08 再訪
かくして、めぐるは重いベースのケースを背負い、和緒とともに『リペアショップ・ベンジー』を目指すことになってしまった。
この大荷物では自転車をこぐことも難しいし、そもそも和緒が人力の乗り物を嫌っているため、交通手段はバスである。今日に限らず、めぐるがこちらのバスを利用するのは和緒と行動をともにするときに限られていた。
ショッピングエリアの停留所で下車したならば、楽器店の入っているショッピングモールに背中を向けて街路を辿る。そこから三分ほど歩くと、めぐるにとっては一日ぶりとなる路地まで行き着いた。
本日も立て看板が出ているので、休業日ではなかったようだ。そして昨日よりも早い時間であったため、路地の薄暗さもほどほどである。そうしてその最果てにある『リペアショップ・ベンジー』にまで到着すると、和緒は「へえ」と気のない声をあげた。
「こんな場所にこんな店があるなんて、あたしはまったく知らなかったよ。ま、知ったところで用事はなかったけどさ」
「う、うん。でも、いきなり訪ねたりしたら、迷惑がられないかなぁ?」
「こっちはお客なんだから、堂々としてればいいんだよ。さ、それじゃあ赤毛のかっちょいいお姉さまにご対面といこうか」
和緒は先陣を切って、店内に踏み入った。
通路はせまいので、めぐるは小さくなりながら和緒の後に続く。
その道中で左右の雑然とした様相を見回しためぐるは、ひそかに胸を高鳴らせることになった。ダンボールやコンテナボックスと一緒に並べられている機材の正体が、わかったのだ。黒くて四角くて大小さまざまなのサイズをしたそれらの存在は、アンプという機材に他ならなかった。教則本によると、エレキギターやエレキベースはそのアンプという機材に繋げることによって、本来の持ち味であるエレキサウンドを生み出すことがかなうのだった。
(もちろんわたしは、アンプを買うお金なんてないけど……いつかは欲しくなっちゃうのかなぁ)
めぐるがそんな想念にひたっている間にも、和緒はすたすたと前進していく。
そうして正面のカウンターに到着すると、和緒は「ありゃ」と声をあげた。
いったいどうしたのかと思って和緒の向こう側を覗き込んだめぐるも、思わず立ちすくんでしまう。カウンターに座していたのは、赤髪の女性店員ではなく老齢の男性であったのだ。
年齢は、もうとっくに還暦を越えているだろう。頭も髭も灰色に見える半白髪で、欧米人のように厳つい顔立ちをしている。骨太でがっしりとした体に纏っているのは、すりきれたネルシャツにデニムのオーバーオールだ。そして現在は分厚い老眼鏡をかけて、カウンターの上に置いた小さな基盤にはんだごてをあてているさなかであった。
「あのー、ちょっとおうかがいしたいことがあるんですけど、いいですか?」
和緒がそのように声をかけても、その人物は顔を上げようともしない。その角張った顔は真剣そのものの面持ちで、親の仇のように小さな基盤をにらみ据えていた。
それから十秒ばかりも作業に没頭したのち、その男性ははんだごてをカウンターに置き、老眼鏡を外して目もとをもみほぐし、湯呑みのお茶で咽喉を潤してから、ようやくこちらをにらみつけてきたのだった。
「……いらっしゃい。修理の依頼かね?」
ドスのきいた、野太い声である。その皺深い顔にも、客商売に従事する人間とは思えない不機嫌そうな表情が浮かべられていた。
これはおそらく、こちらのリペアショップの店主であるのだろう。昨日の女性店員も、店主を「じーさま」呼ばわりしていたのだ。この小さな店に、そう何人もそのような呼称に相応しい人間が在籍しているとは思えなかった。
「修理っていうか、ご相談ですね。この子が昨日ここでベースを買ったんですけど、一日で弦が切れちゃったんですよ」
和緒が恐れげもなくそのように言いたてると、老齢の店主はいっそう険しい面持ちになって「ふん」と鼻を鳴らした。
「お前さんが、昨日の客か。文句があるなら、そいつを置いていけ。代金は、のしをつけて返してやる」
「いきなり喧嘩腰ですね。何をそんなにいきりたってらっしゃるんですか?」
「値引きをねだるようなやつに、うちの楽器を使ってほしくないんだよ。そいつはジャンク品として引き取ったものを、俺が何ヶ月もかけて蘇らせてやったんだからな」
いきなり非友好的な感情を向けられて、めぐるは戦々恐々であった。
しかし和緒は、「へえ」と冷めた声をあげる。
「これって、ジャンク品だったんですか。だったらむしろ、法外なお値段だったんじゃないですか?」
「馬鹿を抜かすな。そいつはフレットを交換した上に、ピックアップのコイルも巻きなおすことになったのだぞ。おまけにペグやらピックガードやらは新調したのだから、部品代と工賃だけでもっと代金を上乗せしてもいいぐらいだ。それでも仕上がりに文句があるというのなら、なおさらそいつを置いていけ。物の価値がわからん客など、こっちから願い下げだ」
「そんな頭ごなしに返品を迫られると、何か後ろ暗いことでもあるのかと勘繰っちゃいますね。……もしかしたら、これはコピーモデルか何かだったとか?」
めぐるは青くなりながら、和緒のしなやかな背中に取りすがることになった。
「か、かずちゃん、さっきから何を言ってるの?」
「リッケンバッカーって、他のメーカーがコピーモデルを山ほど売り出してるんだってさ。で、ブランド名はヘッドのプレートに書かれてるだけだから、そいつをこっそり取り替えたら本物か偽物かもわかんなくなっちゃうんじゃないのかな」
すると店主は小馬鹿にした様子で、今度は「はん」と鼻を鳴らした。
「リッケンバッカーとコピーモデルの区別もつかないような人間は、なおさら願い下げだ。そいつを置いて、とっとと出ていけ。代金は、八万円だったな」
店主がレジに手をのばそうとすると、和緒はすかさず「待った」と制止の声をあげた。
「もしよければ後学のために、本物とコピーモデルの見分け方をご教示願えませんか?」
「……そいつはペグとピックガード以外、すべて純正のパーツでリストアしている。多少なりとも知識のある人間が見れば、コピーモデルでないことは一目瞭然だ」
「ふむふむ。だけど残念ながら、あたしらは何の知識もない素人の女子高生なんですよね」
「……重要なのはプレートよりも、むしろジャックのカバーのほうだろう。個体のシリアルナンバーは、そちらに刻印されているのだからな。コピーモデルを本物と詐称して売りに出すなら、プレートばかりでなくジャックのカバーも付け替える必要が生じる。しかし、どれだけ精巧なコピーモデルでも、ネジ穴の位置まで合致する道理はない。とりわけジャックカバーはボディの曲面に沿った形状だから、完全に規格を一致させる必要が生じるのだ。そいつがもしもコピーモデルだったら、ジャックカバーの下に新しいネジ穴が開けられているだろうさ」
寡黙な印象であった店主が、重々しい声音でまくしたててくる。
しかし和緒は「ほうほう」と軽妙な調子で迎え撃った。
「新しいネジ穴ですか。それは素人でも、簡単に確認できそうですね」
「確認したいなら、好きにしろ。そうしてプレートのほうを外せば、ネックに二本のトラスロッドが入っていることも確認できる。おまけにそいつはセットネックではなくスルーネックだし、アウトプットジャックも二つついているのだぞ。そこまで精巧なコピーモデルは、七十年代から九十年代の日本製でしかありえん。そういうシリーズはジャパンビンテージという扱いなのだから、それだけのコンディションであれば黙っていても八万ぐらいの値がつくはずだ。であれば、もっと高値をつけなければ本物と偽る甲斐もないだろうよ」
「そうですか。まったくもってチンプンカンプンですけど、あたしはずいぶん的外れな言いがかりをつけていたみたいですね」
そう言って、和緒は芝居がかった仕草で一礼した。
「売り言葉に買い言葉で、ついつい暴言を吐いちゃいました。それについてはお詫びしますので、あらためてご相談に乗っていただけますか?」
「何が相談だ。弦が切れたと難癖をつけに来たのだろうが?」
「はい。中古品だと、弦が一日で切れても仕方ないんでしょうか?」
店主は、心からうんざりしたように溜息をついた。
「中古だろうが新品だろうが、弦の寿命まで保証する筋合いはない。売り物の楽器の弦ってのは、ネックの調子を保つのと試奏のために張っているだけなのだからな。ちょいと気のきいた客だったら、楽器と一緒に新品の弦を買っていくだろうさ」
「なるほど。そういうものなんですか」
和緒はすました顔でうなずいてから、めぐるのほうに向きなおってきた。
「だってよ。これはどうも、新品の弦を買うしかないみたいだね」
「だ、だから最初から、そう言ってるじゃん。かずちゃんは、何のためについてきてくれたの?」
「なんだろうね。自分の納得を得るためかな」
そんな風に言いながら、和緒はめぐるの耳もとに唇を寄せてきた。
「このご店主は、いかにも頑固な職人気質って感じだね。ちょっとつきあいづらそうだけど、こういうお人は信用できると思うよ」
そんな言葉を聞かされても、めぐるは溜息をこぼすばかりであった。
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