんです。アキちゃんに合わせて、そう呼び合うようになりました」
「へえ。いわゆる芸名ってやつですか?」
「いやいや。いちおうみんな本名由来なんだけどね。ただし、春夏秋冬の漢字は誰ひとり使われておりません」
そう言って、ハルと名乗った女性は白い歯をこぼした。ずいぶんと気さくで朗らかな人柄であるようだ。
「それで、あなたたちは? よかったら、下の名前だけでも教えてもらえない?」
「あたしは和緒で、こっちはめぐるです。ちなみにあたしはただの道連れなんで、楽器はたしなんでいませんよ」
「ふうん。それじゃあめぐるちゃんは、何をたしなんでいるのかな?」
「あ、いえ……わたしもまだ、二週間前に始めたばかりですので……」
めぐるが再び口ごもると、浅川亜季がのんびりと声をあげた。
「この子は、フユと同業だよぉ。じーさまがリストアしたリッケンを買ってくれたのさぁ。ご覧の通り、練習熱心みたいでねぇ。それでライブに招待することになったわけだよぉ」
「ご覧の通り? ……ああ、なるほど」
めぐるの手もとに目をやったハルもまた、いっそう朗らかに微笑んだ。
そのかたわらで、フユという女性ベーシストは無言かつ無表情である。近くで見ると、彼女は目もとに強いメイクを入れていて、やたらと眼光が鋭かった。しかも、長身である浅川亜紀や和緒より、さらに数センチも背が高いようだ。
「でも、うちらのライブは今ひとつだったみたいだねぇ。やっぱりこれは、根本的な改革が必要なのかなぁ」
浅川亜季が笑顔でそのように言いたてると、和緒はクールに「そんなことはないですよ」と応じた。
「最初から最後まで、すごい迫力で格好よかったと思います。まあ、あたしもこの子も音楽には疎いんで、あまり参考にはならないでしょうけど」
「ふーん? 音楽に疎いのに、めぐるっちはベースを買うことになったのぉ?」
「ええ。まじりけなしの、衝動買いだったみたいですね」
「それでそんなに打ち込むってのは、大したもんだねぇ。よかったら、じっくり感想を聞かせてもらえないかなぁ?」
そんな風に言いながら、浅川亜季はめぐるのもとに視線を固定させた。
「ぶっちゃけ、あたしらは超絶迷走中なんだよねぇ。欠けたメンバーの穴を埋めるべく、試行錯誤の真っ只中ってわけさぁ」
「というと? もともとは、四人編成だったんですか?」
めぐるの代わりに和緒が問い返すと、浅川亜季は「そうなのぉ」と首肯した。
「ナツってやつがヴォーカル&ギターだったんだけど、いきなり脱退しちゃったんだよぉ。バンドじゃ食っていけそうにないから、アイドルに転身するんだってさぁ」
「ロックバンドから、アイドルですか。ずいぶん大胆な路線変更ですね」
「うん。あいつはもともとビジュアルも歌声も、アイドル寄りの可愛らしい感じだったんだよねぇ。そのギャップが、うちのバンドの売りだったんだけどさぁ。おかげであたしが歌う羽目になっちゃって、バンドの面白みが激減しちゃったわけだよぉ」
「今日の演奏に可愛らしい歌声ってのは、ちょっと想像がつかないですね」
「でしょう? だから、そのギャップが面白かったんだよぉ。あたしの曲をあたしが歌ったって、何のひねりもないからさぁ」
「うんうん。アキちゃんももともとギタボだったから、技術的には申し分ないんだけどさ。ワイルドな楽曲にワイルドな歌声がハマりすぎて、結果的にフックがなくなっちゃうんだよね。しかも、あたしやフユちゃんはワイルドさとも無縁だから、ちぐはぐ加減が中途半端になっちゃったの」
ハルの言葉に、浅川亜季はもっともらしい調子で「そうそう」とうなずく。
「四人の個性がバラバラだったのがいい感じのバランスだったのに、あたしがヴォーカルとギターを兼任すると、2対1対1でバランスが崩れちゃうんだよぉ。これじゃあこの三人で組んでる甲斐がないよねぇ」
「うん。それに、ナッちゃんのギターもけっこういい味だしてたからなぁ。その穴を埋めるのもひと苦労だよね」
「そうそう。それでもあたしは歌があるから限界があるし、そのぶんフユに負担をかけちゃってるよねぇ。ベースのフレーズや音作りも、イチからやりなおしになっちゃったもんなぁ」
そこでめぐるは、思わず「ああ……」という声をもらしてしまった。
それで三名のバンドメンバーたちが、同時にめぐるを振り返ってくる。めぐるとしては、胃が縮むような思いであった。
「なんか、すっごく納得がいったみたいだねぇ。同じベーシストとして、フユの苦悩を感じ取ってたとかぁ?」
「い、いえいえ、とんでもないです。わたしみたいな素人には、何の善し悪しもわかりませんし……」
「でも、心当たりがありそうなお顔だよぉ。ずばり、フユのベースはどうだったぁ?」
浅川亜季やハルは元来の陽気さを保持したまま、好奇心に満ちみちた面持ちでめぐるを見つめている。しかしフユなる女性はいっそう鋭い目つきになっていたので、めぐるはとうてい心情を吐露することなどできなかった。
だが――
「自分だったら、もっと違う音やフレーズにしたいって思うだろうなぁ。……って、この子はさっきそう言ってましたよ」
和緒がそのように言いたてたものだから、めぐるは倒れそうになってしまった。
浅川亜季は「へえ」と瞳を輝かせる。
「それは興味深いご意見だねぇ。めぐるっちだったら、どういう音やフレーズを目指していたのかなぁ?」
「わ……わたしは、素人ですので……」
「あたしらだって、ぺえぺえのアマチュアバンドマンだよぉ。初心者の意見を笑い飛ばせるほど、大した実績を築いてるわけでもないしねぇ」
そう言って、浅川亜季は腕を組んだ。
「特に今のあたしらは、試行錯誤のドツボにハマっちゃってるからさぁ。あれこれアレンジをいじくり回して、何が正しいかも見失っちゃいそうなんだよぉ。ここで冷静な第三者の意見ってやつを聞かせてもらいたいなぁ」
「うんうん。周りの人たちも色んな意見をくれるけど、それってみんなナッちゃんがいた時代を知ってる人たちばかりだからね。昔を知らない人の意見ってのは、貴重かも」
ハルまでそのように言いだしたため、めぐるはいっそう窮地に追い込まれることになった。
そこで声をあげたのは、やはり和緒である。
「この子はただ、自分の好きなバンドとの差を不満に感じてるだけだと思いますよ。そもそもこの子には、そのバンドと教則本の知識しかないわけですからね」
「好きなバンドってぇ? めぐるっちは、どんなバンドが好きなのかなぁ?」
「残念ながら、それがわからないんです。女性のベース&ヴォーカルで、その人もリッケンバッカーを使ってるらしいですけどね」
すると――ハルが「あっ」と驚きの声をあげた。
「それって、もしかして……『SanZenon』のこと?」
「さんぜのん? それ、バンドの名前?」
「うん。でも、すっごくマニアックなバンドだから、そうそう音源も出回ってないはずだけど……めぐるちゃんは、どこでそのバンドのことを知ったの?」
「この子は動画サイトで、たまたま見つけたみたいですよ」
和緒の言葉に、ハルは「ああ」と微笑んだ。
「それってもしかして、元メンバーさんのチャンネルじゃない? 猫動画の中で、ぽつんとひとつだけライブ動画がまじってるんだよね」
「それは確定っぽいですね。もう活動してないバンドなんですか?」
「うん。十年ぐらい前に、ヴォーカルさんが亡くなっちゃったみたいだからね。そのライブ映像は、七回忌の年に衝動的にアップロードしたんだってコメントが書かれてたよ」
めぐるは、直接心臓を殴られたような心地であった。
和緒は一瞬だけ言葉を詰まらせてから、「そうですか」と応じる。
「なんか、余計な話を持ち出しちゃったみたいですね。あたしは、黙ります」
「ううん、そんなことないよ。『SanZenon』……『SanZenon』か……それはちょっと、盲点だったかも……」
「その『SanZenon』ってバンドが、何だっての?」
と、フユなる女性ベーシストが、初めて発言した。その容姿に相応しい、ちょっと冷たげな声である。
「うん。『SanZenon』って、ベースがバンドサウンドを引っ張ってるんだよね。ギターもドラムも、すごくいい感じなんだけど……それこそ、好き勝手に暴れるベースと歌をギターとドラムが支えてる感じなの」
「そんなのが、私たちの参考になるっての?」
「ある意味では、なるかもしれない。もちろんあんなプレイは真似できないし、真似する必要もないけどさ。特にフユちゃんはあれを聴いたら、何かしらのインスピレーションを受けるんじゃないのかな」
『V8チェンソー』の面々は、その情報に浮き立っている様子である。
しかしめぐるは、おかしな感覚にとらわれてしまっていた。ライブのときともまた異なる不可解な感情がこみあげてきて、足が地面から浮いているような心地であったのだ。
すると、和緒が感情の読めない口調で「あの」と声をあげた。
「あたしらは、そろそろ失礼させていただきますね。今日はご招待、ありがとうございました」
「えー? もう帰っちゃうのぉ? 今日はまだまだ、良いバンドがそろってるのにぃ」
「あたしらには、みなさんのライブだけで十分以上でした。それじゃあ、失礼します」
そんな風に言い捨てるなり、和緒はめぐるの腕をつかんで店の外に向かい始めた。
店の外は、すっかり夜である。さして賑やかな区域ではないが、車道にはたくさんの車が行き交い、無数のヘッドライトが夜の闇をかき回していた。
そんな街路をしばらく進むと、店の外にたむろする人々の賑わいもすぐに遠ざかっていく。
そうして辺りが静まると、和緒はふいに「ごめん」とつぶやいた。
「……かずちゃんは、何を謝ってるの?」
「だってあんた、泣いてるじゃん」
和緒は怒っているかのような声で言い、めぐるの頭を軽く小突いてくる。
それでめぐるは、自分が滂沱たる涙をこぼしていることに、ようやく気づかされたのだった。
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